第48話 ラウラとアルディス

 



 ーーテルミナ帝国 帝城 尖塔最上階 ラウラ・ハマール公爵 ーー




「あれはウェンリーンにオフレッター……そう、みんな負けたのね」


 私は帝城に並び建つ皇帝の側室用に建てられた塔の最上階から、鷹の目で帝都中央の広場で行われている貴族の処刑を眺めていた。


 今はマルスの派閥のウェンリーン伯爵と、皇家直轄領の防衛の任についていたオフレッター伯爵がギロチンにその首を固定されている。


 私はこの処刑法は好きではないのだけど、ひと思いに首を切らなければ魔人化してしまうから仕方ないと思っている。誰だってあんな醜い姿で死にたくないもの。


 広場の周辺では多くの帝都民がその処刑を見ている。中には魔導放送局の職員の姿も見えることから、全国に放送されてるのでしょう。処刑を見ている者たちの表情は暗く、無理やり集められたことがうかがい知れる。


 陛下は民に慕われていたものね。いま処刑されている者たちも領地で善政を敷いていた者たちばかりだし、これから帝国がどうなるのか不安なのでしょう。ロンドメルの評判は良くないというより最悪だもの。


 私の処刑はいつかしら? 私もマルスもロンドメルに従うつもりはないから、メインイベントとしてマルスと一緒に最後かしらね。


 貴族の戦争に負けるということは死を意味するもの。仕方ないわね。


 そう、私はロンドメルに挑み、そして負けた。


 あの放送を見て、陛下が討たれたことが信じられなくて帝都を奪い返そうと思った。


 なのに信頼していたキシリアに裏切られ、それでも陛下を守りたくてたった三十隻でロンドメル艦隊に挑んだ。しかし帝都に着く前に見えない飛空艦にあっさり全滅させられた。まさかあんな飛空艦を作っていたなんて予想していなかったわ。


 私が乗っていた戦艦も魔導エンジンをやられて不時着せざるを得なった。そして敵艦隊に包囲され、私を守るために最後まで戦おうとする親衛隊の騎士たちの助命を条件に私は降伏した。


 帝都に連行されてからは、すぐに大衆の面前で処刑されると思っていた。しかし隷属の首輪とライムーン伯爵が開発した魔力を吸収する『吸魔の手枷』を嵌められたあと、ロンドメルの前に連れて行かれた。


 不敵な笑みを浮かべ私を見るあの男を殺してやりたかったけど、魔力が無く何もできなかった。そして地下に連れて行かれ、陛下の亡骸を見せられたあとこの塔に幽閉された。


 私は本当に陛下が討たれたという現実を突きつけられ、陛下を守れなかったことに絶望したまま一夜を過ごした。


 約束を守れなかった。


 陛下を守るという約束を……


「アルディス姉さん……ごめんなさい」


 あの時、陛下とメレス様を守ると約束したのに……ごめんなさいアルディス姉さん。




 アルディス姉さん……彼女と出会ったのはもう220年も前になる。


 あの頃の私は今のようにランクが高くなく、公爵家の長女として大切に育てられていた。そう、恋愛小説が好きな普通の少女だった。いつか私が危機に陥った時に、素敵な騎士様が助けにきてくれると本気で信じてた。そして騎士様と恋に落ち、家の反対を押し切って駆け落ちをするなんてことに憧れていたわ。


 現実はとても残酷だということを知るまでは。


 私には15歳離れた兄がいた。兄は私と違い側室の子だけれど男子なので、跡取りとして父に厳しく育てられていた。


 私は兄が嫌いだった。幼い頃はほとんど顔を合わすことがなかったのに、私が16を過ぎた頃から頻繁に私の部屋へ会いにくるようになった。そしてその度に私の身体を舐め回すように見て、ことあるごとに私の身体に触れてきた。その触れ方がとても気持ち悪く、私は兄を避けていた。私は正室の子だから、兄と会いたくないと言えばそれが通った。


