九日目:和解-3


 その日も、早い目に馬車の中にひっこんで、殿様も瑠璃蜘蛛も眠ってしまった。明日は特別早いのだという。二人は無神経なほど早く寝込んでしまていたけれど、私は毛布に包まりながら、あれこれ考えていて眠れなかった。少し眠ってもすぐに目を覚ましてしまう。

 そのうちに、あまりに眠れないので、私は毛布に包まったまま、そっと馬車の外に出ることにした。

 空には丸くなった月が、荒野を静かに照らしている。私はあまり時間をはかるのは得意でなかったけれど、月の傾きからからみて、そろそろ丑三つ時にさしかかるころだったと思う。

 私は、一人それを眺めながら物思いにふけっていた。

 明日になれば、聖地への旅は終わる。正確には、あと十日かけて今度は都に戻る旅が始まるのだが、明日になれば一区切りついてしまう。

 少なくとも、瑠璃蜘蛛と殿様との旅は終わるのだ。

 最初は、大変なことになったものだと思ったけれど、この九日間はとても自由だった。瑠璃蜘蛛のいうとおり、本隊と正規の道のりをたどっていれば、こんな風に自由を満喫することなどできなかっただろう。

 その分危険もあったけれど、そういう時に落ち着いて行動できる瑠璃蜘蛛と一緒にいられて、とてもよかったと思う。私は彼女がとても好きだった。

 そして、一緒にいるのがあれだけいやだった殿様も、酒を飲んで人に絡むこともなく、いまや気のいい青年風になっている。まるで別人のような今の殿様のことは、私は多分嫌いではなかった。特に瑠璃蜘蛛と一緒にいるときの殿様のことは。

 だから、急に寂しくなったのかもしれない。

 明日になれば、終わってしまうのだ。この三人の旅が。

 そう考えながら、私は岩の影に腰を下ろす。急に寒くなってきた気がした。

 空を見上げると、瑠璃蜘蛛の言うとおり、星がきらきら瞬いてとても美しかった。

「お前、起きていたのか?」

 殿様の声が聞こえた。振り返ると、いつの間にか殿様がそこに立っていた。馬車の外にでた私の気配で起きてきたのだろうか。

「一人でいると危ないだろ。眠れないのか?」

 殿様は、少し優しく私にそう聞いた。

「いえ、少し……。もうすこし星を見たら、戻ります」

 殿様は、そうか、といって戻りかけたが、ふと動作を止めて、思い切ったように話しかけてきた。

「あのさ」

 殿様は、そう前置いた。私が振り向くと、彼は少しためらった。

 殿様と差し向かいになるのは、四日目の午後以来はじめてだった。あの時、私と殿様は喧嘩をしてしまったのだ。もちろん、私に勝ち目はなかったし、殿様はその後すぐに倒れてしまっていたのだけれど、それから殿様と二人きりになることはなかった。

 それで、このところ殿様に抱いていた警戒心が薄らいでいた私も、少し緊張してしまっていた。けれど、その心境は、殿様にとっても同じだったのかもしれない。なんだか気まずい空気が漂っていた。

 彼は、その空気を振り切るようにして、口をひらいた。

「お前と夕映えには、俺、悪いことをしたと思っているんだ。せっかく楽しみにしてた祭りがこんなことになっちまって……」

 ため息をつきつつ、殿様は目を落とした。殿様がいきなりそんな話を口にしたので、私は少なからず驚いていた。

「お前にも散々当り散らして悪かった。本当にすまなかったな」

 私は、初めて殿様の口から私に対して謝罪の言葉を聞いた。私が驚いていると、殿様は、私の態度を見て困惑した様子だった。

「その、さ、別に、あの林檎にしたって、俺は、お前にあてつけるつもりとかなかったんだ。刺客がいることはわかっていたし、信用できない相手だろうと思って、それで捨てるように勧めようと思った。でも、なんだかあの時俺も自棄になっていたから、つい、軽率なことをしちまって。おまけに俺は元から口が悪くて、お前に余計なこといっちまったりしたし」

 殿様の声が小さくなる。

「今更なんだよって感じだと思うけど、俺は、お前や夕映えのことが嫌いだったわけじゃないんだよ。何かと親切にしてもらったことについては、感謝してる。お前らに迷惑かけてやれって思ったわけじゃないんだ。今回のは、俺が軽率に外に出てしまったのが悪かったんだが、本当に最初はただ神殿にいくつもりだっただけで、別に悪気があったわけじゃない。それだけは信じてくれよな」

