癒される少女達

 領主屋敷の脱衣場は暖かな湿気と並みならぬ嫉妬のオーラに満たされていた。

 そんな脱衣場の入り口で負の念を浴場に向けて発していたのは四人のメイド達である。

 彼女達はまだ仕事中のはずだが、それに身が入らない程の妬みにかられていたのだ。


「なんてこと……一緒に入浴なんて」

「あたしなんて、まだ彼と手を繋いだことすらないのに……」

「彼と混浴とか、ありえなくない。私達からすれば夢の中の夢の話だって言うのに……そればかりか背中を流してもらえるとか」

「こんなこと……いくら客人とは言え……いくら異国の姫様だからと言って」


 しかし彼女達は、ただただ悶えることしかできなかった。

 仕方ないのだ、自分達は領主屋敷に勤めるメイド。

 上からの指示は厳守で、屋敷内での勝手な行動は慎まなければならない身ゆえに。

 だがついに限界がきたようだ。

 その我慢ならぬ妬みに突き動かされたのだろう、一人のメイドが脱衣場へと静かにコソコソと入り込んだ。


「……ちょ、ちょっと何をする気?」


 同僚の制止も聞き入れず、無断で入室したメイドは置いてあったカゴの中をゴソゴソと探り始める。


「……ぐふふ、あったわ」


 そして彼女は無気味な笑みで、それを発見した。

 それは亜麻色の布のようである。


「アサムの胸帯」


 何を隠そうそれはアサムの下着。体型のせいで男性にしては、だいぶ大きい彼の胸を覆っている布である。

 今は暑い季節だ。汗やら何やら染み付いており、煩悩あたまを劇的に刺激する匂いがムンムンしているやもしれない逸品。

 なら、やることは一つと言えよう。


「すーはー、すーはー」


 嗅覚を研ぎ澄ませるためだろうか、胸帯を手にしたメイドは二度の深呼吸をする。

 そして布に染み付く芳香を吸わんと、狂喜に満ちた顔に胸帯を近づけるが、しかし未遂に終わる。


「なにやってんのよぉ!!」

「ぼごわぁ!」


 別のメイドが匂いを嗅ごうとしていた彼女の後頭部にドロップキックを食らわした。

 あまりにもハレンチだったためだろうか、あるいは抜け駆けの粛清か。

 蹴られたメイドは薄汚い叫びをあげ、そのままの勢いで脱衣場の壁に激突するのであった。





 彫刻が施された、白い石造りの広間。

 湯煙に満たされた室内には、椅子や桶が整えて置いてあり、十にもなるシャワーが設置され、高級品である石鹸までもが備えてある。

 そして大きな浴槽には、竜の像の口を通して常に湯が注がれている。

 ……贅沢三昧どころではない。

 貴族はおろか国王クラスの地位を持つものとて、これ程の設備を設置するのは困難であろう。

 少なくともふんだんな水源と燃料それと高度な技術が不可欠なはずだ。

 水源は都市に隣接してる湖からだろうが、燃料などはどうなっているのか?


「……どうなってるのでしょうか」


 なれない環境と人々で今だに警戒心や緊張感を抱きながらも、ウェルシはおかれた状況を確認しようとしていた。


「何かおっしゃいましたか? ウェルシ様」


 と背後から声をかけてきたのは可愛らしい少年ではなく青年である。


「いえ、何でもありませんわ」


 ウェルシはやや慌てて返答すると、その褐色肌の青年は再び手を動かして彼女の小さな背中を洗い始めた。

 長く辛い旅路の汚れと疲労を洗い流すように。洗い心地は、とてもいい。

 浴場には、裸体をタオルで包む幼い少女とその背中を流す青年の二人だけ、いやアサムが抱いていた白獅子の赤ん坊が傍らで湯を満たした桶に入れられてるため三人と言えよう。

 アサムは下半身こそ際どい下着で隠しているが、ほぼ裸体には近い。

 ある意味、裸のつきあいだ。

 つまりウェルシはその異性に自分の裸を見せているわけだが何故か羞恥のようなものは感じなかった。

 なぜ恥ずかしいと思わないのか?

 彼が今のところ最も信用できそうな人だからだろうか?