 父が倒れるまでは……


 私が22の頃に父が原因不明の病を患った。父は徐々に弱っていき、やがて寝たきりとなった。


 私は正室の子だけど、貴族の家は男子が継ぐのが慣わし。女が継ぐには陛下のお許しが必要だった。


 私は正室の子だが女ということもあり、後ろ盾は母と母の実家しか無かった。そしてその母も何者かに暗殺された。


 恐らく兄の後ろ盾になっている者たちだろう。母がいなくなれば母の実家は動けない。父がもうベッドから起き上がることはないだろうと判断した者が、いざという時に兄がスムーズに公爵家を継げるように暗殺したのだろう。


 私は母の死を悲しみ毎日泣いていた。


 そんな私のところへ喜色を浮かべた兄が現れた。


 兄は私にお前の身体が好きだったと、いつか力ずくで犯したいと思っていたと、とても嬉しそうに私に平然とそう言った。


 そして私に覆い被さり、抵抗する私を殴り無理やり犯した。私は助けを求めた。しかし次期当主に歯向かってまで助けてくれる人などいなかった。


 私は物語に出てくる騎士様など存在しないことを知った。


 兄はさんざん私の身体を貪ったあと、公爵家を継いだ後は私をどこの嫁にも出さず兄の性奴隷にすると宣言した。


 そしてその日から毎日のように私は兄に犯された。その度に抵抗したが、Dランク程度しか無かった私にはA+ランクの兄から逃げることすらできなかった。


 そんな時、アルディス姉さんと出会った。


 あれは朝から兄に犯されたあと、私は中庭にある池を眺めながらずっと泣いていた。このまま池に飛び込んで死のうとすら考えていた時だった。そんな私のところへ、屋敷の方から若草色のチュニック姿のエルフが現れ私に声を掛けた。


『あら? 貴女はもしかしてターシャの姪のラウラ? 』


『叔母さまのところのエルフ? 』


 私に声を掛けた金色の髪を短く切り揃えたエルフの首には、あるはずの隷属の首輪が無かった。


 私はそのエルフが叔母さまの名前を口にしたことから、叔母さまの首輪の無い奴隷エルフだということがすぐにわかった。


 そして決して軽んじてはいけない相手だということも思い出した。だって彼女を侮辱した家の者が何人も半殺しにされたと聞いていたから。


『そうよ。アルディスというの』


『でしたら叔母さまもここに? 』


『ええ、公爵が病に倒れたと聞いてお見舞いに来たのよ。私は暇だったからついてきたの。でもそう、貴女がラウラなのね。ターシャが言っていた通り、血が繋がってるとは思えないほどおとなしそうな子ね』


『叔母さまは特殊です……私には叔母さまのような力は……』


 叔母さまは超がつくほどの脳筋だ。父よりかなり歳が上なのだけど、当時皇子だった陛下と公爵家の跡取りのマルスらとパーティを組み、ダンジョンを次々と攻略していた。


 私はこの時、一瞬叔母さまに助けを求めようと思った。しかし次期当主である兄と叔母さまを対立させることになれば、家が割れる。公爵になった兄に叔母さまが殺されるかもしれないと思い、助けを求めることをためらった。


『ウンディーネがね。辛そうな顔をしている優しい子がいるって私をここに連れてきたの。貴女、何か悩みがあるのね? 』


『いえ……』


『そう……あら? よく見ると頬が腫れてるわね。首も絞められたあとがあるわ。おかしいわね……貴女は正室の子のはずよね? そんな貴女を傷つけることができる相手は……』


『やめてください! なんでもありません! これはなんでもないんです! なんでも……なん……ううっ……なんでもないんです』


 私はこの時、アルディス姉さんから叔母さまに話がいくことを恐れた。そうなれば大変なことになる。だからなんでもないのだと必死に訴えた。


『わかったわ。なら聞かないわ。そうそう、話は変わるけどラウラ。どんな悩みでも解決する方法があるんだけど知りたい? 』


『……どんな悩みでも? 』


『ええ、どんな悩みでも』


『……教えてください』


『それは強くなることよ』


『苦境に陥っても負けない強い心を持てということですか? 』


『違うわ。そんなもの何の役にもたたないわよ。武力よ武力』


『武力……』


 私はこの時、アルディス姉さんはやはり叔母さまの奴隷だと思った。


『何よその顔!? 私をターシャと同じと思ってるでしょ! いい? 強ければ誰かに力で組み敷かれることも、傷つけられることも無いの。私はそうやって隷属の首輪から解放されたわ。私は首輪を外したかったから、自由になりたかったから強くなったの。そして帝国最強のパーティの前衛になり、ゼオルムですら顎で使ってるわ』