 私は、じっと殿様を見上げた。殿様は、大きな目で私の方を困惑気味に見ていた。

「夕映えのねえさまは、そんなことで怒ったりしないわ」

 気づくと、私はそう答えていた。殿様のその様が気の毒に思えていたからかもしれない。思えば、そのことで私は殿様にずいぶん腹を立てていたのに、その時は許す気持ちになっていた。

「夕映えのねえさまは、優しい人だから、きっと殿様のことを怒ってないわ。私も、怒ったりしていません」

 殿様が、ふと安心した様子になるのがわかる。

「そうか、ありがとうよ」

 殿様から素直にその言葉が出るのは、なんだか不思議な感じがした。

 つくづく、目の前にいるのは、あの紅楼に君臨していたあの男なのだろうかと思った。

 殿様は、ずいぶん変わったような気がする。

 それとも、紅楼の殿様の姿が、この人の偽の姿だったのかもしれない。酒が抜けたせいもあるのだろうが、たった十日程度の旅で、彼の口から謝罪の言葉が素直に出るようになったことは、不思議な感じがしてならなかった。

 それは瑠璃蜘蛛のおかげだと思う。

 殿様には、たぶん瑠璃蜘蛛のような人が必要なのだと思う。夕映えのねえさまには悪いけれど、きっとねえさまと一緒に旅に出ていたとしたら、殿様は以前の殿様のままだったと思う。もしかしたら、そのまま、死んでいたかもしれない。そして、きっと殿様が死んでしまうと、夕映えのねえさまも生きていられないだろう。

 夕映えのねえさまでは、二人とも不幸になってしまうことは、紅楼にいたころから十分わかっていたのだ。もし、ねえさまにそれほどの力があれば、殿様はとっくに気のいい青年に戻っていたはずなのだから。

 それに、なんとなく瑠璃蜘蛛と殿様はお似合いだと思った。二人の会話はどこかおかしいけれど、ちゃんと成立していて、どこか安心感すらあった。いっそのこと二人がくっついてしまえばいい。

 私がそんなことを考えるのは、夕映えのねえさまには本当に申し訳ないのだけれど。

「そろそろ、あのねえさんが、俺とお前がいなくなったのに気づいて心配するといけないから、俺は戻っているな」

 殿様がそういったとき、思わず私はこうきいてみた。

「殿様は、あのおねえさまのことがお好きなのですか?」

 私がそう聞いた時、殿様はいかにも狼狽していた。覆面ごしに、殿様が赤面しているのがわかった。

「お、お前、何をいきなり」

「間違っていたらすみません」

 私はそうあやまるが、殿様は別に怒らなかった。

「ちぇっ、お前に見破られるなんて、俺はよっぽどわかりやすいんだな」

 殿様は、つまらなさそうにいってため息をつく。

「いや、でも、俺もよくわからないんだよ。あのねえさんみたいな人ははじめてだ。わからないけど、あのねえさんにだけは嫌われたくないんだよな」

 殿様は、観念したように私のそばに腰を下ろした。

「色々世話を焼いてくれた夕映えには、本当に申し訳ないんだけどな……。あのねえさんは、なんだか特別なんだ」

 殿様は、顎に手をやった。

「俺、本当はあのねえさんみたいな女は、苦手なんだぜ。冷静で何考えてるのかわかんなくて、おまけに頭も良くて美人なんて、いっちばん苦手な女なのにさあ」

 殿様は苦笑して、私の方を見た。

「ねえさまは殿様が王族だと知っても、態度を変えないからですか? だから特別なのですか?」

 そうきいてみると、殿様は首を横に振る。

「乙女ってのは、結構自尊心が高いものだから、別に俺が王族だのなんだのって気を遣わないやつもいるよ。夕映えは、多少気を遣ってくれたけど、あのとおりいうことははっきりいうし、高飛車な蓮蝶なんざ、ものの見事に俺を無視して、鼻にもかけなかったしな。でも、そういうのじゃなくて、あのねえさんは、なんていうのかな」

 殿様は少し困ったようで、眉が下がり気味になる。

「それ以前の問題として……、俺が何者だろうが意識に上ってないんだと思う。多分、俺がどこのだれだろうと、あのねえさんは、ああいう風なんだと思うんだよ。なんというか、その辺、妙に男前だよな」

 殿様は、軽く唸った。

「俺にも説明するのが難しいんだが、あのねえさんが男だったらそれはそれで、いい友達になれるかもしれないなと思うんだよな。でも、その、実際のところ、ねえさんすごく男前なのに、何故か外見が綺麗な女性だから、俺のほうがどきどきしてしまうというか」

