第1章 転生隠者と転移勇者

第2話 これは憑依か転生か

「神官様、神官様!」


 若い修道女が、廊下を共を二人連れて歩く初老の神官を背後から呼び止める。

 スクーラッハ寺院、天神サーラーナに使える四天王神であり、水の神であるスクーラッハ神を祀る寺院は、トーナ王国の外れの町、コラキアにあった。

 スクーラッハ寺院の代表である神官、バーサックは慌てふためく修道女を叱るように静かに口を開く。


「何事です、騒々しい。寺院の中では穏やかでいなさいと、普段から教えているはずですが」


「そ、それが、森の隠者、暴れ者のセージ・ニコラーエフを、信徒のアミナが連れ込みまして・・・」


 神官の供の一人、修道女のカーニアが顔をしかめる。


「収穫祭ではあるまいし、信徒とは言え修道女が男を連れ込むなど・・・、ましてや北からの流れの荒くれ者を神聖な寺院に入れるなど言語道断です。神官様、厳しいお叱りを」


「待ちなさい、カーニア。それで、どんな状況なのです。落ち着いて答えなさい、信徒ペシエ」


 若い修道女、ペシエは困ったように青ざめた顔で震えながら答えた。


「は、はい・・・。セージ・ニコラーエフは人喰いの大熊、ガランジャに襲われたらしく、全身血塗れで、顔の半分を引き裂かれ、正に風前の灯火かと・・・」


「ガランジャ? 人喰いの凶暴な大熊ですね。いたわしい。荒くれ者ではあったが、決して悪人では無かった」


「善人でもありませんでした」


 供の修道士、プーッコラが平然とした顔でポツリと呟く。

 神官バーサックは首を左右に振るとプーッコラを諭すように言った。


今生こんぜに善などと言う存在はありません。控えなさいプーッコラ」


「はい、神官様。申し訳ございません」


「それでは、セージ・ニコラーエフの葬儀を執り行わねばなりませんね。異国の民とはいえ、この地で亡くなったのであれば・・・」


「お、お言葉ですが、神官様」


 ペシエが震える声を上げる。


「どうしたのです?」


「そ、それが、まだ息があります。神聖魔法で、助ける事は出来るのですが、あのような乱暴な隠者を助けて良いものかどうかわからず・・・」

「大馬鹿者!!」


 神官バーサックは、学徒たる信徒ペシエを怒鳴りつけた。

 大きく深呼吸して落ち着いた口調に戻り、諭すように言う。


「この世に救ってはならぬ命など無い。相手が魔物であれ、悔い改めた者は救う義務が、愛を司る海母神スクーラッハの信徒たる我らにはあるのです。セージ・ニコラーエフが今まだ生きているのであれば、迷わず救わねばなりません。癒しの魔法を使います、案内しなさい」


 神官バーサックは、ペシエに案内させて寺院の奥の部屋に向かい、信徒の住まう部屋の並ぶ廊下を進み際奥の区画の修道女達が住まうこじんまりとした部屋のひとつに入る。

 そこには、ペシエの同僚の信徒、アミナがベッドの傍に跪き、大柄な男の傷を懸命に拭っていた。

 バーサック達が入ってきた事に気付いてすぐに立ち上がる。


「神官様! ひどい怪我なのです。どうすれば良いでしょうか」


 バーサックは大柄な男の傷を確かめると、安堵の息を吐いて言った。


「医者に連れて行かなかったのは幸いです。この怪我では医者では治せぬでしょうが、神に仕える我らの神聖術であれば傷を塞ぐことは容易い。しかし、生命力までは如何ともし難いでしょう。アミナ、彼の看病を出来ますか?」


「は、はい、神官様。何卒このお方をお救いください」


「では、下がっていなさい。これよりこの者に、癒しの術を施します」


 そう言うと、神官は左手を胸に、右手を傷だらけの大男にかざして静かに目を閉じた。

 右手の平から淡い輝きが発せられ、男を徐々に包み込んで行く。

 その光は、やがて全身に行き渡り、そして傷という傷が徐々に塞がっていった。






 セージが目覚めた時、そこは木造の簡素な部屋の中であった。

 二段ベッドの下の段で横になった自らの身体を起こしてみる。

 死んでいるはずの大怪我を負ったはずだが、何故か生きている。

 改めて部屋を見渡す。

 部屋の広さは六畳ほどだろうか、向かいにも二段ベッドが置かれており、四人で生活する集団部屋で、ベッドの下に収納が設えられており、タンスのような物も無いところから衣服などの収納は全てそこで賄っているようだ。

