不揃いの前髪越しに眺める、私たちの未来

ねこくも

プロローグ

第1話 もちずり石の伝説

「みちのくの忍ぶもちずり誰ゆえに みだれ染めにし我ならなくに」

(河原左大臣 『古今集』恋四・七二四)


 週に一度の定例行事となっている文知摺観音の掃除を終えた私は、思いっきり背伸びをして周囲を見回す。


「こんなもんかなー」


 軽い足取りで境内から立ち去る前に、ちょうど視野に入ってきた「もちずり石」を横目で眺める。お母さんからこの巨石の伝承をはじめて聞いたのは、何年前のことだったかな。幼稚園の帰りだったような記憶がおぼろげにあるから、少なくとも十年以上前なのは間違いない。


「おかあさん、このいし、なに?」


「遠い昔にね、都から偉い人がお仕事でここにやってきてね。この辺に住んでいた、とらさんって女の人と、なかよしになったんだって」


「みやこ?」


「いまの京都。新幹線に乗らないと行けないくらい、遠いところ。でも偉い人はお仕事が終わったら都に帰らなくちゃいけなくて、手紙を送るって約束して別れたの。でも手紙はなかなか来なくて、とらさんは毎日悲しんでたんだって」


「でんわすればいいのに」


「昔は電話なんてなかったの。それでもう諦めかけてた頃になって、その偉い人から『本当は会いたくてたまらなくて、苦しい』って和歌が届いたんだって」


「わか? どうしてあえないの? わかんない」


「智佳がもっと大きくなったらわかるわよ、きっと」


「そーなの?」


 お母さんがどれくらいのつもりで「大きくなったら」って言ったのかはわからないけれど、春休みが終わったら高校二年生になる私には、もう彼女の気持ちが十分にわかるような気がする。私にとって大切なあの人││岩崎直くん││も、きっと秋にはこの街から去ってしまうに違いないのだから。


 不揃いの前髪を触りながら物思いに耽ってしまっていた私は、近くに寄ってきた車のクラクションで我に返った。


「ちょっとお姉ちゃん! それ、びっくりするからやめてって言ってるじゃない!」


「そうだったっけ?」


 すっとぼけた調子で、お姉ちゃんが私のクレームをスルーする。


「いつもならこの音でさっさと気が付くのに、どうしたの?」


 そう言ってアクセルを煽り、一般道を走ってはいけない車両のような排気音を響かせる。それも近所迷惑だし、恥ずかしいからやめてって前に言ったのに。


「ちょっと考えごと」


「どうする? 乗ってく?」


「ここからなら歩いたって変わらないでしょ!」


「はいはい」


 お姉ちゃんの車を見送ってから、ふと空を眺める。まだ夕方のつもりだったのに、付近はもうすっかり暗くなっていた。ちょっと立ち止まったくらいの感覚だったのに、随分長いこと考え込んでしまっていたらしい。

 最近こういうことが多くて、もっとしっかりしないとなって思う。


「そろそろ行かなきゃ……」


 もうすぐ春といっても、この街はまだ寒すぎる。ショートヘアの襟元をしっかりガードするように薄いパープルのマフラーを巻き直して、私は小走りで家に向かって駆け出した。

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