肉を食べる社会と魚を食べる社会
人間が生きていく上で重要な栄養の一つにタンパク質が挙げられます。
それはいかなる社会形態をとっていたところで変わらない事実ですが、何を摂取するかということで、その文明の様相が変化していくのではないか、と考えることができます。
肉と魚を摂取するには、まずそれらを捕獲して〆たり潰したりしなければなりません。今回は二つの違いというよりは、これらの過程も社会形成に幾ばくかの影響を与えるのではないか、ということに触れていきたいと思います。
明確には言い切れないこと(多くの例に当てはめてはいないこと)なので確実とはいいがたいことですが、ある程度妥当性があることではないかとは思います。
・港が社会に与える影響
・食肉文化が人格に与える影響
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・港が社会に与える影響
魚を食糧とするというのは肉に比べて農作物を産出するのに近い位置づけにあるといえます。
つまり都市の主な生産食物として、魚が挙げられるだろうという事です。
都市が魚を生産するには当然海辺である必要があり、逆にいうとそこは農業に向かない土地であるといえます。
中世が封建的な社会を築いていてその社会が土地に縛られたものである、とは前に書いた通りです。
土地と農民が食物を生み出し、騎士がそれを守り、指導者がそれらを束ねる、というのが農耕によって食物を生み出している社会の仕組みです。
乱暴な言い方ですが、これが封建制の一般的なモデルです。
対して漁業ではこのようなモデルが適用できません。
人々は船に乗り、釣り糸を垂らすなり網を投げるなりして、生産活動を行います。食物生産のシステムが土地の広さに縛られないのです。
土地を基準にした住居や職業の拘束ができないので、封建的な社会の色は薄くなります。
漁業を主とする村ではもちろん馬にのる戦士も必要だったことでしょうが、それ以上に船にのる戦士が必要だったことでしょう。
漁村の守護者がいったいどのような敵と戦い、どのような形態をとっていたのは定かではありませんが、普通に考えても農村を多く抱える都市に務める騎士とは在り方が違っていたことでしょう。
また、港という場所は海運の重要な拠点であるわけで、つまりは外から人が訪れる場所になります。外から来た人は厳格な階級社会で縛れないため、扱いを変えなければいけません。
これらのことはすべて、封建的統治を弱める結果となることでしょう。
大抵の世界で、港町は活気にあふれ自由な気質であると書かれるには、このような理由があります。
漁村が多く国内に封建的な思想が育ちにくいのであれば、緩い契約による統治体制の形成ということにはなりにくいでしょう。
実際漁村がドイツよりも多かったフランスでは、前にも触れたようにより集権的な体制を作り上げることに成功しています。一方でイタリアはそれぞれの都市が強力な統率力を持ち、地方分権を推し進めます。
海軍は騎士よりも大規模で、より統制(運用のための知識や訓練)が必要な軍隊です。確かに船を操るには大量の人員が必要です。
傭兵の頁で書いたように、集団戦に従事する戦士は一子相伝の武技ではなく、戦争技術を身に着ける必要があります。そうであれば、より強力な統治体制を作り上げることは、国王にとっては比較的容易だったのでしょう。
・食肉文化が人格に与える影響
ではもう一つのたんぱく源である、肉はどのような影響を与えるでしょうか。
欧州では古くから畜産が行われ、羊や豚などを家畜として扱ってきました。
その歴史は日本と比べるまでもないでしょう。
家畜を食糧に変えるためには当然のことですが、屠殺という工程を踏まなければなりません。
生き物を殺すという工程を、彼らが日常的に行っていたということです。
この事実がどれほど人格形成に影響を与えるのかは定かではないし、研究資料もない状態で軽々しく書ける話でもないとは思います。
対象が違えば当然抱く感情も違うだろうし、食用とされている野生動物の中でも見た目で随分と差が生まれると言います。
とはいえそのような作業に全く従事したことがない現代人と比べて、死生観に差が出ることは確かでしょう。
直接生き物に刃物を振り下ろす経験や、鈍器で打ち砕く経験をしている人とそうでない人について、対人戦闘における忌避感情やそこから如何に立ち直るか、――たまに小説では戦士の資質などといった書かれ方をしますが――というレベルで大きな差が生まれるのではないか、とするのは不自然なことではないでしょう。
もちろん畜産食肉文化を凶暴性と結び付けるのは安易だし、現代においては非常に危険な考え方です。
しかし中世という時代区分において展開されるファンタジーという戦いの物語の中で、人と戦闘を行いそれを打ち負かす描写があった時に、これらが全く無視されるというのも味気ないものではないでしょうか。
いつか書きましたがファンタジー世界は、我々の住んでいる世界ではもう体験できないこと、または形成されえない人格の思考を、登場人物を通してシミュレートできるという点があります。
こういった日常的に構築されるであろう人格は、たとえば性別による物事の考えたの違いや、その育った家庭環境などといった、現代社会でごく当たり前のこととしてとらえられている事柄と同じことです。
職業や経験している事によって人の思考に差が生まれてくる、と考えるのは当たり前のことでしょう。
"屠殺を経験したことがない人"が大多数であろうこの世の中で、どれだけその要素を持ち出して納得されられるかという問題はまた別ですが、少なくとも我々は想像力があり、それによってたとえ経験したことのない事柄でも疑似的に理解することはできるはずです。
転生物ではとくにその色が強いとは思いますが、"対人戦闘を行うときの主人公の決心"というのは色濃く書かれるべきであり、そこをどれだけ長く葛藤させるか、どのようなプロセスを経て立ち直るのか、という点こそ重視すべきと思って創作された物語は多いでしょう。
私自身そのような場面では主人公の思考を理解できるし、乗り越えたときはよくやった、と思うことも多くあります。
しかしファンタジー世界出身の主人公であれば、対人戦闘を終えたときに"ああ、自分もやってしまった"程度にしか感じず、すぐ立ち直るのもリアルな描写になる場合もあるかもしれません。
登場人物たちの置かれた環境から、彼らの性格や行動を想像する、という作業も面白いかもしれません。
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