何者にもなれない私のこれまで

@iamnez

きっかけ

 これを書き出した頃、私はイライラしていた。どうすることも出来ない、何にもなれない自分に対して。それを少しでも発散したり、無視しようとするために、今この文章を書いている。


 私にはぼんやりとしたある憧れがある。創作者への憧れだ。例えば、絵を描いたり、音楽を作ったり演奏したり、ゲームを作ったりする人たちに、漠然とした羨ましさを感じている。好きなことを好きなように表現できるなんて、さぞや楽しいことなんだろうと思う。


 こんな思いを持つようになったのは、とあるゲームとの出会いからだった。詳細は伏せるが、作品を作っては見せ合って楽しむ、いわゆるクラフト型のゲームだった。始めたての頃は、私は結構楽しんでいた。作りたいものを、作ろうとしていた。周囲からの反応や交流もあった。モチベーションに火がついた。寝る間も惜しんで遊んでいた。ああでもないこうでもないと、もがきながらもその過程を楽しんでいた。


 ある時、小さなコミュニティーむらに誘われて入った。人数は少ないものの、交流は盛んだった。そのゲームに関する話題も、そうじゃない話題も出ていた。私は基本的には控えめに、時々口を挟んだりしていた。


 時が経つにつれて、だんだんと作品制作へのハードルが高くなっていった。というのも、ゲームは随時更新され、表現力もインフレしつつあったのだ。更新があるたび何かしら技術革新があり、プレイヤーたちは我先に新技術を取り入れた作品を作っていた。私もその中のひとりだった……と思う。


 次第に、私は表現力のインフレについていけなくなった。周りの作品のクオリティに合わせんがために、ひたすら制作画面に向き合い時間をすり潰した。しかし、いくら労力をかけても、引き上げられた自分の理想には、届かなかった。隣の芝生は青く見えるばかりだった。


 ついていけなくなると、次第に制作意欲が湧かなくなった。少し作ろうといじってみては、出来栄えに納得行かず、結局止める。新しい作品を出せない状況は、もどかしかった。そのせいか、コミュニティーむらに居づらくなり、勝手に消えていった。


 私は考えた。なぜ皆はあんなにクオリティの高いものが作れるのだろう? そう考えた時、周囲の人にぼんやりとした共通点があるように思った。……何かしら皆、属性を持っているのだ、と。


 ある人はクルマが好きだ。またある人はロボットに造詣が深い。ミリタリー関係に詳しい人。文字にこだわってフォントを作っている人。作曲をする人。映像作品を作っている人。絵を描いている人。他にも、いろんな人がそれぞれの属性を持っていた……。


 私は悩んだ。何もなかったからだ。……自分には何もない!  何オタクでもないし、何が出来るわけでもない! どうすればいいんだ? どうすれば何かになれるんだ? ……その問いには今も答えられない。(もしかしたらその自信のなさが答えなのかもしれない)


 ただ、どうしようもなく絶望していた訳ではなく、一縷の希望を見出していた。それはつまり、うまい人は、絵を描いていることが多かった、自分も絵を描けるようになれば、作品が出来るようになるのではないか、と。


 というわけで、私は絵を描くことに挑んだ。

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