第八巻 第二章 二・二六事件から真珠湾攻撃まで

〇東京・某所

裸電球が照らす、コンクリート打ちっぱなしの部屋で、五名の青年陸軍将校(野中四郎・香田清貞・安藤輝三・栗原安秀・磯部浅一)がテーブルを囲んで議論している。

安藤「……上層部が我々の動きに気づきつつある。我々の所属する第一師団は、満州に派遣されることになった」

香田「決起を早めよう! すぐに準備を始めれば……そう、二月二十六日には、決起を起こせるだろう」

安藤「ああ、陛下のお喜びになるお顔が、国民の笑顔が、今から目に見えるようだ」

栗原「鈴木貫太郎(侍従長)! 岡田啓介(首相)! 高橋是清(蔵相)! 斎藤実(内大臣)! やつら『君側の奸』どもを排除し、陛下を戴いて、昭和維新を決行するのだ!」

磯部「全ては陛下と国民のため……新しい日本のため!」

N「昭和十一(一九三六)年、陸軍の青年将校たちは、『天皇陛下は国民のための政治をなそうとしているのに、政府や宮内省の『君側の奸』どもが邪魔をしている』と考え、武力で彼らを除く計画を立てた。もちろん昭和天皇のあずかり知らぬところである」


〇東京・夜(雪)

完全武装の反乱軍(千八百名)が、夜の東京を行進する。

N「二月二十六日未明」


〇総理大臣官邸(夜・雪)

岡田総理と誤認された松尾伝蔵(退役陸軍大佐)が、襲撃部隊に射殺される。


〇高橋是清邸(夜・雪)

高橋是清が拳銃で撃たれ、軍刀でとどめを刺される。


〇斎藤実邸(夜・雪)

襲撃部隊に蜂の巣にされた斎藤の体に、妻・春子が必死で覆い被さる。


〇侍従長公邸(夜・雪)

襲撃部隊に拳銃を何発も撃ち込まれて倒れる鈴木に、妻・たかがすがる。

N「襲撃は迅速に行われ、襲撃部隊は目的の大半を殺傷せしめた」


〇宮城の一室

昭和天皇(三十六歳)が、本庄繁(侍従武官長、六十一歳)と会見している。

昭和天皇「(怒気を露わに)直ちに戒厳令を敷き、反乱部隊を鎮圧せよ」

本庄「しかし、彼らは陛下のおんために決起したのであり……」

昭和天皇「朕の股肱の臣を殺すは、朕の首を真綿で絞めるに似たり!」

本庄「皇軍相撃つ事態は、できる限り避けねば……」

昭和天皇「ならば朕が、大元帥として近衛師団を率い、直接反乱軍を討伐する!」

本庄「(大慌てで)そればかりはしばしお待ちを……必ずや大御心にかなうようにいたします」

N「軍は反乱部隊に同情的であったが、昭和天皇の怒りは凄まじかった。二十九日には討伐命令が発せられ、反乱軍はほぼ無抵抗で捕らえられた」


〇東京陸軍衛戍刑務所

独房の中で、囚人服の磯部が日記を付けている。

磯部の日記「陛下の側近は、国民を圧する奸漢で一杯であります! それを除こうとした我らを罰するとは、何たるご失政でありますか!」

N「首謀者のほとんどは死刑になったが、その一人である磯部浅一は、自分の正当性を訴え、昭和天皇を『お叱り申す』手記を残している」


〇中国・廬溝橋(早朝)

日本軍と国民党軍が交戦している。

N「昭和十二(一九三七)年七月七日、中国・北京郊外の廬溝橋で日本軍と国民党軍が衝突。日本政府は『不拡大方針』を決定するも、現地の軍は独走。たちまち北京を占領した」


〇中国・南京城

堂々と入場する日本軍。その姿を物影からこわごわとのぞく民衆。

N「十二月には日本軍は、中華民国の首都・南京を攻略。その際、捕虜や民間人の虐殺があり、後に『南京大虐殺』と呼ばれる」


〇蒋介石UP

N「しかし蒋介石は、重慶に首都を移して徹底抗戦を宣言」


〇汪兆銘(おうちょうめい)UP

N「これに対して日本は、南京に汪兆銘を首班とした新政権を樹立。国民党政権との交渉中止を宣言したことにより、日中戦争は、終わりの見えない泥沼の戦いに移行する」


〇ノモンハン・日ソ国境地帯

広大な原野を進撃してくる、ソ連の大戦車(主にBT-7)部隊。塹壕に立て籠もる日本軍の小銃は、全く通用しない。

N「昭和十四(一九三九)年五月、満州とモンゴルの国境地帯で、国境線を巡って、日本軍とソ連軍が衝突した。このノモンハン事件で、日本軍はソ連軍に大きな損害を与えたが、国境線はソ連の主張通りに引き直された」


