第10話 一月七日



 雪葉、という人間は掴みどころの無い自分だ。


 一言でいえば、彼女はそんな人間。

 でも、この約二週間という日々を共に過ごしてきたからこそ、僕は言えることがある。

 確かに掴みどころのない奴だし、何を考えているのかも分からない。

 けれど、雪葉は誰より優しくて、魅力的で、笑顔がよく似合って。そして僕に安心感を与えてくれる。


 会ったばかりの時、僕は雪葉よりも先を歩いていた。

 一緒に歩き始めたのに気付けば雪葉は後ろにいて、僕は立ち止まりながら彼女を待つ。

 最初はどうしてなのかと、不思議に思っていたけれど、それは彼女の歩幅が僕よりも小さいからだと、後で知った。

 ——僕達はそんな関係だった。

 最初は合わなかった歩幅も、いつの間にか共に寄り添い合える様になる。

 知らない事を知りたいと感じて、もっと同じ時を過ごしたいと願う。


 彼女が僕の腕を引っ張って走り出すと、僕も一緒に走り出す。

 出会ったばかりの時だったら、破天荒な雪葉にため息を零していたけれど、今は違う。

 いつしか彼女になら振り回されてもいいとすら感じてしまった。


 だから。そんな雪葉だからこそ、僕はきっと——。




 僕は冬休みの間、ずっと雪葉と共にいた。

 出会ったのは、十二月二十二日。

 その翌日、二十三日は、僕の家に雪葉が押しかけてきた。どうして彼女が僕の家を知っていたのかは、恐ろしくて聞けないな。いつか教えてくれる日が来るのだろうか。

 二十四日はクリスマスデート。プレゼントを渡した時、想像以上に喜んでくれたのは、少しだけ嬉しかった。

 二十五日は今後の予定を立てた。この時は、毎日会うのかよって困惑したっけ。

 二十六日は雪葉のおじいさん家で勉強会。雪葉の頭が良いって分かった時だった。いつもは巫山戯ているのに、勉強すると人が変わったようになるのには驚いたな。

 二十七日は雪葉のおじいさん家の大掃除を手伝い、二十八日は僕の部屋の大掃除をした。二日続けて掃除をしたのは初めてだから、筋肉痛が酷かった覚えがある。

 二十九日は雪葉の家でゲームをして、三十日は二人で買い出し。しかも、美味しい喫茶店も見つけて、蘭月さん達とも知り合った。もう一度、あの喫茶店で、二人と話をしたいな。

 大晦日は一緒に年越しそばを食べた。雪葉はどうやら、蕎麦を作るのが初めてだったらしく、ずっと目を丸くしていた。その時だけは、僕の方が知識があるんだと思って少し優越感があったっけ。