 自身よりも身の長が小さい青年のためか、危険性が感じられず安心してるからだろうか?


「……あなたは、とても不思議な方ですわ。まだ出会って、間もないと言うのに」

「不思議ですか?」


 そう言ってウェルシが振り替えると、アサムは顔をキョトンとさせた。


「わたくしもよく分かりませんが、あなたが近くにいると安心するのですわ」


 ウェルシとアサムが出会って、まだ間もない。

 しかし何故か初対面の時から彼には心が許せると思ってしまったのだ。

 そして何とも言えない母性のようなものが感じられていた。

 ……なんと言うか、母親に体を洗われているような気分なのだ。


「そ、それを離しなさい!!」

「嫌だぁぁぁっ!」

「先に匂いを嗅ぐなんて、許さないわ!」

「オッパイ! オッパイの温もりがぁ!」


 それらの叫びは脱衣場からであった。


「……なんだか騒がしいですねぇ」


 とアサムは呑気そうに脱衣場方へ目をやるが、思いもしないだろう。

 メイド達が自分の下着の争奪戦などを繰り広げていようとは。

 後々に彼女達はメイド長に厳しい説教を受けるのは、言わずもがなである。





「だ、誰かぁ!」

「助けてぇ!」

「熱い! 熱い!」


 人々の悲鳴が響き渡る。

 醜悪な竜に執念深く追い回される女性。

 忌々しい長大な舌にからめとられる子供。

 強酸で全身を焼かれる兵士。

 まさにこの世の地獄。


「……うわぁっ!」


 アリシアは叫び声を響かせて眠りからさめた。

 あまりにも現実的な夢であった。もはやあの地獄を再現したとしか言いようがないほどに。


「……ここは……たしか」


 アリシアは荒くなった息を落ち着かせると、現状況を把握するため周囲に目を向ける。

 どうやらここは、どこかの医務室らしい。ここで自分は深い眠りについていたようだ。

 そして隣のベッドにはハンナが、そして更にその隣にはメイドのスティアが眠っている。

 部屋の中には薬品棚がならび、それと光を発してる得体の分からない道具などがあった。

 患者服のようなものに着替えさせられており、身に付けていた衣服や装備などはベッドの傍らのテーブルに置かれていた。


「……そうか、そうだった」


 アリシアは自分の頭に手を当てると、今までの経緯を思い出すのであった。

 不気味な魔物に襲われ、ここに住まう人達に助けられ、この医務室で治療を受けていたことに。

 そして彼女はベッドからおりると、装備が置かれているテーブルに向かって一歩踏み出した。


「体が軽い。生まれ変わったように」


 長い旅路と過酷な生活、魔物の襲撃により疲労も負傷も酷かったはずだが。

 これはどうしたことか、疲れもなければ、傷の痛みさえもないのだ。

 少なくとも足元がおぼつかなくなるとは思っていたが、それすらない。


「いったい、どんな治療を施しったって言うの?」


 不思議と思いながらアリシアは装備に手を伸ばした、衣服は汚れなく破れもない修繕されているようであった。

 ブーツも磨かれており、土も詰まっておらず、靴紐も新品へと変えられていた。

 そして愛用の弓矢は、弦が新しいものへ変えられており、矢も一本一本手入れされているようであった。


「……相当な腕利きが、修繕したのかな」

「ニオン様とアサム様によるものです」


 アリシアが装備の具合に関心していると、背後から突如甲高い声が聞こえた。


「わっ!」


 と、驚きアリシアが振り替えるとそこには、丸っこい頭に無数の触手が生えた謎の生物が佇んでいた。

 ……しかし、その姿には見覚えがある。


「あなたは、たしかあの時の」


 そう魔物に襲われたとき、巨大な竜とともに救助に駆け付け、そして自分達に治療を施してくれた生き物であった。


「わたくしはチャベックともうします。お体のほうは問題ありませんかな?」


 やや行儀が悪いがチャベックは口をモグモグさせながら、アリシアに具合をたずねた。

 その異星人の触手には、ドーナッツが握られていた。


「ええ、おかげさまで。改めてお礼を、ありがとうございました」


 得体のしれない生き物ながらも、治療してくれた恩人であることにはかわりない。

 アリシアは戸惑いながらも礼を述べるのであった。

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