 ああ、何を言ってるんだ。と、殿様は髪の毛をかきやる。弱りきった殿様は、なんだかとても親しみやすい人間のように見えた。私が、殿様と同じぐらいの年頃の男性だとしたら、多分もう少し意地悪な質問をしてやったと思う。

「でも、どっちにしても、どうせ俺には無理な話なんだ」

 意外に後ろ向きなことをいうので、私は首をかしげると、殿様は続ける。

「最初に俺の本性見られているから、これ以上格好つけようないじゃないか。最低な男だと思われているだろうな」

 殿様は、急に猫背になって体を丸めて沈んだ様子で言った。

「酒飲んで散々嫌がらせにひでえこと言ってさ、本当、最低だよな。今更、格好つけたとこで、俺のことなんて好きになってくれるはずもないじゃねえか。絶対、ダメダメな最低男と思われているに違いないんだ。別に好きになってくれなくてもいいけど、第一印象が悪すぎて」

 殿様から嘆息が漏れる。

「本当に、俺はダメ男なんだ。ああぁ、我ながら何でこんなにダメな奴なんだろ、俺。最低すぎる……」

 殿様は癖の強い髪の毛をまぜっかえしながら、深く息をつく。殿様のしょげかえった様子は、なんとなくこっけいだが、笑うのもかわいそうになるような様子だった。私は慌てて励まそうとした。

「そんなことはないと……」

「いいんだよ。俺が女なら、こんなやつ、死んじまえと思ってるよ。お前だって、俺のことそう思ったろ?」

 私はどきりとして、思わず首を振った。

「そんなこと、ないです」

「いいんだよ。慰めてくれなくても。実際俺は最低な男だしさ」

 殿様は、肩を落とした。

「それでさ、俺、あのねえさんの名前も年も知らないからさ。いまだに聞くこともできない。俺は度胸がねえんでな」

 殿様は、空を仰ぎつつ、再びため息をつく。

「でもいいんだ。お前も言うなよ。名前を知ってしまえば、あきらめ切れなくて探しちまうから」

 殿様は、寂しげに呟いた。

「あのねえさんは、俺みたいな半端者の手に負えるような人じゃないし、俺みたいなやつを選ぶような人でもない。俺には、どうせ高嶺の花だよ」

 王族の殿様がそんなことを言うのは、なんとなく意外だった。ここのところ、殿様は、普通の青年風にはなっていたけれど、私はまだ紅楼の殿様の印象を引きずっていたから、もっと高飛車な部分があるのかと思っていた。

 ひとしきり話して満足したのか、殿様は、砂を払って立ち上がる。

「それじゃあ、俺はもう寝るけど、お前もすぐ戻ってこいよ。誰もいないとおもうけど、なにかあると一人でいると危ないから」

「はい。ありがとうございます」

 殿様は、私の顔を見て安心した様子で、馬車の中に戻っていった。

 それからも、しばらく私は星を見ていた。

 殿様と仲直りしたからか、私はなんとなく晴れ晴れとした気持ちになっていた。そろそろ戻らなければと思うけれど、なんとなくこの余韻に浸っていたかった。

 どれぐらい経っただろう。自分で思うほども、時間は経っていなかったと思う。

 しばらく一人でそうしていたあと、私はようやく立ち上がった。体が冷えてきていたし、そろそろ殿様がまた心配するかもしれない。

 帰ろうとして私はふと息をのんだ。

 馬車の前に、誰かいる。それも一人でなくて、数人の男たちが。

 彼らの持つ松明が、岩場を明るく照らしていた。

「いるな。白い服のやつだろう」

 ぼそぼそとささやく声がする。

「それじゃ、中に入って止めを刺すか?」

「いや、奴は勘がするどい。先に火をつけて動きを奪って……」

「ああ、早くやらなきゃ、感づいちまう」

 そんなささやき声が聞こえた。何をするつもりだろう。殿様は、瑠璃蜘蛛は気づいているのだろうか。

 と、ふと誰かが荷馬車の幌に油をまいて、松明をすばやく近づけた。ぼうっと幌が燃え上がり、しだいに古い荷台に燃え移る。

 私はそのとき悲鳴を上げたように思う。彼らは私に気づいたらしく、こちらをみたが、それどころでないのだろう。私など鼻にもかけずに、荷馬車を取り囲んでいた。赤い炎に、刃物の光がちらちら映る。

 馬車は岩場に煌々と輝き、燃え上がっていた。焦げ臭いにおいが立ち込める。

 彼らはひたすら待っている。火達磨になった殿様が出てくるのを待って、出てきたところを切り刻むつもりらしかった。彼らは私などに目もくれず、殿様か瑠璃蜘蛛が飛び出てくるのを待っている。

 馬車はもう火につつまれて、夜の闇に赤い光を散らしている。

 ふと、馬車の中から誰かが飛び出してきた。赤い光に覆われた白い服の誰か。

 殿様だ!