『ゼオルム殿下を!? 』


 私は当時帝国法最強だった殿下を、顎で使っているというアルディス姉さんに驚いた。


『そうよ。あの人は私にベタ惚れだもの。それにこう見えても私はSS-ランクよ? 』


『で、伝説級……お、叔母さまよりも強いのですか? 』


『そうよ。ちょっとゼオルムとダンジョンの最下層に飛ばされちゃってね。でもまあそんなことはいいわ。いい? 貴女の父の病気は長患いするタイプのものと聞いたわ。公爵が生きている間に強くなって自分を傷つけた者を殺しなさい。そして自分に歯向かう者も全て殺して女公爵になりなさい。そうすれば誰も貴女を傷つけることができなくなるわ』


『私が兄を……敵対する者を殺して公爵に……そんなこと…… 』


『そう、やっぱり……』


『あっ……』


『あの男が……私が殺してやりたいけどさすがに問題があるわね。やるなら貴女にしかできないわ。どうする? 今のままずっといる? それとも強くなって自分の運命を変えてみる? 』


 この時のアルディス姉さんの自信に満ちた目は今でも鮮明に覚えている。


 私はその目を見て、アルディス姉さんについていけば強くなれると確信した。だから……


『私は……このままは嫌……強く……強くなりたいです……どんな男にも負けないほど強く……』


 もう兄にこの身体を好きにさせたくない。あんな男の性奴隷になんてなりたくない。私はアルディス姉さんの目を見ながらそう訴えた。


『いい目ね。昔のターシャそっくりだわ。合格よラウラ。今日から貴女はゼオルムのパーティに入りなさい。ターシャには私から言っておくわ。さあ、一緒についてきなさい』


『え? 私がゼオルム様のパーティに!? そ、それに今からですか? 』


『そうよ。こんなところにいつまでもいたくないでしょ』


『ですが兄が……』


『文句を言ってきたら、私とゼオルムでぶっ飛ばすから平気よ』


『ええ!? 』


 そして私はアルディス姉さんに腕を引かれ屋敷を出て、アルディス湖へと連れて行かれた。


 兄は叔母さまが私を連れ出したことに怒り追いかけこようとしたらしいが、殿下とアルディス姉さんが話をつけ引き下がらせたらしい。


 こうして私はゼオルム殿下のパーティに迎え入れられた。


 殿下のパーティは、殿下の専属の騎士と若き日のマルスとその獣人奴隷。そしてローエンシュラム侯爵家の年老いた男と、叔母さまとアルディス姉さんの20人ほどの構成だった。


『お前がラウラか。ハマールの小倅にいじめられてたようだな。安心しろ。奴は俺様とアルディスで半殺しにしておいたから、もう文句は言ってこないだろう』


『ゼオルム様……ありがとうございます』


『いつぞやの夜会以来か。まさかあのラウラ嬢がダンジョンに入りたいとはな』


『マ、マルス公爵家の……アルスト・マルス伯爵でしたね……よ、よろしくお願いしますわ』


 この時の私は男性が怖くて、殿下やマルスと目を合わせることすらできないでいた。


『私の姪っ子をよろしく頼むよ。どうやら辛い目にあったらしくてねぇ。ちょっと男性恐怖症気味だけど、強くしてやっておくれ』


『ラウラに触れることは禁止ね。触れたらぶっ飛ばすわよ? 』


『わ、わかった。まあアルディスとターシャの婆さんの頼みなら仕方ねえな。俺様が婆さんの後継者として鍛えてやろう』


『ゼオルム殿下? あんたもいい歳なのを忘れてないかい? この200年でずいぶん白髪が増えてるじゃないか』


『ふんっ! これは老いじゃねえ。アルディスに毎日搾り取ら……グハッ! な、何をするんだアルディス! いきなりウンディーネで殴るのはやめろとあれほど言っただろうが! だいたいなぜいつも巨大ハンマーで殴るんだ! しかも水刃まで飛ばしやがってこの暴力女が! 』


