初めて、なでられた時

「闘争の中で、初めて人間の息の根を止めてから一人前だ。だからこそ人を殺したこともねぇ野郎は武術家と呼べねぇ。……立人たつひと。いつになったら、人ひとり殺せるようになるんだ? お前は」


 毎日のように言われていた。親父おやじに。

 まさに狂人である、自分の息子が人殺しをすることを望んでいるのだ。

 この人に比べたら、時たまニュースに出る通り魔や殺人犯など正常な人間に見えてくる。

 結局、犯罪者れんちゅうは武器も持たぬ弱い人間にしか手を出さないのだから。

 弱い者、絶対に勝てる者。それに襲いかかるなど生物として極めて利口なことなのだ。

 ゆえに卑怯者や臆病者では、狂うことはできないだろう。

 ……親父は自衛隊除隊後、傭兵になって紛争地帯を巡っていた。

 遠足に行く子供のように、戦場に出向いていたそうだ。

 戦うこと殺すことに快楽を感じると同時に、自分が死ぬかもしれないという緊張感にも酔いしれていたと聞く。


「勝ち目がないほど、面白い」

「手にかけた奴等の顔は覚えている、どんな美人にも劣らねぇ良い顔だった」

「殺した奴の血をローションがわりにして自慰行為マスタベーションすると、最高に気持ちがいいんだぜ」

「ハニートラップしに来たメスブタの乳房を素手でちぎり取って、晒し者にしてやった」


 毎日のように親父おやじから戦場の話を聞かされていた。

 そもそも、この危険な血は親父おやじから始まった訳ではない。

 九十年近い前の話だ。まだ日本に軍隊が存在して第二次大戦中のころだ。

 俺の祖先である村戸鋭一郎むらとえいいちろうは陸軍で人間凶器と言われていたらしい。

 この男は歴史を狂わせたのかもしれない。

 一九四五年の七月に小倉と新潟に一五〇キロトン級の水素爆弾が投下され凄まじい被害が出たあと、同年の八月頃に日本は無条件降伏に至るはずだった。

 しかし、それに反対した鋭一郎は同朋を率いてテロ活動を始めたのだ。

 大戦を継続させるために。大戦の勝敗などどうでもよく、ただ自分おのれの戦闘欲求を満足させたいがために。

 その結果、降伏文書に署名が綴られたのは一九四七年の十一月になってしまった。

 その後、鋭一郎は行方不明になる。


「死闘なくば、人類に存在意義なし」 


 とだけ言い残したらしい。

 親父おやじの話によると、その後は反政府組織やテロリスト達に戦闘訓練を施すため世界をさ迷い歩いたそうだ。


「戦い殺せ」

「政府を潰せ」

「権力は従うためにあるのではない、反抗してもらうためにあるのだ」

「理由など死体がでてから考えろ」


 鋭一郎の思想は狂気だ。奴は、この世から戦争を無くすまいと行動したのだろう。

 今だに世界から争いは無くならない。奴がその根源の芽をばらまいせいだろうか?

