1-2 和音
「……和音ちゃん?」
まるで夢から覚めた瞬間のような唐突さで、その呼び声を知覚した。和音は散漫になっていた意識を急いで引き締め、「ごめん、ぼんやりしてた。何?」と声の主へ
訊き返された
「和音ちゃんがぼんやりするなんて、珍しいね。お稽古、疲れた? 大丈夫?」
「ううん、ちょっと考え事」
和音は学校指定の
学校の多目的ホールの縮小版のような稽古場は、この道場の師範を務める男の家に隣接している。生垣の赤い
「それで、何の話だっけ」
「あ、うん。転校生、来るんだって」
答えた毬が、胴着の入った鞄を抱え直す。白い吐息が、左頬の泣き
放課後の道場通いを終えると、いつも十九時を回ってしまう。夏場であれば茜色に色づく空を振り仰いで帰れるが、十二月ともなると真っ暗だ。紺色へ墨を溶いたような夜空の下、蛍光灯の白い灯りが、灰色に統一された住宅街を、ぽつん、ぽつん、と心許なく疎らに照らす。女子中学生二人の帰り道としては危険だが、一人ではないからだろう。夜道への警戒心はあまりなかった。
「高校受験まであとちょっとなのに、こんな時期に転校してくるの?」
「ミヤちゃんが言ってたから、本当だと思う」
情報通の
背の低い友人を何気なく見下ろすと、毬は余程寒いのか、鞄をぎゅっと抱きしめて震えている。見れば、手袋をしていない。これでは寒いはずだ。
「寒いでしょ。平気?」
「うん……」
毬は頷いたが、心ここにあらずといった様子で、道路の果てを眺めている。さっきの和音もこんな風に、毬の目に映っていたのだろう。
「毬、どうしたの?」
「あ、ごめん……考え事してた。さっきの和音ちゃんみたいだね」
「同じこと、私も考えてた。じゃあ、おあいこ」
ポケットから取り出したカイロを冷えた手の甲に当ててあげると、毬はようやく緊張が解れた顔で笑ってくれたから、和音は心配性の友人が何を思い悩んでいたのかぴんときた。
「受験のこと?」
「うん。判定悪くないんだけど、怖くて。今心配しても仕方ないのにね。お稽古の時にも、思い出しちゃって……」
「やっぱり。上の空だなって思ってた。ほどほどにしときなよ。師範優しいけど、怒らせたら怖いから」
「うそ。師範って怒るの? 見たことない」
「和音ちゃんは怖くないの? 受験」
「怖く……は、ないと思う」
和音は、思わずそう濁した。少なくとも、嘘は言っていない。眩しそうに目を細めた毬は「そっか、すごいね」と微笑んだが、ふと何かを思いついたような顔になり、頬にかかった髪を手で梳きながら、訊いてきた。
「じゃあ和音ちゃんには、怖いものってある? あ、怒った師範?」
「ん? うーん……」
少しの間考えた後、和音は思い当たる答えを口にした。
「……唄、かな」
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