 床も壁も天井も板張りで、古い建築様式に感じる。築何年か、とても古い建築物に感じられる。

 ベッドを降りたセージは窓に近付き、レースのカーテンを勢い良く開けると、未だ外は薄暗く早朝を感じさせる。

 両手を見下ろして見て改めて自らの身体を確かめてみると、まるでプロレスラーのように大きな体格になっていることがわかった。

 全くの別人の身体かと言うと、昔からそうだった気がするが、つい最近まではもっと細身の、針金と呼ばれても否定ができないほどの体格であった気がするのだが、今の身体のしっくりこないと言う事はない。

 不思議な感覚に得体の知れない、要領を得ない疑問だけが込み上げて入口付近に立てられた姿見鏡を見つけて全身を映してみた。


「・・・俺、か?」


 ルックスは多分、いい男な方だっただろう端整な作りだが、年齢的には三十代、もしかしたら四十しじゅうかも知れない。それなりに年を積み重ねてきた疲れが皮膚に表れていた。ひょっとすると荒れた生活を続けたせいで実際の年齢よりも老けて見えるのかも知れない。

 ただ、顔の左半分は大きな切り傷が頬に残っており、頭部も左側の前髪が根こそぎ禿げ落ちた大きな傷跡が残っている。


(高所作業車が倒れて挟まれた時、顔の左が上を向いていたか・・・。いや、この傷はずっと昔の戦で付いたものだったか・・・。戦・・・? 高作車・・・。ううむ、なんだか、記憶が曖昧な感じだ・・・。いろんな記憶が混ざっているというか・・・。そもそも、なんで俺は生きているんだ・・・?)


 セージが混乱する頭を抱えてかぶりをふっていると、入口の扉が開かれて水の湛えられた金属製の桶を両手に抱えた青色の修道服に身を包んだ小柄な少女が入って来るや、目を丸くして見上げてきた。


「セージ様! 良かった気が付かれたのですね。でも、まだ横になっていなくてはだめです」


 静かに叱るように小さく可愛らしい口を開く少女。

 作業員をしていたかつてならときめいたかも知れない可憐さだが、今はどうにもその仕草が鬱陶しく感じる。

 セージはぶっきら棒に鏡に向き直って少女を視界から追い出し答えた。


「俺を案じているのか。心配される覚えはない。そもそも、お前は誰だ」


「あ・・・」


 少女は悲しそうに俯くと、泣きそうになりながらも健気に顔を上げて出来るだけ元気にふるまって見せた。


「そうですよね、覚えてなんかないですよね! 私、このスクーラッハ寺院の修道女、アミナと申します。山で山菜を取っている時に人喰い熊のガランジャに襲われて、たまたま通りかかった? 貴方が助けてくれて・・・」


 言われてみると、そんな事があったような気がしなくもないが、記憶に新しいのは大地震で高所作業車が倒れてその下敷きになった事だ。

 そういえば、気が付いたら目の前に熊がいて必死に戦って倒したのも真新しい。

 どちらが現実だったであろうか・・・。


「助けた覚えはないし、やらなければこちらがやられていた。それで、出口はどっちだ」


「まだ完全に回復されてはいません、出ていくなどだめです!」


「子供に心配されるいわれはない。さっさと案内しろ」


「そういうわけにはまいりません!」


「聞き分けのないガキだな・・・。そこをどけ」


 セージはアミナの制止も聞かずに小さな体をのけると、扉をくぐって廊下へ。

 壁に等間隔で扉が並ぶ木製の床の廊下を右に見ると、しばらく行って行き止まりとなり窓が設えられている。ならば、奥へと続く左へ進めば出口があるのだろうと、セージは大きく歩を進めた。

 ズボンに素足、上半身裸という出立ちだが、体格が大きいからか気にはならない。


「ま、待ってください、まだ無茶はだめです!」


 慌てて少女が桶を持ったまま追いすがってくる。

 バシャバシャと水が廊下にこぼれるが、気が気でない様子で追ってくるあたり本気で心配してくれているのだろう。そんな健気な姿勢に余計なお世話だといわんばかりに歩調を早めるセージ。

