389話 さくらはここでも咲き誇る



――かつて求め、この世界には無いと諦めた、あの花。懐かしき故郷の、優美なる花。



20年という年月の間で、激動の荒波の只中で、記憶から失われかけていた思い出の花。





…それでも、少女さくらの来訪と共に、焦がれる想いが小さく蘇ってしまった『桜』の花。



忘れようと努めても消えず、さくらの顔を見るたびに仄かに思い出し、今際の際となって彼女をその花の元に帰せぬことを悔やんだ、それが―。






―今、目の前で。本来存在しないはずの異世界の地で、燦然と咲き誇ったのだ。











モノクロームと成り果てていた竜崎の追懐に、元の世界の情景に、再び色が呼び戻される。



それは何色か。 桃、白、淡紅……。否、否。 まごうことなき、『さくら色』。




彼が今までに作った桜を遥かに上回る…いや、今まで見たどんな桜よりも美しい、神秘と瀟洒、華蓮さと儚さを併せ持つ、稀有なる桜雲。




風を受けてなお、散り溢れてなお、『私はここにあり』と応えるように。その桜木は色鮮やかに無数の花冠を湛えて――。











「キヨト? ちょ、ちょっと…?」



不意に、ソフィアが戸惑いの声を上げる。…だが、呼ばれた竜崎は、彼女の言葉を聞いてはいなかった。



なぜなら彼は―、桜に目を、魂を奪われたようにふらりと立ち上がり…引き寄せられるかのように、歩み出したのだから。












それはまるで、目を輝かせる少年の如く。そして、古くに死別したはずの相手とまさかの再開をした老爺の如く。



よたりよたり、前のめりになるように足を動かし、彼は桜の木へと近づく。そして――。




「さ……く…ら……―」



――木の幹を撫でるように手を動かし、瞳をさくら色に染めながら…どさりと、両膝をついた。















場は俄かに騒めき、皆は彼の様子を窺いだす。それでも、竜崎は満開の桜を見上げたまま。口をぼんやりと開け、見つめ続けるばかり。




「竜崎さん……?」




不安になったさくらが、彼に声をかける。すると、やはり竜崎は顔を動かさぬまま、彼女に問うた。





「さくらさん……これ…どうやって……?」




「え、えっと。この木の、葉っぱ一枚一枚を包むように、基礎召喚術で桜の花を作ったんです。メスト先輩とかから魔術花を作るコツを聞いて…」




「これだけの桜の花……難しかった…でしょう…?」




「はい、結構…。ですけど、『限界突破機構』のおかげでかなり負担は減らせましたし、そもそも私一人じゃ難しかったので、グレミリオさん達にも協力してもらって…」





「…なんで……こんなに、綺麗なの……?」













「え……」



竜崎の呟くようなその言葉に、さくらは声を詰まらせてしまう。なんで、と言われても……。




「…っ…!? 竜崎さん……泣いて……」




―刹那。さくらは気づいた。上を向いたままの彼の瞳から、涙が流れ出していることに。





「おかしいな……。なんで、滲んじゃうんだろう…。 もっと、目に焼きつけておきたいのに……」




独り言のように、自虐的に笑って見せる竜崎。気づけば彼は、へたり込んでいた。



しかしそれでも、桜の花から目を逸らさず、漏れ出る涙も拭わなかった。




…少しでも動いたら、堰が切れてしまう。こうして上を見続けることで、零れてしまうのを出来る限り抑えている。そんな様子であった。








「――っ。」



ふと、さくらはポケットを探る。取り出したのは、ハンカチ。



彼女はそれを手に、竜崎の傍へ。そして、彼の目へそっと当て、涙を拭ってあげた。




かつて、自分がこの世界にやって来た日。竜崎の前で帰りたいと涙した時。彼は、優しくハンカチを手渡してくれた。 そのお返し。恩返しであった。





「――ありがとう…さくらさん…」



さくらに拭かれ、ようやく動けるようになったのだろう。竜崎はハンカチを借り受け、それを目に押し当て、顔を隠しながら首を降ろす。




「…ひとつ、聞いてもいい…?」



そのまま、彼はそう口にする。さくらが『はい』と頷いたのを確認し、こう続けた。




「なんで…桜の花を、見せてくれたの…?」












「それは―。」



「……帰りたかった…よね…。桜のある世界に…。こんなに綺麗に、覚えているんだから…」




さくらが答えようとした矢先、竜崎はぽつりと。 ―と、今まで黙っていたニアロンが…。



―はああぁ……! 全く…お前は私がいないと、いつまでもうじうじと…っ!―



