第15話



 道の向こうでは、見えない奥のほうでも敵との戦いになっていたらしく、セリュフとヴィイの凄まじい戦闘を見て戦意を喪失した敵が増え、投降者が出てきていた。

 敵の首領らしき男と周囲の者は抗い戦いを続けようとしたが、彼らの前に進んだセリュフとヴィイの見えない威圧に精神的に屈したのか、乗っていた馬を下りると、味方の男たちが彼らを縄で拘束していく。

 それを、リクは場所を動かず、見守っていた。

 敵の首領たちが、リクの前に連れてこられ、土砂降りでぬかるんだ地面に後ろ手に拘束された姿で膝をつけさせられる。

 皆雨でずぶ濡れで、陽も落ち、森に囲まれた一帯は暗く、森に放たれた火も消えかけていた。

 管財官の部下のマンダルバの兵たちが灯火具を手にこちらに集まってきていて、敵の首領らしき男たちの顔を検分すべく明かりが当てられた。

 首領の男は三十代後半から五十にかかる前といった年齢で、いかにも粗野で荒事をやってきたのだろうという顔をしている。先ほどまでは自信に満ち、少数のこちらを嘲るような態度だったが、いまは悔しいのか顔を醜く歪ませていた。

 リクの隣に立つぼくのやや後ろに管財官が来ていて、彼らに詰問する。

「誰の命で、この襲撃をした」

 しばらく黙っていた男は、背後からマンダルバ兵に体を強く地に押し付けられ、顔を泥水につけられた。呼吸ができずに泥水で咳き込み、兵に再び顔を上げさせられ、男は管財官を睨みつけた。

「言う気にはなったか?」

「お前たちが金を持ってそうだから襲ったまで」

「これだけ計画的に動いておいて、見かけた金持ちを襲ってやろうと思いました、だとでも言う気か? 笑わせるなよ」

 実際に笑いながら、管財官補佐が口を挟んだ。

「このマンダルバは平和ぼけしていて、盗賊が自由に動けて楽だと思ったか? お前たちがこんなに簡単に襲撃できたのは、自分たちの奇襲が成功したと、そう思ってるわけだよな」

 それは違うと、言っている口調だ。

「観光目的の者、マンダルバと取引している商隊関係者、海の向こうからも、領内には多くの者がやってくる。それらに対して領外の者の身分を改める場所が領内にはいくつもある。関所は、ただそれを検めているだけではない。領内に入る者たちの情報がマンダルバの隅々からこちらに入ってくる。誰が、なんの目的で、ここに来たのか。領内を余所者がいるだけで、それが管財官の耳には入る仕組みだが、お前たちは兵と遭遇しなかっただけで安心したのか? 山での野営の火が、誰にも見つからなかったと。お前たちがどのように通行手形を手にしたかまでは知ることはできないが、その後の行動は誰にも見られないということは不可能だ。だからこそ、お前たちは襲撃に成功できた。そうでなければ、とっくに、マンダルバ兵がいかにも怪しげなお前たちに身元を誰何しに行っていただろう。ここまで言えば、お前たちはこのマンダルバ管財官に泳がされていたと、気付けるかな?」

 それは、本当なのだかわからないが、きっと管財官も管財官補佐も、嘘を本当のように言うのは巧みだろうと思う。

 顔を泥まみれにした首領の男はなにも言わない。さすがに、大人数を束ねていた者というべきなのか。

 ここまで黙っていたリクが口を開く。

「誰が背後にいても、失敗したお前たちはこの地で死ぬだけだ。大元について口を割るも、本当に知らないと口をつぐむも、好きにするがいい。マンダルバでは、罪の重い盗賊の処遇はどんなものだ?」

 リクは横目で管財官を見る。

「死罪」

 短い返答。

「だそうだ。温情は期待するだけ無駄だ。余罪を吐くか、大元を吐くか、それによってこの冷酷そうな管財官が取引に応じてくれるかは、やってみなければわからない。盗賊らしく、賭けに出てみればどうだ?」