 一月一日。近くの神社に初詣。いつか絶対に、彼女の願いを叶えてあげたい。

 二日は駅前で初売りセールに行った。雪葉はこれでもかってくらい服を買って、その半分を僕に持たせた。体力のない僕は、家に着く頃に足が動かなくなっていたな。

 三日は雪葉のご近所さんに挨拶に回った。四日は残りの課題を二人で終わらせる。こんなに余裕を持って終わらせたのは初めてだ。

 五日は初めてカラオケに行って、二人で大騒ぎ。帰る時、僕も雪葉も喉がガラガラで、余計に笑ってしまった。

 六日は二人でゴロゴロしながら過ごした。ゲームのメインシナリオを終わらせられたのは、少し嬉しくて、雪葉とガッツポーズをしたりも。



 雪葉と過ごした冬休みは今までで一番時が流れるのを早いと感じた。

 けれど、もうすぐで冬休みも終わる。それはつまり、僕達の別れを告げていた。雪葉を送る道の途中で雪葉は足を止める。

「永遠くん、明日はちゃんと空けてあるよね?」

 僕に背を向けながら止まったので雪葉の顔はよく見えなかった。

「そっちがそう行ったんだろ。空けてあるよ。」

 その言葉を聞いてから雪葉は僕の方を向いた。

「よかった!あのね、私達が初めて会った所覚えてる?」

「……あぁ、河川敷みたいなとこだろ?」

「明日、そこで待ち合わせしたいな。」

 忘れるはずない、と心のどこがで思った。僕にとっても大切な場所に変わっていたから。だから雪葉がしたその提案を僕は受け入れた。

 また明日、と雪葉が笑う。それに僕も手を振って答える。

『また明日』という言葉がこれで最後だと知りながら、僕は暗い感情を隠して家に帰った。


 そして、やってきた一月七日。

 分厚い雲が空を多い尽くして、冷たい風が吹く。

 見上げる空は、いつもと変わらずに僕を見下ろしている。

 それが有難いような、何処か寂しいような。

 そんな複雑な感覚が、僕を襲った。

 重い足取りのまま、待ち合わせの場所まで歩き始める。

 外の冷たい空気が、僕の心までも凍らせていく。

 今日で最後だ。せめて笑顔で別れを告げよう、そう決心した。


 けれどその心は、直ぐに崩れ落ちる。


 待ち合わせ場所には雪葉の方がはやく来ていた。川を見て僕を待っている姿に、あぁ、雪葉だな、と思ってしまった。

 制服姿の雪葉が僕を見つけて走ってくる。この約二週間、よく見た光景だ。

「永遠くん、元気ないよ? もっと笑おう! ほら、ほら! 」

 雪葉は自分の頬を指でぐいっと上げる。

 そんな雪葉を見て僕も少し頬が緩んだ。そうだ、最後まで楽しく居よう。雪葉と会うのだって、これで最後と決まったわけじゃない。

「雪葉はうるさい。」

「えーひどい! 」

 雪葉より一歩はやく歩き出して、雪葉の方をみる。

「それで、どこ行くんだ? 」

 雪葉といると、自然と口角が上がる。それを見て、雪葉も笑顔になる。

「いいとこ! 」

 これが僕達の関係だ。だから大丈夫。この先も二人で笑い合える。きっと……。


 雪葉が選んだのは、僕達が初めて出会った時に歩いた場所だった。雪葉に町を案内したんだっけ。

 それで突然僕のクラスメイトを目撃して神社まで走って。

 最初は変な出会いだと思っていた。でも一緒にいるうちに笑い合えるようになって。

「あれ? 永遠くんポケットの中に何か入ってるよ?」

 雪葉が指を指したのは僕が羽織っていたジャケットだった。手を入れて漁ってみると、何故か紙とペンが入っていた。

「あ、多分友達のやつだ。」

 終業式の時、彼女にあげるクリスマスプレゼントのリサーチをするために友達に借りたやつだ。

 あの時はまさか振られるなんて思っても見なかったな、なんて苦笑する。

 でも今となっては、笑い話に出来る程に雪葉という存在が大きくなっていた。

 一度取り出したペンと紙をポケットにしまう。雪葉にもう大丈夫、と合図をしてから次の場所に向かった。


 昼ご飯を食べ、気が付けば夕方。雪葉は「次が最後の場所」と言った。雪葉の後を歩きながら今までの思い出を頭に巡らせる。


 最初は変な奴。僕を振り回して、何を考えているのか分からない。表情がコロコロ変わって、でも楽しそうで。僕なんかと居て、なんでそんなに幸せそうなのだろうと思っていた。時折見せる切なげな顔も、やっぱり笑顔に変わる。

 彼女のペースに振り回されてばかりだったけど、いつの間にかそれが心地よいと感じて。

 思い返すのは雪葉の笑顔ばかりだった。そしてやっと気が付く。

 あぁ、そうか。これは……。


「着いたよ。」


 足元から鳴る、ジャリとすると音を聞いてから顔をあげる。そこは神社だった。

「ここに座ろっか。」

 雪葉はそう言うと、神社の建物に備え付けてある木の長い椅子に手を置く。

 雪葉は腰を下ろして、ポンポンと横を叩く。僕も雪葉の横に座って、二人で空を見上げた。目の前にはさっきくぐった鳥居。この光景も、もう最後だ。

「もう、お別れだね」

 寂しそうに呟く雪葉の横顔。僕だけじゃない、雪葉も同じこと思っていたんだ。

 彼女が僕と別れるのを少しでも寂しいと思っているのなら。

 少しでも僕と同じなら。

 僕は雪葉を笑顔にしたい。朝、決めたじゃないか。笑顔なのは僕だけじゃなく、雪葉もだ。二人で笑って手を振って。そしたらそれは未来への近道になる。『まだ明日』って言いあえたのなら、それは未来への約束になる。

 今彼女を笑顔にできるのは僕しかいないんだ。

「なら、未来の話をすればいい。これから先、僕達が一生会えないわけじゃないんだから。」

 僕がこんなこと言うなんてきっと最初で最後だ。恥ずかしいことを言ったな、と言い終えて思う。

 でも多分、真剣だった。だから雪葉は少し笑ったんだと思う。

「凄いな、永遠くんは。うん、凄いよ。そうだね、未来の話。永遠くんの未来。」

雪葉は俯きながら足をふらふらさせる。

そんな彼女に、「だから僕は、君がいる未来を見たいんだ。」そう言うつもりで口を開いた。

けれど——。


「だから——」


「でもね、永遠くんの未来にもう私は居ないんだよ。」


 その言葉が僕を遮る。一瞬の沈黙の後、雪葉は顔を上げて、その事実を平然と口にした。


「私、もうすぐこの世界から消えちゃうの。」


 それが、夢の終わり。そして、真実の始まりだった。

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