ふたりの距離感
第21話 「腐れ縁なんです」と彼女は言った
中学生のころの思い出というと、信東中のことが中心になる。
転校前の中学の思い出もそれなりにあるのだけれど、途中で転校することがわかっていたせいか部活にも学校生活にもそれほど深入りできなかったし、強烈な印象が残るようなイベントもなかったしね。
そして信東中での思い出ということになると、どうしても五十嵐さん絡みが中心になる。
静かで真面目、それでいて姿形の整った優等生というのが、俺にとっての第一印象だった。成績がズバ抜けて良すぎたこと、そして可愛いというよりも清楚な美人という外見もあってか、人望はあるけれども、クラスメイトからは少し距離があるように見えた。
転校生に積極的に話しかけたり、クラスの問題になんでも介入してくるような、いわゆる委員長タイプというわけでもなかったし。転校してきてしばらくは彼女と話をする機会もなく、強烈に頭が良い女子がいると思った以外、それほど強い印象は残っていない。
──彼女のことが気になり始めたのは、一体いつの頃からだったのだろう?
生徒会役員選挙のクラス候補として、無理やり彼女と一緒に推されたときか? 各クラス二名ずつ立候補させるという事実上の義務を果たすために、クラスでもっとも成績が良い男女がその役割を押し付けられるというのは、ある意味でお約束通りといえるものだったのかもしれない(人望のある生徒は、それ以前にクラス委員を押しつけられている)。
彼女と長話をしたのは、そのときが初めてだったような記憶がある。
想像していたよりも柔らかい口調で、それでも自分の意志をしっかりと主張する、芯の強さを感じさせる話しかた。特に接点のなかったはずの俺のこともしっかり見ていたらしく、観察眼に恐れ入ったことも憶えている。
──いや、それともそういう意味で気になり始めたタイミングといえば、やはり中三のあの日だろうか?
はじめて彼女と隣同士の席になってしばらく経った、ある晴れた日の午後。
休み時間中に彼女は椅子に座ったまま大きく背伸びをして、そしてそのまま体をゆっくりと机の上に倒し、軽く目をつぶった。午後の日差しを浴びて、彼女の綺麗な黒髪がキラキラと輝く。陽だまりの中、ふんわりと、気持ち良さそうにうたた寝をする彼女の横顔に、俺の視線は吸い込まれて……。
しばらくしてから我に返り、慌てて目を逸らした俺の心音は、脈拍が頭に響くくらいに強く、高鳴っていた。
中三の一年間は、なぜか彼女と隣や近くの席になることが多かった。
だいたい、中学時代の席替えシステムには問題がありすぎた。建前上はくじ引きだけれど、くじを担任が回収して黒板に書き出すという仕組み上、実際はやりたい放題だったわけで。
成績はそれなりに良かったけれどもあまり勉強をしなかった俺を煽るために、学年トップの座を堅持している彼女と席を近付けてるんじゃ? と邪推したこともある(いや、たぶんそれは邪推ではなく、真実を突いていたに違いない。今となっては、俺はそう確信している)。
でも担任によるそんなお節介は、残念ながら勉学への向上心ではなく、彼女自身への関心の高まりにしかつながらなかった。また彼女の隣の席だといいなと、いつの間にか席替えを楽しみにするようにすらなっていた。
結果として彼女の近くで一年間の大部分を過ごすことができたことを、当時もいまになっても俺は感謝している。
「五十嵐はまた岩崎と隣なのか」って他の科目の先生にからかわれた時に「腐れ縁なんです」と澄ました顔と声で彼女が答えた瞬間に感じた、こそばゆさと嬉しさの入り混じった感覚。あれは今でも俺の宝物だ。
俺の記憶の中では、彼女はいつも優しげな表情をしていたような気がする。
俺は彼女のことが本当に大好きで、卒業前の数ヶ月、俺は自分の気持ちを彼女に伝えようかどうしようか、毎日のように真剣に悩んでいた。でも結局、受験間際で彼女を動揺させるのは悪いから……そんな理由をつけて現状維持を選び続けたのは、彼女との心地よい関係を壊すのが怖かったからだ。
もしもう一度あの頃に戻れるのなら、俺は、俺は……!
──後悔で胸がいっぱいになったところで、俺は目を覚ました。
ここはどこだ? とぼんやりした頭で考えるが、父親に譲ってもらった、いつも愛用している旧式のノートパソコンが目の前にあるということは、自分の部屋で間違いない。どうやら椅子に座って机に向かったまま、いわゆる寝落ちをしてしまったらしい。
昔の夢を見ることは普通にあるけれど、ここまで心を揺さぶられるような夢を見ることは滅多にない。五十嵐さんのこととなれば、なおさらだ。なんでこんな夢を見た?
いや、考えるまでもなく、理由は明らかだ。最近読んでいた本で気になった、タイムリープやらタイムパラドックスやらのモチーフの元ネタを、そのまま夜遅くまでネットで調べまくっていたせいだ。キリがない上に難解だったこともあって、少し頭を休めようと目をつぶった瞬間、そのまま寝落ちしたというパターンだろう。
「もう一度あの頃に戻れるのなら、か……」
自嘲気味に呟いた俺は、机の上の時計に目をやる。夏至に向けて日が長くなってきたせいか、外はうっすらと明るくなり始めている。それでも、朝食まであと二、三時間は眠ることができる時間だ。
面倒くさげにベッドに移動して、そのまま倒れこんで俺は目をつぶった。さっき見たばかりの夢の場面、陽だまりの中でふんわりと眠る五十嵐さんの姿が、頭をよぎる。
「おやすみ」
誰に向けるでもない、就寝のあいさつ。
できればさっきの夢の続きを、また、見たい。
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