第19話 好きが怖い
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目の前に広がる、感動的な場面。
ある人が、ずっと待ちわびた人の目覚め。
でも、今は一旦その事は置いておいて。
少し話をしよう。
私という——朝日 秋上という人間の話を。
「え? 秋上が下の名前なの? 」
昔から秋上が苗字だと思われてきた、この名前が嫌い。
私は多分人よりも人と話すのが苦手だ。奥手で臆病者で。
自分の思っている事、考えている事。それを口に出せない弱虫な私。
目が泳いで、言葉を詰まらせる私に、誰も見向きはしなかった。
けれど、いつの間にかそれが当たり前で。むしろ心地いいとすら思ってしまう。
情けない自分に嫌気がさしながら、のうのうと生きている事が何より苦しかった。
そんな自分を変えられずにいつの間にか大学生になっていた。
大学に入ってから一人暮らしを初めたけれど他には何も変わらず一人ぼっちのまま。そんな私にも唯一好きな物があった。それはバイクだ。高校を出てすぐに中型免許をとった。バイクに乗ると風と一体化したみたいで嫌な事を全てを忘れられる。
何より、人と会話をしなくて済むのは何より安心した。
ヘルメットで周りの世界と完全に遮断された、私だけの世界。それが心地よくて、心の底から安らげて。
多分、私が一番私らしくいられる時間だった。
初めて自分の給料で買った黒のライダージャケットは私の一番のお気に入りだった。
そんなジャケットを羽織り、バイクに乗って今日も大学に行く。風に乗る時間も終わり、バイクを置いて校内を歩く。
ああ、憂鬱だ。
「隣、空いてる?」
講義の前、話しかけて来たのは黒髪の男の子だった。初めて話しかけられたから驚いたけど男の子はすごく優しそうで、私の返事を静かに待ってくれた。
「ど、どうぞ……」
目線を逸らしながら小さな声で答えると、男の子は「ありがとう」と微笑んでくれた。
「キミ、名前はなんて言うの? 」
な、なんだこの人。こんなに初対面の人に話しかけるのか、普通。
でも無視するのも駄目だし名前くらいなら……。
「朝日秋上……」
「秋上さんか。うん。いい名前だね。僕は稲月永遠。よろしく」
初めて名前を褒められた。いい名前だ、なんてお世辞って分かっているけれど、それでも心がくすぐったかった。
初めてのふわふわした感覚は、どうも落ち着かなくて顔を合わせられない。
「秋上さんも、心理学に興味あるんだ。」
その人は、そんな私にぐいぐい話しかけてくれた。
話をするのは苦手だ。話に合わせなくちゃ、嫌われるし、気持ち悪がられる。
だから、一人でいる方が何倍も楽だった。なのに、この人と言葉を交わすのは、どうしてか嫌じゃ無い。
「うん、私……人の心を知るのが苦手、だから……。」
自分の事を、見ず知らずの人に話すだなんて。
恥ずかしかったけれど、私の話を真剣に聞いてくれるその人の姿が、あまりにも暖かくて、私はその人の事を知りたいと思ってしまった。
——稲月永遠。
初めて名前を覚えたいと思った人。
彼の笑顔が、私の緊張をほぐしていく。
むず痒いけれど、何でだろう。
何だか自然と、心が緩んでいく。
それからというもの、私を見かける度に彼は声を掛けてくれた。最初は戸惑ったけど少しずつ彼に心を開いていった。
人と言葉を交わす事は、嫌いだ。それなのにも関わらず、永遠と話す時間だけは特別だった。
永遠が色々な表情を見せてくれるのか嬉しくて、いつの間にか『永遠とどんな話をしよう』なんて考えている。
初めての感覚はくすぐったいし、私らしくない。
でも、永遠のおかげで自分が変わっていくのは不思議と嫌な感じがしなかつた。
永遠と出会って半年が経った頃、私はふと疑問に思った事があった。
「……と、永遠は、なんでこの大学に入ったの?」
初めて自分から質問をした。変な質問ではなかったかとドキドキしながら座って答えを待った。
そして永遠の口から出てきたのは私には想像もつかない事だった。
「この大学の近くに病院があるだろ。そこに大切な人が眠っているんだ。少しでも長くその人と居られるようにってここの大学を選んだ。」
なんて返したらいいのか分からなかった。自分から聞いたことなのに永遠に辛いことを言わせてしまった。
自分から聞いた質問なのに、その答えに対してどう答えていいのか分からない。
自分自身に馬鹿、と心の中で呟いた。
俯いていると、永遠が私の名前を呼ぶ。そして。
「一緒に行かないか、その病院に。」
病院なんて来るのは久しぶりだ。最近は全然風邪とか引かなかったから。
消毒駅の匂いが、病院の中に充満している。ピリッと刺激する独特の匂いが鼻を通り抜けていった。
久しぶりの大きな病院に目を回していると、永遠は面会の手続きをしている。手馴れているのを見て、本当に毎日ここに来ているんだと感じた。
