痛みと友達の死
ゲン・ドラゴンの医療施設は国内でも最高の設備を誇っている。
それこそ他の地域では難病とされていた病さえ治してしまうほどの医療技術があるのだ。
この高度な医療技術や設備、そして薬品の製造などは
しかし、そんな優れた医術でも癒せないものはある……。
「……う゛ぅ……ぐぅ」
とある病室で、苦痛に耐えているような声があがっている。
オボロに運び込まれた、レッサーパンダの毛玉人少女が苦しげに呻いていたのだ。
治療は済んだため彼女の体のいたるところに包帯がまかれている。しかし、一ヶ所だけ巻かれていない部位があった。というのも巻く部位がないからである。
「右腕を失ってから、まだそれほどたっていないのだろうねぇ」
少女が横たわるベットの脇に佇む白い軍服を着込んだ大柄な美青年が彼女の欠損した部位を見て静かに口をひらいた。
少女がなぜ、こんなにももがき苦しんでいるのかニオンは理解している。
「……幻肢痛」
そう言ったのはニオンの傍らに立つアサムであった。
彼の腕には、おくるみに包まれて寝息をたてている赤ん坊が抱かれている。目の前で苦しんでいるレッサーパンダの少女が必死に守ろうとしていたであろう白獅子の子だ。
アサムは白獅子の赤ん坊を軽く揺すると、心配そうに少女の今はなき右腕の辺りに目を向ける。
「ローラーで押し潰されたような痛み、血管の中に砂利が流れているような痛み、電流を帯びた万力で潰されるような痛み、焼いた棒で突き刺されたような痛み、人によって痛みの感じかたは様々だ」
「……ずいぶん詳しいですね、ニオンさん」
とても経験などしたくない痛みの感覚をスラスラ語るニオンの言葉を聞いて、アサムは柔らかそうな頬に冷や汗を伝わせた。
「当然だとも、私は今まで数多の手足を斬り落としてきたのだから」
ニオンは腰に携えてある刀を一瞥すると、冷たげな表情をみせるのであった。
その顔はまるで、日頃は穏やかで優しげな美青年だが、事にあたるときは躊躇なく他者の生命を両断する魔剣士であることを意味しているようであった。
「……ぐぅぅ……み……みんな」
そして、また少女が呻き声を漏らした。
彼女を苦しめているのは痛みだけではなかった、恐ろしい悪夢を見ていたのだ。
ミアナは広い通路を一人、歩いていた。ここは国王の城の中。
どうにか歩けるようになったのはサンダウロから帰還して数日してのことだった。
しかし城の通路を歩くミアナは転んでしまいそうな程にふらついている。疲労のせいだけではない、右腕が喪失したせいで体の重心が変化して、うまくバランスをとれないためであろう。こうなれば、もう戦いの場には立てない。
そして、今ミアナが目指しているのは国王のもとである。帰還報告と今回の戦いに関することを伝えるためにも。
だが、その前にミアナはある場所を訪れようとしていた。
「……ここね」
そこは、もうもうと霧が渦巻き、ねっとりと湿った薄暗い広間であった。
ところどころに立てられている燭台が唯一の明かりになっている。
そして、もの凄い臭いが彼女の鼻を刺激してきた。
糞尿や吐瀉物や腐敗物や薬品が混じりあったような、この世のものと思えないような臭気であった。
しかし、この臭いを発しているものがなんなのか、おおかた彼女は理解している。
ミアナは覚悟を決めたように、その薄暗い領域に踏み込んだ。
「う゛っ!」
その瞬間、目眩がしそうな程の臭いが一気に押し寄せてくる。あまりの気分の悪さに思わずミアナは膝をついてしまう。
膝をつくとグシャと言う音が聞こえた。床が粘液のようなもので、ずるずるとしているようだ。
ミアナは気を取り直すと、立ち上がりさらに奥に進んだ。
その異臭と湿った空気に覆われた空間では、白衣を着た毛玉人達が黙々と何かの作業にあたっていた。