 リクが、年齢に見合わない酷薄な笑みで盗賊の首領に告げる。

 その横顔のリクには、ぼくでも簡単に近寄ろうと思えない。

 すっと、その眼がぼくに向いた。

「おまえ、また熱出たんじゃないか」

 そりゃいまはずぶ濡れで身体は冷えたし、心臓は襲撃の間中ずっとドクドク速いままです。

「うわ、こんなことやってる場合じゃないでしょ!」

 慌てたようにエヴァンスがこっちにやってくる。

「いやあの、敵の尋問が大事じゃ」

 さすがに自分の不調を言い出せる場面じゃないでしょ?

「そんなことはあとからでもできる」

 リクの声に重なって、同じような内容の声があちこちから違う言葉で飛んできた。

「無茶をなさる。馬車へ」

 管財官に促されて歩こうと思ったけど、地面がぬかるんでいたのと、だんだん身体がじんじんと熱くなってきたからか、足元がふらつく。

 ぼくのところまでたどり着いたエヴァンスに肩を抱かれた。

「リーヴ、もっと早く気づいてくださいよ、ちょっと熱高そうです」

 なんだか、こんなことばっかりで申し訳ない。

 エヴァンスが抱き上げてくれようとしたけど。

「自分で、歩くよ」

 いくらぼくが小さくても、よほど体格がいい人じゃないと、抱えて歩くのは大変だと思う。

 それに、ここにはマンダルバの人たちも多い。

 こんな貧弱な子供が次期領主だと思われるのはだめなんじゃないかな。

 そう色々考えて言ったことなのに、

「頑固もいい加減にしろ。ル・イース」

 強引なことはできないと思ったのかためらっていたエヴァンスの後ろから、ル・イースが現れて、有無を言わさず抱き上げられた。

 驚いて彼の顔を見て、いつもと違うと、違和感があった。

 あ、眼が合った。

 薄色の灰の眼が、一瞬ぼくを見て、ふいと違うほうへすぐに視線を移した。

 違う誰かが開けた扉から馬車の長椅子に座らされる。

「ちょっと、また熱出たの? もう、うちの子たちでもこんなに弱くはないわよ! 身体鍛えなさい!」

 中にいたセリアがちょっと大きな声を出してエヴァンスに注意され、シチェックが寝かされたぼくの頭をなでなでしてくれ、タグが管財官補佐に物怖じせず、なんか拭くものないのかよ、と声をあげている。

 それがなんだかおかしくて、笑い声が出てしまう。

「ふふっ」

 くすくすと笑っていると、リクがやってきて、ぼくを不審な眼で見ていた。

「また熱に浮かされてんのか?」

 違うよ。

 どんなことがあっても、いつもと変わらないみんなに囲まれて、楽しいんだ。

 でもやっぱり、熱のせいかもしれない。

 目の前で、たくさんの人が死んだ。

 いまも、死体がそこら中にある。

 胸が苦しくて痛い。

 怖いよ。

 そのことに、悲しみを感じない自分が。

 みんなが生きていることのほうに、喜んでいる自分が。

 死んだ人にも、彼らに残され悲しむ誰かがいることのほうにも、すぐに意識がいかなかった自分が。

 あとから、こんなふうに、いろいろと思い悩むのはわかっていたのに、いまはみんなに構われているのが嬉しい自分が。

 怖い。

 みんなが、ぼくから離れていくことが。

 でも、きっとみんなは、ぼくの決意なんかお構いなしに触れてくれる。

 あんたなんてリーヴとは比べられないくらいにちっちゃいのよ、なんて、セリアのそんな声が聞こえそう。

 エヴァンスが毛布を管財官補佐から受け取ってくれて、一番近くにいたリクががしがしとまた拭いてくれて、賊が捕らえられたから馬車の中はリクやみんなで移動することになって、わいわいと、少しうるさいくらいに賑やかで。

