325話 さくらを助け出せ

呼吸が…出来ない…! さくらは手にしていたラケットを取り落とし、必死に対処を試みる。


しかし、咳き込もうとも、嘔吐えずこうとも、首を掻き毟ろうとも、スライムは喉の奥に絡み付いたまま。


悶えれば悶えるほど、息苦しさに拍車がかかる。苦痛と焦り、そして恐怖で視界が狭まっていく。


(助けて…竜崎さん…!)


声にならぬ声で、さくらは悲鳴をあげる。だがそれは、隔絶された氷牢の中にも響き渡りすらしない。


彼女はただ、氷の壁の向こう側にいる竜崎達に手を伸ばすことしかできなかった。







「フリムスカ! 何とかできないのか!?」


一方の竜崎は掴みかからんばかりにフリムスカに問う。その顔には、普段の冷静さとは全くかけ離れた狼狽の色が濃く浮かんでいた。


「本来のワタクシならまだしも…召喚体、しかも力が充分に発揮できない簡易的召喚である身ではここからじゃ…! せめて近づかないと…」


どこにでも氷を作ることが出来るとはいえ、人の喉に入った異物を遠隔かつピンポイントに凍らせることはフリムスカと言えども難しい。彼女の申し訳なさそうな言葉に竜崎は歯噛みする。


そんな彼を諭すように、ニアロンは口を開いた。


―落ち着け清人…! さくらには『身代わり人形』を持たせているのを忘れるな…!―


「あれはあくまで『ダメージを肩代わりする』だけだ! 確かにもう少しすれば、人形が働いてスライムは強制的に喉から排出されるだろう。だけど、それだけだ! さくらさんが対処できない限り、何回でもスライムは喉に入ってくる!永遠の苦しみを味わうんだぞ!?」


竜崎は強くそう言い返す。『身代わり人形』は身体への切り傷等は完璧に防ぐ。しかし、小さいスライムが喉に入ったことは『飲食』と判定されてしまったのだろう、すぐに反応してくれる様子はない。


そして竜崎の言う通り、人形はあくまでダメージを肩代わりするだけ。スライムを倒してくれることはない。誰かが倒さなけばいけないのだ。



しかし、入ったスライムは強化型。さくらの魔術で簡単に倒せる代物ではない。頼みの綱は神具ラケットだが、苦しみ悶えた少女が吐いた直後すぐに対応できるとも到底思えない。


ならば、逃げるという選択肢もある。対生物最強の魔物スライムの弱点、それは足が遅い事。特に今さくらを苦しめているスライムは小さく、容易に逃げられるであろう。


…だが、今さくらは狭い氷牢に囚われている。逃げ場なぞ、ない。ただ迫りくるスライムに怯え、身代わり人形が効果切れするまで痛めつけられるしかない。とはいえ氷を解除すれば、今度は装置が狙われてしまう。



残る手段は、さくらが吐いた瞬間にフリムスカがスライムを凍らせるという方法だが…





「おいおい、よそ見している暇があんのかぁ!?」


それをさせないと言わんばかりに、獣人が飛び込んでくる。フリムスカは対処に動くが―。


「きゃう…!? この方、先程よりも強くなってますわ…!」


呪薬の効果は覿面らしい。防戦気味となってしまう。これでは、タイミングを計って小さいスライムを狙い撃ちすることなんて出来ない。


「リュウザキぃ、兄弟が欲しがってるモン渡せばあのガキは解放してやるぜ?」


フリムスカの攻撃をいなしながら、そう持ち掛けてくる獣人。竜崎が出した答えは…。


「フリムスカ!」


獣人ではなく、氷の高位精霊への呼びかけだった。




「―! えぇ、承りましたわ! 獣人はワタクシにお任せを!」


召喚術を通して何か指示を受けたらしく、新たに巨大氷結晶を幾つも作り出し、攻勢に出るフリムスカ。それは獣人を取り囲み、逃がそうとしない。


「行くぞニアロン!」


それを確認した竜崎は、地を蹴りその場を勢いよく離れる。向かった先は―、さくらが囚われているあの装置であった。




風、及び強化魔術をその身に付与し、一直線に突撃していく竜崎。未だ治りきらぬ骨の痛みに顔を歪ませようが、その足の速度は僅かたりとも緩むことは無い。


そして、あっという間に装置の目前に到着し―。


「「「今!」」」


竜崎、ニアロン、そしてフリムスカの声が一致する。瞬間、装置を取り囲む氷の一部が、まるで扉の如く、竜崎を迎え入れるように溶け落ちた。





フリムスカに獣人を引き付けてもらい、竜崎達は突貫、さくらを救い出すという電撃作戦である。動く小さな標的スライムを狙い撃つならいざ知らず、自身が作り上げた氷の一部を誘拐させるぐらいならば戦闘中のフリムスカでも容易に出来た。


