不開御陵 ―アカズノミササギ―

スライダーの会

Planet Blue geographia Aprikosen Hamlet

少年飛行兵は風船爆弾の夢を見ない

【天孫射命】斎宮星見

 2019年7月25日・木曜、直径約130mの小惑星が地球に衝突した。アメリカの天文学者が、時速8万6000kmで接近する小惑星を観測したのは、前日の24日であり、気付いた時は既に手遅れだった。


 小惑星の衝突は、今回が初めてではない。30年前にも、同じような悲劇があった。あの時も、予測されていなかった小惑星が突如として飛来し、分裂した隕石雨は、地球世界を混沌に陥れた。私達の日本列島も、複数の国家に分裂し、血で血を洗う戦乱が繰り返された。


 あれから30年の歳月が過ぎ、長きに及んだ内戦は終結に向かった。年号も改元され、私達はようやく、平和な新時代を迎える事ができた。来年には、東京五輪の開催も決定していた。その夢は、無惨にも砕け散ったのだが…。


 今回の小惑星は、30年前とは異なり、人類文明の存亡を脅かすような質量ではなかった。しかし…私達にとっては、それだけでは済まされなかった。この小惑星は、東京の範囲を丸ごと壊滅させる規模であり、その解析通り…この小惑星は、ほかでもない東京に衝突したからである…。


 8月4日、日曜。は、大森・蒲田の学生が結成した義勇軍「アプリコーゼンAprikosen中隊」の指揮官を務めている。彼女らの教官だったAquila先生が、昨年2月に首都圏を襲った「人狼事変」で戦死した結果、教会騎士団からの推薦もあり、私が正式に隊長を引き受ける事になった。彼女達は、私にとっても大切な後輩であり、現在のアプリコーゼン中隊が結成される以前から、協力して任務を遂行する機会があり、その頃から「」「」などと呼ばれていたので、人選自体に問題は無い。問題は、私達が直面している現状である。


 今、アプリコーゼン中隊の生存者は、私を含めても3人しか居ない。その一人…第四歩兵副隊長の斎宮さいぐう星見ほしみが、江ノ島から太平洋を見詰めている。



 俺の名は、斎宮星見。社家の出身だったので、餓鬼の頃は似合わぬ巫女服を着せられて、伊勢天照神宮を守護していたが、十年前の戦争で武士ロードに目覚め、親友の生田いくた兵庫ひょうごと共に、気付けば東京の士官学院に入隊していた。より強く、そして美しくあるイデアideaを追い求め、顕先生と、その死後にはと共に、ここまでやって来た。だが、今の俺には分からない。俺が今、何を為すべきなのか…。


 相模湾、湘南・片瀬海岸。、辛うじて生き残った俺達は、市民と共に()相模湾を目指した。日本政府が物理的に消滅し、米軍との連携も混乱している今、義勇軍である俺達に命令を出せるのは、隊長である先輩と、俺達自身しか居ない。そして、東京が物理的に炎上し、周囲の県にも延焼し続けている以上、まずは南方に逃げるしかない。湘南まで脱出できたら、南東の三浦半島か、それが駄目なら、南西の伊豆高原を目指す。


「…必ず生き残ってやろうぜ、先輩! 去年の『リアル人狼ゲーム』を乗り越えた俺達だったら、絶対にできる…だから先輩も、俺達の隊長として…信じてくれ!!」


 俺はそう言って、手負いの先輩を激励した。餓鬼の頃から、テニスとサバイバルで心身を鍛えるのが好きだった俺は、この程度の絶望で希望を諦めたりはしない。ただ…俺が体を動かすたびに、のは、慣れた事ではあるが、それでも面倒だ。一瞬の行動が生死を左右する軍人にとって、胸なんてスピードを下げるマイナス要素でしかない。実際、を追憶すれば、胸が限りなくゼロだった﨔木けやき夜慧やえは、限りなく瞬間移動に近い速度を誇っていた。しかし、美保関みほのせき天満てんま、ブレード剣を振り回して大活躍していた。「力」とは、物体の質量と加速度を掛けた積である。少年飛行兵として徹底的に訓練されていた彼女は、スピードだけでなく、巨乳の重さをも戦闘に応用していたという事か!? ならば、胸を苦戦の言い訳にしていた俺は、まだまだ未熟だという事になる。この複雑な心境、童貞には理解できないだろう(乙女にも理解できないと思うが)。先輩なら分かってくれるだろうか?


