第5話 ヒルデガルドの憂鬱


 —— テルミナ大陸 帝都近郊の街 サキュバス族 カリーナ子爵家長女 ヒルデガルド・カリーナ——




「どうしたものかしら……」


 私はホテルの窓から外を眺めながらため息混じりにそう呟いた。


 振り出しに戻ってしまいましたね。いえ、状況は最初の頃よりもずっと悪い。あと少しでしたのに、まさかあんなことになるなんて……



 今から1ヶ月ほど前。可愛い妹たちと別れた私は、魔人の国の兵士に姿を変え配下の者たちと共に軍艦に乗りこの大陸へとやってきました。


 そしてまずは魔人の王がいるこの帝都で、1週間ほど情報収集を行うことにしました。


 まず最初に飛び込んできたのはルリアが担当しているアクツ公爵の悪評でした。このアクツというニンゲンは、魔人とそのなり損ないたちに蛇蝎の如く嫌われていました。


 帝都でジャマルを討ち果たしたアクツは『悪魔軍がアクツと刺し違えるのを期待したがガッカリだ』『ドラゴンと死霊を操るアクツこそ悪魔』『アクツほど帝国人を大量虐殺した者は過去にいない』『あれほど残虐な人族の公爵の領地が大陸にあるなんて安心して暮らせない』『ほかの公爵は全てアクツに味方しており、皇帝は傀儡状態だ』『ハマール公爵はアクツに隷属している』など、私たち悪魔よりも恐れられ、いえ憎まれていました。


 私は情報を集めるに連れ、ルリアが心配になりました。アクツはどう考えてもルリアより魔力が高いと思えたからです。まさか魔力が多い相手にいきなり魅了を掛けてはいないとは思いますが……あの子はお母様が実技に関しては褒めていましたが、実戦は未経験です。それに思慮が浅いというか、思いつきで行動するところが多々あります。なにより私たちに認められたいと焦っている様子も伺えます。ちゃんと長い時をかけて身体を重ね相手の心を掴み、少しずつ魔力を浸透させていればいいのですが……そう心配していました。


 次に私たちの注目を集めた情報は、皇帝の正妻がエルフだということでした。これには正直驚きました。ご先祖さまの記録ではエルフ種は何千年もの間、魔人の奴隷だと聞いていました。ご先祖様が魔人の国を混乱させた時も、彼らは自分の身に危険が迫るまで、幻影魔法を見破れるということを魔人に教えなかったほどです。


 そんなエルフたちも数年前に奴隷を解放され、大陸南の森とニホン領に移り住んだとは聞いてはいましたが、まさか奴隷の主だった魔人の、しかもその王の正妻となっているなど予想外でした。帝都の民はそのことを微妙な、本当に微妙な表情で語っていたのを覚えています。


 ですが、どういうわけかそのエルフの正妃は帝都には滅多に来ないようです。婚姻の儀の際にお披露目をされて以来、数回程度しか帝城に姿を現していないようなのです。


 不仲なのかもしれない。それはそれでやりやすいとその時は思いました。


 しかし問題はどうやって魔人の王に近づくか。帝城の守りは思っていた以上に固く、出入りをする者はどんな高位の貴族であっても鑑定の銀板によって検査を受けるようでした。なぜそんなことをするのかと思ったのですが、過去に何度も魔人の王が姿を変えるダンジョンの魔道具を使い、帝城から脱走を図ったのが原因のようです。


 その話を聞いた時は驚きとともに呆れました。魔人の王は既に高齢でいつ死んでもおかしくない年齢だと聞いていたのですが、まるで子供のように脱走をするとは……そのおかげで帝城に侵入することはほぼ不可能となってしまいました。


 こうなっては魔人の王の籠絡は諦め、帝城に出入りする高位貴族に狙いを変えざるを得ないと。そう考えていました。


 ですがそんな時。新聞に最近魔人の王が金色の趣味の悪い仮面をした男と一緒にいると、そう書かれていた記事を見つけました。その仮面の男はどうやら皇帝の剣術指南役のようでかなりの腕らしく、魔人の王から敬意すら払われている存在のようでした。