「無事!?」


駆け寄った竜崎は、さくらを抱きかかえる。彼女は涙を浮かべ、安堵の表情を浮かべた。


「りゅ、竜崎さん… うっ…!」


と、さくらは大きく嘔吐えずく。ゲホッと吐き出されたのは、黒いもやに包まれたスライム。ようやくダメージと認識されたらしい。


その吐かれたスライムを、片手を皿にし受け止める竜崎。そしてそれを即座に、ニアロンの前に出した。


「ニアロン!」


―あぁ!―


スライムを勢いよく殴りつけるニアロン。バシュッと音がし、さくらを脅かした存在は跡形もなく弾け消滅していった。



「ふぅ…。よかった…! ニアロン、さくらさんの容体確認を!」


さくらを抱きしめ、背中を擦りながら指示を飛ばす竜崎。ニアロンに乗り移られながら、さくらは自らの呼吸を戻しつつ竜崎の胸の音を聞いていた。


それは、苦しんでいた自分に負けず劣らずの早い鼓動音。走ってきたからではないのは十二分に察せられた。


それほどまでに、自身さくらを思い、胸を痛めてくれたということ。嬉しい反面、申し訳なかった。もう、これ以上迷惑はかけたく…。


「…!! 竜崎さん…! 後ろ…!」



掠れた声で、必死に訴えるさくら。竜崎とニアロンがバッと見ると、そこに立っていたのは…


「チッ…忌々しい…」


、魔術士であった。





―しまっ…!―


「くっ…! 『精霊よ』!」


竜崎は即座に精霊召喚。魔術士へと飛び掛からせる。一体なぜ、彼が。この装置からはある程度離れていたはずなのに…。それに、今にも倒れそうだったのに…。


と、直後だった。その答えを示すように、思わぬことが起きた。


シュンッ!


「―!」

「あ…!」

―転移した…だと…!―


魔術士は微かな光を残し、その場から消える。後に残ったのは、攻撃を外した精霊達と―。


カランッ


足元の氷へ音を立て落ちた、注射器であった。




「まさか…!」


息を呑む竜崎。謎が、解けた。既に転移魔術を使えぬほどに弱っていたはずの魔術士が何故、気づかれずにここ装置までこれたか。何故、ふらつきもせず立っていたか。それは、呪薬による強化だったということであろう。


いや、そんな事よりも…最悪の事態が起こってしまった。神具の鏡―、『何でも弾く』鏡がついたラケットを奪われてしまったのだ。


魔術士があれを『神具』と知っている保証はない。されど、強化スライムを消し飛ばせるほどのパワーは目の前で見せてしまった。兵器として認識している可能性は十分にある。


内心そう考え焦りながら、竜崎達は必死に消えた魔術士を探す。と、その時であった。



「くぅっ…!お待ちなさい!」


フリムスカの声が聞こえる。見ると、彼女が怯んでいる姿が。魔術士が作り出したであろう黒刃の大群に襲われているではないか。


その隙を突き、獣人は氷の包囲網から抜け出す。そして、この場ドームの別の端に転移していた魔術士と合流してしまった。



「んだよ、結局お前も呪薬使ったのか。じゃああのガキを苦しませる必要なかったろ…」


自らに刺さった氷の刃を抜き取りながら、肩を竦める獣人。すると、魔術士は苛ついた声をあげた。


「苦しませる? 俺は『殺す気』だった! でも、邪魔されたんだ! 『身代わり人形』も持たせてるなんて…! 忌々しい…忌々しい…!!」


「おいおい、あのガキを何かに利用するとかなんとか言ってたんじゃ…まあいいか。そん場合、死んだ方が楽だろうしな…」


「小さく何を言いやがった!? いつもでかい声で煩い癖に…!」


聞こえぬよう小さく呟いた獣人を、咎める魔術士。が、その瞬間―。


「ガフッ…」


血を吐き、膝をつく魔術士。獣人はポリポリと頭を掻いた。


「お前も身体に改造施してるたぁいえ、あのクスリ呪薬は劇薬だしなぁ…弱った身体にゃあ厳しいだろ。ちっと休んでおけ。その間にっと…」


そう言い、獣人は魔術士の手からラケットを受け取る。そして、ブオンッと一振りした。


「俺がカタをつけといてやるぜ。この『神具の鏡』でな!」

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