 ちょっとは、“リクのうちの子”に、なれたのかな。

 次の目的地まで馬車に揺られ、自分も毛布に包まって隣に座っているリクを見上げる。

 ぼくたちは、これからどんなふうに生きていくのかな。

 たまには、会えるかな。

 そうだといいな。




 またさらに、ぼくへの過保護が増した気がする。

 泊まる予定だった高貴なお人のお屋敷みたいな宿に着いてから、すでに用意されていた大きなお風呂に放り込まれるように手早く押し込まれた。リクはじめ、幾人かのヤトゥ商会の男たちも一緒で、どぼんと湯船につけられ、熱も上がってクラクラしている暇もなく、湯からあげられたところで誰かに全身泡だらけにされ、違う誰かの手でばしゃばしゃ湯をかけられ、それが終わってひと息をつけたと思ったら風呂場の外に出されて待っていた誰かにわしわし全身を柔らかな布で拭かれて、手早く寝間着らしき服を着せられて、その上から毛布でぐるぐる巻きにされ、そこへ簡単に体を拭いて着替えたらしいジョーイ・ハーラット管財官補佐がいて、彼に毛布ごと抱きかかえられて泊まる予定の部屋へ運ばれた。

 なんというか、見事な連携ぶりに言葉も出ない。

 リクも手早く身支度を終えたのか、その後ろからついてきていた。

 子供のように、いえ子供なんですが、大人の男の人にこう何度も抱きかかえられるのはいたたまれない。一度階段を上がり、廊下を進みながら、これはなんとかならないのかとリクに眼で訴える。

「熱を出すおまえが悪い」

 知ったことかという顔をしないでよ。ぼくだって好きで熱出してるんじゃない。

「不満があるならもっと丈夫になるんだな。食べて、寝て、とにかくどんどん食べろ」

 うぐ。

 言い返せない。

「食事は部屋に運びますよ。本当に、まずは食べて、よく寝て、普通の身体に戻しましょう」

 ぼくを見下ろしながらジョーイ・ハーラット氏は笑顔で言う。

「ごめんなさい、重いですよね」

「いやあ、軽すぎてびっくりしてるくらいです。せめて標準体重になっていただきませんと、またお熱が出るんじゃとひやひやするんで、なにせ、よく食べることですよ」

「はい」

 部屋の前にはシン・レが立っていて、扉を開けてくれて、部屋に案内してくれた。

 いままで泊まってきた宿の中でも、大きく豪華な部屋だった。三部屋くらいには分かれていて、待合室のような最初の空間の奥に、暖炉もあるくつろげる談話室、さらに奥に主寝室。そのそれぞれがとても広い。