 私たちはその仮面の男の情報を徹底的に探りました。その結果、仮面の男は同じく仮面をした付き人と一緒に、帝都のどこかのホテルに寝泊まりしているとの情報を得ることができました。目撃した兵士からも似顔絵を得ることもできました。


 私はこの広い帝都でどうやって仮面の男たちのいるホテルを特定しようかと、配下の子たち数人と帝都のお気に入りの喫茶店でスイーツを食べながら話していました。


 すると向かいの通りでナンパをしている4人の男が目に入りました。その男たちの姿を見た私たちは目を疑いました。彼らは金色の悪趣味な仮面をしていたのですから。


 私たちがまさかと思いながら彼らを見ていると、その仮面の男たちは帝都の女性たちの肩を抱きながら話しかけ、お尻を触ったところで股間に膝蹴りを受け悶絶していました。


 その光景を見て私たちは人違いかもしれないと悩みました。とても魔人の王から敬意を払われている男には見えなかったからです。しかし似顔絵とそっくりではありました。


 どう判断していいものかと悩んでいると、ふと悶絶している仮面の男と目が合いました。私は一瞬背筋がゾワっとしましたが、そこは次期族長である私とその側近たちです。にこやかな笑みを仮面の男たちへと返しました。すると男たちは一瞬喜色の笑みを浮かべたあと、何事もなかったかのように私たちに近づいて来たのです。


 そして喫茶店で少しお話ししたのですが、どうやら本物だったようです。少々驚きはしましたが私たちは気持ちを切り替え、彼らに誘われるがまま一緒に彼らが宿泊している高級ホテルで食事をすることにしました。


 その際に魔人の王と一緒にいた男の名前が、ベルンハルトということがわかりました。そして一緒にいた男たちはそれぞれがウォルフ、リチャード、エーリッヒという名であることも。彼らの髪の色は魔人の血が濃いことを証明する真紅でしたが、驚いたことに平民のようでした。


 しかし彼らは武力に自信があるようで、ジャマル軍との戦いに参戦しその戦いで一番活躍したこと。ドラゴン程度は余裕で倒せるなどと自慢していました。


 そして悪魔軍との戦いの褒賞で大金を手に入れたから金はあるのだと。自分たちの愛人になれば贅沢ができると、そんな話ばかりしていました。月にいくら欲しいのかと遠回しに聞いて来た時は、控えめに言って最低な男たちだと思いました。ですがそういう男ほど魅了しやすいのです。私たちはしつこくいくら欲しいのかと聞いてくる彼らに、これは楽な仕事になると配下の子たちと笑みを浮かべていました。


 ですがそんなに甘くはなかった。


 あまりに強さを自慢するのでベルンハルトに鑑定させて欲しいとお願いしたら、ステータスのみならと鑑定させてくれました。そして私たちはその数値を見て固まってしまいました。


 魔力値:SS


 以前ご先祖様が持って帰って来た鑑定の銀板で調べたお母様よりも圧倒的に高く、ヴィヴィアーヌ様に匹敵する魔力値だったのですから。


 まさか四魔将クラスの魔人がいるとは……お付きの人たちも四魔将の最側近レベルで、私たちはこの仮面の男たちが只者ではないことを改めて実感しました。


 魔力値が高いということは、それだけ魔法抵抗があるということです。私の魔力がA+。精鋭の配下の子たちもA程度。これほどの差があるとすぐに隷属させるのは不可能です。恐らく最低でも2週間以上は掛かると思います。しかもその間ずっと疑われることなく体を重ねていなければいけません。


 これほどの強者ですと、途中で気付かれ殺される可能性は高い。ですがそれでも魔人の王に近く、これほどの強き者を隷属させることができれば私たちの目的を達成しやすくなります。そう私が隣に座る配下の者たちに決意のこもった視線を送ると、皆も同じことを思ったのでしょう。真剣な表情でコクリと頷いてくれました。


