人の範疇

 体の復元が完了すると、ナツミは鬼のごとき形相でロランを抱くオボロに顔を向ける。


「許せない! 魔王軍幹部の、わたくしに泥を塗ってくれたわね! その犬は、引きちぎってゴブリンの餌にしてや……」


 しかし、突如ナツミの激昂がおさまった。

 憎悪と怒りで歪んでいた彼女の表情が戦慄に豹変する。

 そうなった原因はナツミの前に佇む筋肉の山であった。近くで見ることで、それの異常性をようやく感じ取ることができたのだ。

 オボロは値踏みするようにナツミを見下ろす。


「実に反吐へどが出そうな連中だな、魔族ってぇのは」


 そう口にする巨体を見上げるナツミ。

 彼女の目の前にいるそれは、並の生き物ではなかった。

 見上げんばかりの巨体、異常発達した筋肉、その表面にある新旧無数の傷。あきらかに次元が違う感覚。

 ナツミは本能的に、目の前の巨体に別格性を感じた。

 一流、天才、英雄。そんなものでは足りない。人類の域を超越した……超人としか言いようがない感じだった。

 その巨漢の熊が見下すようにナツミに言う。


「おとなしく死にもせず、いさぎよく負けも認めず、頼みの力でぬけぬけと復活なんぞしやがって、この腑抜けが! 勝負は、おめぇの負けだ」

「……ええい、だまれ! お前もろとも、その犬を吹き飛ばしてやるわ!」


 ナツミは恐怖を払いのけるように叫ぶ。

 すると彼女は両手に魔粒子を収束させていく。そして両手の中に形成されたのは灼熱の業火だった。


「この距離だ、外すなよ。その魔術でオレを倒せなかったら、お前も内臓を掻き出してやろう」

「……な、なんだと」

「エルスとか言う幹部の腹の中をほじくり出したのはオレだ」


 ナツミを挑発するように言葉を発するオボロ。

 その言葉で彼女は理解した。目の前の超人が、大事な友を無惨に殺めた存在であることに。

 再び例えようのない憤怒が沸き立つ。


「貴様! 友人みんなの仇だ、死ねぇ! ブレイジング・バースト!」


 ナツミは両手に形成していた高温の火炎球を胸の前で融合させ小さく圧縮させた。

 そして、その小さめの火炎球を投じる。

 見た目は小さいが高密度の火炎球、物体に接触すると破裂するように広範囲を高熱で焼きつくす魔術であった。


「ふんっ!」


 オボロはロランの盾になるように、迫ってくる火炎球に背中を向けた。

 そして高密度の火炎が彼の背中に触れた瞬間、爆発するがごとく火炎が周囲を飲み込んだ。

 幹部と言えども、この熱は耐えられない。ナツミは火炎が爆ぜるまえに防御壁を展開していた。

 そして飛翔して火炎地獄から遠ざかる。


「地獄の炎で焼かれろ! 友の仇だ!」


 着地すると、ナツミは叫びながら炎の海を見据えた。

 ともに理想郷を作ることを約束した親友達を残忍に殺した敵。そいつを焼き払ったのだ。

 胸がすく思いだった。


「うわ! っつ! っつ!」


 しかし炎の中に、あわてふためきながら走り騒ぐ姿があった。

 その影を見たナツミは顔を蒼白させる。


「……あ、ありえない。……あれで死なないのか?」


 あらゆる戦闘指南書いわく、小規模の魔術は可能であれば避け、回避不可能の時のみ防御せよ。

 大規模魔術の場合は、迷わず上級の防御魔術を行使せよ。

 それが戦闘の常識である。

 勇者や英雄と言えども、生身で強力な魔術を受ければ死にいたる。

 じゃあ、目の前にいるあれはなんだ?

 生身で魔王軍幹部の大規模な魔術を受け止めても致命傷に至らない。

 地獄の業火の中でも生命活動を続ける生物などいるだろうか?


