21話 勇者
「「「乾杯!」」」
ソフィアは旦那とメイドと娘を、竜崎は賢者とさくらを引き連れ、前に賢者が飲んでいた酒場に来ていた。かの勇者一行の賢者、発明家、精霊術士が集うのは他の客にとって圧巻であり、終始ちらちらと見られていたが、本人達は慣れたものだった。
「いやはや、堂々と酒が飲めるのはいいことじゃの。取り巻きがいないのは楽じゃ」
賢者、ミルスパールは気苦労から解き放たれたように笑う。飲んでいる最中に質問責めにされるのは流石に面倒らしく、活き活きとしていた。
「ミルスの爺様は私が誘わないとのんびり酒が飲めないものねー。キヨトはお酒飲まないし」
「そうなんじゃよ。たまにニアロンが誘ってくれる以外はこちらから誘うしかなくての」
「仕方ないだろう。ニアロンが飲みまくるからこっちまで酔うんだもの。結構次の日に残るんだよ…」
―そんなこと言っても遠慮はしないぞ? おーい、もう一杯くれー!―
まだ開宴したばかりだというのにニアロンは既に杯を空けていた。やれやれ、と手振りで呆れる竜崎の様子をソフィアとミルスパールは笑っていた。
誘われたといえ、場違い感を感じていたさくらは机の上に大量に置かれた料理群にも手を付けられずにいた。竜崎が気づき、声をかけた。
「どうしたの?お腹空いてなかった?」
「いえ…。食べていいのかなって」
「遠慮せず食べちゃって。ここの料理は美味しいんだ。先に取っとかなきゃ全部爺さんが食べちゃうよ」
「えっ。賢者さんがですか?」
あの老爺が、この量を?とても信じられない。
「あの人は健啖家だからね。どんどん食べて。まだ成長期なんだから」
「そうですよ!賢者様を舐めてるといけませんよ!」
料理山盛りの皿を持ち、口にも頬張った状態でマリアが警告してくる。可愛らしくはあったが、その必死さは以前に痛い目をみたと言わんばかり。そこまで急がなくても…と竜崎に口周りを拭かれた彼女はすぐにもぐつき始めた。
「じゃ、じゃあ。いただきます…」
さくらも近くにあった料理をよそい、一口。
「! 美味しい!」
「―それでドワーフの国から頼まれて窯の整備かつ改良に行ったんだけど、やっぱあそこは暑くて大変よ。ゴスタリアの方が数倍涼しいわね」
「まあ年中無休の鍛冶国家だからのぅ。その分鉱物も武器も質が良い。良いのは手に入ったかの?」
「えぇ、もちろん!純度が高い魔鉱物から高級精霊石まで。格安でもらってきちゃった!」
発明家と賢者の会話に、ふと気づいた口ぶりで竜崎も交じる。
「なるほど。マリアちゃんに作ってもらった武器、やけに質が良かったけどそういえばそんなこと言ってたな」
―おかげで結構な無茶も耐えるいいものを作ってもらえたな。値段は張ったが―
「毎度ありがとうございまーす!」
和気藹々とした雰囲気が流れる。いつもこんな感じなのだろう。ソフィアの旦那やメイドも楽し気に飲んでいる。予言やら英雄やらは関係ない普通の人達の飲み会のようにしか思えなかった。
宴もたけなわ、ソフィアがポロっとあることを口にした。
「勇者ちゃんも来れればいいのにねー」
「本当じゃのう。もっと近場にいてくれればいいんじゃが。最近はエルフの国にかかりっきりじゃからのう」
賢者からの同意を受け、ソフィアはブー垂れた。
「すぐに飛んでこれる距離じゃないしねー。転移魔術さえ気軽に使えればなー」
「仕方ないよ、あれの魔力消費量は半端じゃないし。余程の大事じゃなければ許可されないからなぁ」
竜崎の、彼らにとっては周知の事実である言葉を聞き残念がる一行。さくらは丁度良いと思い、深く聞いてみる。
「あ、あの…。勇者ってどんな方なんですか?」
「そーかそーか!さくらちゃん異世界から来たばかりだから知らないよね!すごくいい人だよ。ちょっとポヤーとしてるけど、強く、優しく、困っている人を見たら見過ごせないってね。キヨト、話してないの?」
「聞かれなかったからいいかなって…」
ソフィアに小突かれる竜崎。取り繕うように以前ネリー達から聞いた話を持ち出す。
「大会で無双したって聞いたんですけど…」
今度はミルスパールが懐かしむ。