ある者は大きな桶で何かを洗ったり、別の者は広げられた布の上に転がされている塊のようなものに薬品を散布したり。
そして奥に進むにつれ、ハッキリと彼等が何をしているのかが見えてきた。
それを理解した瞬間ミアナは口を押さえた。胃の中の逆流を防ぐために。
……それは、おぞましい光景だった。
あれは犬の毛玉人の生首だろうか。顔の半分が欠損して脳髄が剥き出しになった頭が桶の中で洗浄されていた。大脳の半分がなくなっており、小脳や脳下垂体の部分がはっきりと見てとれる。
そして、広げられた布の上に転がされていたものは原形を失った遺体の数々。
全身の皮がなくなり真っ赤な筋繊維と黄色い脂肪組織だけになった遺体。
両目が飛び出し、右乳房がもぎれ、腰から下がない白猫少女の遺体。
体を縦に両断され臓腑をぶちまけているハイエナ少年の遺体。
それら肉の塊は全てミアナの仲間であった。
この広間では、サンダウロから送られてきた遺体の処置が行われていたのだ。
「……み、みんな」
仲間達の無惨な姿を見てミアナは目元を涙で光らせた。それと同時にショックと悪臭の影響か意識が飛びそうになる。
「ミアナ様! いらっしゃったのですか」
そんなミアナの意識をとどめさせたのは、女性の声だった。
彼女のもとにトテトテと駆けつけたのは、白衣を纏ったネズミの毛玉人女性。
ネズミなだけに、その身長は低く三十センチ程しかない。
「みんな……こんな酷い有り様になってしまったの?」
ミアナは口を押さえたままネズミの女性を見下ろした。
戦場で死んだとは言え、これはあまりにも酷すぎる。人がこんな死にかたをしていいものか?
「……ここにある遺体は、まだいい方です。あれを見てください」
すると、ネズミの女性はつらそうに視線を遠くに向ける。
その先にあったのは山であった。しかし、岩や土などではない。
その山を形成しているのは、肉片、骨片、破れた内臓、もぎれた手足など。まさに生物の各部位で形作られた大きな塊と言える物であった。
その山からは、血とも腐敗液とも分からない赤黒い液体が滲みでている。
そして潰れた内臓からは、未消化物や便になりかけの半固形状の物が漏れでていた。
そしてネズミの女性は声を震わせる。
「それぞれの騎士達の遺体が無数に離断してバラバラに混ざりあい、身元が分からないものが殆どです。……それと、行方不明者もいます」
……行方不明?
その言葉を聞いてミアナは、ハッと何かに気づいた。
一部の仲間達は、けして行方知れずになったわけではない。
あんな巨大な怪物の攻撃を受けたのだ、ならば人体など霧散してもおかしなことではない。
つまり彼等はいなくなったのではなく、目に見えない程に粉々になってしまっただけなのだ。
「ミアナ様、ついてきて下さい」
すると、ネズミの女性はミアナをどこかに案内した。
そして、そこにあったのは……。
「ボルク隊長……アニス副長」
布の上に寝かされた二人の遺体にミアナは、よろよろと近づいた。それは間違いなく騎士達を指揮する強者二人の亡骸であった。
他の遺体より原形に近いが、アニスの下半身は無くなっており小腸や大腸がこぼれていた。
そして、ボルクの胸には向こう側が見えそうな程の穴があいている。
二人の損傷部はどろどろとしていて、白っぽい粒のような蠢いていた。その粒の正体は蛆。
おそらく肉の奥深くまで蛆が潜りこんで、這いずり回っているのだろう。
「……二人は寄り添うように死んでいたそうです。……どうして、こんなことに……うぅ」
ネズミの女性も、今まで相当に堪えていたのだろう。二人の亡骸を再び見ると、鎖が切れたように泣き崩れた。
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