っ…!」




苛立ち交じりの大きな溜息をつき、彼の両頬をパチンと叩いた。そして、目を覆っているハンカチを奪い取り、顔を真正面から突き合わせた。




―…ほら。私も濡れ顔を見せた。だからお前も、しっかりとさくらの顔を見ろ! そして真意をしっかり聞け!―



「ぅ……」




涙の腫れ顔を隠していたニアロンに面と向かってそう言われてしまえば、竜崎も従うしかなかった。




そして彼が目を合わせてくれたのを確かめてから、さくらはしっかりと、首を横に振った。




「違います、竜崎さん。 そうじゃないんです!」











「あ、いえ、まあ…帰りたい気持ちは、あるにはあるんですけど…。そうじゃなくてですね…」



一応そう訂正したさくらは、言葉を探るように一旦黙る。 そして、ゆっくりと伝えだした。



「確かにこの世界には、桜の花は存在しません。―ですけど、魔術があります。これを使えば、ここでも桜を咲き誇らせることができるんです」





ふと、彼女はそこで一旦言葉を切る。そして杖を握り直し、『上手くいって…!』と呟きながら詠唱をした。





「「「――――♪」」」



呼び出されたのは、幾体もの風の中位精霊達。妖精のような彼女達は主の指示に従い、桜の木の中に。




すると直後、フオッと軽い風が巻き起こった。それにより花びらの一部は舞い散り、桜吹雪がその場を包む。




思わず、ハッと顔を上げる竜崎。しかし桜は一切の盛観さを損なわず、変わらぬ姿で佇んでいた。まるで、吹き飛ばされた花びらが補充されたかのように。





「えっと…こんな風に追加で花を咲かせれば、散る儚さを味わうこともありません。 …まあ、魔術の造花ですから全部すぐに消えちゃうんですけど…」




自分で自分にツッコミを入れるように声を小さくするさくら。そして少しもじもじとしていたが…ようやく伝えるべき言葉を見つけたと言わんばかりに、告白をした。





「…この桜が綺麗なのは、竜崎さんへの贈り物だからです。 竜崎さんが気に入ってくれるかなって練習していたら、自然とこんな風に…」



―厳しかったものな、さくらの指導。一切の妥協を許さないって気迫だったぞ―




茶化すニアロンを、さくらは照れたように軽く睨む。そしてコホンと咳ばらいをして、改めて竜崎と目を合わせた。





「元の世界に戻らなくとも、竜崎さんが綺麗と褒めてくれたこの桜は、咲かせられるんです。 ですから―、私、帰れなくても…悲しくも、寂しくもありません!」





はっきりと、想いを明らかにしたさくら。と、僅かに首を振り…高らかに、言い切った。





「ううん、この世界が好きです! いつでも桜を咲かせることのできるこの世界が、私…『さくら』がこの異世界が、元の世界と同じぐらい大好きになっているんです!」












「―――っ…!」




心の想いそのままだとわかる彼女の言葉に、竜崎は目を見開く。 さくらはそんな彼の瞳へと続けた。




「ですけど…それは、竜崎さんが傍にいてくれるからなんです。寂しくないのも、この世界を楽しめているのも、竜崎さんが私の保護者で、勇者で、そして『先生』でいてくれるからなんです!」




……こんなことを言うのはおこがましいかもしれませんけど…。 彼女はそう申し訳なさそうに呟き、再度声を張る。





「私、そんな竜崎さんを犠牲にして元の世界に帰るなんて、もう絶対に嫌です! だから…だから…!」








そこでハッと思い立ったのか、彼女は駆け出す。自らのバッグへとたどり着くと、中から何かを取り出し、竜崎の前に戻って来た。




「これ、お返しします!」




さくらが彼に差し出したのは、彼の遺書。そして、彼が託した手紙と古ぼけた携帯。それらは、預かっていた『竜崎の想い』そのもの。




「私も、頑張ります! これからも竜崎さんに迷惑をかけてしまうかもしれませんが…」




彼女は竜崎に合わせるように両膝をつき、彼の手にそれを渡す。―そしてそのまま、その手をぎゅうっと握った。





「あの時の…初めて会った時の約束通り、一緒に探しましょう! 2人共無事で帰れる方法、手紙を送る手段、そして…一度帰っても、この世界に戻ってこられる道を!」






かつて竜崎が差し伸べてくれた救いの手。それを今一度、さくらは随喜ずいきの涙を零す彼へ、花吹雪舞う桜の木の下で誓ったのであった――。














~~~~~『異世界を先に生きる』【第一部】完~~~~~

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