序章

第1話 序章

◆◇◆ 序章 ◆◇◆





 虚弱体質だった。

 生まれつき身体が弱く、喘息気味で、すぐ息が上がってしまい、友達と遊んでいてもそのせいでいつも半端者と仲間外れにされ、虐められもした。

 救いだったのは、虐められながらもクラスメートからは気遣われる事もあったから。誰からも相手にされないという事は無かったから。

 身体が元から弱くても、鍛えれば後天的に改善は出来ると、幼少期に通っていた小児科の先生は言ってくれた。

 俺は、そんな先生の言葉に希望を持って、同じ時期に出会った背中に刺青の入った空手家のお爺さんに弟子入りしたいと両親に言ったことがあるのだが、当然のように大反対された。

 今考えると、そのお爺さんはヤクザの関係者だとも思えるが、他の格闘技を言った所で大反対され、代わりに水泳をやらされた事から、単純に格闘技を毛嫌いしていたんだと思う。

 格闘技を学んで身体を強く出来ていたら、もっとマシな生き方が出来たのかもしれない。

 それでも、それなりに体力はつき、今では建築・土木関係の仕事に就いて橋梁関係の修繕の仕事をしている。

 身体が弱いのは相変わらずで、どちらかと言えば管理の仕事をしている訳だが。

 そして、運命の事故に遭ったその日は、新幹線の高架下での補強工事に携わっていた。

 下請けの若い作業員が、補強剤の塗布作業を終えて高所作業車から降りてくる。

 軽く会話を交わして、彼が片付けを始めた時、ふと見上げると橋脚の上の出っ張った部分、梁の上に道具を落とさないようにと渡した電工袋が放置されているのを目に留め、彼に声を掛けた。


「おい、ちょい、あれ」


 作業員の彼が気怠げに見上げて来る。


「何すか?」


「電工袋忘れてんぞ。取ってきてくれよ」


「あ! 本当だ。監督取ってきて下さいよ」


「俺に言うか・・・」


「完了の写真撮り行くっしょ。一緒に取ってきて下さいよ。片付けしてるから」


「ダメ出ししたらまたお前登るんだからな?」


「さーせん」


「しょうがねぇなぁ・・・」


 笑いながら押し付けて来る彼に、ため息混じりに答える俺。

 正直、人を顎で使うほど自分が強くないのはわかっている。だから、折り合いをつけて付き合うようにしているのだが、上司からはもっと強気で使わないといいようにされるから駄目だとは言われていた。

 それでも、今の付き合い方で作業員は仕事をこなしてくれている。

 だから、俺はこのままでいいと思っていた。

 そして、同じ事の繰り返しのこの人生が、退屈なほど長く続くのだと思っていた。

 広いデッキの24メートル級の高所作業車に上がり、手摺にフルハーネスの墜落防止フックを掛けてコンソールを操作して、10メートルの高さの橋脚に上がっていく。

 橋梁の羽出し部を覆うように樹脂で貼り付けられたネットに浮きがないか目視で確認し、全体が写るように始点から終点に向かってカメラを向けて写真を撮る。

 そして、件の忘れ物を取りに再びコンソールを操作して橋脚に近付こうとした時、ぐらりとデッキがおかしな揺れ方を始め、慌てて手摺を掴むと、下から作業員が大きな声を上げるのが聞こえた。


「地震! 地震! 大槻さん早く降りて!! やばい!! デカイ!!」


 言われなくても、と、俺はコンソールを操作する。

 ブームは幸い大きく動かしていない。まずは縮め操作を完了させて、安定した高さまでデッキを降下させ、収納まで行かなくていい、高所から降りて安全を確保するのが先決だ。

 その筈だった。

 その地震は、余りにも大き過ぎた。


「ずれてる! 踊ってる! やばいやばい高車カニ歩きしてる!!」


「何だと!?」


 ブームの縮め操作をしつつ下に視線を移すと、24メートルの高所作業車が高架下に向かって滑るように動いているのがわかった。

 まずい、安定板からアウトリガーが落ちるくらいならまだいいが、その先には用水路の流れる大きな側溝がある。

 このままではアウトリガーが用水路に落ちる。そんな事になったら、こんな高所作業車、倒れるぞ・・・。


『異常を検知しました。動作を停止します。異常を検知しました。動作を停止します』


 安全装置が作動して、ブームの操作が効かなくなる。

 こんな時に!

 焦って何度も操作をするが、アナウンスが流れるだけで操作を受け付けない。


「やばいよ! 早く降りて! 揺れデカくなってる!!」


「わかってんだよ! 高車止まっちゃったんだよ!」


「やばいよ! 飛んで! 飛び降りて!」


「こんな高さから飛んだら死ぬわ!!」


「そのままでも死ぬぞ!? 高架下の土に向かって飛んで!! 倒れたら倒れたら・・・!」


 ぐらり、と、高所作業車が傾いた。

 眼下を見下ろすと、作業員が道路に這い蹲り、規制帯のカラーコーンが全て倒れているのが見えた。

 工事看板も倒れている。

 そして、少しずつ横滑りしていた高所作業車のアウトリガーが、深い用水路にはまって高所作業車が一気に傾いて行くところだった。

 アウトリガーが側溝の底に追突した衝撃で、身体が外に投げ出される。

 不幸な事に、フックは倒れる側にかけてあった。

 投げ出された衝撃で安全ロープが瞬時に一杯に伸びて安全装置が作動して、墜落するのを防いでくれたのだが、反動で身体がデッキに引き戻される。

 しかし、肝心の高所作業車自体が倒れて来ている。

 俺は手摺を掴んでデッキの中に戻ろうと腕を伸ばしたが、不安定に宙を舞う状態では掴む事叶わず身体が振り回され、そして、顔面に強烈な衝撃を感じて高所作業車ごと俺の身体は地面に叩きつけられてしまった。



 暗転する。



 顔面の痛みが酷い。



 身体は動く。



 力を振り絞って立ち上がると、鬱蒼とした森の中にいた。

 眼前には馬鹿でかい熊。

 熊が今にも攻撃しようと左腕を振り上げている。


(何だ!? 何で何で!? 何がどうなって!?)


 立ち上がろうとした時、右手にズシリとした重みを感じて視線を向けると、両刃の大きな斧が手の中にあった。

 無我夢中で斧を振り上げて熊の左腕の一撃を迎撃する。

 激昂した熊は、左右の腕を振りかぶって連撃を繰り出して来た。

 ズシリと重い大斧を両手で持ち、自分でも信じられない怪力で俺は熊の連撃を迎撃する。

 両腕に傷を負ってか、熊が両手をついて顔面を地面に落とした一瞬、反射的に俺の身体は前に飛び出し、大斧を大上段に振りかぶった。

 そして、勢いよく振り下ろす。

 両刃の大斧は、熊の頭蓋骨を打ち砕き、熊の巨体が地面に転がる。

 そしてそのまま、ピクリとも動く事は無かった。


「倒した・・・のか・・・。一体・・・、何が、どうなって・・・」


 ふらふらと、俺は後退って大きな木に背を預けると、地面にへたり込む。

 顔面が痛い。

 高所作業車が倒れて、顔面が下敷きになって・・・。熊に襲われて・・・。

 思考を巡らせるが、何がどうなったのかまるで理解が追いつかない。

 それよりも、顔面どころか、身体中が痛い・・・。

 気が遠くなる・・・。



 俺は・・・。



 どうなった・・・。




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