敵意はないが

 時は、お昼前。

 晴れて太陽光がジリジリと都市を照らす。気温が高い。


「レオ様、お出かけですよ」


 そう言ってアサムは乳母車に乗る白獅子の王子に手作りの小さな麦わら帽子を被せた。

 時季が時季なので日射し対策は当然のこと。

 そして、ゆっくりと乳母車を押してエリンダの屋敷の門を後にする。

 目的は買い物だ。赤ん坊用のオムツ、それと粉ミルク。レオ王子のための買い出し。

 だがそれだけでなく。


「……辺境の地にしては、すごいな」

「こんないい街並みなんて、いつ以来だったかな」

「ウェルシ様、暑くはありませんか?」

「このぐらい、平気ですわ」


 アサムから少し遅れて、護衛役たるアリシアとハンナ、それからメイドのスティアとウェルシ姫が続く。

 買い出しだけでなく、四人に都市を見学してもらうのが一番の目的だ。

 彼女達はゲン・ドラゴンに来て、まだ日が浅く環境や状況に慣れていない。

 今後のためにも、そんな彼女達の緊張を解きほぐすために領主エリンダが計画したお出かけである。


「さあっ! アサム、行きましょ」


 そんな中で一番に、はしゃぐのはウェルシ。

 姫とは言え、やはりまだ子供。

 賑やかな街の様子に感情を抑えられないのは仕方あるまい。

 ましてや長い軟禁生活と避難の旅、長期間も触れることができなかった自由と人の生活。

 それがやっと得られる。


「そう言えばアサム、屋敷にいた時からその子の世話をしていたけど、誰からか預かっているの?」


 彼のことだから、親に成り変わって乳幼児の世話をするような仕事をしていても別に不思議ではない。

 そう考えてウェルシは「可愛い」と囁きながら、白獅子の子を撫でようと手を伸ばした時だった。


「迂闊に近寄らないでください」


 二人の間を引き剥がすように、人影が割って入り込んだ。


「何者だ!」

「な、何をする!」

「……ひぃっ」


 主君の目の前に得体の分からない者が急に出現。

 姫に危害が加えられるかもしれない光景、それを認知した瞬間、アリシアは弓を構え、同時にハンナは抜剣。

 スティアは思わぬ緊急事態に小さい悲鳴をあげた。


「……あ、あの……何か、あなたは」


 いきなり目の前に入り込んで来た姿に、やや怯えぎみにウェルシは後ずさる。

 彼女の視線の先にいるのは、不快な表情をしたレッサーパンダの毛玉人だった。


「……あ、あなたは確か」


 見覚えがあるその毛玉人の姿にスティアは声をあげる。

 間違いない、自分達が魔物に襲われていた時に巨大な竜とともに駆けつけてくれた少女である。


「助けてくれたことには礼を言うわ。でもウェルシ様から離れて、その方はギルゲスの王女なの。どう言うつもりなの?」


 アリシアもミアナの姿を見て、彼女が救助に来てくれたことを思い出したのだろう。

 息を吐いて、けして彼女に敵意や悪意はないと思い弓を降ろした。


「それは、お互い様よ」


 忠告するようにミアナは手にしていた黒い杖の先端をアリシアに向ける。

 そして背後の乳母車を振り返る。


「このお方は、私達バイナル王国の皇子にして次期国王たるレオ・パルジャ・バイナル様です」


 彼女がその白獅子の名を告げた瞬間、アリシア達は目を大きく見開いた。

 彼女達だって知っている。停戦状態とは言え今だに、自国がとある国家と争っていることに。

 バイナル王国、それは今自分達が敵対している国。

 つまり乳母車に乗る赤ん坊は、その君主であることを意味していた。

 そしてアリシア達は総毛立つ。

 今ここにいるのは、ギルゲスの王女、バイナルの王子、そしてその二人の護衛達。

 ……つまり、どちらも敵国の君主を討ち取ることができてもおかしくない一触即発な状況なのだ。


「停戦中とは言え、それはいつまた再戦が起きてもおかしくはないということ。まだ終戦はしていないのよ、そんな状況でましてや君主の前で迂闊なことはしない方がいいわ」


 ミアナのその発言が更に周囲の緊張を強める。

 お互い国が崩壊してるため、今はそんな戦争どころの話ではないのだが、しかし戦いが終わったとは宣言されていないのだ。


「でも安心して、ここで変な気を起こす気はないわ」


