桜が降る季節に編
第18話 雪は溶けていく
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この場所を人間はなんと呼ぶのだろうか。
もう随分と人の声が届かなくなったこの場所は、闇はおろか、光すらも届かない。
昔は、人と心を通わせたいと思っていたけれど、いつの間にかそんな事を願うのはやめてしまった。
絶望した訳では無い。現状を受け入れた訳でも無い。
ただ、悟ってしまっただけた。人間という性質の根っこの部分を。
そんな我が行き着いた、最終地点はこの場所だった。
人が踏み入る事の出来ない、絶対領域。
少し考えて見たが、やはり答えは一つだけだった。
「——天国、か。」
我は長い間この場所で人間を見てきた。この何も無い空間でただ一人きり。それを苦だと思ったことは無い。ただ、千年以上人間を見てきて思った事がある。
何故人は妬み、嫉み、怒り、苦しみ、裏切り、争い合い、そして後悔を残したまま死んでしまうのだろか。
それはきっと人間にとって必要だと言うかも知れない。けれど我は人の生を見てきたから、もう要らない苦しみを誰かに与えたくはないと思ってしまう。けれどそれは人間が解決できることでは無い。
ああ、ならば簡単だ。人が解決出来ぬのならば神たる我が解決すればいい。要らない感情は全て捨てて、悲しみも苦しみも無い完全完璧な人間を我が作ればいいのだ。そうしたら誰も苦しまないで済むのだから。
そうして我は行動した。まずは感情そのものを消した。そいつは感情が無いせいで生きる事と死ぬ事は同じだと言った。その結果、我は感情を全て消すことは危険性があると判断した。
次に痛いという感情を消した。そいつは痛みがないせいで誰に暴力を振るわれても笑い続ける人間になった。その結果、痛みは必要だと判断した。
その後も様々な研究をした。何度も研究を重ね、今回は「愛情」の実験を初めた。
被験者は四人。のち一人を「愛情を感じない人間」にした。けれどそいつにも愛情が生まれた。これでは実験に支障があると感じた我は、そいつをここに呼んだ。
名は雪葉。雪葉には実験内容を変更し、「一度愛情を持った人間は愛情を消すことができるのか」という実験を開始。実験方法は「百回同じ時をやり直し、どれ程の回数を重ねれば愛情を消すことが出来るかを観察する。」というやり方だった。
しかし雪葉は回数を重ねれば重ねるほどに愛情を増していった。
ならば、と我は更に一つの実験を始める。そしてその結果は——。
「全く持って人間とは興味深いな。」
これは産神たるヤノハハキが完全完璧な人間を作り出すまでの物語だ。
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暖かい日差しがこの街を包む。いつしか、この街を覆っていた冷たい空気は何処かへと消えていった。
キラキラと輝く光に照らされ、純白の雪は溶けていく。
そして——春が来た。
市内にある総合病院。その中にある、病室の一つ。僕は今日もそこに足を運ぶ。面会書を首から下げ、病室のドアを開ける。
窓から風が入り、カーテンがひらひらと舞った。ゆっくりと病室に足を踏み入れる。
無機質な電子音が、部屋の中で静かに響き渡る。
ベットを囲むカーテンに手をかけ、そこに眠る一人の人物に話しかけた。
「今日もきたよ、雪葉。」
ベットで眠り続ける雪葉を見ながら、パイプ椅子に腰を下ろす。
病衣に身を包んでいる雪葉の長い髪が、僕の瞳に入ってくる。
そして今日も返事が返ってくる事のない彼女に、たわいも無い話をした。
「雪葉は今日も夢の中かな。僕は今日、秋上と海花と一緒に雪葉のプレゼントを考えていたんだ。秋上ってば、定員さんにもビクビク怯えててさ。」
思い出し笑いをしながら雪葉の手を静かに握る。窓から見える桜の木は蕾がもうすぐ開きそうな様子だった。
「……あれからもう、三年だよ。君はいつまで寝ているんだい? 」
目を瞑れば、いつでもあの日の光景が目の前に広がる。
三年前の一月七日。黒い謎の球体に飲み込まれたように見えた雪葉は、結論から言うと消えなかった。何故消えなかったのか。
