第13話 いらない存在

 ヤノハハキが指を鳴らすと、椅子が出てきて、私を座らせた。

『まぁゆっくり聞くがいい。ここからはちと長い話になるからな』

 暗闇に覆われた空間に私とヤノハハキの二人だけがいる。

 私はもちろん、さっきまでの話を信じているわけが無い。でも、ならどうして自分がこんな、現実では有り得ない空間に居るのか、と聞かれると答えがでなかった。


 ——そう、答えがないのだ。


 だから私はまだ何も言えない。私の目の前にいる、自称神様がこれから話すことを聞いてから、答えを出そうと思っていた。

 あまりにも馬鹿馬鹿しい選択だ。でも、そうすることしかできないのだから、仕方が無いだろう。

 ヤノハハキは、もう一度指を鳴らし、今度は自分の椅子を用意する。

 その魔法の様な力は、私の小さな反抗精神を沈めるのに十分すぎるものだった。

 ヤノハハキに言われた通り、私は椅子に腰を下ろす。

 じっと彼女を見つめると、ヤノハハキはゆっくりと語り始めた。


『さて。では長い話を始めよう。率直に、簡潔に言うと、雪葉という人間は生まれてはいけない存在だった。あの家には双子ではなく一人の娘が生まれるはずだったのだ。でもそれではつまらない。その時、ふと思ったのだ。もしも愛情をもつ子持たない子が同時に生まれ育ったら、と。そうして我はいらない存在だった雪葉を作り上げた。雪葉には愛情を持たない子として。我が作ったのだ。そして我はお前を監察していた。順調に良い記録が取れていた。が……お前は愛を知ってしまったのだ。何とも嘆かわしい事か。だから私のはお前に呪いをかけたのだ。』


 長々と話したそれを私はただ聞いているだけだった。

 愛を知らない……。

 思い返さなくても分かる。私の今までの人生の中で誰も愛したことがなかった。何かが欠けていると、心のどこかで思っていた。

 けれど永遠くんに出会って、私も人間なんだと安心していたんだ。

 でも……。私は一つだけ、決定的に間違いを犯した。

 嫌でも分かる事実を、ヤノハハキは、口にする。


『愛を知ってしまったことは良い記録だ。しかし貴様が愛したこと人物が最悪だった。何故なら……』


 何故ならそれは——


『貴様の双子の妹の』


 ——彼氏だったから。


 自分自身、分かっていた。思いを隠し通さなくてはいけないと。

 でも、私の中で初めて芽生えた愛情は、自制が効かなく成程に増長し、膨れ上がった。


 ヤノハハキの顔が見れない。今の彼女は、私を決して許しはしない。

 それは、私のエゴが生み出した結果だ。

 だからこそ、私は何も言えずヤノハハキの言葉に耳を傾ける。

『貴様は自分の妹よりも愛する者をとった。何とも強欲な事か。我は確かに貴様を作った。しかし稲月永遠と結ばれるべきは貴様の妹、色織海花しきおりみかだったのだ。』

ヤノハハキの語り方は、私に自分の罪を刻み込ませようとしているようだった。

そして、それに従うかのように私は一人の人物を思い出す。

 ああ、そうだ。私は自分の妹を、海花を裏切ったんだ。

 それを永遠くんには内緒にして、自分を優先した。

 だからヤノハハキは私を許さなかった。

 自分でも分かっていたじゃない。選ばれるべきは海花だって。

 でも、せめてこの気持ちだけは永遠くんに。

 振られるのなんて分かっている。それでも私は——。


『どこまでも愚かで強欲だな。色織雪葉。』


 その言葉に思考を停止させる。

 顔を上げると、私を鋭い目で睨みつけるヤノハハキがいた。

 光がない目は私に考える時を与えなかった。

『妹よりも自分の感情の方が優先か。だから貴様には呪いを与えるのだ。貴様にぴったりの呪いを。』

 そういえば、呪いとは何なのだろう。

 ずっと後回しにされていた本題。

 私は固唾を呑んで、ヤノハハキを見る。


『貴様にはこれから百回、稲月永遠との出会いをやり直して貰う。一月七日、貴様が稲月永遠に想いを伝えようとした瞬間、貴様はまた稲月永遠と出会った日に戻る。これを百回繰り返すのだ。』


