9:九日目
九日目:和解-1
九日目は、太陽が昇ると同時に移動に取り掛かった。
殿様があらかじめ考えていた道を、滞りなく進むことが出来たので、太陽がほどよく昇った頃には、町についた。
朝の用意などは、そこで殿様が時間を作ってくれた。瑠璃蜘蛛が、屋台で朝ごはんを買ってきてくれたので、私たちは馬車で休みながら、比較的ゆっくりとご飯を食べた。
本人は、瑠璃蜘蛛が用意してくれた朝ごはんをかじりながら、なにやら地図の上にペンを走らせている。殿様は、瑠璃蜘蛛のことは信用しているのか、彼女の差し出すものは素直に口にしていた。しかし、瑠璃蜘蛛はかなり注意して食べ物を買ってきているので、彼女の苦労も知っているのかもしれない。
殿様が、瑠璃蜘蛛に対してすごく気をつかっているのは、傍目からもわかっていた。
殿様が、ペンをかたりと置いた。
「よし、大体の予定は立てた。このとおりに進めれば、夕方には本来九日目に宿泊するはずの町に着く予定だ」
「本当?」
瑠璃蜘蛛が、地図をのぞきやる。殿様は、いくらか得意げな様子でちらりとそれを見せる。
「まあね。昨日ちょっとがんばりすぎた部分もあって、今日もこの調子でいけば、問題ないと思うよ」
「よかった」
瑠璃蜘蛛は、安堵した様子になっていた。
「少し近道をしているから、裏目に出ると厄介だけどね。この辺は一度昔通ったことがあるから、俺の記憶に間違いがなければ、まあ、大丈夫なんじゃないかな?」
殿様は、そういいながら自信をのぞかせる。その様子に、瑠璃蜘蛛は目を細めた。
「貴方は、旅なれているのね」
「いや、それほどでもないけど」
「けれど、落ち着いて道を辿ってくれているし、砂漠でも迷わないもの。私は道と方角を知っているだけで、どこをどれぐらいで進めるかというのは、計算できないわ」
「昔、ちょっと遠くに出てただけだよ」
あなたって、頼りになるわね。というのが、瑠璃蜘蛛の言葉尻に感じられて、殿様も、まんざらでもなさそうだった。顔を覆った布のしたで、きっと口角を上げているに違いない。
そういえば、殿様は、随分長い間王都から離れていたといっていた。旅慣れているのもそのせいかもしれない。
「この調子でいけば、どうにか修正できそうだ。夕方までに最後の宿場町に着けば、本来の道程通りだからね」
「そうなの。随分早く来れたわね」
「まあ、今日もちょっと飛ばすけどね」
殿様は、少し心配そうな様子になった。
「ねえさんは、案外馬車になれてそうだけど、大丈夫かい? 結構疲れると思うんだけど」
「歩くよりは平気ね。それに、私、馬車や輿で酔ったこともないし」
「それじゃ、餓鬼……じゃなくて、小娘じゃなくて、ええと……その」
殿様は、私の名前を知らないわけではないはずだが、どうも私の名前を呼びにくいのか、結局、私に視線をふっただけだった。けれど、餓鬼というのを呼びなおしたぐらいだから、私にとっては少しはよいことかもしれない。
「とにかく、お前は、大丈夫か?」
そういえば、昨日からちらちらこちらを見てくるのでなんだろうと思っていたが、彼なりに気を遣っていたらしい。ただ、昨日はこちらにそれを聞けるほど、彼にも余裕がなかったのだろう。昨日思うとおりにすすめたためか、今日の殿様は昨日より落ち着いているように見えた。
「シャシャには、酔い止めを飲ませてあるわ」
瑠璃蜘蛛がかわって答える。
星の女神の乙女だけあって、瑠璃蜘蛛は薬のこともよく知っている。簡単なものなら調合できるらしいので、軽い酔い止めを飲ませてもらった。そのせいなのか、それほど酷い気分になったり、疲れたりはしなかったと思う。私がうなずくと、殿様は、少しだけ安心した様子だった。
「それじゃ、今日も急いでいくことにするよ」
「私たちはいいけれど、貴方は大丈夫なの?」
「へっ、俺?」
瑠璃蜘蛛に心配そうに言われて、殿様は、急に態度に落ち着きがなくなる。
「いや、俺のことは、別にさ……」
「だって、貴方病み上がりだし、怪我もしているんだから、無理はしないでね。本当に、私たちのことはいいから」
