第54話 悪夢

 ソファに座ったままローテーブルに上半身を投げ出して、小宮山さんは器用に眠っている。

 部室に入って最初に目に入った光景がそれ。

 奥のPCデスクには、あほの藤田くんがいる。背もたれに首を引っかけるようにして上を向き、めちゃくちゃ口を開けて寝ている。

 ふーん。

 仲良くお昼寝タイム?

 のんきなもんだね。

 次回公演の締め切りが近いというのに。

 私は小宮山さんを起こさないように、そっと向かいの椅子に座る。ローテーブルには小宮山さんの髪が大きく広がっている。呼吸で体がゆっくり上下している。

 すばらしいパノラマだ。

 盗撮したい。

 しないけど。

 にしても、藤田くんのいびきがうるさい。

 寝ている藤田くんを、私はものすごく誇張した怒りの表情で睨みつけた。藤田くんはよだれを垂らしている。窓からの夕陽で赤く染まっている。

 理解不能の高値がつくオブジェみたいだ。

 理解不能の高値がつくオブジェが私は大嫌いなのだ。

 こいつさえいなければ、小宮山さんを独占できるのに。どうにかして追い出せないかな……と考えを巡らせていると、藤田くんがうなされはじめた。歯を食いしばり、何か意味の分からない寝言を言っている。呼吸が荒い。

「ぐわあ!!!」

 突然、藤田くんが絶叫しながら目を覚ました。

 私もビックゥ!! と体が震えるくらい驚いた。驚かすなよ。気持ち悪い起き方だな。

「きも」

 声に出して言ってしまった。

 藤田くんは私を一瞬見ると、呼吸を整え、デスクに置いてあった水をがぶ飲みした。ほぼ満タンだった500のペットボトルが、ほとんどひと息にカラになる。

「あー。助かった……」額の汗を拭う藤田くん。

「怖い夢でも見たの?」

「うん……なんか、子供の頃に住んでた家に帰る夢で」

「内容は聞いてないよ」

「なんとなく見覚えのある道を1人で歩いてたんだけど、途中でカマキリに出くわしてさ。それが、ありえないほど大きいカマキリなんだ。たぶんキリンと同じくらいの大きさで」

「ギャー、やめて! わたし虫キライなんだよ!」

「その巨大カマキリは最初1匹だったはずなのに、振り返るたびに10匹、20匹と増えていって……最後は視界を埋め尽くすほどになった」

「ほどになった。じゃないよ。やめろって」

「必死で逃げてさ。小屋みたいなところに隠れるんだけど。ドアを閉めたら、カマキリのカマが挟まっちゃって。凄い力でこじ開けられて。腰を抜かした僕を、カマキリが見下ろしたところで、目が覚めたんだ」

「最後まで言うなよ……」

 気持ち悪い夢をむりやり共有させられたみたいで、本当に最悪の気分だ。

 喉の渇きを覚えた私は、バッグからルイボスティーのペットボトルを取り出す。

 フタを開けようとしたそのとき、小宮山さんが急に身じろぎをして、うなり声をあげた。歯を食いしばり、苦悶の表情で何かもごもご言っている。

 さっきの藤田くんみたいだ。

「わーーー!!!!」

 唐突に。

 小宮山さんが爆発的な大声とエネルギーを発散しながら立ち上がった。

 私は危うくルイボスティーを落っことすところだった。

「なにこれ!! ここどこ!! えだまめ!!」

 小宮山さんが虚空に叫ぶ。

 えだまめ?

「夢ですよ、夢。落ち着いて。これ飲みます?」

 私が差し出したルイボスティーを2秒ほど見つめ、受け取ると、小宮山さんは500のペットボトルを、ほぼひと息に飲み干した。

 藤田くんのリプレイみたいだ。

「たす……かった〜」

 口もとを拭いながら小宮山さんはしみじみ言う。

 今日の小宮山さんは35、6歳くらいかな。シンプルなボウタイブラウスにニットのスカート。ロングブーツの先端はルイボスティーで濡れている。けっこうこぼしていたのは見えてたけど。

「どんな夢だったんですか?」

 小宮山さんの夢なら聞いてみたい。

 小宮山さんは私をしばらく見つめたあと、おもむろに話しはじめる。

「ガニメデに帰るとこだったんだけど」

「ガニメデ?」

「法律も変わったし、雨しか降らないから、うなぎパイを食べれば食べるほどロールスロイスが横行するわけ」

「……まだ寝てます?」

「限界まで反復横跳びしたのに、向こうは外来種が足りないって言うんだよ。こっちは絵筆がぜんぶ毛羽立ってるのに! ほんと、何回注意しても銀行は蜂蜜だらけ」

「頭おかしくなりそうなんだけど」

「そしたらカマキリに追いかけられてさ」

「カマキリ」

「それこそ、ロールスロイスみたいに大きいカマキリなんだよ」

「違う話しましょうか」

「必死で逃げて、やっと押し入れに隠れたんだけど、部屋でカマキリが暴れ回ってる気配がするの! カマキリが闇雲に振り回したカマが、ついに押し入れのドアを切り裂いたとき……」

「目が覚めたんだ?」

「急に場面が変わって、私はどこかの体育館のステージに立ってた」

「まだ続いてた」

「お客さんが100万人くらいいて」

「体育館に?」

「そこで私、今日の晩ご飯についてのスピーチしないといけなくて」

「100万人に?」

「そしたら天井がめりめり……って割れだして。よく見たら、体育館より大きなカマキリが、カマで天井をこじ開けてるの!」

「カマキリ〜」

「もう心臓止まるかと思った……というか止まった」

「止まったんだ」

「そして今ここ。心臓まだ動いてない。ドアの外にカマキリいる」

「カマキリいないよ。心臓も動いてる。全部夢です。安心してください」

 私は小宮山さんの隣に座った。

「飲み物、もうない?」と小宮山さんがつぶやく。「まだ喉が乾いてて……」

「喉渇いたってよ! 藤田くん、何か飲み物買ってきて!」

 パンパン、と私が手を叩くと、藤田くんがのっそり立ち上がった。

 やった。これで小宮山さんと二人きりになれる。

 当初の目論見通りだ。

 しかし藤田くんは私たちの横で立ち止まった。

「僕もいま寝てて、夢にカマキリが出てきたんですよ」

 むか。

「そんな話どうでもいいよ」私は手で藤田くんを追い払う仕種をする。

「え? どうでもよくない。聞かせて」

 あーあ。

 小宮山さんが興味を持ってしまった。

 藤田くんがさっきの夢を最初から話し始める。こんなキモい演目が、こんな短いスパンで再演される意味が分からない。

 自分たちがほぼ同時に見ていた夢の共通点に、2人は異様に盛り上がっている。

 私はむすっとしている。

「早く飲み物買ってきてよ。私、三ツ矢サイダー」

「あ、じゃあ藤田くん、私も行くよ」と小宮山さんが立ち上がった。「しおりちゃんのお茶ぜんぶ飲んじゃったし。ついでに私が新しいの買ってあげる」

 なんということでしょう。

 私は部室に取り残されてしまった。

 藤田くんを追い出そうと画策した、この私だけが。

 昔話のオチか?

 ほんと、何もかもうまくいかない。

 そして、そんなことより。

 私だけがカマキリの夢を見ていない。

 悔しい。

 これこそ悪夢だ。

 私は勢いよくソファに横になり、強く目を閉じた。

 寝る!

 カマキリの夢、見る!

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