 おそらく史上最凶の日本人だっただろう。

 俺には、その血が受け継がれている。

 自分から戦いたいと言う考えはないが、挑んできたものは躊躇わず潰してきた。

 だがやはり血のせいなのか、俺も同類だった。





 時期は秋。

 校庭に吹く風も、肌寒くなっている。

 三時限目の体育を終えて、俺は残って同級生と先生の手伝いをしていた。

 同級生と一緒に体育で使った物を片づける手伝いを。


「ほんと村戸君って、力もちだよね」


 俺の傍らから優しげな声が飛んでくる。

 同級生の男子、浅倉仁あさくらひとし。その子の顔の位置は、俺の胸位までしかない。

 浅倉が小柄なせいもあるが、俺の体がデカいせいもある。

 俺は同年代の十一才の男子と比べても身長だけでなく、肩幅も広い。


「……まあ、親父おやじにしごかれてるからな」


 浅倉は、こんな俺を唯一怖がらず接してくれる奴だ。こいつと知り合ったのはクラス替えした時だった。

 成績も良く、愛嬌もあり男女問わず可愛がられている生徒だ。

 逆に俺は人から怖がられている。子供とは思えぬ鋭い目付きと、異常に発達した筋肉のせいで。

 そして着替えの際には体に刻まれた無数の傷を見せることにもなる。虐待稽古の証だ。

 いじめられはしないが、口をきいてくる者は少ない。

 ゆえに聞きたくなった。


「……そのなんだ。浅倉、お前は俺を怖いとは思わねぇのか」

「……初めて見た時は怖いとは思ったよ。でもね、君と話していて分かったんだ。村戸君は、大きくて優しいって」

「……ありがとな」


 俺を笑顔で見つめるてくる浅倉の瞳に、偽りはないだろう。

 この子は、きっと特別なのかもしれない。人を幸せにする何かを持っているような気がする。

 俺とは違い、明るい未来が訪れるのだろうな。

 すると突如、俺達の頭の上に誰かの手が置かれた。


「ほれ! でこぼこ優等生達よ。話してないで、片づけるぞ」

「ごめんなさい先生」


 浅倉の謝罪の言葉を聞いて振り返る。体育の先生だ、まだ二十代前半で若い。


「ほんと二人は優等生だよな。浅倉は可愛くて成績良し、村戸は力持ちで成績良し。将来が楽しみだ。……さながら可愛い王子様と、屈強な重戦士ってとこかな」


 変な妄想でもしてるのか、ファンタジーなことを先生は言い出す。たしかこの人は、携帯小説読むのが好きだって言ってたな。

 大人が何を言ってるんだか、俺達二人を何かのネタにしているのか?





 片付けが終わり三人で校舎に戻ろうとした時、サッカーボールが一つ残っていたことに気付いた。


「先生、倉庫の鍵貸してください。俺がしまってきます」

「おお、そうか。やっぱりいいやつだ村戸。待ってるからな」


 俺は先生から鍵を受け取り、ボールを抱えて倉庫に向かって疾走した。


「うわ! はぇーな。どんな鍛え方したんだか? 疾走スキル持ちか?」


 走る俺を見て、また何か想像をする先生。

 気にせず突っ走る。

 だが人に誉められるのは、なんだか嬉しいものだ。親父おやじからなんて一度たりとも誉められたことがない。

 倉庫を開けて、ボールをカゴに戻した時だった。


「浅倉! 逃げ、がぁ!」

「やめっ! あ゛あ゛あ゛!」


 先生の声の後に、浅倉の絶叫が聞こえた。

 声からして、ただ事ではない。

 俺は倉庫を飛び出た。


「先生? 浅倉?」


 最初に目に入ったのは、血だらけになった先生。

 なんで先生は倒れてるんだ、なんで血なんて流してんだよ。

 そして視線を動かすと胸に包丁が突き立てられた浅倉が倒れていた。

 お前も、なんで倒れてんだよ?