『なんですって! あなたが人前でふざけたことを口走るからでしょうが! このっ! このっ! 避けるなゼオルム! 』


『本当のことだろうが! 毎晩毎晩もうやめてくれと言っておるの……よ、よせ! こんなとこでそんな大規模な精霊魔法を発動するな! 家が壊れる! 』


『言ったそばからもうあったまきた! 今日という今日はそのデリカシーの欠片もない頭を吹き飛ばしてやるわ! ゼオルム! 表に出なさい! ウンディーネ! やって! 』


『で、出る! 表に出るから力ずくはやめ……ぐあぁぁぁ! 』


『ゼ、ゼオルム殿下! 』


 私は殿下とアルディス姉さんそういった仲だということに衝撃を受けたが、それ以上に殿下をなんの迷いもなく水竜により吹き飛ばした姉さんに驚いた。


 そして私は屋敷の壁を突き破り飛んでいった殿下の身を案じ、慌てて追い掛けようとした。


『ラウラほっときな! いつものことだよ。あの二人は100年以上もこんなことやってんだ。まったく、また壁の修理を頼まないといけないねぇ』


『相変わらず恐ろしい精霊魔法だ。普通は水精霊使いは攻撃向きではないのだがな。さすが上位精霊使いといったところか』


『うむ。この紅茶は美味いな。ターシャ、帰りに少し分けてくれ』


『あいよ。爺さんの口に合ってよかったよ』


 外からものすごい音と殿下の悲鳴が耳に入ってきているのに、落ち着いて紅茶を飲んでいるパーティメンバーたちを見て、この時の私はとんでもないパーティに入ってしまったのかもしれないと後悔していた。


 そしてそんな賑やかなパーティに加入してから5年間。私は殿下と一緒に様々なダンジョンに挑んだ。


 殿下とアルディス姉さんは相変わらずで、すぐに手が出るアルディス姉さんに殿下は生傷が絶えることはなかった。しかしそんな二人はとても愛し合っていることを私は知っている。ダンジョンでも二人は同じマジックテントで休み、朝になると毎回陛下がやつれた顔で出てくるからだ。


 最初は殿下を変人だと思っていた。エルフと肉体関係を築くなんて変態以外何者でもないと。


 でもそれは私がアルディス姉さんと一緒に過ごすことにより、エルフも普通の人間なのだと理解でき受け入れることができた。だってアルディス姉さんはとても優しくて、私をいつも守ってくれた。私はそんなアルディス姉さんを『姉さん』と呼ぶほどに慕っていたし、アルディス姉さんも私を妹のように可愛がってくれた。私たちには種族なんて関係なかった。だから陛下がアルディス姉さんを愛するのも当然だと思えた。


 そして私がS-ランクになった頃。


 父が長き闘病生活の末に他界した。


『ラウラ、やるわよ』


『ええ、アルディス姉さん』


 私とアルディス姉さんは殿下と叔母さまに内緒で、兄を暗殺することを計画していた。


 そしてこの時が決行するタイミングだと決意した。私たちは兄が公爵としての見栄えのため、S-ランクになるために潜っている魔獣系の上級ダンジョンへとアルディス姉さんと共に向かった。


 当然事前に闇ギルドを使い、兄がどの階層にいるかは事前に調べてある。それによるとちょうどこの時、兄は60階層のボスに挑んでいる時だった。


 そして上級ダンジョンの60階層のボス部屋でサイクロプスの雷撃により仲間が減り、苦戦していた兄を見つけた。私は部屋に入るなり、殿下から頂いた英雄級の『嵐刃の銀扇』を兄へと投げつけた。


