第15話 ノンノは危険

 完全に読みが当たった。

 小宮山さんのバイト先のスーパーで、私は小さくガッツポーズする。

 きっと今日はサンタクロースのコスプレをさせられているに違いない、と思っていたのだ。

 予想外だったのは、小宮山さんがレジではなく店先にいたこと。クリスマスケーキの店頭販売にあたっている。サンタの扮装も、帽子だけじゃなくて全身。スカートなんて膝丈だ。

 これは複数のハラスメントに抵触している。

 私は憤然とした足取りで近づいた。

「あっ、しおりちゃん」

 小宮山さんが恥ずかしそうに私から半身をそらした。

「なんですか。照れてるんですか」

「照れてるんです」

「どうして断らないんですか」

「何を?」

「そんな格好させられることを。屈辱を感じないんですか? こんな寒空で。けっこう足も出して。変な帽子かぶらされて」

「変な帽子……サンタさんにもそれ言える?」

「私だったら店先でサンタの格好をしろと言われた時点で相手の喉笛を爪で掻き切り、全身をサンタのように赤く染めてやりますね。どうせあの小柴さんって人にやらされてるんでしょ?」

 私はあの小柴とかいう、いけすかないイケメン中年店員のことを蛇蝎の如く嫌っているのだ。

 小宮山さんはきょとんとした。

「この服、私物なんだけど」

 私物かよ。

「この格好で店頭販売やるって言い出したのも私だし」

 発案者かよ。

「じゃあなんでさっき照れたんですか」

「だって安物だし。しおりちゃん裁縫好きすぎて、ふだんから周りの人の生地とか縫い目とかを罵倒しがちじゃん?」

「私そんなツイッターの異常者みたいなこと言わないです」

「言いますよ」

「寒くないんですか?」

「寒いけど。ほら」

 小宮山さんが自分の足下を指差す。小さなヒーターが置いてある。

「デロンギだ」

「デロンギなの?」

「デロンギって書いてあるじゃないですか。コンセントすっごい遠くにありますけど」

 電気コードが延長に延長を重ね、店内にまで侵入している。自動ドアが閉まりきっていない。

 そのコードを逆から辿るように、見知らぬおじさん店員がぬるっと近づいてきた。

「ヒーターの調子どう?」

 砕けた口調とは裏腹に、おじさんは奇妙なほどに小宮山さんと目を合わせない。

「あったかいです」と小宮山さんはにっこりした。宝石のようなこの笑顔も、おじさんはほとんど見ていない。目を合わせないから。

「けっこう売れるみたいだね、ケーキ。小宮山さんのおかげだよ」

「そうだと良いんですけど」

 小宮山さんが恥ずかしそうに言う。

 おじさんはでれでれした。

 私は苛々した。

 用がないなら早く戻れよ。

 おじさんがようやく去ると、入れ違いで今度はメガネをかけた大学生くらいの男の子が寄ってきた。湯気の立った紙コップを持っている。

「小宮山さん、お疲れさま。紅茶飲みます?」

「わー、ありがとう。でも一応仕事中だからさ」

「え、でも」男の子はたやすくパニックに陥った。「どうしよう、これ」

 どうしようじゃないよ。自分で飲め。お母さんがそばにいないと何も考えられないのか??

「私がもらいますね」と横から強引に手を差し出す。

「えっ?」と男の子がびっくりした。

「そうしなよ」と小宮山さん。「この子、私の友達です」

「あ、そうなの? じゃあ……」

 男の子からもらった紅茶をひと口飲んだ。うん。リプトン。

 3人のあいだに、何の価値もない無言の5秒が経過する。

 男の子は不完全燃焼のまま肩を落として店に戻った。

 その後も代わる代わるいろんな人がやってきた。みんな男。おそろしい店だ。いつも20代前半の姿をキープして、CanCamみたいな格好でにこにこ無害な感じを装っている小宮山さんも小宮山さんだ。私のこの考え方は、「痴漢されるような格好してるほうが悪い」という唾棄すべき思想にかなり接近しているとは思う。しかしCanCamはいけない。CanCam型の女子大生というのは、どこからどう見ても可能性ゼロのおじさんに、何かしらの幻想を感じさせてしまう。これがViViかJJならセクハラを20%は軽減できるはずなのだ。NYLONであれば被害ゼロだって夢ではない。

 non-noの場合はまた特殊で、一見するとCanCamと比べても桁違いの有象無象、魑魅魍魎の類いを引き寄せそうなものだが、完璧なnon-noを身にまとうことのできる人間は我々が思うよりずいぶん強い。心が冷酷無比なのだ。結果として被害者と加害者が入れ替わってしまうことも多い。要するにnon-noはみんな百戦錬磨。隙だらけに見えても、それはいわゆる「引いて守ってカウンター」で致命的な一撃を放つための布石に過ぎない。non-noは危険。戦場では死と同義だ。祈るしかない。