 その後お酒をこれでもかと飲まされ、私たちは仮面の男たちの部屋へと運ばれました。あまりにも予想通りの行動に、罠なのではと疑うほどでした。


 しかしそれは杞憂でした。その後十日間。ホテルから一歩も出ることなく、私たちは毎日仮面の男たちと体を重ね、そしてベッドで魅了を掛け続けました。疑われることなど一度もありませんでした。ベルンハルトたちは強力な精力剤を持っており、思考がかなり鈍っていたのではないかと思います。それは私たちにとって好都合でした。私たちはまるでオークのように盛る男たちと体を合わせる度に魔力を流し、彼らの魔力抵抗を予定より早く無力化することができたのですから。


 その間、ベルンハルトからは色々な話を聞きました。ほとんどが自慢話でしたし、素性のことは一切話してはくれませんでした。というよりも私が聞くと時折胸を押さえて苦しんでいました。何か呪いでも掛けられているのかと疑うほどの苦しみようでした。


 それでも魔人の王とは親戚であることはなんとなくわかりました。仮面を外した顔はなかなか良い顔立ちで、魔人の王にとてもよく似ていたからです。それに魔人の王をまるで自分の子供のように話し、よく褒め称えていました。


 それとベルンハルトたちだけは帝城の出入りをする際に、鑑定の検査を免除されていることを教えてくれました。それを聞いて私は内心で喜んでいました。


 ルリアが向かったアクツ公爵の話も聞きました。ベルンハルトはやたらとアクツ公爵のことに詳しく、そして誰よりも恐れていました。言葉ではあんな小僧は何ほどでもないと悪態をついていましたが、その目が恐怖に染まっていることに私は気づきました。しかし時折感謝の言葉も口にしていました。今こうしていられるのもアクツのおかげだと。


 恐怖と感謝。相容れないはずの感情を胸に秘めるベルンハルトに対し、私は少しだけ興味が湧きました。


 それと同時にこれほど強い男に恐れられているアクツは、間違いなくベルンハルトよりも強いと不安になりました。ルリアは本当に大丈夫なのかと。


 そんな不安な気持ちを抑えつつ、私はベルンハルトを隷属させることに成功しました。1日何十回と求められ大変ではありましたが、今までヴィヴィアーヌ様の命令で相手をして来たアシュタロト族やアバドン族らに比べれば遥かに見た目が良い。私も配下の者たちもそれほど苦行とは感じませんでした。


 バルバラも私たちよりもかなり早い段階で、担当している貴族の隷属に成功したと連絡役のインキュバスから連絡も受けました。魔人の王のひ孫であるルシオンという男は簡単に隷属したと言っていました。


 さすがはバルバラと感心しつつも、私たちも負けてはいられないと準備を終えた私たちは3日目に本命である魔人の王と接触するべく行動を起こしました。


 そう、起こしたのですが……


「んがっ……ヒルデ……」


「夢に私が出て来ているのですね。呑気なひと……」


 私はすぐ横のベッドで眠りながら腰を振っているベルンハルトにため息を吐いたのち、視線を窓の外に戻した。


 窓の外には遠くに帝都と、その中心にそびえ立つ半壊した帝城が見える。


「まさか魔人の王の正妃があんなとんでもないエルフだったなんて……」


 そう、3日前のあの日。ベルンハルトに魔人の王へ私たちを紹介させるため、帝城での昼食会をセッティングさせ帝城に赴きました。


 あの時。帝城に検査なしで入ることに成功した私たちは、ほぼ成功を確信していました。あとは友人と称して一緒に連れて来た配下の3人のサキュバスのうち、誰かが魔人の王に見染められればいいだけだと。ベルンハルトから魔人の王の好みを聞いていたので、まだ成長期の子供から成人。そして熟女と様々な年代の女性に身を変えた者を用意したので自信がありました。


 もしもベルンハルトたちを籠絡した私たち4人のうち誰かが見染められても問題ありません。ベルンハルトたちは既に隷属していたので文句は言わないはずですから。


 あとは見染められたあと、じっくりと時間をかけて魔人の王を隷属させるだけ。そんなことを考えながら、昼食の準備ができるまで控室で呼ばれるのを待っていた時でした。


 突然帝城内に大きな音と振動が響き渡ったと思ったら、女性の怒りに震えた大きな声と男性の断末魔に似た悲鳴が聞こえて来ました。


 私たちが何事かと慌てて廊下に出ると、メイドや衛兵たちたちが走りながら『正妃様来襲! 陛下の浮気がバレたようです! 総員退避! 』と叫んでいました。


 正妃? まさかエルフがここに!? 