〇新京・関東軍司令部の一室

服部卓四郎(作戦主任参謀、三十九歳)と辻政信(作戦参謀、三十八歳)が会見している。

服部「飛行機は負けていないが……戦車も大砲も、機関銃も小銃も、全て質・量ともに負けておる」

辻「ソ連との戦争をしてはならない……日本の活路は南に求めよう」

N「このノモンハン事件の結果、陸軍は英・米との衝突を覚悟で、南方に活路を求めることになる」


〇ポーランドに侵攻するドイツ軍戦車(二号・三号)部隊

N「昭和十四(一九三九)年九月一日、ドイツはポーランドへ侵攻。イギリス・フランスなどもドイツに戦線を布告し、第二次世界大戦がはじまった。ソ連は中立を装ったが、実際にはドイツと秘密協定を結び、ポーランドをドイツと分割占領した」


〇ベルリン・ドイツ総統府

満面の笑顔でアドルフ・ヒトラー(ドイツ総統、五十二歳)と握手する松岡洋右(外務大臣、六十一歳)。

N「昭和十五(一九四〇)年九月、外務大臣の松岡洋右はヒトラーと会見、日独伊三国同盟を締結」


〇アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルト(五十九歳)

N「これを受けてアメリカは、鉄鋼やくず鉄などの輸出禁止を含む、厳しい経済制裁を日本に課した」


〇ソ連に侵攻するドイツ軍

N「昭和十六(一九四一)年六月二十二日、ドイツ軍はソ連に侵攻した」


〇仏印(ベトナム)、サイゴン(ホーチミン)市

日本軍が整然と進軍している。

N「七月二十八日、ナチスドイツに占領された、フランス・ヴィシー政権の許可を得て、日本軍は南部仏印(ベトナム南部)へ進駐するが、これに対してアメリカは、石油の禁輸で応えた」


〇東条英機UP

N「近衛文麿内閣はアメリカとの交渉失敗の責任を取って総辞職、十月十八日には陸軍大臣である東条英機を首相とする内閣が成立した」


〇コーデル・ハル国務大臣(七十一歳)

N「アメリカは後にハル・ノートと呼ばれる協定案を日本側に示した。中国大陸からの撤兵と、南進政策の放棄を求めるこの案は、日本政府にとって受け入れられるものではなかった」


〇横須賀・海軍軍令部

山本五十六(海軍提督、五十八歳)が永野修身(海軍軍令部総長、六十二歳)と会見している。

山本「米海軍相手でも、一年や二年は暴れてご覧にいれますが、それ以上は無理です」

永野「無理を承知で、やってもらわねばならんのだ」

山本「……どうしてもと言うなら、策はないわけではありません」

おお、という顔をする永野。


〇御前会議

昭和天皇(四十一歳)、東条英機(五十八歳)、永野修身ほか、十名ほどの会議。

永野「このまま石油の禁輸が続けば、備蓄は二年で枯渇します。その前に南方に進出、石油資源を確保して、自活の体勢を整えねばなりません」

東条「アメリカはまだ開戦準備を整えていませんが、時間が経てば経つほど、敵戦力は充実します。一日も早く開戦すべきです」

昭和天皇「勝算はあるのか」

永野「山本五十六が、真珠湾の米艦隊を奇襲する作戦を立案しております。これが成功すれば、米軍は艦隊を立て直すのに、数年を要するでしょう」

昭和天皇「(ため息をついて)奇襲は宣戦布告の先であってはならない。必ず宣戦布告の後に奇襲になるようにせよ」


〇真珠湾・軍港

艦隊が停泊する軍港。平和な日曜日。

N「昭和十六(一九四一)年十二月八日早朝」

空を圧して現れる、日本軍機(零戦に護衛された九七式艦攻)の大編隊。九七式艦攻の魚雷が次々米艦に命中し、撃沈されていく米艦。零戦は格納庫や滑走路の米軍機を、機銃掃射や爆弾で破壊していく。

N「この奇襲で米太平洋艦隊は、戦艦四隻が沈没、四隻が損傷。その他多数の艦艇と航空機を失い、大打撃を受けた。ただし最大の戦略目標であった空母は真珠湾にいなかった」


〇ワシントン・外務省の一室

真っ青な顔で宣戦布告の書類を手渡す野村吉三郎(日本大使)。冷たい目でそれを受け取るコーデル・ハル(アメリカ国務長官)。

N「そして宣戦布告の書類の翻訳は遅れ、書類がアメリカ政府に渡った時には、すでに真珠湾攻撃は完了していた」


〇ニューヨーク街頭

プラカードを掲げて練り歩くアメリカ市民。

市民「リメンバー・パールハーバー!」

N「先制攻撃でアメリカの戦意を挫こうとした真珠湾攻撃は、『卑劣な奇襲』とみなされ、アメリカ国民の戦意を昂揚させてしまったのである」

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