 そう言ってミアナは、アリシア達に向けていた黒い杖を降ろした。

 敵国の君主がいるからと言って、けしてこの場でウェルシの首を取ろうなどと、そんな馬鹿げた考えはないのだから。

 それで緊迫が和らいだのか、アリシアは弓を下げ、ハンナは剣から手を離した。


「……でも、どうしてバイナル王国のあなた方もこの地域に?」


 と、ウェルシは恐る恐るとミアナに問いかけた。

 してミアナは躊躇うことなく応じる。


「あなた方の国と同じですよウェルシ様。私達も国が崩壊したのです」


 やはり敵国の君主とは言え、身分が高い人物であることは理解しているのだろう。

 ミアナの口調は丁寧である。


「いいですかウェルシ様。私はあなた方を今は敵としては見ていませんが、けして味方とも思っておりません。気をつけてください」


 ……分かってはいる。

 アリシア達もウェルシ姫を必死に守ろうとしているだけなのだと言うことは。

 だがこっちだって、そうだ。ただレオ王子を守りたいだけなのだ。

 それなら現状は互いに迂闊なことは避けるのが賢明であろう。


「お前、もしもウェルシ様に怪しい真似をしたらその首を叩き斬るぞ」


 そしてハンナが怒り混じりに忠告をミアナに言い放つ。

 無論、彼女もただ君主を守りたいだけであることは十分に理解できる。


「なら、そうならないためにもお互いに注意するべきね」


 怒りをあらわにする彼女とは裏腹に、ミアナは冷静に応じた。


「お二方、いい加減にしてください!」


 すると突如アサムが声をあげた。


「せっかくエリンダ様が、みんなで買い物を楽しんでこれるようにと考えてくれたことなんですから、最初からこんな揉め事はやめてください」


 アサムは怒って頬を膨らませる。

 これから楽しく買い物だと言うのに、国家の対立だの、戦争だの、を語っていてはせっかくの街の見学も台無しである。


「でも、そいつがウェルシ様に……」

「ウェルシ様の身を大事に思っていることは分かっていますよ。でも子供達の前で、物騒な話や、国家間の争いを語るのはやめてください」


 ハンナは反論しようとしたが、しかしアサムのウェルシ姫やレオ王子を思いやっての言葉に打ち消されてしまう。

 まるで母親に叱られる子供のごとくだ。

 とは言えアサムは三十歳さんじゅう近いゆえに、彼から見れば彼女達は全員子供だが。


「ミアナさんも、もう少し抑えてください。ウェルシ様達は、まだ今の状況が分からないんですから。それを知ってもらうためにも、今からお出かけするんですから」


 そして次に叱責の矛先がミアナにも向けられた。

 確かに彼女も間違ったことはしてないだろう。

 しかし、もう少しやり方と言うものがある。


「ごめんなさい、アサム。最近色々とありすぎちゃったから、気が落ちつかないのかもね。精神の修行も必要みたいだね」


 ミアナは微笑を見せて答える。自分の未熟さを嘲笑うかのように。

 そして彼女はウェルシの前で膝まずいた。


「ウェルシ様、申しわけありません。先程はとんだご無礼を。ただ私は、あなた方に敵意がないことは確かです」


 唐突な謝罪。だがけして上部だけでなく、しっかりと誠意があってのものであろう。


「……わたくしも申しわけありません。まさか王子様とは気がつかず。なにぶん、まだここに来たばかりだから」


 そう言ってウェルシはミアナの手を握った。

 そして彼女の警戒心が拭われたのか、笑みを見せる。


「さあっ! 一緒に行きましょ」


 ウェルシはミアナの手を引き街道を歩き始めた。

 あんな蟠った状況からここまで打ち解けられたのは、やはりアサムと言う存在とミアナの成長があったからだろうか。





 して一同が訪れたのは薬屋。オムツと粉ミルクを買うために。

 ……しかし忘れてはならない。かつてアサムとミアナは、おしゃぶりを買うためにこの店に来たことがある。

 そして、この店の隣にはあのピンク色の店があったことを。

 淫具専門店『大人タ~レン』。

 あの変態隊長オボロが良く顔を出す魔窟である。

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