第21話女の園よ!!


 ‎✿ ‎


 ——全く、海花ってば私なんかに気を使っちゃって。

 そんなことを考えた後で、そうさせてしまったのは自分なのにと思う。

 寝ている間に三年が過ぎていた。海花も永遠くんも変わっていたな。それに初めて会う子もいたし。本当に三年経っているんだ。

 私は寝ていただけだから、あまり実感がないけれど。

 ただ分かるのは、窓から見える景色が今までとは違って暖かいという事。


 あの日、何が起こったのか私には分からない。本当なら私に訪れる筈のない三年後の春。

 この病室には誰が連れてきれくれたのだろう。体を動かそうとすると、頭が重いことに気づく。そりゃあそうか。三年も経っていれば髪もありえないくらい長くなるか。

「あんまり無理するなよ、病人」

 聞き慣れてその声に顔をあげる。つい最近まで聞いていた私の大好きな人の声。

「そんな病人に甘い物飲ませていいんですか、永遠くん。」

 稲月永遠。私の大好きな人の名前。少し背が高くなって私服が少しオシャレになった、私の知っている永遠くんの三年後の姿。

 永遠くんの呆れた顔には『お前が頼んだんだろ』って書いてある。

 永遠くんはため息を零しながら飲み物を私に渡す。そしてパイプ椅子に座った。

「さぁ、医者からは何も言われてないし。何か言われたら知りませんでしたって白を切ればいいんじゃない。」

「うーわ。悪い子だー」

 今の永遠くんは前よりも口を動かすようになった。あと少し性格が悪くなった。

 この三年という間に何があったのか。永遠くんがどう過ごしてきたか。私には分からないけれど、今目の前にいる永遠くんは幻覚では無い。それだけで嬉しかった。

「あーあ、目を覚ましたらいつの間にか春になってるなんてねぇ。」

 永遠くんはマンゴージュースを一口飲んだ。二人して窓の外にある桜の蕾を見る。

「春は、嫌いなのか? 」

「嫌いじゃないけど……でも私にはまだ眩しすぎるかな。」

 窓から入ってくる暖かな日差しに、私の目が眩んだ。

 そう、眩しいんだ。今まで春っていうのは絶対に訪れることのない季節で。私の中では掴み取る事のない光の季節だったから。今そんな季節の中にいることが信じられなくて、まだ眩しいのだ。

 永遠くんは少し意地悪そうに「じゃあ春は何も出来ないな」なんて言うから私も少し我儘を言ってみた。今まで叶うことのない我儘。

「桜……みたい、かも。」

 病室で見るのもいいけれど、叶うなら外で見たい。お花見とまではいかないかもしれないけれど。

「そういえば、三年前の正月にも言ってたな。」

 そんな些細な事、忘れていると思っていたのに。

 永遠くんってば、どうでもいい事だけは忘れないんだから。

 心の中で、そんな愚痴を零す。

 すると永遠くんはわざとらしく「あー」なんて声を上げた。

「そういえばあと一週間もすれば桜が満開になるらしいなぁー」

 私が目を丸くしてると、永遠くんは不敵な笑みを浮かべる。

「あと一週間で体力少しでも戻せよ」

 どうやら、三年経った今でも、私は永遠くんには敵わないらしい。

 その笑顔を見たら、絶対に体力を戻さなくちゃと。

 そういう気にさせられる。


「少しどころじゃ、無いかもよ?」


 その次の日、テレビで桜の開花が報道された。満開になるまでは約一週間程度とナビゲーターが言っているのを聞いて、永遠くんの言ってることが当たっているのに驚く。

 永遠くん達が大学に行っている間、私はリバビリをしていた。まずは関節を曲げられるようになる所から始まった。医者によると歩けるようになるまでにはかなりの時間がかかるらしく、歩いて桜を見るのは難しそうだ。

 それでも私はリバビリを続けて看護士さんからは「そんなにリバビリしてまで会いたい人がいるのね」「若いわねぇ」なんて言われて少し恥ずかしかった。

 リハビリを始める前に、三年間放っておい髪を看護士さんが切ってくれた。前髪も後ろの髪も、三年前の長さにした。「どうせならもっとバッサリ切っちゃえば? 」との看護士さんの提案に私は「これがいいんです」と答えた。