 銀扇は破損しかかった兄の鎧を砕き、その脇腹を切りつけると同時に複数の風刃を発動し傷口を広げた。


『グハッ! だ、誰……なっ!? ラウラ!? 』


『お兄様久しぶりね。貴方に復讐をしに来たわ』


 私は横目で兄の仲間とサイクロプスと同時に戦っているアルディス姉さんを見ながら、かつて私を犯した男をへと復讐を宣言した。


『ふ、復讐?……あ、兄である私に……復讐……だと? 』


『妹を犯し性奴隷にしようとするような兄は必要ないの。私の未来のために死になさい!『豪炎』! 」


『ガッ! や、やめ……ぎゃぁぁぁぁ! 』


 私はポーションを飲もうとする兄の腕を銀扇で吹き飛ばし、魔力を大量に込めた豪炎のスキルでその全身を燃やした。


 サイクロプスとの戦闘で消耗し、私の不意打ちにより深傷を負った兄は抵抗することもできずその身を炎に包まれた。私はそんな炎に焼かれ苦しむ兄の姿をずっと見つめていた。


『終わったみたいね』


『ええ、アルディス姉さんのおかげです』


『ラウラが頑張ったからよ。どう? 私の言った通りでしょ? 』


『ええ、姉さんのいう通り強くなったら悩みが無くなったわ』


『でしょ? あとは公爵家の大掃除だけね。一人でできるわよね? 』


『もちろん。歯向かう者は皆殺しにしてやるわ』


『ふふっ、頼もしくなったわね』


『あの殿下のパーティメンバーだもの』


『やだ、私をあんな脳筋たちと一緒にしないでよ? ラウラもああなったら駄目よ? 私のようにならないと』


『え? ええ……そうね』


 アルディス姉さんはいつも自分だけは違うと言い張っていた。私からすればパーティで一番の脳筋なのだけど……



 そしてその日を最後に私はパーティを抜けることになった。実家の粛清を行い、公爵家を継ぐためだ。


 兄についていた者。別の後継者を立てようとした者全てを私は殺した。残された幼き一族の子たちは全て神殿へと預け、一族からその名を抹消した。そして私に味方した母の実家と、それに連なる者たちを引き上げた。


 粛清を終えた私は殿下が皇帝に口添えをしてくれたこともあり、女公爵になることができた。


 しかしそれは退屈な日々の始まりでもあった。


 私は公爵家として広い領地の統治や、寄子たち派閥の者の監視や争いの仲裁に追われた。アルディス姉さんと殿下とダンジョンに行きたかったが、地盤が固まるまで家を開けることができなかった。


 それでもアルディス姉さんは頻繁に会いに来てくれた。私が男嫌いになったままなのを心配もしてくれていた。私も後継ぎを残さなければとは思っていたが、どうしても男に抱かれるのは嫌だったからいつも聞き流していた。


 それから10数年の月日が経ち、ある時期にアルディス姉さんがまったく会いに来てくれなくなった。心配になった私は姉さんに会いに湖へと向かった。アルディス姉さんとは魔導通信は極力しないように殿下に言われていたから、直接会いに行くしか無かった。


 私が湖の屋敷に着くと、お腹を大きくした姉さんが出迎えてくれた。


 その姿を見た私はなぜ会いにきてくれなかったのかを理解し、アルディス姉さんが身籠ったことを祝福した。姉さんは嬉しそうにしながらも、このことは秘密にするように私に言った。


 私はこの時。確かにエルフと皇子の間に子供ができたと知ったら、将来殿下が皇帝になった時に反発する者が現れると考えた。そして万が一、代々野心の強いロンドメル公爵が皇帝になったなら、子供が殺される可能性があるとも。


 だから私は秘密にした。魔人とエルフの間に子を作ることが、皇家に伝わる禁忌だとは知らずに……


 そして1年後。メレス様が産まれた。


 幸せそうなアルディス姉さんに抱かれた赤ん坊は、真っ白な髪の可愛い女の子だった。


 殿下は産後の姉さんと赤ん坊のために何かしようと終始オロオロしていた。でも何をしても空回りをして、アルディス姉さんに邪魔だといつも怒られていた。不器用な殿下らしいと私はその光景を笑いながら見ていた。