「熱冷ましのお薬を用意しましたから、軽くお腹に入れてから飲まれてください」

 ふわりと広すぎるくらいの寝台に置かれて、上掛けまでかけてくれた。

「吐き気などございませんか?」

 ジョーイ・ハーラット氏は本当に心配そうな顔で言ってくれる。

「それは大丈夫です。ただ、やっぱりちょっと、疲れました」

 リクは寝室の脇にある椅子に脚を組んで腰掛けていた。

 体が熱いんだけども、意識ははっきりとしていて、まだ頭の中が変に興奮しているのか眠気が来ない。

 それがちょっと苦しい。

 体は休みたがっているのに、頭がそれを許さないので、身体も気も休まらない。

「無茶をするからだ。自分のことをもっと自覚しろ」

 リクが手厳しく言う。

 そうこう言っている間にシン・レが脚付きの盆に乗った食べ物を運んでくれた。野菜の汁物と、とろとろとした白いもの、穀物類の煮込みみたい。

 湯気が出ているそれらを前に、やっとお腹が空いてきた。

 シン・レは脚付き盆を体を起こしたぼくの腿の上に来るように置いてくれた。

「ありがとう」

 彼はにこりと笑い、部屋から出ていった。

「多くはないと思いますので、せめてそれは完食していただきたい」

「お腹空いたみたいなんで、大丈夫です。いただきます」

 無意識の手合わせに、ジョーイ・ハーラット氏も不思議そうな顔をしていたけど、そんなに変なことかなあ。

 銀色の匙を手にとって、先に穀物類の煮込みに突っ込み、口に放り込む。

 何度も噛み締め、飲み込んで、そのあとも同じものを何度も口に運んだ。

「気に入っていただけたようですね。マンダルバの名物です。口当たりもいいので、病人や子供にも食べやすい」

「おいしいです」

 噛めば噛むほどいろんな穀物の甘みが増す。下味の塩気と混ざって、本当に美味しくて、どんどん食べられる。

 野菜の汁ものも、野菜が細かくしてあって、いろんな甘みが感じられて、他にもいろんなものが入ってるんだろうなという旨味と混ざって、野菜だけの味にはなっていない。

「スーザでも召し上がっておられたと思いますが、あちらもほとんどのものがこのマンダルバの食材です。新鮮な野菜も、穀類も、下味に使う肉や魚、香辛料、すべてがこのマンダルバで生産される。マンダルバは自給自足が可能な土地です。ですが、それだけでは民を豊かにはできない。やはり外貨は必要となります。外との取引があるからこそ、土地を守る力を持ち、産業を広げることもできる。それも、ここで懸命に働いてくれている者たちがいてこそのものです」

「はい」

 ジョーイ・ハーラット氏は薬包を取り出し、水まで用意してくれた。それを飲んで、背布団を敷かれてそこに背中をつけ、脚付き盆を手にしたジョーイ・ハーラット氏はお休みくださいと言い残し、寝室はリクと二人になった。

「リクも、食べないの?」

「ああ、もう行く」

 え?

 行くの?

「おまえはマンダルバ次期領主となった。アーノルト側がどんな抵抗をしようと、それはもう変わらない。俺の役割は」

「役割って、なに」

 強い声になった。

 リクの言葉を遮り、珍しく大きな声を出すぼくに、リクは口を閉じた。

「もう、マンダルバとの直接取り引きはできたから、リクはすることがなくなったって、言いたいの?」

 だめだよ。

 ぼくの真剣な眼に、リクは目を離さずにいてくれる。

 こんなことを言って、ぼくこそ役割を降ろされたら、それで終わり。

「もうスーザに帰るって言うなら、ぼくも引き返す」

 言葉は止められなかった。

 リクは深い溜め息を吐いた。

 誰よりも怖いと思っている人を脅している自覚はあった。

 せめて、最後まで。

 あふれ出しそうな思いに目が熱くなって、たまらずに上掛けを頭まで被った。

 せめて、最後まで、そばにいたいよ。

 自分のそばにいて欲しいんじゃない。

 ぼくが、リクのそばにいたい。

 でも、それを決めるのはリクだ。

 ぼくのあがきや願いなんて、リクの意思一つで押さえつけられる。

 リクの顔を見るのが怖い。

 しばらくそうしていると、

「あいつら、密入領していてな」

 リクが感情のわからない声で言う。

「本来なら捕らえられてもおかしくはないところ、あいつらのおかげでおまえの危機を救えたと管財官が判断して、処分はお咎めなしになった。こちらも賭けに出たことになるが、勝算はあった。おまえが管財官に認められれば、俺たちの身もおまえの力で守られる。おまえが次期領主にならないなら、俺たちは管財官に捕らえられるかもしれないが、それでいいか」

 意地悪。

 そんなこと言われたら、もうなにも言えないじゃない。

 そうなったとしても、きっと自分たちで切り抜けられるだろうに。

「ごめん、なさい」

 わがまま、言った。

 ここで泣くのは卑怯だ。

 全力で涙は阻止する。

「本都まではあいつらも一緒に行く。まだなにが起こるかわからないからな」

 本当?

