第81話 葉月の残業と気持ち

 長野と言う部下が休み2日が経った。


「葉月マネージャー。これ、良かったらどうぞ」

「な、なによこれ……」

 カヤは他の従業員にバレないようにこっそりとコンビニで買った商品を葉月に渡していた。

 紙袋の中に入っているものは、缶コーヒーに栄養ドリンク。軽食のパンに糖分補給のラムネなど。


 媚びていると思われるのが嫌でひっそりと渡したなどではなく、これは葉月の気持ちを汲み取っていたからこその行動。


「ど、どうしたのよこれ」

「葉月マネージャー。アタシに手伝える仕事はありませんか?」

「な、無いわよ。……それにこれの説明をしてちょうだい」

 葉月はカヤが持ってきた紙袋を目線で訴えながら、訝しげの顔を見せる。

 いきなりこうした品を渡され、素直に受け取れるはずもない。


「説明はホントに必要ですか? 葉月マネージャーが一番わかっていると思います」

 だが、そんな上司にカヤは引くことなく立ち向かう。

 心当たりがあったのだろう。先に視線を逸らしたのは葉月だった。


「……これだから鋭い方は厄介よね……。私、これでも疲れ、、を見せないように心掛けていたのよ?」

「表情や仕草からは見えなかったですよ。失礼を承知で、アタシこそソコに気付かせない葉月マネージャーは厄介です」

「じゃあどうして分かったのかしら。コンビニまで足を運んでいるとなると、それなりの確証があったのでしょう?」

「はい。コーヒーを注ぎに行く回数が普段よりも二倍ほど増えていましたから。葉月マネージャーが疲れている時に見せる癖ですよ。カフェインを摂って睡魔と戦っているんですよね」


 この癖を知っている者は、カヤ以外にはいない。カヤほどに鋭い人間は葉月だけでもある。

 そんなカヤは上司の葉月を尊敬していた。良いところは全部盗むつもりでいた。

 その盗んでいる一つが、帰宅した際に龍馬に疲れた様子を見せない、でもある。


「『皆の作業には差し支えない』とは説明ありましたけど、葉月マネージャーは急遽休みになった長野さんのために残業をしているんじゃないですか? 葉月マネージャーが全部フォローをするのなら、アタシたちには、、問題はないですから」

「……それはどうでしょうね」

「部下を頼ってくれても良いと思うんですよ。頼み辛いのなら飲み仲間であるアタシにでも」


 ここまで言わているのなら、もう全部見透かされているようなもの。それでも葉月は上の立場にいる。この職場を取り締まっている役職でもある。カヤの言葉に甘えることはなかった。


「メンバーを頼っているからこそ、私は一人一人の仕事に専念して欲しいのよ。一定の評価を保ちつつ上からの信頼を得られているのは皆の仕事ぶりのおかげ。一生懸命頑張ってくれている皆の生活を保障するためにも私は負けられないのよ」

「ここまで業績が伸びているのは葉月さんの手厚いサポートがあるからですよ。それに気付けない方はここにはいません。だからアタシたちの仕事のためにも、お体のためにも無理はしないようにしてください。もう一つ言わせていただきますと、葉月さんの仕事ぶりは誰にも負けていないと思います」