看護師さんと楽しそうに話す永遠を見ると、凄いなあと関心する。
「こっち。」
私は永遠の後を静かに歩く。歩く度に面会証が揺れてなんだか落ち着かなかった。案内された病室に入ると、そこには一人の少女が眠っていた。永遠はその人に優しく微笑みかける。
「おはよう、雪葉。もう夕方だけどね」
その、あまりにも寂しそうな笑顔は私の心を締め付ける。
それを見て嫌でも悟ってしまう。この人のことを永遠は好きなんだと。
途端、何故か心が痛くなった。息をするのが苦しくて涙が出そうになる。まさか病院に来てから体調が悪くなるなんて。本当に私って情けないな……一体私はどうなってしまったのだろう。
自分の胸を掴みながら二人の方を見る。眠っている少女に話しかけ続ける永遠。
この雪葉さんはどういう人なのだろう。そして同時に思う。
永遠が好きになった人はどんなふうに笑うのだろう。
自分の中に芽生えた、よく分からない感情に目を瞑ってからもうすぐ一年が経とうとしたある日、私はもう一人の知り合いである海花と食事をしていた。
有名なパンケーキを口に運び、何度か咀嚼した後、海花が私に尋ねる。
「秋上って、お姉ちゃんの事どう思ってるの?」
その質問に、私の心臓はドキッと飛び跳ねた。
驚く事に雪葉さんは海花の双子の姉貴なのだそうだ。確かにどことなく雰囲気が似ている気がする。そして私は初めて雪葉さんの事を見た時、心が変に締め付けられた事を話した。それを聞いて海花は私に一つの結論を言う。
「それはきっと、永遠くんに恋をしているんじゃないかな。」
その言葉に、パンケーキを切っていたナイフの手が止まる。
恋……?私が永遠に? ありえない。だって私は——。
『恋』という言葉を心の中で否定していると、更に海花は問いかけてきた。
「認めたくない理由でもあるの? 」
パンケーキを口に運びながら海花は私に聞いてくる。私は少し悩んだ後にナイフとフォークを置いた。
「怖いんだ……。誰かを好きになったら何かを失いそうで。今が変わりそうで。多分私は好きが怖いんだ。」
その言葉は、私の本心だった。
その人が大切だから。私の景色を変えてくれて、沢山の感情を与えてくれた。
大切で大事で……だから壊したくない。私の居場所を。
彼との関係を。崩したくは無かった。
海花は静かに聞いてくれていた。海花は食べ終わってコーヒーを飲んだ後に、私を見て笑った。
「誰だって変わるのは怖いよ。でも人は変わらずにはいられない。心も体も関係も。全部変わってそれでも前を向いて進もうとするんだよ。私だってそう。本当は……ううん。秋上も変われるよ。みんな変わってそれでも頑張っちゃうんだよ。」
海花の話は私の心に染みていった。まるで海花が本当に体験したかの様な話に私は何も言えないままだった。
海花の表情は、優しくて柔らかいのに、どこか切なげで。その顔を見るだけで、ああ、強いなと関心する。
海花の話は私にちゃんと伝わった。それでも好きを認められなくて今はまだ変わるのが怖いままで。
けれど海花みたいに変わることを認められるようになりたいと、そう思った。
結局、私はこのままの関係でいることを望んだ。雪葉さんがいつ目覚めるか分からないけれど、でも永遠と海花と一緒に居られる今を私は愛おしいと思うんだ。
二人で、病院に向かう道の最中、私の前に現れたのは見知らぬ男。
「ねえそこのキミ!モデルとかに興味ない? 」
選択肢は多分いくつもあって、それを選べばいつでも変われる。けど私は——。
「な、ないです……!」
今はただ自分の心を言えるようになる事を最初の一歩にしたいんだ。
スカウトをされたのは初めてで、動揺しているととなりで海花が止めに入ってくれた。
病院に向かう最中も、エレベーターに乗ってからも海花はニヤニヤと私を見詰めてきた。
「いやぁー、まさか秋上がスカウトされるなんてねぇ。永遠くんが聞いたらなんて言うかなぁ。」
何か企んでそうな笑顔が私の目に入る。
目的の階に着いたのか、チーンという音と共に扉が開いた。
「え、言わないで……約束して……! 」
そんな話をしながら、私と海花は病室のドアをくぐる。
その先で座っている、一人の人物に心が安らぐ。
まだ慣れないけれど、いつかこの感情を受け入れられる時が来るのだろうか。
——私の初めてできた女友達と。
「あれ? 永遠くん先に来てたんだー」
「と、永遠。さ、さっきぶり」
初めてできた大事な男友達。そして——。
「へぇ、永遠くんって私のこと大好き人間なんだ」
大事な男友達の好きな人。
この先に何があるかなんてまだ分からない。でもきっとこの三人との出会いが私の中にある、何かを変えてくれそうな気がした。
朝日 秋上という人間は奥手で臆病者だ。でもいつかそんな自分を変えられると信じて私は今を歩み続ける。
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