千変万化の小宮山さん

灰谷魚

第1話 これは恋ではなくて、ただの芸術

 美術館で絵を見るとき、「じっさいにお金を出してその絵を買い、自分の家に飾りたいかどうか」を考えながら見ると良い。

 なんてことが、まことしやかに言われている。

 嘘だと思う。

 そんなの絵に対する視野を狭くするだけだし、買いたくもなければ家に飾りたくもないけど、だからこそ素晴らしい絵っていうのもあるはず。

 というか私にとって芸術とは、家に置いておきたくないものだ。

 ちょっと想像してみましょう。自分とまったく関係ない場所に、自分を粉々に砕いてしまいそうな、うっとりするような美が存在していると。

 それが日々の行動の指針になったり、希望になったり、強迫観念になったりするのです。

 そっちのほうが、芸術とともにある、みたいな感じがしませんか?

 偉そうですか?


 小宮山マキさんは私にとって、まさにそういう存在だ。

 存在そのものが芸術。

 だけど家に置いておくなんてもってのほか。

 なるべく遠くにいてほしい。

 でも悲しいことに、私と小宮山さんは同じ大学に通っている。

 もっと悲しいことに、私が所属する人形劇サークルには、私、小宮山さん、あほの藤田くんの3人しかメンバーがいない。

 必然的に私は、小宮山さんと顔をつきあわせて部室にいる、ってことが多い。


 とはいえ小宮山さんはそれほど真面目に学校に来ない。

 高校卒業後、約3年間の放浪生活を経て大学に入学したと本人は語っている。どこを放浪していたのかと質問すると、まじめな顔で「亜空間」などと言う。亜空間って何ですか? と聞くと、「詳しくは知らないのよう」と困った顔をする。亜空間から帰還した小宮山さんは、大学に通い、順調に3年生までは進級したようだ。

 しかしその後、3回の留年。

 通常空間の厳しさを知った小宮山さんは現在26歳。私より学年は1つしか上じゃないけど、年齢は6つも上なのだ。


 私は部室に入るとき、小宮山さんがいることなんて期待していない。

 だから、たまにいるとびっくりする。

 うわっ、小宮山さんがいる!

 という驚きのあと、

 今日は何歳の小宮山さんだろう?

 という興味がわく。

 小宮山さんは12歳から48歳までの年齢を自由に行き来することができるからだ。

 つまり、その範囲であれば何歳にでもなれる。

 これは亜空間で身につけた特殊スキルとかではまったくない。ある種の人間にふつうに備わっている能力だ。だけどその種の人たちの中でも、小宮山さんのやり方は、もう魔法としか思えないくらい桁違いに凄い。

 そしてこれが、私が小宮山さんを芸術的だと思う理由のその1。


 たとえば35歳の小宮山さんは、ちゃんと35歳までの詳細なプロフィールをつくりあげている。つくりあげているというか、経験している。35歳までの小宮山さんを、きちんと生きてきたのだ。そうとしか思えない感じがする。知識も豊富だし、いろいろなことに飽きてて感動が薄かったり、意外なところで泣いてしまったり。

 16歳の小宮山さんはいつもはしゃいでいる。41歳の小宮山さんは変なところで恥ずかしがる。19歳の小宮山さんは亜空間を放浪していた時期でもあるせいか、よくわからない言葉を喋ったりする。喫茶店で脈絡なく立ち上がって「ガニメデ!」と叫んだりする。

 こうなると26歳という小宮山さん本来の年齢にはあまり意味がない。そのうち人間じゃないものになったりしそうで怖い。野良犬になったら弱そうだ。台所用洗剤になったら、使ってあげましょう。


 ちなみに今日の小宮山さんはすごく幼い。中学生ぐらいか?

「小宮山さん、お年はいくつ?」

「14歳になりました」

 ちょっと恥ずかしそうに答える小宮山さん。私より年齢が低いときには敬語になる。律儀だ。

 小宮山さんは女優になりたいとか、人を騙したいとか思っているわけではない。ただなんとなくそうしている。

 とくに目的があってそんな行動をとるわけではないのが小宮山さんの崇高なところだ。私は小宮山さんを崇拝しているわけではないけどね。

 明確な目的というやつは、小宮山さんのような種類のアートから根こそぎ魔力を奪ってしまう。

 そういう芸術もあるということです。

 というか。

 私は芸術のことなど何ひとつ知らないよ。そこは勘違いしないでほしい。


 部室のソファに並んで座り、私たちはそれぞれの裁縫道具の準備をする。

 小宮山さんと私は人形劇サークルで人形をつくっている。

 そのためだけに、ここにいる。

 脚本を書いたり、人形を動かしたり、舞台を作ったり、演出のアイデアを出したり、公演の日取りを決めたりするのは、すべてあほの藤田くんの役目だ。

 公演のときは毎回よそから5人くらい助っ人を借りてきている。藤田くんは強力な傀儡師コネクションを持っているのだ。あほの上に謎なやつである。ちなみに藤田くんは誰にでも「あほの藤田と呼んでください」と自己紹介するので、これはいじりでも何でもない。本人の要望を叶えてやっているだけ。我々は優しいのだ。