 そんなある日に姉さんと二人で話していると、大事な話があると姉さんが切り出した。


『ラウラ、もしも私に何かあったらゼオルムとこの子をお願いね』


『姉さんに何かあるなど想像がつかないのだけど……』


『あら? 寿命が長いといっても私も普通のエルフよ。ダンジョンで死ぬことだってあるわ。この子が大きくなったら【魔】の古代ダンジョンの攻略を再開するつもりだし』


『それでも姉さんなら攻略しそうなのよね。きっと子供ができたら色々不安になってるのね。いいわ、殿下とメレスロスは私が守るから安心して』


 私は姉さんが死ぬことなんて想像すら出来なかった。だから笑いながらそう答えた。


『ありがとう。ゼオルムはああ見えて寂しがり屋なのよ。それに私にベタ惚れだし、心配だわ』


『また惚気話? もう聞き飽きたわ。それよりメレスを抱かせてよ。ほんと真っ白で可愛いわ』


『いいわよ。メレス、あなたの叔母ちゃんが抱っこしたいんですって。いい子にしててね? 』


『やだ、まだまだそんな歳じゃないわ。お姉ちゃんにしてよ』


『でも私の妹なんだから叔母さんになるわよ? 』


『う……それは……』


『ふふっ、よろしくねメレスの叔母ちゃん♪ 』


『納得いかないわ……』


 楽しかった。アルディス姉さんもとても幸せそうに笑っていた。


 でも、まさかこの会話が姉さんと最後の会話になるなんて、この時の私は想像すらしていなかった。



 姉さんと会ってから数日後。私は皇帝の命令により、帝国南部の貴族の粛清をするために叔母さまと向かっていた。叔母さまが遠征に参加するのは珍しいことだ。しかしその貴族は高ランクの者を多く抱えていたので、叔母さまを連れて行くように言った皇帝の命令に私は納得していた。そして同じ頃。爵位を継いだマルスも別の貴族の粛清を命令されていた。


 そう、当時の皇帝により私たちは分断されたのだ。


 皇帝がアルディス姉さんとメレス様を殺すために。


 私が全てを知ったのはそれから二週間後だった。その時は南部貴族の粛清を終え、粛清した貴族の領地の治安維持を行っていた。そんな時に当時の皇帝が【冥】の古代ダンジョンにて戦死したとの報が帝国中を駆け巡った。


 そしてそのすぐ後にゼオルム殿下がデルミナ様の加護を受け、皇帝に就任したとの報も伝わってきた。


 私も叔母さまもやっぱりゼオルム殿下が皇帝になられたと、不謹慎ながらも喜び合った。


 そしてもう前帝がいないのなら大丈夫だろうと、アルディス姉さんに祝いの言葉を贈ろうとした。しかし姉さんに通信が繋がらなかった。


 不思議に思った私たちは陛下へと連絡を入れた。そしてそこで全てを知らされた。


 アルディス姉さんは禁忌の子を産んだことで、一週間前に前帝により殺されていたこと。


 陛下はその頃、前帝により牢獄にいれられており助けることができなかったこと。


 メレス様だけはリヒテンラウド伯爵により、いざという時のための隠れ家に逃がすことができ無事だったこと。


 アルディス姉さんはメレス様を逃がす時間を稼ぐために、前帝と戦い十二神将のうち六人を道連れに命を落としたこと。


 それを知った陛下が牢獄を抜け出し、【冥】の古代ダンジョンに訓練に行っていた前帝を討ったこと。


 私も叔母さまも涙ながらに話す陛下の話を聞き、その場に崩れ落ちた。


 それでも私はこの目で見るまではと急いで帝都に戻った。そしてアルディス姉さんの亡骸を前にそれが現実だということを思い知らされた。


『アルディス……姉……さん? 姉さーーーん! 』


 私をどん底から救ってくれた姉さん。


 どんな時も明るく、そして強かった姉さん。


 いつも私を子供扱いして心配してくれていた姉さん。


 メレス様を産み幸せそうにしていた姉さん。


 私はある日突然そんなかけがえのない姉を、たった一人の姉を失った。




「そして今度は陛下の亡骸を前に私は何もできなかった……」


 せめてメレス様だけでも。この200年見守ってきた私の姪だけでも。


 あの子の目はアルディス姉さんによく似ている。だから顔を合わせるのは辛くて、あまり長い時間一緒にいてあげられなかった。それでもあの子が精霊に苦しめられている時は、できる限りのことをしたつもり。雪華騎士に多くの一族の子を送ったり、2等級のポーションをかき集めたり、自らダンジョンに取りに行くことくらいしかできなかったけど……


