第83話 葉月との恋人代行①

 一段と冷え込む依頼日の日曜。

 時刻は19時55分。龍馬は葉月が住むタワーマンションの近くの自動販売機の前にいた。

 LED照明に顔を照らされながらラインナップされたホットドリンクを難しい顔で見続けていた。


「葉月さんは何を飲むんだろうな……」

 葉月と会うのは酔い潰れていた時と代行一回目の二回だけ。

 正直、好みすら分かっていない状況である。


 なぜ今回、葉月のためにホットドリンクを選んでいるのか。それは恋人代行会社からの一文があったからだ。


『今回、依頼者様を心のケアを重視していただきたく存じます。身勝手なお願いではありますが、よろしくお願いいたします』——と。

 内容を理解していない限り、踏み込むことはできない。とりあえず気遣っていこうと龍馬は決めていた。


「ミルクティーも飲みそうだけど、紅茶もお茶も……コーヒーも飲みそうだし、ホットレモンも……。本当どうしようか……」

 ふぅーと深い息を吐きながら龍馬は首を傾げる。

 代行の待ち合わせ時間がじわじわと迫っている。

 あわあわと焦り始める最中、

「あっ!」

 龍馬はハズレのない作戦を考えついた。


 出費はかかるが二種類のホットドリンクを買うことにした。

 二種類の温かい飲み物を買うことで『どちらがいいですか?』と葉月に直接聞くことができる。結果、好みがどちらかを選ばせられる。

 300円を投入口に入れ、緑茶とミルクティーを買った。


 時刻は19時58分。

 取り出し口から飲み物とお釣りを回収し、走ってタワーマンションの【グライアルガーデンGRタワー】に向かう。


 片腕にホットドリンクを抱えながらスマホを取り出し、時刻を確認。

 20時になった瞬間だった。


「ん?」

 ウイイイイイイイイン、ウウィィィィンンと、例えが悪いが掃除機にも似た車のエンジン音が聞こえてくる。

「……絶対イイ車だこれ」

 ターボチャージャーが関係したような音。こればかりはスポーツカーやスーパーカーにしか出せない。


 龍馬がそう呟いたすぐ——地下の駐車場から車高の低い鮮やかなオレンジ色の車両が姿を現す。

 街中で走っていたら必ず視線を向けてしまうような、色と形。


「ふぉぉ……。GT-Rかよ……」

 車に詳しくない龍馬でも、車種はわかる。

 中古車でも300万円以上はくだらない、新車では1000万を超えるスポーツカー。


(カッケェなぁ……)