それは雪葉が僕の事を嫌いになったからか、それとも奇跡が起きたからか……その真相は今でも分からない。
けれど雪葉は今も生き続け、こうして眠り続けている。
そしてあの日、もう一つの真実を目にした。
それは——。
「海、花……? 」
それは僕の彼女だった海花だった。彼女は、雪葉の双子の妹だったのだ。
病院に雪葉を連れていったときに雪葉の家族へ連絡が行き、現れたのは海花だった。
そりゃあ僕も海花もお互いに戸惑ったが海花は僕と雪葉の事を受け入れてくれた。
「永遠くんもお姉ちゃんもどっちも大好きだから」
と笑ってくれた。
雪葉が何故意識を失ってしまったのか。どうして僕が、雪葉と共に居たのか。
その真実を、海花は詮索しないでくれた。
それが海花なりの優しさだと知って、僕は彼女に甘えてしまっている。
柔らかく微笑む海花に、僕の心は強く締め付けれた。
何も話せなくてごめんと、心の中で呟きながら、僕は雪葉の隣を選んだ。
✿
そうして月日が流れ、僕は大学生になった。
大学は色々と悩んだけれど彼女の……雪葉の地元にある学校を選んだ。彼女が過ごしてきた街で、僕は今彼女の見ていた景色を見られているのだろうか。
そんな事を考えながら、大学生活は幕を開けた。
そして大学に入って出来た友達が『朝日 秋上』という女の子だった。
腰まである艶やかな長い黒髪に、黒のライダージャケット。見た目は強そうな女性だが、その内はいつもビクビクしている少し心の弱い子だった。
秋上との出会いは少しだけ置いといて、こうして僕の大学生活がスタートした。
とは言っても順風満帆な生活という訳でもなく、大学に行ってバイトをして、そして雪葉に会いに来るというローテーションのような日々。でも僕はそれが嫌ではなかったし、むしろ楽しいまであった。
高校を卒業して、大学に入って。新しい友達もできて。それでも雪葉が目を覚ますことはなかった。
もうすぐ桜が咲く。三年間、僕は雪葉が目を覚ますことだけを夢見ていたのだ。
「本当、よくそんなに寝てられるよな。」
寝顔はまるで死人のように綺麗で、伸びた髪も三年前の雪葉を思い出す。
「あれ? 永遠くん先に来てたんだー! 」
「と、永遠。さ、さっきぶり」
カーテンを開けて入ってきたのは、海花と秋上だった。
二人はこの一年近くでかなり仲良くなっていた。僕が居ない時も二人で遊んだりしているらしい。
「どうしたんだよ、二人とも」
持ってきた荷物を病室の棚に置いてから海花がニヤリと意地悪そうな笑みを浮かべた。
「それがさー、聞いてよ、永遠くんー! 秋上ってばね——」
「そ、それは言わない約束! もしバラしたらこっちも海花の秘密言うから! 」
ニヤつく海花とそれに慌てる秋上。
二人で見つめ合っているのは、何かテレパシーでも送ってるのだろうか。
僕はなんのとこか分からなくて、ただ口を開けているだけだった。
「って、病室なんだから静かにしないとだろ」
我に帰って在り来りな注意を促した。最近はこうして雪葉の病室で三人で話す事が多くなっている。
「雪葉も静かに寝たいだろうに」
ため息をつくと、それを見た海花が頬を膨らます。
「まーた永遠くんっば。すぐにお姉ちゃんの事考えちゃって。ほーんと、お姉ちゃん大好き人間なんだからさ! 」
横にいた秋上も首を縦に振っていた。その言葉に僕も顔が赤くなる。
海花は雪葉みたいに僕をいじるのが上手くなっていた。さすがは姉妹だな、なんて嬉しくないところで似ている二人をみて笑ってしまいそうになった。
いつまでこうして三人で居られるか分からないけれど、この時間が僕の心の中の不安を紛らわしてくれた。
「——へぇ、永遠くんって私のこと大好き人間なんだ」
唐突に聞こえたのは海花でも秋上でも、もちろん僕でもない声。
——それはずっと待ちわびていた声。三年間聞けなかった声。
ゆっくりとその声の主の方を向く。
ああ、ずっとこの時を待っていたんだ。君に会える日をずっと。
そして三年前と変わらない笑顔で彼女は笑う。
「おはよう、永遠くん。」
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