 多分その時の顔はあまりに酷かったと思う。目の前のヤノハハキはニヤリと笑っていた。まるで『その顔が見たかった』と言うかのように。

 あれ、この感情何て言うんだっけ。ああ、思い出した。

 これは——『絶望』だ。


『まぁ、我もそこまで酷い神ではない。貴様に呪いを解く方法を教えてやろう。なあに、簡単な事だ。——貴様が稲月永遠を嫌えばいい。ただそれだけの事だ。』

 それを簡単だ、と神は言う。言葉で現すのは確かに簡単だ。でもそれだけではヤノハハキは許してはくれないだろう。

 本当に、心の底から永遠くんを嫌いにならなければ。きっとこの神様は許してくれない。

「それは……。」

『できないと言うのか?』

 しかめた顔で、私はスカートをぎゅっと握った。

 ここで、できないと言ってしまえばどうなるんだろう。この神様は許してくれるのだろうか。ううん、きっと違う。もっと過酷なことを強いるに決まっているんだ。


「初めて好きになった人でも、私の人生を賭けるような相手では無い。きっとこの先も恋をする相手は見つけられる。」

 と、心の中で誰かが囁く。そうだ。私はここで終わる訳にはいかない。もっと沢山の経験を積んで、沢山恋をする。私が見ているのは、今ではなく未来なんだから。

そのためなら誰かを嫌うことくらい、簡単だ。私は今まで一人だった。だから未来が過去の私に戻るだけ。

 ほら、なんて事ない。だから……。


「——できるよ。永遠くんを嫌うことくらい。」


 これが私の選択だった。

 真剣な私の眼差しに、ヤノハハキは歪な笑顔を浮かべた。

『面白い。なら、我に見せてみよ。貴様の選択を。』

 そう、私は自分の為に永遠くんを切り捨てる事を選んだ。

 だから、大丈夫。知り合ってたった二週間程度の人くらい、簡単に忘れられる……。




 ——結論から言うと嫌うことは出来なかった。



 何度も何度も永遠くんを諦めようとして、永遠くんを拒絶するフリをして。それでも尚、私の中の感情は膨れ上がっていた。

 二十七回目を過ぎた辺りから私は永遠くんを嫌いにはなれないと思った。

 だから私がとった行動は永遠くんを好きでい続けること。

 でもそれを永遠くんには言わないこと。

 私は自分の中でこの人生に終わりを打つ決意をした。これは最後の思い出作り。だから私は笑顔でい続けることにしたんだ。

 好きでい続けるんだから、その他の嫌な感情は全部いらない。消して消して消して……。最後まで残っているのは愛情だけ。でもいいでしょ?これが私の選択なんだから。

 いらない存在の私が最後に見せる人間らしさ。うん。私らしい。

 きっとこの光景を見ているヤノハハキに私は言いたい。

 私に選ばせてくれてありがとう。私は恐怖を捨てたから、もう何も怖くないよ。

 永遠くんにはずっと内緒のまま、私は一人最期を迎えよう。——そう思ってたのに。


 思い出したのは、ついさっきの光景だった。

 九十九回目の一月七日。私がおこした小さな抗い。


 なんで言っちゃったんだろう、私。本当のことを。自分で自分を諦めたのに。

 ほら、永遠くんの顔。私がヤノハハキと出会った時と同じ顔してる。

 嘘だ、信じられないって。

 でもごめんね、全部本当なんだよ。本当だから永遠くんは私に何もできない。ただ見ているだけで、無力で。それでいいんだけどな。

 でも永遠くんは違う。きっと私と助けたいって本気で思ってる。

 お人好しな永遠くんは、いつまでも私を諦めないと思う。

 でも私の願いはね、永遠くんの心の中に残ったまま消えることなんだよ。

 永遠くんのことが好きで、好きで、大好きだから。

 お願い、永遠くん。私にはもう、手を出さないで。永遠くんに差し伸べられても私、とれないからさ。だから……。

記憶が途切れる寸前に見たのは、そんな光景だった。

言いたい事は沢山あったけれど、それも全部黒い塊が飲み込んでいく。

自分の中にある細い線が、プツッと切れる音が聞こえた。

そして、私はまた永遠くんと別れる道を選んだ。


 ‎✿ ‎




 ふと、頬に違和感がある事に気づく。何かのスジが通ったかのように冷たい。

 重たい瞼を開いて、頬を指で撫でる。指先に湿った感触。目で見ると、雫が乗っていた。少し戸惑って、やっと気づく。


 ……ああ、これは涙だ。


 今まで泣いたことないのに。永遠くんのことを考えただけで涙が出るなんて。やっぱり永遠くんは凄いなぁ。

 暗闇の中で誰かが囁く。『もうすぐ時間だ』と。

 そっか。なら、ちゃんと起きなくちゃ。まだ寝ていたいけど、これが本当の最後だから。

 体をおこして、立ち上がる。ポニーテールにぎゅっと引っ張って、気合いを入れる。

 涙が溢れている目元を強く擦って、私は目の前から差し込んでくる白い光を睨み付けた。

 深い深呼吸。大丈夫、何も怖くない。そんな感情は今までで消し去ったでしょ。

 白い光は、目を瞑りたく程に大きくなっていきく。そしてその光は私を包み込み、私を隠していった。

 胸に手を当てて、ゆっくりと瞬きをする。顔を上げ、その一歩を踏み出した。

 歩く度に永遠くんの顔が思い浮かぶ。大好きだよ。永遠くんのことが。だから……。


 ——さぁ、最後の冬休みの始まりだ。



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