第109話 追撃の黒き闘犬、その5

 街道を南に誘拐者を追撃するセージ・ニコラーエフ。

 黒い大柄な馬を疾走させて、左隣を生人形リビングドールのジェリスニーアが馬と同じ速度で駆けている。

 レナ達を後方に全速ですでに五分は走っただろうか。

 陽動に向かわせたラーラがセージの右側に降りて来て低空を並走して言った。


「セージ、ずっと遠いけど騎兵の集団が見えたわ」


「騎兵? 何騎だ」


「十はいたかしら。この先の交差路を東に行ったところよ」


「連中の迎えか・・・? 近いのか」


「遠いわ」


 ハーピーの、鳥の視力で感覚で遠いというのだから距離は相当あるのだろうが、それらが誘拐者の迎えだとして大人しく待機しているとは限らない。

 彼は逡巡して、作戦は変えずに行こうと判断する。


「敵に合流させなければ良いだけだ。ラーラ、西側から姿を見せて陽動してくれ」


 しかしラーラは、セージを少し寂しそうに見つめると言った。


「歌うわ」


「歌だと? 効果範囲に近付けば弓が届く。無茶な事はするな」


「飛び道具は持っていないようだし、上手くやる。人間って、空を見るのはあまり得意ではないでしょ?」


「お遊びじゃないんだぞ」


 怒気をやや荒らげて込めて妻を睨むセージ。

 ラーラはクスリと笑うと、ジェリスニーアを見て言った。


「馬よりも速く走れるんですってね?」


「コラキア近辺で私よりも速く走れる存在は皆無と自負します」


「そ。上手くやってね?」


 ラーラが風を掴んで一瞬で高空へと飛翔して行く。

 セージが慌ててジェリスニーアを見ると、彼女は彼の駆る馬の倍以上の速さで駆け出して街道を南下して行った。


「おい、お前ら! 何を考えて!?」


 セージの耳元にジェリスニーアの声が届く。


遠話魔法ロングテリングで失礼します。奥方様の魔法の歌で標的を眠らせ、その間に奪還してまいります』


 びっくりして声のする右側を振り向くが、当然誰もいない。

 勝手に行動を開始した女達を心配して怒るセージが声を荒らげる。


「何が奪還だっ、遊びじゃあないんだぞ! すぐに中止して戻ってこいっ!」


『遠話魔法はラーラ様の飛ぶ高度までは届きません。間に合いません。なのでこのまま先行します』


「ジェリ! ふざけるんじゃあないっ!」


『成功したら抱きしめてくださいと要求します』


「成功してもゲンコツだっ。勝手しやがって!」


『きっと抱きしめてくださいと要求します。ご心配なさらず。必ず成功します、我がマスター』


「ええい、クソっ! ライトニングアロー、もっと急げるかっ?」


 騎乗する黒い大馬に声を掛けると、少し申し訳なさそうに弱々しく嘶く黒毛の大馬。

 セージは残念そうにしながらも労るように首筋を右手で軽く叩く。


「そうか。無理をさせてすまんな。しかし・・・」


 ジェリスニーアが豆粒のように見えるほど引き離されて、恨めしそうに睨みつける。


「クソっ、勝手をするのは俺も大概だが・・・。クソが・・・」


 黒い大馬、ライトニングアローに出来るだけ急がせて道を急ぐセージ。

 懸命に駆ける大馬のおかげで、ようやく前方に、点のようだが件の馬車が見えて来た。

 遠く鳶の鳴き声が上がる。

 ハーピーが狩をする時に発する独特の遠吠えだ。

 通常であれば、この声に慌てた獲物が物陰から姿を現すのを待って急降下攻撃を仕掛けるのがハーピーの狩の方法だが、相手が人間であっては自らを晒す危険を冒しているに過ぎない。

 冷たい汗が額から左頬を伝って落ちた。


(頼む頼む頼む、何事も起きるな、何事も・・・)