 私は、悲鳴も出せないまま、目の前の光景を見ていた。殿様らしき白い服の人影は、赤い光に包まれていた。どこか衣服に燃え移ったのだろうか。ああ、もうだめだ――!

 そう思ったとき。

 殿様に襲いかかろうとした刺客のひとりが、白い服の人影に炎に包まれた何かを押し付けられる形でのけぞった。悲鳴があがる。鉄の絡み合う音がして、何かそこでもみ合いになった。

 殿様をつかむように刺客の手がのばされるが、殿様の顔の布を引っぱってはずしただけで、本人はうまく蹴りをくらわしてかわし、するりと囲みを抜け出ていた。

 殿様は、きていた上着を捨て去って、短い半そでの服になっていた。手に剣をもっているらしく、きらきらと月光に輝く。

 先ほど燃えていたのは、きっと殿様の上着なのだろう。もしかしたら、わざと燃やして相手におしつけたのだろうか。先ほどもみあった時に、髪の毛をひっぱられて紐が切れたらしく、いつもまとめている癖の強い長髪が流されていた。

「いい加減しつこい連中だ」

 殿様は荒い息で呟いた。

「俺は、今日だけは、お前らのために死んでやるわけにはいかねえんだよ!」

 刺客は無言だ。殿様と彼らは、しばしにらみ合いになる。

 と、不意に馬のいななきが聞こえた。

 殿様が、さっと動く。誰か馬を引いてきた人物が近くにいた。殿様はそこに駆け寄り、そのまま誰かを担ぎ上げて馬に乗せて、刺客を蹴散らして走り出した。

 呆然としていた私は、彼が私に近づいてくるのもぼんやりみているほどだった。いきなり腕を引っ張り上げられて、私はそのまま馬に乗せられ、そのときようやくわれに返った。

 手綱を握って素顔をさらしている殿様と瑠璃蜘蛛が鞍の上にいた。

「シャシャ、大丈夫?」

 瑠璃蜘蛛の顔が近くにあった。驚く私に、瑠璃蜘蛛が笑いかけてきた。

「外の様子がおかしいというのでこのひとが起こしてくれて、私だけそっと馬のほうに逃げていたの」

「やっぱり、そんなことだろうと思ってたんだ」

 殿様はそう呟いて、馬に鞭をくれた。

「彼らが潜んでいたのに気づいていたんですか」

「お前と喋って帰る時にな。お前に起こされなきゃ、危うく火達磨だったぜ。お手柄モンだな」

 私が聞くと殿様は、にやりと笑ってそう答えた。

 背後で殿様の逃亡に気づいたものたちが、あわてて馬で追いかけてきているらしく、馬のいななきと、ちらちらとたいまつの光が動いているのが見えていた。

「追ってきます!」

「ちっ、本当にしつこい連中だな」

 殿様は、鬱陶しそうに言い捨てたが、あまり表情に余裕はなかった。当たり前だ。この馬には三人乗っているのだから、彼らのほうがきっと速い。  

「どうするの?」

 瑠璃蜘蛛がささやく。 

「どうせ明日の日の出とともに向かうつもりだったんだ。神殿の領内に突っ込んでやるぜ」

 殿様ははき捨てるようにいった。

「いくらあいつらでも、他人の、しかも神殿の領内で殺人を起こせばただじゃすまない。ましてや祭日当日。祭りを血で汚したとなれば、あいつらだって困るだろうからな」

「けれど、門は、鶏が鳴くまで開かないわ」

「なんとしてでも、入り込んでやるさ。それができなきゃ、門の前で朝まで持ちこたえればいい」

 殿様は、唇を真一文字に引き結んだ。

「ここまできて、こんな中途半端なところで終わってたまるかよ!」

 それは殿様の本心だったのかもしれない。

 馬が飛ぶように走る。

 背後に、赤い星のように瞬くものが近づいてくる。殿様は、振り返りもしないで、ひたすら神殿の方向めがけて馬を走らせる。

 時刻はまだ丑三つ時のころ。深夜といってもよく、まだ夜明けまでは程遠い。


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