アナザースカイ
西川笑里
第1話 変な子ね
まだ肌寒い3月の終わり、塩野琴美はヒッチハイクの旅に出た。
特に目的地はなかったが、北へ向かうと慣れない寒さで心まで凍りそうな気がして、とりあえず南へ向かうことにし、東京を出発したのが二日前のことだ。
近距離をいくつか乗り継いで静岡まで来たところで、次に同乗させてくれる車に出会うことができず、どんよりと曇り始めた空に少々焦り始め、笑顔が固まってくる。
手にはスケッチブック。できるだけ太い大きな文字で「南へ!」と書いて、オーバーオールにスタジャンを着て頭を団子に結んだ琴美は、スケッチブックが目立つように左手で高く掲げて、右手を大きく振り続ける。
やばそうな車にはもちろん手など振らないが、今日ぐらい止まってもらえないと、もうどんな車でもいいかなと思ってしまう。
今もまた、少しスピードを緩めた車がいてちょっと期待したが、そのまま通り過ぎてしまって、思わず二十二歳の乙女には少々似合わない大声で叫んでしまった。
「気を持たせんなー! ばーか!」
通り過ぎていった車をしばらく睨みつけ、ため息をつき、また愛想笑いをするために車が向かってくる東へ振り向いた。
すると、あろうことか20mほど先に、いつの間にか琴美と同じようにスケッチブックを持ち、懸命に右手を振っている女がいるのだ。
「ちょ、ちょっとあんた! 何やってんの!」
何時間もこうやってここで頑張ってる琴美のすぐ前でヒッチハイクなど、ふざけるにもほどがある。
だが、人生とは往々にして皮肉なものだ。怒りが込み上げて抗議するために女の方へ琴美が足を踏み出したそのとき、あろうことか一台のトラックがその女の前で止まってしまったのだ。
琴美は唖然として立ち止まってしまった。
私のこの何時間は……。
抗議をする気力もなくした琴美であった。
すると、止まったトラックの運転手と話していた女が、琴美の方を見ながら手招きをしてきた。知らない女だ。しかもよく見るとかなり若い。高校生ぐらいか?
そんな娘から呼ばれる筋合いもない。誰か周りに知り合いでもいるのか。思わずキョロキョロと周りを見てみるが、誰もいない。
「ほらあ、早く」
すると娘が声を上げる。明らかに私を呼んでいるんだ。
わけがわからない琴美だが、とりあえず近づいてみた。
「おじさんが乗せてくれるって。早く乗ってください」
娘は、琴美に話しかける。すると、
「誰がおじさんだ。お兄さんと言え」
トラックの運転席の「おじさん」が叫んだのだった。
「あんたが止めた車でしょ?さっさと行けばいいじゃん」
機嫌が悪いのもあって、琴美は女、いや、娘につれなく言う。
「だって、もしかして野獣かも知れない人の車に、女の子を1人で乗せるんですか? いいんですか、それ。大人として!」
と、意味がわからないことを娘は言う。
「はあ? あんた、それをわかっててヒッチハイクしてんでしょ」
「だって、だって。お願いします」
すると車の中から再び声がする。
「なんだお前ら。連れじゃねーの?」
と「野獣」が聞いてくる。
「それに、親切心出して止まったら、野獣とはずいぶんじゃねーか」
「あっ、ごめんなさい! 違うんです。誤解です」
娘はすごく慌てた様子で、「野獣」に頭を下げている。
--変な子。案外悪い奴じゃないのかな。
「で、乗るのか乗らないのか? 乗らないのならもう行くぞ」
運転手に促され、娘はもう一度不安げな顔で琴美を見つめる。
いかにも仕方なく、という顔をしてみせながら、
「わかったわよ。乗ってやるよ」
と琴美が言うと、ぱあっと娘の顔が明るくなる。そして運転席の「野獣」の顔を見て、「二人お願いします!」と元気よく応えた。
ところでよく見ると、娘の足下には大きな荷物が二個もある。おまけに大きなリュックも背負っていて、とてもヒッチハイクをしている旅行者には見えない。
それに、彼女の着てる服。
いわゆる、ゴスロリ風の膨らんだ袖と、フリフリの広がったスカート。
--いや、ありえない、ありえない。
「あんたさ、その格好でどこまで行く気?」
琴美は思わず笑ってしまう。
「まあ、いいや。一緒に行ってあげるから、とりあえず先に乗って」
琴美から促されて、荷物を上げようとするが、大型トラックの座席は結構高いのだ。
「ほれ。貸せ」
運転席から「野獣」が移動してきて、上から手を伸ばして荷物を引き上げ、車の座席の後ろ、カーテンの裏に放り投げ、今度は先に娘の腕を取り、車にひきあげる。
「お兄さん、優しいじゃん」
琴美が言うと、彼がニヤリと笑い、
「トラックドライバーは紳士なんだよ」
と、少しカッコつけて言うのであった。
そして、娘をうまく避けながら、琴美の伸ばした右手もつかんで引っ張り上げ、3人掛けの座席に並んで座った。すると、
「わあ! すごい眺め!」
娘が突然大きな声を出した。
「トラック乗るの、初めてか?」
と運転席のお兄さん。
「小さなのには乗ったけど、こんな大っきなのは初めて。すごい遠くまで見える!」
娘は本当に感動しているらしい。
「そうだろう。こんな風景を見たら、トラックドライバーはやめられんね。小さい車には乗りたくないもんなあ」
と得意げに言っている。
「それはいいけどさ、あんたのスカート広がり過ぎよ。邪魔! なんとかなんないの」
琴美が娘に苦情を言うが、
「可愛いでしょ?」
と娘は全く気にしないのだ。
「だいたい、ゴスロリなんてヒッチハイクするカッコじゃないでしょ」
「女子のたしなみです。でも、お姉さんの年なら、こんな服を着てたらちょっと痛いですけどね」
琴美の愚痴もどこ吹く風。終始マイペースの娘なのだ。
やれやれ、先が思いやられると思う琴美であった。
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