 先生も浅倉も動かない、ただ血を流してるだけ。 二人とも死んでるのが分かる。

 辺りは血だらけ、あまりの悲惨な情景に思考がおかしくなった。

 そして倒れた浅倉の傍らにサバイバルナイフを持った虚ろな目の男が佇んでいた。


「あーめんど」


 男は気だるげに呟き、俺に視線を向けてくる。

 死んだ魚の目。それが一目見ての感想だ。

 こいつか? こいつが浅倉と先生を。


「……てめえか? てめえが、やったのか!」


 普通の子供なら、ナイフを手にした人間を見たら震えて動けなくなるだろう。

 だが俺の内に滲み出るは、怒りと憎悪であった。

 生まれて初めて殺意と言うものをいだいた。

 この男が、なぜこんなことをしたのか、そんなことどうでもいい。

 ただ、こいつが二人を殺したのは間違いない。


「……このクソ野郎!」

「な、えっ」


 俺は男を睨み付けて駆け出した。体のコントロールを全て怒りに任せた。

 男は俺が向かってくるとは思っていなかったのか、不意をつかれたように情けない声を漏らした。

 男がナイフを振ろうとしたので、手首に手刀を叩き込み凶器を弾き飛ばす。

 そして鼻面に拳をメリ込ませた。鼻の骨が砕ける感触が伝わってきた。 


「ぐぎゃあぁぁ!」


 男は鼻血を噴出し大の字に倒れた。

 だが怒りがおさまらない、馬乗りになって襟首を掴み上げた。男の顔は変形し膨れ上がっていた。


「……がぁ……お、おれは悪くねぇ……悪いのは社会なんだ……分かるだろ」

「おい、てめえ。ガキにそんな話聞いてもらって、おもしろいか? 共感でもしてほしいのか? 社会に恨みがあんなら政治家に言え! クソが!」


 もう一発変形した顔に見舞う。血が弾け飛び、俺の顔にかかった。


「がぁ……ぐぅ……」


 今度は両耳を掴み力任せに引きむしった。そして、ちぎり取った耳を投げ捨てる。


「ぐぎゃ!」 


 男は甲高い悲鳴を校庭に響かせた。


「どうせ死刑判決にされても執行までのうのうと生きるんだけ。今ここで死ねよ、刃物ナイフを向けた以上、てめえの生殺与奪権は俺にある! こいっ!」

「あ゛あ゛! ……いやっ……」


 男の髪の毛を鷲掴みにして引きずった。

 嫌がる男を無理矢理に、ある場所につれてくる。それは花壇。

 花壇を形作るコンクリートに向けて、男の頭を叩きつけた。

 俺の顔面に血飛沫がへばりつく。


「……ぐっ……が……がぁ……」


 男からは悲鳴は聞こえず、鈍く薄汚い呻き声が漏れるだけ。

 そして足を持ち上げ男を踏みつけた。鈍い感触が伝わってくる。

 それから何度も踏みつけた。





 何回踏みつけただろうか?

 正気に戻ったのは、俺が三人の警官に取り押さえられてることに気づいた時だった。


「くっ……本当に子供の力かよ?」

「ありえねぇ」


 警察官は必死の形相で俺を押さえ込む。


「うぐぅ! ……ひでぇ」


 声を上げたのは、ナイフを持っていた男の状態を窺う警察官。

 男の頭蓋骨は砕け脳が露出し、全身があらぬ方に捻れていた。

 ……これが俺の初陣だった。

 俺は後戻りができないことをしたのだ、社会的に正常な人間としては生きていけない。

 それにより、今後の俺の人生が決定づけられた。修羅としての道を。





 男が学校を襲撃した動機は社会の恨みからとされた。

 教員一人と生徒一人を刺殺。その後、犯人は校舎屋上から飛び降りて自殺。

 表沙汰にそう告げられた。警察がうまく隠蔽し操作したのだろう。

 あの場合だと俺は正当防衛になるかもしれんが、情報操作により俺は事件現場を目撃したただの生徒とされた。

 真実を公表できるはずがなかったのだ。

 素手の子供が武装した大人を殺害したなどと。

 表に出れば、どれ程社会に影響を及ぼすか……。

 俺は事件のあと、数日間施設に預けられた。

 そして施設に親父おやじが迎えに来てくれたのだ。

 こんなこと初めてだった。

 そして俺の頭に手をやり、なで回してくる。


「良くやったな。上出来だ」


 また初めてのことだった。親父おやじが俺を誉めてくれたのだ。

 人を殺したとき、俺は初めて親父おやじに頭をなでてもらった。

 だが、けして喜べる内容とは言えない。それでも、その時だけは本気で褒めてくれたのだ。   

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