 この髪をもっと切るのは今ではないと感じた。だって私の中の時間は三年前から止まったままだから。

 いつか、止まった時間が動き出す日を願って、私はリハビリ室に向かう。

 三年の月日というのは恐ろしいもので、自分の体なのにピクリとも動かなかった。

 まるで自分の体では無いような感覚に陥りながら、私のリハビリはスタートする。



「……ふんっ……んー!」


 リハビリが始まって三日。

 今日も今日とて、言うことの聞かない体に呆れながら、私はリハビリに励んでいた。

 指先を動かす事がやっとなのに、額には汗が滲む。

 三日経っても尚、私の体は筋肉が硬直していた。

 リハビリの後、看護士さんに「一週間で歩けるようになりますか」と聞いたけれど、その首が縦に振られる事は無かった。

 初日に聞いた時と同じ反応に、ため息が零れる。

「でも、沢山食べて沢山寝れば、すぐに歩けるようになるわよ。」

 そんな看護士さんの励ましに、私は笑みを浮かべた。

 ここの病院の人達は、皆優しくて少しくすぐったい。

 本心からの優しさは、あまり慣れていないのだ。

 だからこそ、いつか病院の方達には恩返しがしたいと願う。


 車椅子に乗りながら、そんな事を考えているといつの間にか病室に戻っていた。

 暖かな日差しが注ぐ病室には、見覚えのある人影がカーテン越しに見える。

 永遠くんにしては長い髪に、私はすぐ検討が着いた。

「海花!それから秋上……さん?」

 カーテンを開けて、ベットの元まで車椅子を走らせると、海花の笑顔が飛び込んでくる。

「あ、お姉ちゃん!リハビリ終わったの?」

 三年ぶりの海花は、あの頃と同じように天真爛漫な笑顔を見せた。

 変わらない姿に頬を緩ませていると、隣に座る少女に目を向ける。

 確か永遠くんや海花は『秋上』って呼んでいたけれど……。

 そんな事を思いながら彼女を見詰めていると、俯いていた秋上さんが顔を上げた。

 目と目が合うと、恥ずかしそうにしながらまた下を見る。

 ——なんだろう。何処かで見た事のある反応だ。

 いつだっけと記憶を巡らせると、その既視感の理由を思い出した。

 そうだ、初めて会った時の永遠くんにそっくり!

 類は友を呼ぶ、とは言うけれど本当に、自分と似たような子と友達になるとは……永遠くんらしいかも。

 心の中でクスリと笑いながら、私は秋上さんに手を伸ばした。


「そういえば私、秋上さんに自己紹介してなかったですよね。私は色織雪葉と言います。海花がお世話になってます。」


 どうやら、私が話しかけてくる事を想定していなかったらしく、秋上さんは慌てふためいた。

 林檎のように顔を真っ赤にしながら、震える手で私の手を取る。

「……あ、朝日……秋上……です。」

 朝日……?もしかして、秋上って名前だったの!?