 あの子が辛そうにしているのを見るのが辛かった。姉さんが辛そうにしているように見えたから。


 でもアクツ様が救ってくれた。あの時絶望していた私を救ってくれたアルディス姉さんのように、メレス様をアクツ様が救ってくれた。


 アクツ様……最初はチキュウの人族ごときが、【魔】の古代ダンジョンを攻略したと聞いても信じられなかった。けど、あの陛下を打ち負かしたと聞いて彼とそのスキルに興味が湧いた。それなのに陛下とマルスは私がアクツ様に会いに行こうとするのをことごとく邪魔した。


 そんな時に、アクツ様がメレス様とアルディス湖と名付けたあの湖の家で会うと聞き、いてもたってもいられなくなかった。アクツ様への興味以上にメレス様が心配だったからだ。


 だから一番最初にアクツ様に会いに行ったのだけど……想像以上だった。


 私をあれほどあっさり倒すなんて信じられなかった。そしてあの反則なほど強力で圧倒的なスキル。


 アクツ様はそれほどの強さを持ちながら、試すために下着を履いていかなかった私の身体にまったく興味を示さなかった。気絶から目が覚めたら乱れた衣服を整えてさえくれていた。いくら一緒にエルフの女がいたとしても、あらゆる男に欲望を抱かせてきた私の身体を見て情欲を抑えられるなんて信じられなかった。


 これほど強く、紳士な男がいたなんて……私はこの男に兄により汚された私をメチャクチャにして欲しいと思った。あの忌々しい記憶を上書きをして欲しいと。だから兄と同じように殴りながら犯して欲しいとお願いした。


 けれど私は受け入れてもらえなかった。


 その後アクツ様はメレス様をあの苦しみから解放してくれた。私の一族の者も全員治してもくれた。


 私はますますアクツ様に興味が湧いた。そんな時に陛下からニホンの管理をするように言われ、喜んで引き受けた。


 しかし相変わらず私は受け入れてもらえなかった。いえ、少しずつ私の身体に興味を持ってくれているのは感じていた。魔力を失った私のお尻を叩く時に胸を揉んでくれていたし、クリスマスというお祝いの時に下着もプレゼントしてくれたから。


 アクツ様……私のご主人様。


 今頃どうされてるのかしら? ロンドメルのことは知っているはずだから、恐らく領地の守りをしてらっしゃるのかもしれないわね。


 メレス様はアクツ様のところにいる。だからメレス様は守れる。私には何もできないけど、アクツ様が守ってくれる。そしてロンドメルはアクツ様により滅ぼされる。あのスキルに対抗する術はロンドメルにはない。たとえ陛下とマルスがコソコソと作っていたあの超魔導砲でも、アクツ様を倒すことはできない。ロンドメルは間違いなく滅ぶ。


 私がそんなことを考えていると、部屋の扉の前に気配を感じた。


 そしてノックもなくドアが突然開けられた。


「ラウラ、気分はどうだ? 」


「気安く名前を呼ばないで欲しいわね。それとレディーの部屋に入るときはノックをしなさい。ほんとガサツな男ね」


「ククク、相変わらずつれないな。男にまったく興味を持たねえのは変わらずか」


「だって私は弱い男には興味がないもの。そんな男を相手にするくらいなら、女と遊んでいた方が気持ちいいわ」


 この男はSS-ランクで私より強い。けれど私を圧倒するほどではない。それだけならまだいいけど、カストロ侯爵のいいなりになっているような馬鹿だもの。そんな男のどこに魅力を感じると思ってるのかしら?


「その割には隷属の首輪をしてたじゃねえか。聞いたぞ? アクツに首輪を嵌められたんだってな? それを解除もせずにずっと着けているとはな」


「アクツ様は特別よ。全力の私を瞬殺するほどの力があるもの。こんな魔力を吸い取る手枷を着けなければ私の前に立てない弱い男とは違うわ」


 アクツ様は私を圧倒する力がある。それは全て自らの力でダンジョンで手に入れたもの。私の抵抗を恐れ、吸魔の手枷で拘束してる男なんて足元にも及ばないわ。


「SS-ランクの俺があんなスキル頼みの男より弱いだと!? あのスキルは既に解析済みだ。対抗手段もある。俺にあの猿は勝てんよ。ククク……奴はいまオズボードと戦争をしている。奇襲は失敗したようだが、大陸南部でオズボードの派閥の者たちとな。その戦争が終わる頃に俺が飛空要塞に乗り殺しにいってやる」