「俺は管財官とうちの奴らとも話をしないといけないし、腹も減った。だから、少しの間、一人で待てるか?」

 上掛けから顔を出す。

「ぼく、早とちりした?」

 リクは苦笑していた。

「いや、どうするか、迷ってた。おまえを管財官に預けても大丈夫だと判断したし、俺たちの願いはすでに叶った」

 わがまま言って、よかったってこと?

 もう少し、一緒にいてもいい?

「じゃあ、待ってる」

「ああ」

 リクは、とくにそれ以上のことを言わずに、そのまま部屋を出ていった。

 こんなに甘ったれだったのかぼくは。

 ごめんね。

 きみには期待はずれな奴だったかもしれない。

 でも。

 もうちょっとだけでいいから。

 最初で最後のぼくの願いを叶えて。




 翌朝。そのまま本都へ出発する予定が、ぼくの発熱でまたも延期になった。

 本当に申し訳ない。

 それを、そのままにしないのがクイン・グレッド管財官。一日たりとも無駄にしない。

 リクたちヤトゥ商会の面々と、ぼく、マンダルバ側との三者会談を実行した。

 ぼくが笑い話にしてしまった、セリュフとクイン・グレッド氏の面談が現実のものとなった。

 場所はぼくたちが泊まった宿。

 宿というか、このマンダルバに重要な客人が来るときの滞在場所として使っている、かつてのマンダルバ領主親族の屋敷だったそうで。百人は超えるヤトゥ商会の面々も大挙して押しかけても収容に余裕があるくらいだった。

 ぼくへの過保護は継続中で。

 とりあえず高熱は下がったけど、微熱程度はまだあって、体を冷やさないようにと、部屋の中なのに厚めの衣服の上にさらに厚い生地の外套を着せられた。

 いまは晩春なので、あったかい日は多いけど、やや標高の高い地域のため本格的な暑さにはまだ遠く、天候によっては肌寒いくらい。さすがに昼間から暖炉に火を入れるほどではないが、体調を気遣って、との衣服を用意した管財官補佐の言葉だった。

 離れたくなくてわがままを言った昨夜は、広い寝台に一緒に寝てくれたリクだけど、それ以上ぼくを甘やかすことはなかった。微熱であっても容赦なく起こされて、ご飯を食べさせられ、少し外を散歩をさせられ、また一からやり直しだなと怖い目で笑われた。はい、がんばります。

 そして、いよいよ、どうなるのか楽しみのようで、背中に寒気も走りそうな予感もする、セリュフ対クイン・グレッド氏の対決の時間となった。

 これはぼくが勝手に心の中で言っていることなので、それを見たくないと言ったエヴァンスなんかは、いまから場面が目に浮かぶと戦々恐々としていた。

 たくさんの人数が入る大広間。いくつか素敵な長卓や小さめの円形のものもあった。椅子も木部は塗り物でつやつやしていて、張り地の布も綺麗な模様のもの。壁にいくつか絵画も掛かっている、ちょっと気後れするような広間。ヤトゥ商会の代表者たちは堂々としているが、中には物珍しくそれらを見ている人もいた。

 セリア、タグ、シチェックたちは他の部屋でお留守番。フィジとキースは同席した。

 ぼくは、まだマンダルバ側とも、リク側ともはっきりしていなくて、でも、ずっとリクたちと同じ側にいるのもおかしいかなと思い、一人で円卓のほうの椅子に座ることにした。そこにはあとからフィジとキースも座って、なんだか向こうの長卓を眺める特等席みたいになった。

 ヤトゥ商会と、マンダルバ管財官。

 どんな話をするのかわからないが、今後に関わることだろう。

「昨夜も話をしましたが、あなたがたの密入領については、見逃すことになりました。よくも我々の目をかいくぐって、あれだけの手勢を揃えたと、逆に感心しましたが」

 長卓の長いほうの中央に、セリュフとクイン・グレッド氏は陣取り、対峙していた。ジョーイ・ハーラット氏はクイン・グレッド氏のすぐ隣に。

 リクはみんなが見渡せる長卓の短辺側、腕を組んで斜めに構えていた。

「そちらの戦力は、戦さでもないのに簡単には揃えられないだろうと、うちのそこのリーヴが言うんでね、ちょっと大規模にはなったが、勝手に入らせてもらった。この人数じゃすぐに許可はもらえなかっただろう?」