 廊下を抜けた先はホールのようになっており、左を望むと両開きの大きな扉、右を望むと礼拝堂のような造りになっている。

 迷わず左に向かおうとした所で、礼拝堂から太い男の声で引き留められた。


「気が付かれたようで何よりです、隠者殿。どちらへ行かれるのか」


 セージが苛立たしそうに振り向くと、この場の責任者らしき初老の修道士が両手を腹の前で組んで静かに見つめて来ていた。肩には白と赤の混在した布を垂らしている。神官、という奴だろうか。

 セージは無礼な態度でありながらも、ぶっきら棒だが言った。


「助けてくれたことには感謝している。神官殿。だが、ここは俺がいる場所ではない。出ていく」


「どちらに?」


「家だ」


「森に囲まれた山小屋ですかな?」


「どこだっていいだろう」


「ですが、貴方はそのままで大丈夫なのですか?」


「心配されるいわれはない」


「二つの魂が混ざり合っているように見えるのですが」


「何の話だ」


「オーラです」


 心霊的なことを言われて、セージは初めて我に返って神官を見つめた。


「何の話だ」


 繰り返すように神官に問いかける。

 神官は穏やかな表情でセージに論すように言った。


「貴方のオーラは二つの色彩が混ざり合っている。貴方本来の、赤黒い怒りの色と、調和を重んじる明るい青い色だ」


「言っている意味が分からん」


「ご自分の正体を、はっきりさせておいた方がよろしいのでは、と申しております」


 確かに、記憶の混在を自覚している所はある。ここは素直に、神官の言うとおりにした方がいいのだろうか、と、セージは床を眺めて思案にふけった。

 その様子を見て、神官が続ける。


「人生という旅は、急いだからどうなるという物でもありません。水鏡で占ってみましょう」


「占いで何か判るのか?」


「ある程度は」


「水晶玉ではないのだな」


地の属性アルカ・イゼスの神官ならば水晶を使いましょうが、私は水の神スクーラッハに仕える神官ですので。水を張った桶を使います」


「よくわからんが・・・」


 と、セージは神官に促されるまま礼拝堂に進んで行った。

 アミナが慌ててついて来ようとするのを、神官が振り向いて制止する。


「アミナ、貴女には勤めがあるはずです。彼も歩けるほどには回復している。勤めを果たしなさい」


「で、ですが、バーサック様」


「アミナ。修道女であり、見習いの貴女が健全な男性に近付くものではありません。修業を積みなさい」


 修道士は、神官として資格を認められるまでは禁欲が義務付けられる。修業の妨げになるからだ。

 何より、アミナのセージを見る視線に男女の理を感じていたバーサックは、これ以上の接触は避けなければ修業に差し支えるという判断で、二人を遠ざける事を決めていた。

 神官、バーサックに叱られたアミナは俯き、寂しそうに床を眺めて言った。


「我が儘を言って申し訳ありません、バーサック様。お勤めに行ってまいります・・・」


「そうなさい」


 部屋へと戻っていくアミナを見送り、バーサックはセージを祭壇まで導いて大人の腰ほどの大きさの銀製の杯に互いに対峙するように立つと、杯に湛えられた水を差して言った。


「両手をこの杯に差し出しなさい。左手は過去を、右手は未来を差します。貴方から見て正面、両手の間は現在を」


 言われるままにセージがバーサックと杯を見比べながら両手を杯に湛えられた水に差しいれる。

 バーサックは一つ頷いて懐から白い鳥の羽を取り出して、水にそっと浮かべて両手を杯を包むように添えると、羽がゆっくりと回転を始めて、セージの左手に誘われるように漂い始めるがしかし、完全に左手に近付くことはなく、右手と左手の間でくるくると旋回を続ける。