「あ、ああ。いや、本当に、俺は無理はしていないから」
殿様は、そう答えつつ、なんとなく嬉しそうにしていた。
瑠璃蜘蛛の優しい言葉に、殿様は、どうやら素直に喜んでいる様子だった。酒を飲んでいる間は、気難しくて何を考えているかわからない彼だったが、今の彼は、それよりは感情がわかりやすかった。
殿様は、ちらりと向こうにつないである馬の方を見た。
「あいつも、なかなか安かったワリにはよく働いてくれるよ。旅が終わったら、もっとちゃんとした待遇にしてやらないとな。今日も無理させちまうから、悪いんだけど」
そういう殿様は、意外に優しい顔をしているようだった。今日の殿様は、昨日より自然な感じで落ち着いていた。焦りを感じていないわけでもないのだろうが、今日の彼にはこの旅を楽しもうという気配がどことなく漂っているようで、どこか雰囲気がやわらかかった。
その日は、何事もなく順調に飛ばして進んだ。殿様の組みなおした予定のとおりに進み、オアシスと残りの街をいくつか通り過ぎた。殿様は急いでいたが、予定のとおりに進んだので、その後も終始和やかだった。
私は途中でうとうとと寝てしまっていたが、時々殿様と瑠璃蜘蛛がなにやら世間話をしていたように思う。二人とも楽しそうだった。
街やオアシスで何度か小休止をはさみつつ、要領よく道を進んだ為、夕方には最後の宿場町にたどり着いた。
最後の街は、神殿に程近いので、門前町でもあって、北路とはいえかなり華やかだった。本来は、そこで九日目の夜を明かすのだと瑠璃蜘蛛は言った。
遅れた分の日程をこの二日で詰め込んできたわけであるが、本来巡礼自体がゆっくりとしたものであるし、乙女のゆっくりした歩みを想定しているものなので、殿様がとったように馬で近道して飛ばしたなら、どうにか修正できるものだったようだ。私たちは、すっかり安心していた。もうここまで来れば大丈夫だ。
さすがに日の沈みかけた赤い空の下の殿様は、いくらか疲れた様子だった。しかし、最後の街にはいったとき、なぜか殿様は、私たちと違い、どこか落ち着かない様子だった。
「何とか正規の日程に間に合ったのね。お疲れ様」
瑠璃蜘蛛がほっとした様子で声をかける。
「ああ、でも、今日も野宿した方がいいかもしれない」
殿様はそういった。その顔がひきつっているので、瑠璃蜘蛛は首をかしげる。
「どうしたの?」
「どうもつけられてるみたいだ」
瑠璃蜘蛛が眉根をひそめた。
「いつからかしら?」
「さあね。ただ、この街に入ってからは確実だよ」
殿様は小声でそういって、さりげなくあたりに目を配る。
「意外に数がいるらしいし」
「どうしましょう?」
ここにきても、瑠璃蜘蛛は冷静だったが、殿様も落ち着いていた。以前の殿様だと騒ぎ立てたかもしれないが、今の彼はすっかり冷静で、場慣れしている感じがした。今の殿様は、立派な戦士でもあった。
「泊まるように見せかけて巻いてしまおう」
「大丈夫かしら」
「ああ、うまくやるさ」
殿様は、二階建ての、宿と料理店が一緒になっている場所をひとつ選び出して少し休憩するように言った。
殿様は、そこで何か食事を取るように私たちにすすめたので、軽い食事をした。殿様は、店の亭主に何事か小声で頼んでいるようだった。食事を取っている間は、怪しい人はいなかったように思うけれど、気が気でなかった。
食べ物は、卵料理で、多分とても美味しかったのだろうとおもうのだけど、私は内心緊張していて、あまり味がわからなかった。
殿様と瑠璃蜘蛛はどうだろう。二人は、見かけ上は、信じられないぐらいゆったりと構えているようだった。瑠璃蜘蛛はいつものことだし、まあわかるとしても、以前はあれだけおびえていたり、警戒していた殿様が、いかにも宿で休んでいる旅人のような顔をして、くつろいだ様子なのには驚いた。瑠璃蜘蛛と殿様は、なにやらどこそこの卵料理は大変おいしいだの、そんなどうでもいい話をしていた。終始殿様は上機嫌で、とても追われている人間の態度ではなかった。
食後にコーヒーを飲んだ後、殿様は、亭主に何か声をかける。
