第104話 癒しの青い少女と怒れる人形娘

「ふぁああっ! ふぃいいいっ! ふふぅぅううっ!」


 息を切らせてアミナは路地裏を駆ける。

 彼女の手を引いて颯爽と駆けるのは、生人形リビングドールのジェリスニーア。

 緑色のウィッグをローツインテにまとめた少女人形は、二本のテールをなびかせながらアミナが転ばない程度に急いで駆け、アミナはというとそれについて行くのに一杯で今にも脚を縺れさせて転びそうだ。

 ジェリスニーアは内心ほくそ笑みながらも表情は人形然とした無表情で忙しなくガラスの瞳を緑色に輝かせて上下左右に動かし、周囲の状況を高速で確認していた。

 狭い裏路地を生人形に手を引かれながら必死について走る青い神官服の娘。

 ジェリスニーアのガラスの目に映る光景は、人や動物と思しき足跡の痕跡を淡い緑の光が縁取ってその上に現在では使われていない記号のような文字が表示されてそれらが犬、猫、人間の大人か子供といった分別がなされる。

 さらに、地面に落ちた大型鳥の羽数枚が発見され、真新しい羅列が浮かび上がり、細く長い線がそこから発生するとその先に四角いウィンドウが一枚表示されて新たな文章の羅列が表示されて思考を巡らせた。


子供達プチハーピーはこの直上を通ったのですね。状況的に、そろそろの筈ですが)


 裏の裏の、さらに裏通りは建物の背面に挟まれた狭く整備されていない道であり、近隣の住民が勝手に置いた木箱や樽で倉庫然とした乱雑さがあり、人が通る事は全く考慮されていない。

 場所によっては、悪巧みをする小狡こずるいガキ供の悪戯場所にもなりそうな、治安のよろしく無い場所。

 様々な形跡の表示、注釈、データが眼球内に表示されるのを思考して処理しながらジェリスニーアが細く荷物で雑多な障害物だらけの道を右に曲がると、一人の男が道端にうつ伏せに倒れているのを見つけて緩やかに速度を落とし、ピタリと立ち止まった。

 今回は流石に歩調を合わせる事が出来たのか、アミナもまたジェリスニーアに左手で右手を引かれながら立ち止まると、左手を膝に当ててやや屈み込み、深く幾度も深呼吸をして息を整える。


「全くっ、どうして、アナタは、こうも、ふぅ、もう少し人に、気を使って・・・」


 恨めしそうにジェリスニーアを見上げ、より一層人形らしい氷のような冷たい表情に気づいて息を飲んだ。

 そして、彼女の視線の先を見て、見知った男が、古びた胴鎧に身を包み、大きな斧槍ハルバードを右手に持ったまま横たわっているのを認めて小さな声と共に息を飲んで姿勢を正す。


「・・・サー・キンバーデ・・・」


 ジェリスニーアが顎を少し引いて上目遣いに視線を投げかけ、普段より低く凄みのある声を上げる。


「御老体は我がマスターに遠く及ばずとも、確かな戦闘力の持ち主です。それを、こんな・・・」


 目が細められ、殺意と呼んでもいいほどの光がガラスの瞳から発せられる。

 ジェリスニーアの眼球内に、動かぬ老騎士の状態が次々に表示された。


【体温:低下中】

【脈拍:0、40、20、30、・・・】

【呼吸:低下中】

【状況:危険】


 ジェリスニーアがアミナの手を離すと、アミナは老騎士キンバーデに駆け寄って背中を差すって震える声で言った。


「キンバーデさん、キンバーデさんっ! 大丈夫ですか、しっかりして下さいっ!」


 少し怒った顔でジェリスニーアが歩み寄ってアミナの右肩に右手を置いて、責めるように言った。


「揺らさないで下さい。危険な状態です」


 ビクリと肩を震わせて、慌てて手を離して生人形を見上げる神官少女。

 目を丸く見開いてジェリスニーアに問いかける。


「危険? 危険とはどの程度ですか、解るのですかっ?」


「問答している余裕はありません。回復の魔法を。・・・私のヒーリングミストはある程度生命力のある対象にしか効果を発揮出来ません。新陳代謝がそもそも低下している存在では、ミストを吸収して自己の修復を行うだけの生命活動に欠如しています」


「な、何を言っているのですかアナタは! 分かりやすく説明しなさいっ!」


「死にかけです。ですが、神聖魔法ならば回復の可能性が残っています。今にも死にそうですが」


 氷のような冷たい声で言い放つ生人形であったが、その無表情の中に確かな怒りを感じて、アミナも冷静さを取り戻すと両手を老騎士の背中にかざして目をギュッと閉じて集中した。


「スクーラッハの名の元に、この者の傷を癒したまうと祈り捧げらむ。深き、深き、死の誘いより、この者の生命いのちを繋ぎ止めん。癒さん。生命いのち。癒さんと。傷よ、塞がれ、塞がれ、塞がれ・・・。塞がれ、塞がれ、塞がれ・・・」