「あれは見事じゃったのぉ。ちぎっては投げちぎっては投げ、惚れ惚れする力じゃった。裏で行われてたらしい賭けは無名の選手の勝利で大穴空けられたって一部が騒いでたの」
愉快じゃったの、と思い出し笑いをする賢者。竜崎はそれに続いた。
「正直言ってしまうと、彼女一人でも魔王討伐は成し遂げられたと思うよ。いや、寧ろもっと簡単に終わったのかもね」
衝撃の暴露だが、それを発明家と賢者は否定しなかった。それどころか勇者の武勇伝に話が移った。
「あの村を襲った魔物をあっという間に一掃したのは子供心に惚れちゃったわ!」
「あったのう!リュウザキが先行して子供を助けた時じゃの」
「それを言うならあの戦線での勇者とソフィアの無双っぷりが…」
―私は高位精霊との闘いを推すな―
「あれはもう殿堂入りでしょ!」
伝説とも評される一行の口から語られる当時の思い出は、聞く人が聞けば畏敬のあまり卒倒するだろう。そうでなくとも『勇者一行の軌跡』と文献に纏めたくなる人は大勢いそうだった。
そこまで強い勇者って一体どんな方なんだろう。さくらは思いをはせた。
所変わって同時刻、エルフの国。
今なお魔物や魔獣が棲みつく広大な森に囲まれ、その国はある。森と隔絶するように白き壁が建てられ、その外側には外敵を防ぐように生やされた天を衝く巨大な牙のような木の根が未だ一部残っている。
そんな月明りが偶にしか差し込まない森とは対照的に、壁内は人の営みの証として明るく火が灯されている。中央部に聳え立つ、山より高い神秘の木。エルフはこれを「神樹ユグドル」と呼称し古来より崇め奉ってきた。その木にもまた、明かりが灯っており国民を照らしている。彼らはその恩恵を受け、楽し気に酒を酌み交わしていた。
だが、今焦点が当てられるのは国内ではない。鬱蒼とした森の方である。古くに外界と繋がるために整備された一本道以外は手付かずのまま。それがエルフの伝統か民族性か、竜種使役の賜物か。ただしその一本道を通るにも護衛は必須という代物である。
そんな物騒な森の中、1人のエルフの女の子が身を震わせながら息を潜めていた。
「どうしよう…あんなこと言わなきゃ良かった…」
きっかけは先程、友達同士で馬鹿話をしていた時の事。
「ねーねー。弓でどのくらいの獲物とれたことあるー?」
彼女達にとっては至って日常の会話。体育の授業で跳び箱何段飛べた?と聞くようなもの。となると当然話を盛る子もいる。
「私は魔狼を御供竜無しで狩ったことあるよ!」
「えー!流石に嘘でしょ」
そこで止めとけばいいのに、懐疑的な視線に抗うように嘘を貫き通してしまったのが全ての始まりである。
「ほんとだもん!今度狩ってきてあげる!なんなら今夜!」
意地になってしまったらもう止められない。他の子が危険だから、と引き止めるのを無視し、武器を担いでどこかにいってしまった。
「きっとあの子のことだし、怖くなって行かないよ」
残された子達はそう合理的な理屈をつけ、少し不安になりながらも追う事はしなかった。事実、あの子はそんなところあるし、と。だが今回は意地の方が勝ってしまった。彼女は警備の兵を上手くすり抜け、森に出てしまった。
―そして、今に至る。精々は狐ぐらいしか仕留めたことがないのに大きく出すぎちゃった…あの時の私馬鹿!と心細さから自己反省を始めてしまう。魔物に見つからないように隠れ隠れ移動していたがついに見つかってしまったのだ。
「グルルルルゥゥ…」
最悪だった。匂いを追いやってきたのは魔熊。大の大人でも一人で狩るためには周到な事前準備がいる。御供竜もいない、装備も軽装、しかも夜の森という絶不調のコンディション。有利な点は一つもない。
もし見つかればその爪で体を裂かれ、骨ごと噛み砕かれて食べられてしまうだろう。バレないうちに逃げなければ…!
パキッ
一歩を踏み出した瞬間、枝を踏み抜いた乾いた音が響く。もちろん魔熊がそれを聞き逃すはずはなかった。
「グルァア!!」
新鮮な肉を見つけたと飛び掛かる魔熊。女の子は身を竦め死を覚悟するしかなかった。
「ひいっ!」
思わず目を瞑る。ぐちゃぐちゃに潰されご飯にされちゃうんだ。こんな無鉄砲なことしなければよかった。
ゴシャ!