 少し身なりを整える気になったのか、無精髭を剃り落とし、長めの髪も上に梳き上げ固めたセリュフは、ちょっとした変身を遂げていた。想像よりも、歳は若いかもしれない。いまは三十代手前とも、少し越えているようにも見える。

 いつもは胡散臭い戦士崩れみたいな人なのに、髪が上がって知的な瞳が露わになっているので、とりあえず胡散臭さは消えていた。どこか名のある戦士くらいには見える。

「当然でしょう。脅威になる者らを簡単には入れることはできません。全力で排除していたでしょう。ただし、ちゃんと仕事として入るならば問題はありません」

「時間がなかったんでな。どこかの誰かが、突然マンダルバに招待すると言いやがったみたいで」

 セリュフがニヤリと笑う。

 クイン・グレッド管財官は、冷ややかないつもの眼。

「ほら、化かし合いになった」

 彼らから目をそらすエヴァンス。心の声が漏れてますよ。

「それはアーノルト氏ですね。本都に行けば彼も待っているでしょうから、直接苦情をお申し出ください」

 あの、もうその辺でいいんではないでしょうか。

 笑い事にならないのは、よくわかりましたので。

「リク」

 ちょっと仲裁してくれないかなと、声をかける。

「そちらの次期領主が不安げだぞ。おまえたちが腹の探り合いをするのは構わんが、場をわきまえろ」

 リクは仲裁はしてくれたけど。

 頭脳明晰な管財官たるクイン・グレッド氏にこんなことを言える人、他にいるんだろうか。セリュフ対クイン・グレッド氏の対峙よりも冷や汗が出そう。

 セリュフもクイン・グレッド氏もぼくを見てから、二人ともそれぞれ個性的にふっと笑った。

 あれ?

「相手を牽制するのは戦の定石です。ですが、ここはレナン様に免じて、威嚇はしないでおきましょう」

「悪いな、これは準備運動みたいなもんだ」

 和やかとはいかないけど、互いに警戒している素ぶりはやめたみたい。

 リクは溜め息をつく。二人の行動の意味がわかってたんだね。

「あの“名もなき”戦力を味方にできるならば、特段咎め立てはしません。あなたがたは、それも見越しておられましたか」

「あんたが知っているとは思ってはいなかったよ。ただ、予定通りそこの次期領主様を守れたなら、口添えがあるかと、期待はしたが。では、俺たちがその名もなき者らだと知って、いまはどう考えている」

「敵に回すのは得策ではない。それは確かだ。それらとヤトゥ商会が重なるのなら、それはもっと脅威と感じられる。いったい、どれだけの戦力まで拡大されてるんですか。これは、偽りなくお答えいただきたい」

 クイン・グレッド管財官の目は鋭い。

 昨夜から耳にしている、名もなき、なんとかって、なんだろう。

 想像はつくけど、想像を超えられない、わからない。

「戦力としては千はもうだいぶ前に超えたか?」

 セリュフが隣にいたヴィイに訊く。

「いまも増えてる。この前二千は超えた」

「いつの間に。ちゃんと管理しとけよ」

「それはあんたの仕事だろうが。ちゃんと二千人分、給与計算しろ」

「戦力とは、ヤトゥ商会護衛部に所属する護衛人たちの総数です」

 セリュフとヴィイのいつもの口争いに、エヴァンスがそっと通訳をした。

「当然、仕事中の奴もいるからな、すぐにすべて集められるわけじゃない」

 セリュフはクイン・グレッド氏に追加説明した。

「所属している者は、ということでしょう? そうではない者も、おられるでしょう」

 セリュフは片頬で笑う。

「さすがに頭のいい御仁を誤魔化せないか。そうだな、ただごろごろと遊んでる奴もいるし、声をかければ臨時に戦力となれる者らもいる。それはここで言うのは差し控えよう。常時の戦力とは言えないもんだからな。あいつらが出るときは、それこそ、戦さのときだ」

