彼女とBAR2p
その日、夕方から急に降り出した雨に、傘を持たない男は雨宿りにと、通り掛けに目に入ったバーへ走った。
初めて入るバーだったが、土砂降りの雨をやり過ごせる場所ならどこでも構わなかったので、男は、ためらう事はせずにバーの入り口の扉を開けた。
男は、案内を待たずにカウンター席に座ると、やれやれ、やっと落ち着けると、安堵の溜息をつく。
バーのマスターが、静かな声で「何にしますか」と男に訊いた。
マスターは、姿勢が恐ろしく良い、紳士風の男だった。紳士に相応しく、マスターのグレーの髪はポマードでしっかりと固めている。
男は、少し宙に目を泳がせて「お任せで、体が温まるものを」と頼む。
雨のせいで、体が冷えていた男は、ホットカクテルで体を温めようと考えたのだ。
注文を終えた男は、パンツのポケットからしわくちゃになったタバコを取り出す。
火をつけようと、ライターを探すが、ポケットを漁っても、出て来たのは丸められたレシートだけだった。
男は、小さく舌打ちすると、店にマッチでも置いていないものかとカウンターの上に視線を泳がせた。
しかし、男の期待するものはなかった。
(なんだよ)
男は心の中で仕方ないなと毒づき、マスターにライターはあるかと尋ねようとした。男が口を開いた、その瞬間、薄暗いバーに、ジュッという音が小さく響く。
そして、メンソールの香りがかすかに漂う。
男は、漂う紫煙の後を目で追った。
紫煙の主は女だ。
その女は、壁際のカウンター席で、火をつけたばかりのメンソールを燻らせ、ゆっくりとくつろいでいた。
男の位置からだと、女がどんな顔をしているのかまでは分からない。
男は、女からライターを借りようと、席を立ち、女へ近づいた。
女は、男がそばへ来ても、素知らぬ風だ。
男に気がついていないのか? それとも、知らぬふりをしているのか?
そんな女の態度を少し気にしながらも、男は、女の背中から声をかけようとした、が、男は、一瞬だけそれをためらった。
女がずぶ濡れであることに気付いてしまったからだった。
女は、頭から足の先まで、ぐっしょりと濡れていた。
女の長い黒髪も、女の着ている、黒いワンピースも水を吸って、ひじょうに重たそうで、鬱陶し気であった。
女の、この有様に、驚いた男だったが、きっと、この女も、傘を持たずにいて、雨に降られたのだろうと、そう納得して、男は女に声をかけた。
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