謎の音が響く。いつまでたっても痛みは襲ってこない。即死したのかな?と思いつつも目を開けられずにいると誰かの声が響く。
「大丈夫?」
恐る恐る目を開ける。そこには一人の女性が立っていた。
「えっ!?」
辺りを見回すと、先程の魔熊は地面に倒れ息絶えていた。暗闇の中目を凝らすと、首があらぬ方向に曲がっているのが見て取れる。即死したのは熊のほうだった。
「夜に森を出歩くのは危ないよ」
女性は夜更かししている子を注意するように優しく諭す。と、風が吹き、月の光が強く差し込んできた。
照らされ、ようやく女性の容姿がはっきりとわかる。風にたなびく美しい髪。ダークエルフであることを表す褐色の肌。そして何よりも一発で魔熊を仕留めたその実力。
「勇者、様?」
「うん」
「ゆうしゃさまああ!」
涙目になりながら彼女の胸に飛び込む女の子。勇者の方はそれを優しく抱き寄せる。
「よしよし。怖かったね」
頭を撫でられ、緊張の糸がほどけ全身の力が抜ける。勇者に全てを委ねるような形になってしまったが、彼女は嫌がりもせずそれを支えてくれた。
「助けてくれてありがとうございます…! 死ぬかと思いました…」
「どうしてこんな場所にいるの?」
勇者の問いは当然である。女の子は事情を事細かに説明した。
「ふーん。あれじゃ駄目?」
勇者が指さした先には、息絶えた魔熊。それを皆に見せれば一躍ヒーローだろうが、流石にそんな勇気はなかった。
「いえ…いいです。私もう帰ります。皆に謝ります」
涙を拭いながら丁重に礼をする女の子。それを勇者は引き止めた。
「魔狼なら近くにいるよ。狩っていく?」
「え…でも…」
魔狼の狩り方すらわからないのに…、と躊躇っていると、勇者は意外な申し出をしてきた。
「狩るの手伝ってあげる」
「え、それはありがたいですけど…。いいんですか?」
「うん。じゃあ始めよっか」
そう言うと勇者は剣を引き抜き、魔熊の死骸を切りつける。いまだ生暖かそうな血が漏れ出してきた。
「木の上に跳んで」
勇者の指示に合わせ木を登り、様子を窺うことに。すると、すぐに魔狼の群れが近づいてきた。
「息を殺して。火矢は持ってる?」
「は、はい。一応」
「まずは頭か足に矢を打ち込んで。続けざまに火矢をばら撒いて。この森では火は簡単に燃え移らないから安心して」
「は、はい!」
弓を引き絞る。警戒を解き屍肉を漁る魔狼の内、一匹に狙いを定め、撃ち抜く。矢は的確に命中した。
「お見事。続けざまに火矢を撃って」
「はい!」
数本の矢がその周りに撃ち込まれる。地面につくと火をあげ、周囲を明るく照らす。突然仲間が撃たれ、燃え盛る火を見た他の魔狼は驚き散っていった。
「夜だとこんな狩り方もできるよ。おすすめはしないけど」
地面に降り、魔狼に止めをさす勇者。それを抱え上げ、火矢を回収する。
「さ、案内してあげる」
勇者に手を引かれ、暗闇の道を進む。少し歩くと白壁にたどり着いた。
「ちょっとこれ持ってて」
魔狼を渡されるエルフの子。意外と重い。手伝ってもらったとはいえ一人で狩れた充足感に浸っていると、勇者はその場で大きく飛び上がり、壁向こうを見回した。
「うん。今なら見張りはいない。いくよ」
「へ? え!?」
ひょいっと勇者に魔狼ごと抱えられた。もがく暇もなく飛び上がられ、悠々と壁を乗り越えた。
「はい、到着。あんまり無茶はしないでね。友達が悲しむよ」
そう一言告げると再度勇者は森の中で戻っていく。
「あ、ありがとうございました!」
壁に遮られ、姿の見えない勇者に女の子はしばらく頭を下げていた。
森の中を翔ける。邪魔するかのように生える蔦や枝を難なく躱し、勇者は仕事場に戻ってきていた。
鉱物よりも数段固く、ドス黒い木の根。高さ15m、太さ3mほどはあるだろうか。20年前、かの大戦時に獣や敵の侵入を拒むために壁を囲むように生やされたものだが、今は徐々に減っていっている。その理由は、勇者が切り落としているからだ。エルフの族長に頼まれ、ここ数年彼女はその仕事に従事している。無論その作業を行っている人は他にもいるが、昼夜問わず一人で全ての工程を担える彼女には敵う者はいない。
バサバサと音を立ててまた一本木の根が折れる。勇者はその延々と続く作業を拒まず、不満を言わず黙々と行い続けていた。
今日もまた、根が倒れる音を響かせながら夜は更けていった。
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