そして、かなり大目の金を払うと、私と瑠璃蜘蛛を手招きして、階段を上った。
「この部屋だったかな」
殿様はそうつぶやくと、ひとつ部屋を選んで私と瑠璃蜘蛛を先に入らせる。そして、自分はランプに火を点した。
私は、殿様が一向に焦った気配もないので、どうするのだろうと、瑠璃蜘蛛と彼の顔をかわるがわるみていた。
その部屋には窓があって、外は大分暗くなってきていた。この部屋に明かりがともったことを、外にいる人間がいるなら気づいているだろう。
そこで殿様は私たちを座らせ、自分もくつろいだ。そして、どれほど経った頃だろう。もう、外が真っ暗になっていた。
「食後の休憩はできたかい?」
不意に殿様はそう聞いてきた。
「ええ。大丈夫よ」
「そう。ちょうどいい時間になったし、それじゃ出発するか」
殿様は、立ち上がって剣をさした帯を締めなおして、窓に手をかけた。瑠璃蜘蛛が傍によりそったので、私も近くによる。
下を見ると、ちょうど一階の平らな屋根がベランダのようにせり出していた。建物の裏側で、周りに木が生い茂っていて、他からは目に付かなさそうだ。殿様はさっとあたりを見回すが、どうやら監視者はいないようだった。
「いい部屋案内してくれるじゃんか。あのオヤジ」
殿様がにやりとして、妙に軽い言い回しでそう呟く。
「ちょっと高いけど平気かい?」
小声で殿様は瑠璃蜘蛛に確認する。
「ええ、大丈夫よ」
「それじゃ、先にいってるよ」
確認すると、殿様は、ひらりと先にそこにおりたった。
「シャシャは大丈夫かしら」
「俺が手伝うよ」
殿様がそういうので、瑠璃蜘蛛は私を先に下ろすことにした。私は少し恐かったが、瑠璃蜘蛛が下に下りるのを手伝ってくれたし、彼女が手をはなしてすぐに、殿様が受け止めてくれたので、無事にそこにおりることができた。
「よーし。恐がらずによくできたな。えらいぜ」
殿様が、自然と私を褒めてくれた。それは少し意外だった。だって、殿様が私に優しくしてくれたことはなかったから。その後も、殿様は私を丁寧に地面に降ろしてくれた。
私の反応を見るより先に、彼はこれからおりてくる瑠璃蜘蛛のほうを心配していたから、多分、私がどんな表情をしたのか知らないだろう。
殿様は彼女を受け止めようとしたようだったが、瑠璃蜘蛛が大丈夫だというので辞退した様子だった。彼女はといえば、思い切りのいい人なので、さらりと飛び降りてきた。
私たちは、殿様の誘導で、そろそろと街の出口のほうに向かった。すっかりあたりは暗くなっている。亭主のはからいで、私たちの馬車は出口の近くの小屋に移されていた。
殿様は、私と瑠璃蜘蛛を馬車に乗せると、まんまと夜に沈む街を後にした。
「へへ、いまのとこ、気づかれてないみたいだな」
明るいと思ったら、今日は満月だ。丸くなった月が明るく周りを照らしていた。殿様の楽しげな顔が月明かりに浮かぶ。素の殿様は思ったより悪戯っぽい表情で、年相応のあどけなさを覗かせていた
「さて、この先に少し休めそうな岩場があるから、そこまで逃げてしまおう」
殿様は、そういった。
「神殿まで近づきたいけど」
「そうね、日が沈むと扉は閉まり、一番鶏が鳴くまでは、門がかたくとじられていると思うわ。入れてくれるかどうか……」
瑠璃蜘蛛が殿様の言葉を拾って続ける。
「ああ、門の前で一夜を明かすのも手だけど、……門の前だと隠れる所がないから、襲われるとどうしようもないからさ。さすがに奴らも門の中までは追ってこないはずだ。あそこは神殿の直轄地だから、厄介起こすとまずいだろうしね」
「けれど、門の前は、違う、ということね?」
瑠璃蜘蛛が、そう確認すると殿様はうなずいた。
「門の前は、ぎりぎり領地じゃないからね」
やはり、それなら途中で身を隠せる所に隠しておこうということになった。
どちらにしろ、先ほどの宿場町が最後の夜を明かすはずの場所だから、どこにいても間に合わないはずはない。
それについては、三人とも安心していたと思う。
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