 アミナの両手の平から、淡い青い光が発せられ、老騎士の全身に徐々に行き渡っていく。

 ほとんど呼吸していなかった胸が、僅かずつ上下に運動を始め、やがて「ぅぅ・・・」と呻き声が上がる。

 アミナはそこで油断する事なく、ひたすらに祈りを捧げていた。


「塞がれ、塞がれ、塞がれ・・・。生命、癒さんと・・・。塞がれ、塞がれ、塞がれ・・・」





 キンバーデは闇の中にいた。

 何かを為さねばならなかった気がするが、一体なんだったのか思い出せない。

 気力が湧かない。

 ただ、力無く暗闇の中で佇んでいると、遙か遠い先にポツリと白い光が見える。

 光は緩やかにキンバーデに近づきながら、優しげな、どこか冷たい若い娘の声で呼びかけて来る。


『おいで・・・おいで・・・・・・。こっちに、おいで・・・。全てを忘れて、こっちに、おいで・・・・・・』


 まるで気力が湧かなかったが、女の声に誘われるように彼の足が、少しずつ動き始める。

 前へ、前へと、


『おいで・・・おいで・・・。こっちに、おいで・・・・・・』


 キンバーデの歩調に、力が戻ってくる。

 あの声のする光に行けば、救われるのだろうか。

 それで良かったのだろうか。

 良かったのだろう。

 彼はずっと、使命のためだけに生きてきた。

 もう、そろそろ、終えてもいいだろう。

 力強く光に向けて歩き出すと、不意に遠くで赤ん坊の声が聞こえた気がして足を止める。


『ンギャア、ンギャア、ンギャア・・・』


 どこの赤子だろう。

 何処で赤子が泣いているのか。


『ンーギャア、ンーギャア、ンーギャア、ンーギャア』


 赤子。

 赤子とはなんだ。

 何故、赤子なのか。

 不意に脳裏に、麻黒い肌の金色こんじきの産毛が眩しい琥珀色の瞳の赤ん坊が思い描かれ、背後からよく聞き知った男の声が耳元に大きく響く。


「キンバーデっ! 使命を果たせ!! キンバーデ!! 使命を果たすのだ我が友よっ!!!」


 ハッと我に帰り、振り向くと、眩い光に目が潰れそうなほど照らされて・・・。





「気がつきましたっ!!」


 肩にかかるかという程度の長さの青い髪と、同じように青い神官服に身を包んだ少女が覗き込んできていた。

 視線を少し左にずらすと、青い髪の少女によく似た背格好の、緑色の髪をローツインテに纏めた冒険者ギルドのメイドが下腹部の前で上品に手を組み垂直に起立した姿勢で心配そうに見下ろしている。


「ぐむ・・・ここは・・・」


 老騎士は痛む喉を左手で摩りながら右手で状態を起こすと、その場に座り込んで少女達を見た。

 メイドの少女が桜の花弁のように可憐な口を開く。


「御老体。貴方ほどの騎士に一撃で致命傷を与える敵は、何者ですか」


「敵? 敵とな・・・」


 老騎士は瞬時に意識を覚醒させて立ち上がろうとして、足腰に力が入らず尻餅をつく。

 それでも、心だけは折れずに言った。


「姫様はっ! アニアス様は何処におわすっ!?」


「貴方は敗北し、アニアスさんは敵に連れ去られたと聞き及んでいます」


 メイドの少女が至極冷静に語ると、老騎士キンバーデはホゾを噛んで右手に転がる斧槍の柄を強く握りしめて言った。


「虎の面の少年。大柄な金棒を持つ戦士・・・。おのれ、我は敗北したというか・・・。なんと情け無いっ。ワシがもう少し、冷静に戦って居れば・・・」


「虎の面の少年。大柄な戦士。それらは、東洋人でありましょうか?」


 メイドの少女、生人形リビングドールジェリスニーアが問うと、キンバーデは悔しそうに声を絞り出した。


「いかにも・・・。まさかあれほどの手練れとは・・・。このキンバーデ、手も足も出なんだ・・・!」


「なるほど」


 ジェリスニーアはポツリと言うと、常人ではありえない速度で首を、目を小刻みに動かして周囲を見回す。

 小刻みに動いては止まり、動いては止まりを繰り返すと、首の動きに合わせて金属が擦れ合うような「カチリ、カチリ」という異音が響き、彼女が人間ではないのだと気づかせる。

 やがて、ジェリスニーアは目を見開いて南に向き直り、じっと裏通りの土の凸凹道を見つめて言った。


「シェイニー・インに宿泊していた人物と特定。足のサイズ、歩幅、一致。どうやら慌ててこの場を去ったようですね」


 急に怪しげなことを口走るジェリスニーアに、青い神官服の少女、アミナが驚いて言った。


「唐突に何を言い出すのですっ! そんな事より、人を呼んで来てキンバーデさんを休める場所に運ばないと、」

「回復魔法を掛け続ける事を提案します」


 なっ、と、アミナが生人形の対応に不満を言おうとすると、彼女、ジェリスニーアは背を向けて続けた。


「すでにかなりの残滓が消滅しています。一刻を争います。私は追撃モードを展開し、敵の追跡に入りますので、アミナは御老体の回復を続けて下さい」


「相変わらず何を言っているのか分かりませんが、ともかく目的はハッキリしたという事ですね。ならば、私も、」

「人の脚では私について来れるはずもありません。適材適所です小粒ちゃん」


「小粒って・・・っ! アナタがいくら足が速いからってっ、」


「人の良さそうな態度で我がマスターを謀り、我がマスターに哀しみを覚えさせた許されざる敵を、この戦闘用リビングドール、ジェリスニーアは逃しはしない。敵の残滓は見つけました。これよりアナタの元へ帰還します我がマスター。追撃開始です・・・っ」


 前のめりに倒れそうなほど身体を傾けると、ジェリスニーアの脚が残像を残すほどに高速に動かして駆け出し、馬よりも速い恐ろしい速度で駆け出してあっという間に裏通りから姿を消した。

 あまりの現実離れした動きに、取り残されたアミナとキンバーデは開いた口が塞がらず、しばらく金縛りにあったかのように彼女が駆け去った先を見つめていた。




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