第78話 あぶく銭
まるで会えない日が続くかと思えば、妙に小宮山さんと出くわす週というのがある。今週はその「出くわす週」の中でも、とくに疲れる1週間だった。
まず月曜日。表参道の交差点で信号待ちをしていて、お着物のご婦人が何人かいるなーと思っていたら、その中に小宮山さんもいた。40代半ばぐらいで、品の良いグレーの着物姿。帯にはナスカの地上絵みたいな模様が描いてあった。たぶん見間違いだけど。
「あら、しおりちゃん」と、心なしか私に気づいた声もおしとやか。
「着物なんて珍しいですね」
「お花の教室の友人たちと、今から発表会で」
「お花やってたんだ」
「表参道なのにね。裏千家とかいってね」
小宮山さんはオホホと笑う。いやー。つまらんなあ。アラフォーの感覚なのか? お婆ちゃんが言うような冗談じゃない?
火曜日。今度は渋谷の交差点。また小宮山さんがいた。昨日から、まるごと別の交差点にスライドしたみたいだ。でも今日の小宮山さんは30歳前後。服装も白いパーカーで、周りにいるのも体格の良い若い女性たち。
私に気づくと、「あれっ、しおりだ」などと珍しく呼び捨て。
「今日はお花じゃなさそうですね」
「合気道の同好会なんだよ。今から大会の打ち上げ」
「合気道やってんだ」
「白帯だけどさ」
「でしょうね」
白帯のまますぐやめそう。普段よりかなり快活な喋り方だったけど、合気道やってるとき用のキャラだったのだろうか。
水曜日。小宮山さんは授業ある日のはずだけど、来ていないようだった。部室にも姿を現さず。
備品のチェックをすると、材料が足りないことがわかったので、私は帰宅する途中でユザワヤのある駅に降りることにした。
改札を出てすぐのベンチにリオさんがいた。隣に座っている女性の背中をさすっている。その女性は自分の膝に顔がくっつくぐらい体を折り曲げている。顔を見なくても分かるのだが、小宮山さんだ。どうやら泣いている。
といっても深刻な気配は皆無だったので、近づいて声をかける。リオさんは私だと分かると、助かった、という顔をした。
「私もうバイトの時間だからさ。慰めるのバトンタッチして良い?」
「どういう状況ですか?」
「軽い気持ちでパチンコ誘ったら、こいつ6万ぐらい負けちゃって」
「途中で止めなよ」
「止めたよ。でもこの人、火がついたら誰の言うことも聞かなくなるじゃん?」
リオさんはあっさり帰った。私は小宮山さんの背中を40分さすった。その後カプリチョーザを奢り、電車賃も貸してあげた。
木曜日。レポートの資料集めのため、ゼミ仲間と街へ出る。ショートパンツに野球帽という、健康的なような、ちょっといかがわしいような制服を着た小宮山さんが、駅前の広場でティッシュ配りをしているのを見かける。気づかないふりをしてあげる。
金曜日。この日も小宮山さんは大学には出て来ず。でもここまで続くと、さすがにどこかで出くわしそうで、1日中、妙にそわそわした気分だった。そのため私はバイト先でもミスを連発してしまう。落ち込んだまま退勤。コンビニに寄ってやや高めのスイーツでも買おうと選んでいると、伸ばした手が誰かの手と重なった。顔を見合わせる。私と同い年ぐらいの女。小宮山さんだ。ギャーッと叫んでしまった。店員さんが驚いてこちらを見たので、何でもないとジェスチャーで返す。
「これ最後の1個じゃん。譲って?」と小宮山さんは、私たちが同時に触れたチーズスフレを掴んだまま言った。
「よく平然と会話できるな! 幽霊みたいにどこにでも出ないでよ!」
「幽霊ってどこにでも出るの? 私どこでも見たことないんだけど」
「私もないよ! 雰囲気で言っただけだよ!」
「声でかあ」
「急に現れるからびっくりしちゃって。びっくりしてないの?」
「びっくりしてない。だって、しおりちゃんを尾行して、わざとおんなじスイーツ手に取ろうとしたんだもん」
「えっ、もしかして今週、毎日それやってた?」
「それって?」
「尾行」
「そんなわけないじゃん。さっきしおりちゃんのバイト先に行ったら、ちょうど出て来るとこだったから。ちょっとしたイラズラだよ」
「なんで私のバイト先に来るたの。来たことないじゃん」
「カプリチョーザと電車賃を返そうと思って。ちょっとした臨時収入あったから」
「なんか変なことして稼いだお金じゃないよね?」
昨日、ショートパンツでティッシュ配りしていた姿を思い出して私は言う。
「違う違う」小宮山さんは顔の前でぱたぱたと手を振る。「最近、カルチャーセンターに通ってるんだけどさ」
「どんだけ習い事してんだよ」
「キャッチコピー教室ってやつで。なんか、富山県に……福井だったかな? 岐阜かも。山口か? まあ、そのどこかの県に新しくできる施設の愛称を一般募集してて。それに生徒みんなで応募するという授業をだいぶ前にやってさ。私のが当選してたの」
「なんの施設? なんて愛称?」
「施設も愛称も忘れた。でもクオカード5000円もらえたよ」
何も分からない。寝ぼけてる人と話してるみたいだ。
「パチンコで6万も負けたんだよね? 5000円じゃ何も取り返せてないよ」
「でもクオカードって最強のあぶく銭というかね、一瞬で使い切ってもノーダメージ、みたいなとこあるじゃん?」
「知らんけど」
「カプリチョーザと電車賃、あわせて1500円ぐらいだっけ? このコンビニで奢り返すということで良い?」
「クオカードで?」
「クオカードで」
「クオカードで返されると、なんか返してもらった気がしないんだよな〜」
「じゃあ、3000円分ぐらい奢ってあげるよ。コンビニスイーツ選び放題だよ」
「3000円ぜんぶコンビニスイーツ?」
「3000円ぜんぶコンビニスイーツ」
「大量すぎない?」
「大量すぎるね。じゃあ、今からしおりちゃんちでパーティしようよ。5000円ぜんぶ使ってさ」
うーん。
締めくくりがクオカード・パーティってのは、なかなか悪くないかも。
あぶく銭みたいな1週間だったし。
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