一章ノ弐『人狼の里』3
数日後、父は里の長と一緒にマト国の国王に会いに向かった。
「ロウ!ロウ!」
ムロに呼ばれ、俺は寝ていた太い木の枝から地面へと飛び降りると、満面の笑みを浮かべるムロがそこにはいた。
「どうした?ムロ」
ムロは狼の姿で、人の姿の俺の前に寄ってくると言う。
「聞いた!母さんがメイロウ様の巫子を産むんだって!」
俺たち人狼にとってメイロウは神だ。
そんなメイロウの世話役は人狼内でも秘密の事柄だった。
俺たち人狼にとって巫子は、メイロウそのもので大事な存在、メイロウは巫子となり何度も転生を繰り返すことで人へと近づいていく。
つまり、聖獣は不老不死を捨ててまで人に成りたがっている。それ自体は俺はどうでもいいが、どうしてムロが母さんのことを?そう思ってしまい焦りを隠せなかった。
「ムロ!誰がそんな事を!」
「父さんだよ」
俺は巫子のことはムロは知らなくていいことだと考えていたから、ムロに父が話したこと自体に不満を持ったが、知られてしまった以上は、仕方がないムロにも理解させよう――そう考えた。だけど、俺の考えとは違う感情でムロが巫女に興味を持っていたことに、その時の俺は気が付けなかった。
「いいかムロ、母さんが巫子を孕んでいることは知られたらメイロウの命を狙っている人間に襲われてしまう、だからこれは俺たち守杜が隠して守らなくちゃいけないことなんだ」
「分かってる」
「だから、巫子の話は誰にもしてはいけない」
「うん……分かってるよ」
その時のムロの表情を全て理解できていたら、俺はおそらく〝良い兄さん〟として今もいられたのだろうか。
人狼を森から追い出し、最後に森の恵みを得る、それが人間が目指す処だった。だが、人狼がいなくなると同時に、人は魔の物に滅ぼされてしまうだろう。
「人間ってなんだろうな」
そう呟いた俺は、いつものように森の奥へと向かって行く。魔の物は生じてから日々力を増すため、倒し続けなければならない。
俺は父より強いが、それはまさに加護ではなく、知識による魔の物に対する対策だ。
魔の物は次の日には八倍は強くなると言う。だから、俺たち守杜は夜を通して退治し尽くす必要がある場合もある。
「人間は盟約を忘れてしまったんだ、俺たちのこの姿は人間じゃなくて人狼としての姿だ、だが、どう見たってこの姿は人でしかない」
水溜まりに映る自身の姿に俺は途方もない失望感を持ちつつ、この姿でしか魔の物を退治できないことを受け入れてる。
人の姿は狼の姿にはない間合いがある、拳から腕、肩までの長さが魔の物を退治する時には牙よりも便利なんだ。
役目を終えた俺が家へと帰ると、父はまだ戻っておらず、ムロと母が心配そうに待っていた。
人を嫌いながら、それでも人の姿で魔の物と戦う、そんな風に矛盾を抱えていた俺はムロの異変に気付くことはできなかった。
翌朝、明け方すぐに外へ出るとリナがいた。
「あのね、ロウ!コレ食べて!」
そう言って俺に焼いた芋を人間の姿で手渡してくるリナ。
リナに懐かれているのは気付いていたけど、少しムロに悪い気がして俺はそれを受け取らなかった。
「悪いな、俺じゃなくてムロにあげてくれ」
リナは少し頬を膨らませて、ロウに持ってきたのに!と言うと俺に押し付けて姿を変えて帰って行く。俺は仕方なくリナの芋を持ち、森の深くの入り口に行く。
そこにはいつもはいないムロが待っていて、俺は丁度いいと声をかけた。
「ムロ、これリナがお前にって」
そう俺が言うとムロは無表情で、「嘘つくなよロウ」と少し怒りの籠った声を出す。
「それはリナがロウのためにって焼いていた芋だ……、ちゃんとロウが食べてあげなよ」
この時の俺は、ダメな兄のダメな優しさと気遣いで、リナとムロを傷つけているなんて考えもしなかった。その芋をムロが受け取るはずがないのに、俺はしつこく渡そうとした。
「いいからお前が食べてくれ」
「うるさいな!いい加減にしろよロウ!」
初めてだった、これまでこんなケンカはしたことがなかった。俺はムロの心を傷つけてリナの心を傷つけていた、が、結局その気持ちに気付けなかった俺はバカだったのかもしれない。
ムロはそう言って走って家へと帰って、俺は役目に向かう中でその芋を口にした。
別に普通の焼き芋だったのだろうが、その時は何故か一口一口特別な感覚を覚えながら食べたのを今でも覚えている。
そして同時に、ムロの悲しげな表情もいつまでもはっきりと覚えていた。
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