「そう……馬鹿な男。貴方のような馬鹿な男と同じ空気を吸ってると気分が悪くなるわ。もう出て行ってちょうだい」


 この変な自信の理由がわかったわ。アクツ様のスキルが滅魔だけだと思ってるのね。哀れな男ね。


 それにしてもアクツ様はオズボードと戦争をしているのね。守らず攻めているのなら、この男の寿命もさらに短くなったわね。


「どこまでも生意気な女だ。いいだろう。その生意気な態度を変えていくのも一興。そうだな……少し味見をするとしよう」


「何をする気? 」


 私はそう言って胸もとのボタンを外しながら近づいてくるロンドメルから距離を置いた。


「俺が男の良さを教えてやる。ありがたく抱かれろ。そうだな。お前次第では俺が皇帝になった時に側室に迎えてやろう。世界の皇帝になる俺の子を産めるんだ。光栄だろ? 」


「嫌よ! 誰が貴方なんかに! あぐっ……」


 私が嫌悪感を隠さず叫ぶと、ロンドメルに腹部を殴られベッドの上まで吹き飛ばされた。


「おっと、加減が難しいな。魔力がないと脆いから気をつけねえとな。さあ抵抗しろ。その普通の女程度の力で必死に抵抗してみろ」


「くっ……舐めないで欲しいわね……お前なんかに抱かれるくらいなら舌を……ムグッ」


 私はベッドの上に押さえつけられ、このまま犯されるくらいならと舌を噛もうとした。しかしハンカチを口に詰め込まれ、ロンドメルの手で口を塞がれてしまった。


「これで噛めねえよな。ククク……楽しませてもらうか。おお、やっぱりデケェな」


「んーんー!? 」


 私はロンドメルに一気に着ていたワンピースの胸もとを引きちぎられた。そしてロンドメルは下着姿になった私を舐めるように見たあと、次に下着へと手を掛けた。


 ああ……これはあの時と同じだ……


 泣いて助けを求めても、誰も助けになど来てくれなかったあの時と……


 抵抗できるだけの力を手に入れたはずなのに……強くなったのに……私はまたあの時と同じように男に犯される……


 悔しい……殺してやりたい……


「ククク……いい目だ。ゾクゾクしてくるぜ。だが俺がすぐに気持ち良くして……」


 プルルルル 


 プルルルル


 私が手枷でロンドメルの手を叩き抵抗していると、ロンドメルの魔導携帯に着信が入った。


「チッ、いいところで……俺だ…………なんだと!? アクツがこっちに向かってきているだと!? なぜだ! 奴はオズボードと戦争中だったろうが! それがなぜ正反対の場所にあるマルスの領都にいるんだ! …… クソが! すぐに飛空要塞に向かう! 帝都の超魔導砲もすぐに撃てるようにしておけ! 飛空艦隊は基地に引っ込ませろ! 飛ばすだけ無駄だ! 奴は俺が仕留める! 」


 私はロンドメルの話を聞き、歓喜に身を震わせていた。


 アクツ様が帝都に向かってきている……私を助けるために。


 ああ……いた……私の危機を救いに来てくれる騎士様が本当に……


「チッ、何を泣いてんだ? お前のご主人様が助けにきてくれたとでも思ってるのか? ククク、残念だったな。それは叶わねえ願いだ。予想以上に早い決戦となったがまあいい。お前はそこでアクツが死ぬ姿を見ているがいい。お前が俺より強いと言った男の最期をな。フハハハハ! 」


「ええ……見させてもらうわ」


 貴方の最期をね。


 私はシーツで身体を隠しながら、高らかに笑い部屋を出て行く道化を見送った。


 もう二度と会うことはないわね。私が殺してやりたかったけど、貴方は私の騎士様に殺される。


 私はそう思いながらシーツを引きずりベッドから降りた。そして窓の前に立ち、まるで少女の頃のように高鳴る胸を押さえながら空を見つめていた。


 憧れの騎士様が現れるまでずっと……



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