 流石はタワーマンションに拠点を置く住人。その車両に見惚れていた矢先、その高級スポーツカーGT-Rは何故か龍馬の前で止まる。


「え……」

 高級車が目の前で止まる。正直恐怖しかない。

 思わず声が漏れた龍馬に——これが合図となったようにGT-Rのパワーウインドーがゆっくりと開く。

 そして聞き覚えのある声。


「ごめんなさい、少し待たせてしまったわね」

「……え、葉月さん!?」

 そのハンドルを握っていたのは、今日の依頼者であるベテランキラーの女王、葉月だった。

 もう予想もしていない展開である。


「どうしたの? そんなに驚いて」

「こ、これ葉月さんの車……なんですか?」

「一応はそうね。あ、運転には自信があるから安心してちょうだい。初めての実技試験で『運転したことあるの?』って褒められたくらいなのよ。凄いでしょう?」

「そ、それは凄いですけどそうじゃなくって……ですね」


 葉月の年でGT-Rの所有者はそう居るものではない。

 龍馬が言いたいことと葉月が言っていることは間違いなくズレている。

 だが、こんな高級車を自慢することもなく運転技術に口にするあたり葉月らしくあった。


「とりあえず乗りましょう? お外冷えるでしょうから。ふふっ、待たせてしまった私が言えることではないでしょうけれど」

 時間にして1分も待たせていないが、こんなところが社会人らしい。


「は、はい……。失礼します」

 龍馬にとって初めての高級車の乗車である。

 丁重に扱うように、割れ物を扱うように、爪でひっかかないようにアウターハンドルをゆっくりと引き、ドアを開く。そこからはもう圧倒された。


「はぁー……すっごい凄いなぁ……」

「車内こだわっているわよね。このお車って」

「流石GT-R……」


 GT-Rのオーナーに真面目に職務質問を行っていた警察官が、「かっけえ〜!」「やべえ〜!」なんて興奮を吐露してしまうくらいの根強い人気車。

 そんな葉月の持つGT-Rは車の色と同じ、オレンジ色で内装が整えられている。

 サウンドシステム、ナビゲーションシステム、その他システムがカッコよくシンプルに区別され、上質なコックピットシートが大きく広がっている。

 もう座ることさえ遠慮してしまうくらいに綺麗だった。


「……座らないの?」

「い、いえ座ります。本当に失礼しても……いいんですよね?」

「ふふっ、当たり前じゃない」

「そ、それでは……」


 はぁ、ふぅ。なんて息をこぼしながら緊張した面持ちで腰を下ろした龍馬。何時間でも座っていたい、体が痛くならないと確信できるくらいの心地よさだった。


 開けたドアをゆっくり締め、二人っきりの空間が作れられる。

 そんな時、葉月は車内に取り付けられたダイアルを回し洋楽を流し始めた。沈黙が作られた時に気まずくならないように気遣ってくれたのだろう。


「あっ、葉月さんこれどっち飲みますか……?」

 龍馬が興奮を露わにするのはもう終わりだ。すぐに代行のスイッチに切り替える。これが仕事なのだから当然のことでもある。


「あら、そうやって私から好感を得ようとする作戦ね?」

「それはどうでしょう。自分がどうこう言っても全ては葉月さんの捉え方次第になりますから」

「もぅ、相変わらずからかい甲斐がないわね」

「葉月さんにからかわれてしまうと、ずっとペースを握られてしまいますから」

「それも面白いとは思わない?」

「代行人としてそれは情けないですよ。で、どちらにしますか?」

 

 そんな選択肢を葉月に与える龍馬だったが、ここで心理戦が始まった。

「こっち?」

 上目遣いで龍馬の表情を確認しながら疑問形で緑茶に触れる葉月。


「緑茶ですか?」

「うーん。こっちかしら」

 次にミルクティーに触れる葉月。


「ミルクティーですか?」

「……やっぱりこっち?」

 再び緑茶に手を伸ばす葉月。ずっとの上目遣いに龍馬の心臓は大きく跳ねる。


「ん、それじゃあミルクティーをいただこうかしら。ありがとう斯波くん」

「ど、どういたしまして……」


 びっくりだった。龍馬が今飲みたい『緑茶』を葉月が選ばなかったから。

 ミルクティーを受け取った葉月は、一口飲んでドリンクホルダーに置く。


「斯波くんもここに置いて大丈夫だから」

「ありがとう……ございます」

 表情は変えていないはずなのに、どうして当てられたのかはさっぱりの龍馬。

 しかも的中させるのは当たり前と言わんばかりの葉月の顔。


「葉月さん……どうして自分の飲みたい気分ではない方を当てられたんですか?」

「勘ね」

「勘!?」

「ふふっ、当てられて良かったわ」

 これが世に聞く女の勘と言うものであろう。


「斯波くん、今回の目的地は大丈夫よね?」

「は、はい。把握してます」

「それじゃあ依頼時間でもあるから出発するわね。シートベルトをお願いするわ」

「はい、お願いします」


 龍馬がシートベルトをしている途中、葉月は右後方、周囲の安全を直接確認する。

 そして龍馬がシートベルトをしたと同時だった。ウイイイイイイイインと独特のエンジン音を響かせ葉月は車を発進させた。


 初速から違う。それでいてスピードがあまり出ていないような不思議な体感がする。


「葉月さんってスポーツカーが趣味なんですか?」

 これは場を繋げるためでもなく、龍馬の単純な疑問でもあった。


「ううん。このお車を持っててアレだけれど趣味ではないのよね」

「えっ、そうなんですか!?」

「斯波くんは知ってるかしら。ミラココアって言うお車」

「スマホで調べてもいいですか?」

「ええ」


 テレビのCMで聞いたことがあるような響き。

 龍馬はスマホから【ミラココア 画像】と調べる。

 検索結果はすぐに出た。


 ミラココア。丸みのあるシルエット。女性向けに作られたフェミニンな軽自動車であった。

 カッコ良さで定評のあるGT-Rとは方向性が真逆である。


「お名前も見た目も可愛いでしょう? もう街中で見る度に羨ましくなるの」

「え、ええ。可愛いです」


 こんな高級車の持ち主がそう言ってしまえば、周りからは嫌味ったらしいと思うだろう。しかし、葉月のことを少しでも知っている者ならば本当に欲しい車なのだと理解できる。これが葉月の素晴らしい人間性なのだ。


「本当はそのお車が欲しかったのだけれど、会社の立場的にも良いものを持っておくようにしているの。お父さんに聞いたらこのお車がオススメだって言われて。あとは部下の悩みを聞いたり、自宅まで送ったりする時にそれなりの示しがつくようにね」

「なるほど……」

「それに最近は煽り運転が多発しているでしょう? 私、そんなことされたらお車をぶつけに行っちゃうからGT-Rこれでナメられないようにもしているの」

「あぁ、それもあります……って、んッ!?」


『最近は煽り運転があるでしょう? 私、そんなことされたらお車ぶつけに行っちゃうから』

 サラッと言われた爆弾発言。時間差で理解し変な反応をしてしまう。


「ふふっ、冗談よ。さっきから澄ました斯波くんだったからちょっと方向性を変えてからかってみたの。正解だったようね」

「なんだか、とてつもなく悔しいです……」

「次は斯波くんの番ね?」

「ですね。覚悟してください」

 そんなやり取りをする。龍馬は本気のトーンで言っていたことを葉月も感じ取っていた。

 面白くなりそうね、と微笑を浮かべながらハンドルを切る葉月であった。

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