 ジェリスニーアが背後から高速で迫る中、ラーラが馬車に向かって急降下して行くのが見えた。


「クソっ、無茶するんじゃあない!!」


 妻が目の前で危険に飛び込んでいくのを見るのは、心臓が止まる思いだ。

 馬車の真上に合わせると静止するように速度を合わせて飛翔する。

 すぐにジェリスニーアが馬車に追いついて荷台に飛び込むのが見えたと同時に、ラーラが風に乗って上空へ退避して行く。

 荷台の二人の東洋人が動き出すのが見えた。


「ジェリっ! さっさと離れろ、何をしている!!」


 彼の心配をよそに、ジェリスニーアは大きな袋のような物を両手で抱えると馬車を飛び降りてこちらに踵を返して駆け戻ってくる。

 セージは手綱を引いて馬を徐行させると、街道のど真ん中に止まって安堵のため息を吐いた。


「全く・・・。ヒヤヒヤさせやがって・・・」


 馬車は速度を緩める事なく南に進んで遠ざかって行く。

 車かバイクかという圧倒的な速さで駆け戻って来たジェリスニーアがセージの騎乗する馬の左側に立ち止まると大きな頭陀袋をそっと街道の地面に下ろす。

 上空へ退避して戻ってきたラーラも、彼の右側に降り立って来て言った。


「上手く行ったわ。眠りの歌に抵抗のある人間なんて、そういないものね」


「全くです。コレは褒めてもらって良い案件ではないでしょうか」


 同意する生人形が真面目にドヤ顔で主人の男を見上げて言った。

 しかしセージは相当に怒った様子で馬から降りると、ラーラの正面に立って睨む。

 ラーラは不服そうに顔をしかめたが、彼は勢い彼女を両手でしっかりと抱きしめた。


「ちょっ、セージ?」


「うるさい。心配させやがって。歌が効果無かったらどうしたつもりだったんだ」


「もう・・・。上手く行ったんだからいいじゃない」


「よくない。危険な賭けだったんだぞ」


「でも戻ったわ」


 ラーラも彼を抱きしめ返して応える。

 それに、と付け加えるように言った。


「あなたが戦いに身を投じる度に私も胸を締め付けられる想いなのよ。意趣返しのつもりは無いけど、たまには味わってみてもいいんじゃない?」


「悪ふざけが過ぎる」


「でも多少の無理は必要だわ。あなたは強いけど、出来ないことだってある。私達の事、もう少し頼って欲しいのよ」


「そうかも知れんが・・・。いや、そうだな。だが、あまり無茶はするな。それは俺の役目だ」


 セージは一層力を込めて妻を抱きしめると、そっと離して彼女の腰を両手で抱き上げて黒毛の大きな馬に跨らせる。そして生人形リビングドールのジェリスニーアに向き直った。


「ジェリスニーア。お前もご苦労だった。よく成功させてくれたな」


 セージから労いの言葉をもらって少しだけ微笑むと、まっすぐに立って両手を下腹部の辺りで組んで彼に正対する。

 セージは多くは言わずにいきなり彼女を抱きしめて背中を軽く叩いてやった。

 驚いて最初は硬直していたが、嬉しそうに抱きしめ返してくる生人形。

 馬上から見下ろしてラーラが不機嫌そうに言った。


「いつまでそうしているの?」


 妻の嫉妬を感じてジェリスニーアから離れるセージ。


「ジェリ、袋から出してやってくれ」


「賜りました。我がマスター」


 若干名残惜しそうにしながらも、ジェリスニーアは頭陀袋の脇に屈み込んで左手で口元を摘み、右手の人差し指を立てて真一文字に走らせると、指先から淡い黄色い光が迸って袋を綺麗に切り裂く。

 中に囚われていた金髪褐色肌の美女がのそりと起き上がるとセージを見上げて不満そうに頬を膨らませた。


「遅い・・・。来てくれたのは嬉しいけど、遅い」


「言うな。助けてやっただろう」


「ギュってしてくれたら許す」


「別に何かをしたわけでもないのにその言われようはどうなんだ」


 言いながらセージは彼女の背後に屈み込むと、華奢な腰を両手で抱き上げてラーラ同様に馬に跨らせる。彼女の前に。


「馬は乗れるな」


 手綱を器用に操って側面を見せ、セージを見下ろす。


「当たり前でしょう」


「レナとフラニーが向かって来ている。合流して町に戻るんだ」


「どうするつもり?」


「お前には関係ない」


 言い切ってセージは南に向き直り、街道の先を睨み据えた。

 馬車がようやくと言った様子で反転して向かって来ている。

 彼は生人形のジェリスニーアに首だけ向けて言った。


「騎馬の集団が気になる。一緒に行ってみんなを守ってやってくれ」


「フラニー様とレナ様がいらっしゃいます。戦力は十分では? 私も残って戦うべきだと判断します」


「レナが特に対人戦に慣れていない。お前の力は必要だ。それに」


 背中から両刃斧バトルアックスを引き抜いて地面に打ち立て、両手を柄頭に乗せて街道を睨み据える。


「奴等には個人的に用がある」


 ジェリスニーアはじっとセージの後ろ姿を見つめて、やがて馬の首筋を左手で撫でて言った。


「帰りますよ。背中の人達を落とさないように気をつけて」


 ひとつ嘶いて歩き始めるライトニングアロー。

 褐色肌の美女、アニアスが何かを言おうと振り返ろうとしたが、ジェリスニーアが駆け出し、追うように馬も走り出したため言葉を交わせない。

 女達がコラキアに向かって離れて行くのを背中で感じて、セージは南から迫ってくる馬車をじっと見据えて待った。




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