 セリュフの眼は笑ってはいない。

「二千でも、マンダルバの第一次臨時徴収兵を超えます。なおのこと、敵にはできませんね」

「そりゃどうも」

「あなたがたの目的は、そちらのリーヴ殿とも話し合いました。お聞きですか」

「ああ」

「では、もう一つのことを、いま話し合いたいのですが、よろしいでしょうか」

「想像はつくな」

 全然想像つきませんけど。

「これは、どちらと話をすればよろしいでしょうか。あなたか、あなたの上位たるリーヴ殿か」

 冷たい微笑みが似合うのは、この人にとってはいいことなのか悪いことなのか、ちょっと判断がつかない。

 そのクイン・グレッド氏の笑みを、セリュフは受けて立つ。

「どちらでも。俺の意思は、リーヴの意思だし、リーヴがやりたいことなら、俺は反対はしない」

「あなたにそこまで言わせるこの人に、非常に興味があります。それに、年若い彼があなたがたの頂点にいる理由も」

 本人を目の前にこれだけのことが言えるクイン・グレッド氏も相当な人だと思う。

「そんな大層なことかねえ。俺のことを、認めるような発言だが」

「情報は私の専門であること、ご存知だろうと思いますが、これは単に自称しているわけではありません。ミリアルグというところは、正しく情報のるつぼでしてね、あそこにいると、あらゆる方面の話が飛び込んできます。伝手もできやすい。とくに、国家組織や我がマンダルバのような領地の者にとって、大切なのは軍事情報です。これは、ミリアルグ国立司法院の必修科目の一つでもある。自分自身の力のみで、各国の軍事情勢を調べることが単位取得ともなる」

「はあ、恐ろしいところだねえ」

 セリュフが本当にそう思っているかはわからないが、すごい授業であるのは確かだと思う。

「傭兵組合の登録名簿はさすがに入手困難ですが、各地の戦力を調べれば、どういった者がいま活動しているかはわかる。傭兵ではなくても、目立つ戦士の名は耳に入ります」

「なんか嫌な予感がしてきた」

 セリュフは本当に不機嫌そうになっている。

「私とこちらのジョーイ・ハーラットは、ミリアルグで共に学んでいました。当時、まだ十代後半でしたが、授業で勉学に励む傍ら、武芸武術も鍛えられたものです。あの国では、勉学だけでは立身できませんからね。少年と言える年齢の者たちは、とかく勉学よりも武芸のほうに興味が湧くものです。いま傭兵で強い者は誰か。国家所属兵ならば誰か。まだ無名だが、傭兵組合に認められそうなのは誰か、といった具合にね」

 とうとうセリュフは沈黙してしまった。

「ミリアルグの隣国、アスリロザでは、いまでも、毎年のように国王主催の闘技大会が開かれる。これはアスリロザの国兵たちを鼓舞するものでもありますが、名もなき戦士を見出す楽しみも持っているようです。国王の道楽ではありますが、一般の者も参加できるものです」

「ほう」

 リクが興味を持ったみたいで、セリュフのほうを見ていた。

 セリュフはなんだか憮然としている。

「傭兵組合本部はアスリロザ内にあるため、傭兵組合もアスリロザ国王より招待されて数名の傭兵を参加させることがあります。ですがある年は、近隣で大戦さもあって、傭兵組合からは参加を見合わせた。その代わりに、傭兵候補となっている者をと、大会に幾名か、目をかけている者を参加させた」

「へえ」

 エヴァンスも、話の先が気になるのか、興味深げに聞いている。

「結論を言えば、優勝者はミリアルグ国家兵の者でしたが、準優勝は、傭兵組合が目をかけていた者で、たしかセリュフと」

 ガン! と、卓が叩かれた。セリュフが不機嫌丸出しの顔で片手拳を卓に乗せていた。ぼくはビクッと飛び上がったが、他は誰も驚いていない。

「キース、知ってた?」

 フィジがきょとんとした顔でキースに尋ねた。

「うん」

 キースはあっさりと笑う。

「同世代だからね、知ってるよ。会ったことはなかったけど」

 ほんとうに?