 そう思った私たちの行動は早かった。即刻ベルンハルトたちを先頭に帝城から退避しました。


 それから数分後、帝城の上階にとんでもなく大きな水龍が現れ、尖塔の部分と最上階を崩壊させました。その後もその水龍は何かを追いかけるかのように暴れ回り、帝城を半壊させていきました。それを目の当たりにした私たちは帝都にいるのは危険だと考え、慌ててこの隣街へと退避して来たというわけです。


 エルフが、しかもあんなに強いエルフが帝都にいるなんて……近づけない。もう帝都に近づくことはできない。


「これからどうしようかしらね」


 私は遠くに見える半壊したままの帝城を眺めながらため息を吐いた。


 魔人の王の籠絡は諦めた方が良さそうですね。私たちの正体がエルフに知られれば、バルバラとルリアにも迷惑がかかってしまいます。となると次はマルス公爵とその後継にしましょうか。ベルンハルトたちが知り合いだと言っていたので、会うことは難しくないでしょう。


 私がコーヒーを飲みながらそのようなことを考えていると、部屋のドアをノックする音が聞こえました。


 ルームサービスでしょうか? そう思った私は広げていた翼をしまい、魔人の姿になりドアの前に立ちました。


「はい」


『ヒルデガルド様。緊急のご報告が』


 どうやら連絡員のインキュバスのようです。


「入りなさい」


 私がそういってドアを開けると、魔人のなり損ないのボーイの姿に身を変えた二人のインキュバスが入って来ました。


 あら? この子たちは確かルリアとバルバラに付けた子のはず。確か名前はシンとカイだったと思います。ですが二人とも顔色が悪いですね。あの子たちに何かあったのでしょうか? 


「シンとカイでしたね。なぜ貴方たちがここに? 顔色が悪いですよ? ルリアとバルバラの身に何かあったのですか? 」


 私がそう問いかけるとルリアに付いていたシンが口を開いた。


「い、いえ急いできたものですから少々疲れまして……ルリア様とバルバラ様はお元気です。じ、実は……ルリア様がアクツの隷属に成功しました。それによりドラゴンと死霊。そしてバルバラ様が隷属した貴族と共に帝都に攻め込むと。それでヒルデガルド様を大陸南西にあるアクツ領に連れてくるようにと命令を受けました」


「ええ!? ルリアが!? 」


 私はシンの報告に驚愕した。


 あのルリアがベルンハルトよりも強いアクツを隷属した?


 信じられない。信じられないですが、ここにいるのは二人に付けたインキュバス。嘘を言っているとも思えません。では本当に? 


「は、はい。ルリア様はアクツを隷属し意のままに操っています。飛空艦もご用意しておりますのでお急ぎください」


「そう……ですか。どうやら私はルリアをいつまでも子供と過小評価していたようですね。ルリアがあのアクツの隷属に成功するなど、姉としてこんなに嬉しいことはありません」


 あのルリアが初めての任務で、あれほどの大物を隷属させるなど大殊勲です。しかもこれほど短期間で。お母様もお喜びになるでしょう。


 妹たちがこれほど頑張っているのに私は失敗してしまいました。長女として立場がありませんね。しかしこれで魔人とこの世界を征服できますし、魔界に戻ることもできます。さらには大量のドラゴンと死霊がサキュバス族の戦力となったのです。


「シン、カイ。別の部屋にいる者と、外にいる者全て集めてください」


「「ハッ! 」」


 私が命令すると二人は配下の者がいる部屋へと向かっていきました。


 その後、私はアクツ領になど行きたくないと駄々をこねるベルナルドをなだめつつ、荷物を全てまとめて外へと向かいました。


 そしてシンに案内され飛空艦発着場で小型飛空艦に乗り、大陸のアクツ公爵領へと向かうのでした。

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