ち! ち! やってくれるぜぇ。まったく」


 炎の中から難なく生還するオボロ。ロランを大事に抱えていたため彼も無事な様子。

 オボロの身体中に火傷はあれど、致命傷には程遠いようだ。

 もはや人類の範疇ではない。

 しかし、ナツミはそれでも立ち向かおとした。


「諦めないわ、こうなったら……がっ!」


 話してる途中にナツミは半回転して地面に激突した。

 ロランを抱きかかえたオボロが一瞬の内にナツミの間合いに入り、彼女の美脚めがけ下段蹴りをはなったのだ。

 オボロの剛力で蹴られれば半回転するのも仕方ないこと。……いや、それだけですまなかった。


「あ゙あ゙あ゙あぁぁぁぁ!!」


 両脚から伝わってきた想像を絶する激痛でナツミは甲高い悲鳴を響かせた。

 彼女は涙を流しながら自分の脚に目を向ける。

 両膝が折れて骨が飛び出していたのだ。骨によって裂かれた皮膚からドクドクと血が流れている。


「損傷した部位を攻めるのは、戦いにおいて合理的なこと」


 そう言ってオボロは躊躇いなく、彼女の砕けた右脚を踏み潰した。


「ぎゃああぁぁ!!」


 ナツミがあげた絶叫は女性の声とはほど遠いものだった。

 踏み砕かれた右脚は、かろうじて皮一枚でつながっている状態だった。

 砕けた白い骨と、ちぎれた赤い筋肉と、皮膚の下にある黄色い脂肪組織が、グチャグチャに混じりあっている。


「死を願望しない限り生き返るんなら、諦めるまで殺すだけだ」


 オボロは、もがき苦しむナツミを見下ろした。  

 

「……どうすればいいの? こんな奴をどうやったら?」


 ナツミから憤怒も憎悪も消し飛んでいた。恐怖と激痛で思考がまとまらなかった。

 人は殺せる。剣で斬るなり、槍で突くなり、矢で射るなり、魔術で吹き飛ばすなり。

 だが強大な魔術を受けてピンピンしている奴を殺す手段など知らない。


「そう言うことなんだわ、初めから……」


 そして、ナツミは何かを悟ったように我にかえった。


「……魔王様。魔族とは世界や人類に仇なすもの……だからこそ、これは我々では手に負えません。相手が英雄や勇者と言うなら我々は勝てました、世界を手にすることができました。……我々は人類と戦うための存在なのです、こんな怪物の相手をする存在ではないのです!!」


 錯乱の絶叫が木霊する。

 彼女の表情は、泣いているのか、笑っているのか分からない。


「……わたくし達の力は、あくまで人類の範疇と戦うためのもの! ゆえに人の範疇を超越した存在を倒すことはできません! 我々が魔族である以上、絶対に勝てません! このもの達を敵にした以上は、もう魔族は終わりです!」


 ひとしきりに叫んだナツミは、今度は静かに語りだす。


「……魔王様、申し訳ありません。わたくしはもうこの世界には、いたくありません。……しかし冥土の土産として、ドワーフの集落だけでも……」


 その言葉にオボロが反応する。


「なっ! お前なにする気だ!」


 オボロは魔術の使用を察したが少し遅かった。

 ナツミの口から戦略の力を行使する詠唱が行われた。


「グランド・ヘル・メルト」


 詠唱が終わった瞬間、地面が高熱を発し始めた。

 オボロは、たまらず足をジタバタさせる。足を地面に密着してられないほどに、大地が高温になっていく。


つ! つ! 足の裏っつ! ……やべやべ!! 勇者どもも回収しねぇと!」


 オボロは大急ぎで倒れている勇者一党を回収して、その場から退避するように駆け出した。

 ただ一人残ったナツミは、焦点の定まらない目をして微笑んでいた。

 地面からの熱で彼女の体も焼けただれ始める。

 

「……地中に熱源を形成して、一帯を溶岩の海に変える戦略魔術よ。ドワーフの集落は、もう終わり。……リリアナ、ハルちゃん、エルスくん。すぐにそっちに行くからね……」


 力なく呟くナツミ。そして彼女は右手に火炎球を作り上げる。


「……わたくし達は、なんのために転生したんだろうね? 流行りのノベルみたいにチート能力を貰って、無双して楽しくすごせると思っていたのに」


 その時彼女の脳内に笑い声が響き渡った。


(うはははは! 思考の軽い奴等が考えそうなことだ! そんな都合の良いことがあると思ったのか? 理想を手にするため、転生なんて言葉に魅入られたクズが! 所詮はお前らは異界のもの、貴様らなど異形異類と変わらねぇんだよ! もはや魔族どもは用済みだ、安心してくたばれ)


「……あはは、これは神の声かな? それとも幻聴? どっちでもいいや、転生なんてもうしたくない。魔王ルキナちゃん、ありがとう。短い間だったけど楽しかったわ、そしてバイバイ。バースト・ボール」


 ナツミは形成していた火炎球で、自分の頭部を粉砕した。自分で自分の命をたったのだ。

 そして彼女は生き返ることを諦めた。  

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