「“傭兵”になり損ねた者を辱めて楽しいか? ああ?」

 セリュフは半眼で、怖い笑みを浮かべてクイン・グレッド氏を見ていた。

 クイン・グレッド氏はとくに感情は浮かべず見つめ返す。

「それは、あなたが勝手に辞退したものでしょう。それに、八百長もあったと、噂が出ましたが。そんなふうに不機嫌を装っても、本当は特別な感情は持ってはいないでしょう。あなたはあのとき、冷めた目をしていた」

 セリュフは真顔になっていた。拳は卓の下に収まっていた。

「いたのか」

「ええ。闘技場に。当時アスリロザ国王に招かれていたミリアルグ国王の代理として、王太子とその側近も何名か闘技場に入ることができた。ミリアルグ国立司法院は王太子の管轄で、毎年優秀者は闘技場の供ができる褒美がある。私は当時の学年首席として選ばれ、その場にいました」

「そうかよ」

 セリュフは今度はふてくされたように、頬杖ついてそっぽを向いてしまった。

「もういいだろう。大国アスリロザの威圧に負けて、国家兵の優勝に手を貸した馬鹿がいたって話は」

「ということは、そいつが実力で優勝したんじゃないなら、セリュフが優勝してたってこと?」

 エヴァンスが驚いたように声を弾ませていた。

「彼にはその実力があったよ。カドルでもないのに、傭兵組合が後押ししてたほどの実力者だもの。彼がその後に姿を消してしまって、組合本部では彼のことは禁句になってしまったほどだよ。参加させるんじゃなかったって。アスリロザは、華やかな反面、とても恐ろしい国だ。貴族王族には逆らえない風潮も強いし、裏ではなんでもやっている。傭兵を目指す実力のある戦士が八百長をするなんて、本来ありえない。必ず理由があったはずだと、本部の者は思っていたよ」

 キースの言葉に、セリュフはちらりと目線をやり、

「どうでもいいさ、その姿を消した誰かの評価なんぞは」

 投げやりにつぶやいた。

「ほんとうに、どうでもいいだろう。俺のことは」

「いえ、そういうあなただからこそ、いま組織で活躍なさっていることが逆に興味が湧く。本気になったあなたを導いているのが何者なのかとね」

「単純なことだ。俺が本気になるのは、俺よりも強い者だけだ。戦闘力のことじゃない。それもあるが。まだ本気なら俺もリーヴには勝てるからな。だが、数年後はどうだ? きっとヴィイにも勝るほどにはなれる。俺は確実に負ける。キスリングにはどうだ? 身体が育てば、匹敵するくらいにはなるかもしれない。面白いじゃないか、これからが楽しみな奴を見守るってのは。戦闘力ならそういうことだが、リーヴは何者でもない、リーヴだからこそ、皆がついていくのさ。組織の中にいればおまえにもわかるだろう」

 それ以上は言わなかった。

 クイン・グレッド氏が納得したかはわからない。ぼくだって、リクについてわかったような気にはなれない。

 ただ、大の大人が、傭兵にまでなれたはずの人が、こうまで言う人なんだって、聞いていただけなのに、誇らしい気分だった。

 リクは腕組みしたまま。

「傭兵になってれば俺なんかに従わなくて済んだのにな?」

 場の空気を読めるくせに容赦のないことを言うのはリクらしいが、セリュフをいじることのほうに楽しみを見出したみたい。セリュフが長い溜め息をつきながら卓に置いた手に顔を伏せた。

 ちょっとセリュフに同情した。

「やっぱりリーヴが最強」

 エヴァンスが嘆息してつぶやいた。


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