「…俺、こんな時に一体何を考えてるんだろう…?」


 今、俺は先輩と共に、決死の長旅で全滅寸前の軍民を、片瀬海岸から大橋を渡った江ノ島に避難させている。新生代第三紀の凝灰岩・砂岩をローム層が覆い、海水に浸蝕された陸繋島りくけいとう。その臨海実験所に、俺達は布陣している。生前の顕先生が御宅特有の早口で語っていた話によると、ここは19世紀の明治時代、日本初の動物学研究所であり、これを建設したエドワードEdward モースMorse博士は、俺達の地元にある「大森貝塚」を発掘した教授でもある。こんな所に、俺達の地元と接点があるとは。一見、関係ないような出来事が、実はつながっているという事がある。例えば、海の向かい側にある島が、片瀬川からの堆積によって、実は陸続きであるように。


 片瀬川河口の東岸は、鎌倉時代に「龍口たつのくち」と呼ばれた刑場で、13世紀には…同じく地元の「本門寺」で有名な、あの日蓮にちれんさんが暗殺されそうになった場所でもある。しかし処刑の瞬間、エンケEncke彗星の破片である「牡牛座流星群」の火球が出現し、それによって日蓮さんは、絶体絶命の危機から救われた…らしい。これも顕先生の(御宅特有の早口による)話だが、もし…あのタイミングで流れ星が降らなかったら、日蓮さんは藤沢で亡くなってしまっており、大森・池上の本門寺も建てられないなど、その後の歴史は変わっていた…つまり、って事になる。そんな事がある、ならば…。


「俺達が今、こんな無惨な未来を生きる羽目になった原因も…案外、身近な所に存在していたのかも知れないな…」


 そんな事を考えていると、霧雨に包まれた海岸から、妙な人影が見え始めた。俺は一瞬、誰か分からず困惑したが、良く見ると…俺達の中隊の、もう一人の生き残りである、神奈川かながわ雅楽うたいちごだった。空軍エースだが、音楽を専攻する雅楽寮の出身なので「雅楽」と呼ばれている。そんな芸術的な経歴と、一見では可憐な表情と、そしてとは裏腹に、戦闘ではで敵を爆殺するヤバい奴であり、今この時も相変わらず、風船に空気を注乳しているヤバい奴である。無性に揉みたい気がするが、揉んだら爆死しそうな気もする。


「知ってる? 宇宙ってのはね、均等に膨張し続けているんだって。まるで、この風船のように。私達は、この風船の表面に存在しているの。中心も端も無く、等しく大きくなり続ける、時間と空間の中に…」


 神奈川莓は何を血迷ったのか、風船に空気を注乳しながら、何故か宇宙について語り始めた。顕先生と塔樹あららぎ無敎むきょうが死んだ今、こんな話をするヤバい奴はもう居ないと思っていたが、神奈川はヤバい奴だから仕方ない。


「そして、。私には私の、星見ちゃんには星見ちゃんの、そして隊長には隊長の風船がある。そう、風船は1個じゃない…」


 そんな事を言いながら、神奈川は俺と先輩に、爆弾入りの風船を強制プレゼントしやがった。取りあえず受け取ったが、これをどうしろって言うのか…先輩も困惑している。そんな事も気にせず、神奈川は話を続けた。


「この風船が宇宙だとしたら、これは時空間の概念それ自体でもあるの。でも、風船は1個じゃない…そう、


「莓、疲れてるんじゃないのか? タピオカ飲んで休め。いや、お前はタピオカ飲み過ぎか…」


 俺が適当に話を終わらせようとすると、神奈川は突如、風船を飛ばした。いつの間にか、俺と隊長の風船も、その手を離れ、後を追うように天空へと昇っていた。その様子を見上げる俺達の中で、なおも神奈川は口を開いた。


「風船は、1個じゃない。でも、一人が持てる風船は1個まで。その風船をどうするかは、


「それは、つまり…」


「観測者の数だけ、宇宙は存在する。認識する者の数だけ、世界は存在する。時間も空間も、全ては相対的な存在なの」


 俺は、神奈川の言いたい事が分かった気がした。恐らく、先輩も気付いているだろう。そして…彼女の言葉を遮るように、あるいは続けるように、俺は「解答」を述べた。


「…運命は、一つと決まっているわけじゃない」


 先輩も、同じ答えだった。俺と先輩の言葉を聴いた神奈川は、静かに微笑んだ。次の瞬間、彼女が指を鳴らすと、上空の風船が爆発した。どの風船が爆発したのか、俺には分からなかった。そして…俺が再び、同じ世界を見る事は無かった…。

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