 部下から上司の葉月へと向けられる信頼は異常なほど。

 いろいろと注意しなければならない。時には厳しい言葉をかけなければならない。そんな憎まれるような立場にいる葉月だが、不満もかなり少ない。

 それは日々の真面目な仕事ぶりを間近で見ているから。

 見下すようなことはせず、マウントを取るようなこともせず、一人一人親身になって話を聞いてくれるから。


 少しでも恩返しをしたいと思うのは当たり前のことでもある。


「それでは、話も長くなりましたのでアタシは仕事に戻ります。もし何かありましたら——」

「——ふふっ、何も無いわよ。ありがとうカヤさん」

「わかりました」

 一礼したカヤはそうして仕事に戻る。少しでも早く仕事を終わらせ、葉月をサポートできるように。


 決めたことは必ず守る、そんな性格の葉月だからこそ声がかけられる可能性は無いに等しい。が、少しでも作業効率を早めることで葉月の負担は減らせるのである。



 ****



 時刻は23時25分。

『もしもし、千秋さん。夜遅くにごめんなさい』

 この時間に、葉月は恋人代行会社ファルファーレの代表取締役社長、千秋に電話をかけていた。


『おー、葉月ちゃん。うちは全然大丈夫だけど……』

『営業時間外なんだよねぇ……』なんて毎度言うセリフは千秋は言わなかった。電話からの声色で心配になったのだ。


『珍しいね、葉月ちゃんの声に元気がないの。かなり仕事に絞られた?』

「ええ、ようやく仕事が終わったの」

「葉月ちゃん職場向かうの早朝だよね!? もう23時30分回るよ!?」

「残業をしていたのよ」


 誰にも疲れを見せることのない葉月だが、人間誰しも限界はある。

 ハードスケジュールをこなし、数日の連続残業は精神的にも身体的にも負荷がかかる。

 普段通りの声を装う余裕はもう葉月には残っていなかったのだ。


「はぁー。葉月ちゃんのことだから一人残って誰かのフォローに回ってるんでしょ? 部下に仕事を押し付けないで偉いねぇ……。うちは楽したいしバンバン回しちゃう」

「それは千秋さんの願望、、でしょう? 実際には違うってことを断言するわ」

「……正解。そんなことしたら下は付いてきてくれないもんねぇ。下が支えてくれる分、上はそれ相応のサポートをしないと。その分、高いお給料をもらっているわけだしね?」

「えぇ、当たり前のことよ」


 社長の千秋とエリアマネージャーの葉月。立場は違えどお互いに上の立場で部下がいる。理解し合えることは多岐にある。


「でもねぇ、葉月ちゃんは不器用なんだって。フォローは一人でするもんじゃないよ?」

「皆、それぞれの仕事に打ち込んで欲しいのよ。頑張りはこの目で見ているから」

「社会人の厳しさってもんを教えなきゃいけないと思うんだよねぇ、うちは。葉月ちゃんのことだからプライベートの理由なんかでも、フォローをするんだろうし」

「誰かが代わってあげないと可哀想だから」

「そうして可哀想を肩代わりした葉月ちゃんは、寂しさを埋めるためにうちに電話してきたと」

「そう、ね……」


 軽く、ネタっぽく返した千秋であったが、葉月は噛み締めるような声を届けた。


「おー、おいぃ。葉月ちゃん、今回結構ダメージ負ってんねぇ……。詳しくは聞かないけど、残業と他にもなにか喰らってるでしょ?」

「えぇ、仕事に没頭していたから忘れていたけれど、いざ終わったら思い出すものね……」


 葉月の責任感は人一倍だ。それは『周りをしっかり見る。状況把握』の反省を生かせなかったことを深く悔いていた。

 その非があったとしても、叱るべきところは叱らなければいけない立場であるのが辛かった。

 残業の疲れもあり、かなりの心労がのしかかっていたのだ。


「これは斯波龍馬クンに負担が行きそうだねぇ。それで代行の予定はいつにする?」

「前回と同じで日曜日の夜はどうかしら? 20時からお願いしたいのだけれど」

「昼も空いてるけど……夜でいい?」

「ええ。お昼は体を休めることにするわ」


 長野のフォローが終わり、ここで葉月が熱でも出したのなら本末転倒である。

 プライベートよりも仕事を念に置いている葉月。『仕事が恋人』その言葉に嘘はないのだ。


「了解。それじゃあ日曜日の20時で」

「ありがとう。それと斯波くんに厚着をするようにお願いしてくれるかしら」

「厚着? ご自慢のバイクで夜のドライブでもするの?」

「夜も寒いから車よ。海風に当たりに行こうと思っているの」

「夜の海かぁー。ロマンチックだねぇ。じゃそのように伝えておくねー」

「助かるわ。それじゃあ千秋さん、おやすみなさい」

「葉月ちゃんは気をつけて帰って」

「えぇ、ありがとう」


 そうして10分ほどの電話が終わり、葉月はPCの電源を落とした。

 椅子の背もたれを使い、体をリラックスさせる。


(……こんな状態だと、私が斯波くんにルール違反をしてしまいそうね……)

 慰めてくれる、そんな待ち望んだ相手と日曜日に会える。

 こんなにもやられている時に心救われるようなことを言われたのなら、感情がこみ上げてくるのは当たり前……。抑えが効かなくなるかもしれない。


「その時は斯波くんのせい……で通るのかしらね」

 ルールは守らなければならない。なんて理解しているもイケナイ気持ちが葉月には芽生えつつあった……。



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