151話 伯楽一顧③

場面は戻り、現在、アリシャバージルのとある酒場。


ングッ!


さくらは食事を喉に詰まらせかけていた。慌てて水を飲み事なきを得る。


「…ぷはっ!」


息を切らしながら、今賢者から聞いた話を頭の中で反芻する。あまりにも衝撃過ぎて思わず食べ物を変に呑みこんでしまったのだ。


「大丈夫かの?」


賢者の表情は心配半分、してやったり感半分。完全に狙っていたらしい。しかしそれを怒るよりも驚きの方が勝った。


「私達の言葉、使えたんですか!?」


「いいや、使えぬぞい」


スパンと言い切る賢者。さくらはガクッと体を崩してしまう。


「じゃあなんで…」


「先に読んだ本に同じような記号が幾カ所に並んでいたからの。経験則と半ば感で書いてみたんじゃ。ピンポイントで出会いの挨拶で良かった」


開いた口が閉じられないさくら。流石は賢者ということなのだろうか。


「もし、他の意味だったらどうしたんですか…?」


選ばれたのが「殺す」とか危ない言葉だったらまさに一触即発。こわごわ聞いてみると…。


「その時はその時じゃ。とりあえず話の種になることを重視していたのと、ワシも知らぬ言語を使ってみたいという純粋の興味じゃったからな。もし変な意味であろうと、説明をすればわかってくれそうな様子だったしのぅ」


あくまで竜崎の様子を確認した結果の行動だったらしい。賢者は思い出したように笑った。


「とはいえ、リュウザキの当時の反応もさくらちゃんみたいなものだったわい。いやもっと苛烈だったかの」







謎の老人から手渡された紙を一目みた青年の眼は大きく開かれ、身体を震わせる。続いて跳ね上げられたかのように顔を上げると、その老人へ向け何かをまくしたて始めた。だがそれは彼が元々使っていたらしい言語。流石にミルスパールと言えどもわからない。


「すまぬすまぬ。流石にそれ以上の言葉はわからんでな。許してくれ」


丁重に謝罪をして青年を落ち着かせると、ミルスパールは子供達が座っていた箱の一つに腰かける。


「改めて、ワシはミルスパール・ソールバルグ。魔術士じゃ。お前さんが持ってきたという本を読ませてもらってな、試しに紙に書いてみたんじゃ。なので、その言葉の意味は正直なところわからん。どういう意味が教えてくれないかの?」


実に温和に、低頭な口調でそう問う老人を訝しんでいた青年だったが、未だたどたどしさが残る覚えたてのこちらの言葉でゆっくりと説明をしてくれた。あれは、人に出会った際の挨拶の言葉だと。


「やはりそうじゃったか。予測が当たって良かったわい」


ニコニコの老爺の姿に暫く呆けるような青年。代わりに霊体が苛ついたように口を開いた。


―それで?目的はなんだ?―


「そうだったそうだった。うっかりしていたわい。お前さん…そういえば名前を聞いておらんかったな。聞いても良いかの?」


「…リュウザキ」


「リュウザキ。良し、覚えたぞい。そちらの嬢ちゃんは?」


―私のことを言っているのか?―


「見た目がそうだったのでそう呼ばせてもらったが…違ったかの?」


―これでも数千年以上は生きている身だ。…記憶を失っているがな。私はニアロンだ―


「そうかそうか、ニアロンじゃな。よろしく頼むぞい」


平然と名前を頭に叩き込む様子の彼をみて、霊体は少し驚いたような声をあげた。


―私の姿を見ても驚かないんだな。村の連中は怖がったというのに―


「霊体の状態で生きている者には他にも心当たりがあるからの。最も、お前さんが怖がられているのは『呪い』によるものが大きいじゃろうがな」


―! 知っていたか…―


「先程村長さんの家にお邪魔していてな、そこで話を聞いたんじゃ。ところでそちらのお嬢ちゃんがクレアちゃんで間違いないかの?」


「えっ。は、はい。そうです」


「実は村長さん達からリュウザキの身体を診て欲しいと頼まれての。だがワシは事情に乏しい。そこで彼の世話をずっとしていたお前さんに当時の様子を出来るだけ細かく語ってほしいんじゃ」


「わかりました」


彼女の返答を聞き、ミルスパールは青年の方に向き直る。


「さて、リュウザキよ。確か呪いがまだ体に残っておるらしいの。見せてみい」


恐る恐るもコクンと頷いた彼は服を捲り上げる。すると彼のお腹には真っ黒な呪印が。しかも毒々しく蠢いている。


「ふむ…」



クレアから話を聞きながら、ミルスパールはその呪印に触れ、魔術をかけ、時には針をちくりと刺す。その間青年はくすぐったさとわずかな痛みを堪えながら、霊体は顔をしかめながら見守っていた。


「一体何なんじゃこの呪いは…」


だが、出た結論はない。見たことのない術式、効果、反応。学院最高顧問である自分ですら皆目見当がつかないこの代物にミルスパールの表情はみるみる曇る。


「ニアロンよ。お前さんがこの呪いの主と聞いていたが…違うようじゃの」


―…あぁ。私に残されている記憶は、この呪いが外部へと漏れないようにあの手この手で抑えつけていたものだけだ。最も、それしか覚えていないが―


「これでも呪いを含んだ魔術全般については精通しているつもりだったのじゃが…。既に失われでもしているのかの?」


―なにせ幾千年も前の話だ。それでも不思議ではない―


それ以上考えるのは無駄と言わんばかりの彼女。ミルスパールは思考を巡らせながら呟く。


「ふむ…もしお前さんが呪いの主だとするならば、打ち払わなければと思っていたが…」


その言葉を聞いた瞬間、青年は勢いよく首を振った。


「駄目です…!ニアロンさんを殺さないでください…悪い人ではありませんから…!」


霊体を庇うように、強めの口調で説得しようとする彼をミルスパールは宥めた。


「心配せんでよいわい。少なくともワシは殺す気はない」


それを聞き、青年はほっと胸を撫でおろした。


とはいえ疑問は残ったまま。魔術を極めんとするミルスパールには呪いの詳細が気がかりで仕方が無かった。

「魔神に聞けば…いやしかし今は戦時中。すぐには無理か…」


魔術的興味、そして「異界」という条件に見合う青年。そろそろ本題を切り出そうとミルスパールは口を開きかける。



と、そこに駆けてくる人物が。


「大変だ!リュウザキくん、クレアちゃん!」


「マイクさん!どうしたんですか?」


転びかけながらも慌てて走り寄ってきたその男性は呼吸を整えるよりも先に緊急の要件を口にした。


「森から魔獣が…!中には人獣まで…!」


人獣。『獣母』によって作り出された人の姿をした獣達。魔王軍に取り込まれなかったその人獣達は人界側にも生息域を広げ、街を襲う被害を出し始めていた。


「戦争の余波じゃの…」


それを聞いてよいしょと腰を上げるミルスパール。だがそれよりも先に…。


ザッ!


勢いよく地面を蹴り、走り出したのはリュウザキ青年。マイクという人物が指さした方向に一目散に向かっていった。

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