 バーサックは首を傾げてセージに問いかけた。


「真名はなんと申されましたかな」


「マナ?」


「貴方の名前です」


「大槻誠司だが・・・」


「東洋の名前のようですね。ですが、貴方は北の雪に閉ざされた大地から旅をしてきたと仰った。本当にその名前なのですか?」


「いや・・・俺の名は、セージ・ニコラーエフ・・・?」


「ふむ・・・」


 再び水面に視線を落とすと、白い羽はくるくると回りながら左手と右手のどちらに着くでもなく円を描いて旋回を続ける。

 バーサックは、納得するように頷き、セージに告げた。


「どうやら、北の民と東洋の民の魂が混ざり合っているご様子。詳細は解りかねますが、死を迎えた二つの命が一つに混ざり合うことで死を免れた、という事になりましょうか」


「記憶の混在はそのせいだと?」


「ですがこれで、ご自分の事を疑問に思うことは無くなると思いますが」


「余計に疑問が増えた。何故、二つの命が混ざり合う」


「ご都合主義かも知れませんが、貴方はこの寺院、寺院のある町についての知識も残っておいででしょう」


 言われて考えてみると、確かに一通りのことは解りそうだが。

 腑に落ちない様子のセージに、バーサックは続けた。


「今は納得できないかもしれませんが、この国、トーナ王国に東洋人はいません。セージ・ニコラーエフとして生活する事をお勧めします。セージ・ニコラーエフとして生きる事が、今は正しいでしょう」


「よくわからんが、そうする。世話になったな」


 言いながら、自分の言葉ではないような違和感がして首を傾げるセージ。

 慰めるようにバーサックが言った。


「ご自分に違和感を感じるのは、東洋人の魂が感じている事なのでしょう。ですが、紛れもなく貴方はセージ・ニコラーエフだ。貴方という友人を持って、私はよかったと思っている」


「友人なのか?」


「どうやら記憶の欠損が見られるようですが、貴方が初めてこのコラキアに訪れた時に世話をしたのは紛れもなく私ですよ。確か、戦争に疲れて逃げてきたと仰っておりましたね。人と接するのも億劫だと、町に住むのを早々にやめて近隣の山中、森の奥に居を構えて。・・・もう五年経ちますか」


「そうか・・・。すまん、覚えていない」


「よいのですよ。魂が混ざり合った後遺症でしょう。それよりも、我が弟子のアミナを猛獣から救っていただき、感謝しています」


「それも覚えていない。自分が助かるので無我夢中だったからな」


「しかし、冒険者ギルドで上級の討伐対象であった人喰い熊ガランジャを倒したとは、流石北の戦乱を生き抜いてきた戦士といった所でしょうか」


「やめてくれ。あんただろう、俺の傷を癒してくれたのは」


「いかにも」


「だったら、お互い様だ。あんたがいなければ俺は死んでいた」


 セージの言葉に、にこやかにほほ笑んで会釈して見せる神官の男。

 セージは気恥ずかしさを気付かれまいと仏頂面で背を向け、今度こそ寺院を後にしようとした。

 が、数歩で立ち止まってバーサックに振り向く。


「あの小娘にも礼を言った方がいいのか?」


「貴方に恋をしている様子です。修業の妨げにもなりますから、無用に願えればと」


「なら、構わないな。ところで、俺は大きな斧を持っていたはずだが、どこにあるか知らないか?」


「確かに・・・。アミナは貴方を運ぶのに冒険者の手を借りた、と言っていましたから。手癖の悪い冒険者が持っているかも知れませんな」


「そうか。ギルドに行ってみる」


 踵を返すセージに、バーサックが思い出したように言う。


「まずは、上半身裸である事をご存じか?」


「駄目なのか?」


「傷だらけの身体を自慢するでもないでしょう。しばらくお待ちなさい、貴方の体格に合うシャツがあったはずです。探し物はそれからでもよろしいでしょう」


「金はないぞ」


「私は医者でもなければ服屋でもない。見返りを要求などしませんよ」


「そうか・・・。恩に着る」


「ええ。少しお待ちなさい」


 神官バーサックは、にこやかにほほ笑むと礼拝堂の奥の部屋へと消えていく。礼拝堂の奥はどうやら倉庫のようになっている部屋もある様子だった。

 セージが手持ち無沙汰にしながら礼拝堂の中を見渡していると、大きな入口の柱の陰から数人の修道士の若い男女が顔を覗かせて興味深げに視線を送ってきているのに気付き、苛立たしげに声を荒らげる。


「見世物じゃないぞ! あっちへ行け!!」


 彼らは狂犬に吠えたてられたがごとく、恐れをなして散り散りに逃げ去っていった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る