 知らんけど。

 勝手なこと言うとりますけども。

 私は小宮山さんのボディーガードを気取って、20分ほども無駄話をしながら横にいた。ケーキがひとつだけ売れた。無理もない。値段の割にまったくおいしそうじゃない。いい加減、寒さに耐えられなくなってきた。私の位置にはデロンギの効果は及ばない。

「今日はリオさんはいないんですか?」

「あの人は忙しい日はドタキャンで休むんだよ」

「それでよくクビになりませんね」

「めちゃくちゃ鮮魚を売るからね」

「気弱なお客さんに無理やり押し売りしてそう……」

「当たらずといえども遠からず」

「小宮山さん、何時までケーキ売るんですか?」

「あと1時間」

「私、フードコートで待ってますね」

「どうして待つの?」小宮山さんは小首を傾げる。「もう帰ったら? 寒いし」

 うっ。

 冷たい……。私は少し泣きそうになる。

「いや、せっかく来たし……なんかご飯でも食べましょうよ。ク」

 リスマスイブだし。と続けようとして、言葉を飲み込む。

「ク?」

「食いもん。何が良いか考えておいてください」

「クイモン……クイモン?」

「そんなポケモンはいない。食いもんは食いもんです。わかってるくせに。お上品ぶっちゃって」

「わかってなかったよ! 食いもんなんて言い方すると思わないじゃん」

 小宮山さんはわざとらしく頬を膨らませた。このあざとさは、おじさんたちには少々刺激が強すぎますね。体調によっては息の根が止まってしまう。もしかしたら私も今、死んでしまったのかも。ここから先の私は幽霊なのかもしれないよ。


 フードコートで紅茶を飲みながら近所の店を検索する。良さげなところは予約なしでは無理だよなー。というか小宮山さんってイブなのに予定なかったのかな? 交友関係めちゃくちゃ広いのに。広すぎて全部断るパターンか? などと思いを巡らせていると、あっという間に1時間が経過した。仕事を終えた小宮山さんがやってくる。

 サンタクロースのままだ。

「着替えないんですか?」

「私、この格好で家から来たので」

「馬鹿なんですか? 寒くないの?」

「寒いけど。夕方はそんなでもなかったし。本物のサンタって、家を出るときからサンタでしょ?」

 こいつ普通にやべー奴じゃん。non-noとかCanCamって次元じゃなかった。

「その格好でご飯食べに行くの……?」

「お店じゃなくてさ。お餅食べない?」小宮山さんは手に持っていたビニール袋を少し持ち上げながら言う。

「今から? そのお餅を? どこで?」

「今から。このお餅を。駐車場で」


 スーパーの裏の駐車場。その片隅。三方を壁に囲まれて、少し風が避けられるスペースがある。そこに小宮山さんが店から借りたアウトドア用の小さなコンロとデロンギを持ち込んだ。小宮山さんにお願いされたら、誰だって何だって許可してくれるのだ。

 自分がある種の特権階級の人間だということを、小宮山さんはちゃんと理解しているだろうか?

 辺りは暗い。外灯と私のiPadのライトが頼りだ。サンタの格好の小宮山さんとしゃがんで餅を焼く。

「クリスマスなのに、お餅……」

「お正月と同時にこなせて効率が良いじゃん。冬休みは帰省するんでしょ」

「そうですけど。小宮山さんは? というか小宮山さんって、どこ出身でしたっけ?」

 今まで聞かないようにしていたことを、さらっと聞いてみる。

「私の故郷は」小宮山さんは夜空を見上げた。「あの星のどれかひとつだよ」

「曇ってますけど」と私が言っても、小宮山さんは上を見続けている。

 ほらね。大事なことはぜんぶ流される。他人の意見や気持ちなんかを、土砂と一緒にどこかに捨てることができるとでも思っているみたいに。ほんと、ブルドーザーみたいに無情な人だ。

「寒いからくっついちゃお」と小宮山さんが肩を寄せてくる。ブーツが砂利を踏む心地よい音がした。小宮山さんの頬と太ももは、iPadの明かりによって平坦に照らされ、コンロの火によって複雑に揺らされている。一語で表現するならば、ロマンティック、が正解だろう。

 網の上でお餅が膨らんでいく。破裂させてはいけない。タイミングよく取り出さなければ。

 私たちは網の上の動向を静かに見守る。

 少しずつそれは形を変えていく。

 月は少しも出ていないけど、

 餅がきれいですね。

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