 私はその事に気づくや否や、すぐに謝った。

「ごめんなさい!私てっきり、苗字だと思って思いっきり名前呼びしちゃいました!……その、嫌じゃなかったですか?」

 手をゆっくり離しながら秋上さんの顔色を伺うと、俯いたままコクっと首を縦に振った。

 その様子に、私はホッとしながら「良かったです」と肩を撫で下ろす。

 このまま車椅子に座って話すのもいいけれど、リハビリの後は体を横にして欲しいと看護士さんに言われていたのを思い出す。

 私は二人に断りを入れてから、ベットに上がった。

 その時に二人とも手伝ってくれたのは、凄くありがたい。

 ベットで横になると、再び秋上さんに話しかける。

「そういえば、私達同い年なんですよね。良ければタメ口で話しませんか?」

 秋上さんは、まだ私に慣れていないらしく、目を合わせないまま、静かに頷いた。

 永遠くんの時も思ったけれど、こういう風な子を見ると可愛らしいと思ってしまう。

 見た目は凄く強そうなのに、中身とのギャップに、私の心は撃たれていた。

 早く仲良くなりたいな、なんて思いながら「ありがとう」と口にする。

 とはいえ、秋上さんとどうやって打ち解けたらいいのか、皆目見当もつかないずに静寂の時を過ごしていると、黙っていた海花が突然立ち上がった。

「あー、もう!焦れったーい!」

 不満そうな顔で、私と秋上さんを見下ろす海花。

 すると、急に私と秋上さんの片手を引っ張って両手で拘束した。

 私は彼女の行動に理解出来ず、口を開けていると、海花が私と秋上さんの名前を呼んだ。

「お姉ちゃん!秋上!」

 カッと目を見開くと、海花は続けて告げる。

「今、ここに永遠くんはいない。つまり、女の子だけの空間。言い換えればここは……女の園よ!!」

 理解不能な海花の発言と、キラキラ輝かせ瞳を見た私達は呆気にとられていた。

 海花が今まで、こんなに強気な言動をした事があっただろうか。

 その妙に真剣な瞳に、私と秋上さんは口を揃えて笑い始めた。

「あはは!……お、女の園って……海花、随分と変わったわね?あはは!」

 声を荒らげながら笑う私とは裏腹に、くすくすと息を殺すように笑う秋上さん。

 今まで、強ばった表情しか見てこなかったけれど、こんな風に笑う事もあるんだなと、思った。

 周りの空気を優しく解していく笑顔は、永遠くんそっくり。

 だから、かな。この子と居ると、心が安らぐのは。

 そんな事を考えながら涙目になるまで笑い続けると、秋上さんが口を開いた。

「あの……雪葉さんが知る永遠くんって、その、どんな感じなんですか?」

 初めて秋上さんから声をかけてくれたことが嬉しくて、つい口元が緩んでしまう。

「んー?私と初めて会った時の永遠くんはね、Theぼっちって感じだったなあ。なんせ、川辺に一人体育座りしてたからね。体育座りだよ?」

「うわあ、ちょっと永遠くんらしいかも」

 再び椅子に腰を下ろした海花も交えて、三人で永遠くんの話を始める。

「私の知る……永遠、とは……少し違い、ます……。」

 そんな秋上さんの言葉に、私は食い気味に「そういえば、秋上さんはどうして永遠くんと仲良くなったの?」と尋ねる。

 秋上さんは、少し喉を詰まらせて、拙い言葉で伝えてくれた。

「永遠から、話しかけて、くれたんです……。」

 想像出来ない永遠くんの姿に「嘘!」と目を見開くと、隣で海花が「びっくりだよねー」と相槌を打つ。

 私の知らない永遠くんの話が沢山あって、すぐに会話が盛り上がった。

「高校の時の永遠くんなんて、いつも教室の端っこにいるような子だったんだよ?空気と一体化してたもん。」

私の知らない、高校での永遠くん。

「でもたまに、永遠を、見失うこと……ある。」

「あちゃぁ、大学デビュー出来なかったのか。永遠くんの友達、海花と秋上ちゃんだけだもんね。」


 

 秋上さんと出会った時の永遠くん。

 私の知らない三年間の永遠くん。

 色々な話をしていると、いつの間にか日も暮れ始め、辺りは茜色に染まっていく。

 気付けばずっと話し込んでいて、それを止めてくれたのは話の中心に居続けた本人だった。


「——ちょっと、僕の話で盛り上がらないでくれる?」


 困惑と呆れと、恥ずかしさが入り交じったような、複雑な顔をした永遠くんが病室のドアをノックした。

 その姿を見た私達三人は顔を合わせて、再び笑い合う。

 こんなに沢山笑ったのは、いつぶりだろうか。

 永遠くん以外の人と、こんなに長く話したのは……。

 その先は考えない事にした。その代わり、今目の前にいる永遠くんに向かって、ニヤリと笑う。

「あれ?もしかして永遠くんは、女の園に仲間入りしたいのかな?永遠くん男の子なのに? 」

 永遠くんの羞恥心を煽ろうとすると、海花がそれに乗っかってきた。

「永遠くんのエッチ!すけべー!陰キャー!」

 直接的な単語に秋上さんが顔を真っ赤にして、永遠くんから目を逸らす。

「……変態。」

 ボソッと秋上さんが呟いた言葉が心にクリティカルヒットしたらしく、永遠くんは真っ青な顔をしていた。

「あ、秋上まで……。って言うか、海花の最後は、ただの悪口だろ!」

 何も言わず、目を合わさない秋上さんを見て、永遠くんは懸命に弁明する。

 あたふたしながら、秋上に近づいて来る永遠くんに、私と海花は笑いを堪えられなかった。

「いや、違うだよ秋上!これは二人の意地悪というか……なんというか……だから僕は決してやましい気持ちなんて持ってないから!」

 顔を真っ赤にしている秋上さんは、永遠くんから隠れるように私の背中に回り込む。

 後ろからぎゅっと腕を掴まれた私は、永遠くんに向かって口を尖らせた。

「永遠くん、女の子を怖がらせたらダメでしょ?」


「——あんたのせいだろ!」


 間髪入れずに、永遠くんの声が飛んでくる。

 私の知っている永遠くんなら、そんな事言わなかったのにな。


 嗚呼、どうしてだろう。

 幸せだと思っていたあの冬休みより。何度も繰り返してきたあの日々より。

 今、この瞬間の方が楽しいと思ってしまうなんて。

 こうしていつまでも、皆で笑いあって弄りあって。

 なんでもない日常が続けばいいのに。

 そんな事を考えてしまうのは、いけない事だろうか。

 その答えはきっと……。


 伏せた瞳にはあの日の光景が浮かぶ。

 手を伸ばしてくれた永遠くんの姿。

 その手を掴むことは出来なかったけれど、だからこそこの今がある。

 なら、きっと。私の今までやってきた行為にも意味があった。

 それを人に話す事は出来ないけれど、胸の内にひっそりと隠しておこう。

 過去の私を背負って、今の私を生きよう。

 それが、今ここに居る、色織雪葉の役目なのだから。

 だから、『その日』が来るまで、私は笑い続ける。

 皆の幸せを脳裏に焼き付けて。


 面会終了の時間が迫り、皆は私の元から離れていく。

 三人の背中を見て名残惜しいと思ってしまった。

 だからこそ……。


「永遠くん、海花!それから——秋上ちゃん!……また明日!」


 私は、ベットの上で大きく手を振った。

 その振動でベットが軋むくらいに、両手を掲げて。

 その行動に驚いたのか、三人とも目を見開いていた。

 そして直ぐに、手を振り返してくれる。

「ああ、また明日。」

 その時の永遠くんの表情がやけに切ない気に思えた。

 それでも、やっぱりその笑顔が優しくて。

 凄く安心してしまった。








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