 そんな藤田くんの要望通りに私と小宮山さんは人形をつくる。仕事はそれだけ。劇団員というより下請けだ。

 私は手芸が好きだけど、手芸部で手芸をやろうとは思わない。人形劇サークルでは人形が必要だから、人形をつくる。そのときに私の手芸の力が活きる。そういうのがいい。メンバーも少ないし、誰にも文句を言われないところもいい。もくもくと人形を作る。

 小宮山さんは手芸が苦手だし、手芸を好きでもないのに、1年生のときから人形劇サークルでひたすら人形を作っている。たぶん、小宮山さん自身がいろいろな年齢に変化するのと理由は似ている。

 小宮山さんはいろいろな自分を、いろいろな場所にコピーしたいのだ。本人も気づいていない心の深層で。まあ、私が勝手に思っていることだけど。

 でもこれこそ、私が小宮山さんを芸術的だと思う理由のその2。

 だって、ちょっとアンディ・ウォーホルの作品みたいでしょう。私はよく知らんけど。ハハハ。カンで言ってしまった。私はけっこうカンで喋るから気をつけてね。私の年齢にはありがちな虚勢だと思われます。もっと勉強しないとね。私は小宮山さんと違って一足飛びに時間を進めたりできないから、少しずつ賢くなっていくしか方法はないのです。


 まあとにかく。

 このようにして、いろいろな場所に、いろいろな年齢の、いろいろな思想を持つ小宮山さんが拡散し続けている。電波やデータによってではなく、じっさいに肉体や人形をつかって。

 みんなの記憶の中にも、いろいろな小宮山さんが棲みついていく。

 少しずつ世界に満ちていく小宮山さん。

 すばらしい。


 14歳の小宮山さんは、大人の小宮山さんより手先が不器用な様子だ。普段よりひどい人形が次々にできあがっている。だけどお肌はさすがに14歳のつるつるさで、真剣な眼差しは、おお、と声をあげそうになるほど無垢で神々しい。

「ねえ吉野さん。今夜お酒を飲みに連れて行ってくれませんか。私お酒を飲んだことがないので」

 幼い声で小宮山さんが言った。何度も一緒に飲んだじゃないですか、なんて野暮なことは言わない。小宮山さんは14歳なのだ。

「未成年はお酒飲んじゃだめなんですよ」と私はちょっとした野暮を言う。

 そしたら小宮山さんは「じゃあ26歳の姿に戻ります」とものすごく野暮なことを言った。


 ひたすら人形を作ってぼろぼろになったあと、20歳の私と、トイレにこもって着がえたり化粧したり、なんやかんやして本来の26歳の姿に戻った小宮山さんは、おしゃれだけど食べ物はそんなにおいしくない居酒屋でくだを巻いた。

「私って透明人間みたいなものなんだよね。誰にも本当の私は見えてないんだ」

 小宮山さんが梅酒をがぶ飲みしながら言う。私が注文したやつ。

「めちゃくちゃ見えてますよ」と白インゲンの煮たのを取り分けながら私は答えた。

「透明人間の私が見えてるってことは、私のことが見えてないってことだろうがあ! 見えない状態が本来の私なんだから、見えてるってことは、見えてないってことだろうがあ! 悪い子はいねえがあ!」

 小宮山さんは悲しいほどに酔っている。

「私だけには見えるんですよ、小宮山さんのことが」

 私はちょっと真剣な感じに言ったけど、小宮山さんの目は完全に据わっていて、「カンタベリー大聖堂にシール貼りに行きたいよなあ。バイトで」とか「侍の家に生まれたからには、侍として生きていかねばならぬ。おみつよ、苦労をかける」とか「そろそろ背骨2個増えそうだから、1個お前にあげるわ」とか、わけのわからないことを言うのに忙しい。


 ぐでんぐでんの小宮山さんと別れて、ぽわんぽわんの私は慎重に帰宅する。

 お風呂を沸かして湯船に沈む。



     小宮山さん

 


 家に一人でいても、気がつくと私は小宮山さんのことばかり考えている。

 そして息苦しくなる。

 私は小宮山さんと違って芸術品ではないから、将来の目標とか、現実的にやらなくてはいけないこととかが山のようにあって、それをこなすのに精一杯なのだ。いつも小宮山さんのことばかり考えてしまうのは、すごく困る。

 でも小宮山さんは私の近くにいて、いろいろな姿で私の記憶や思考に侵入してくる。

 誰だって、寝室の壁紙がゲルニカだったり、庭に太陽の塔がそびえていたりしたら、息が詰まると思いませんか?

 だからどうか小宮山さん。小宮山マキさん。

 できるだけ私の遠くにいてください。

 でも、この世のどこかには、ずっといてください。

 たまーに、見に行きますから。

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