第62話 お邪魔虫愛羅のお誘い
「りょーまセンパイ、ラーメン食べ行こ! コッテリしたやつ」
時刻は21時40分。
書店のバイトが終わるまで残り20分になったというところで毎度お馴染みの厄介者が現れた。初期位置付近で出てくるスラ○ム並の出現率である。
「出たよお邪魔虫……」
「アーシお邪魔虫じゃないし、JKだし」
「良いように言葉変換してるだけだからなそれ」
「マ、そんなことどうでもいいんだけど。バイトが終わってからでいいからさ! めっちゃ美味しいトコ教えてもらったの」
「どうでも良いのかよ」
お邪魔虫をJKと言い換えた理由は特に無かったらしい。特段何を言われても気にしない愛羅らしいところではあるが、龍馬からすれば無駄な会話をしただけである。
「で、ラーメン行こ! コッテリ系!」
「金かかる」
それはもう嬉しそうに誘っている愛羅だが、龍馬は相変わらずである。
「アーシが奢る」
「それは嫌」
「じゃあ奢って」
「それも嫌」
「じゃあ自分の分は自分で払お」
「金かかる」
「わがままじゃん。少しくらい折れてよ」
「どの口が言ってるんだか」
誰がどう見ても必死すぎる抵抗を見せている龍馬だが、内心はもう折れきっていた。
龍馬と愛羅は契約関係にある。昨日カヤに料理を作れなかった龍馬は、そして今日こうなることを見越していた龍馬は早起きをして夕飯を作り置きをしていた。
家に帰っても特に用事がない以上、付き合う他ないのだ。
「ってかさ? めっちゃ失礼なコト言うけど、りょーまセンパイにそのツンツンは似合わないって。するならデレも見せなきゃダメっしょ」
「誰かさんが俺をこうしてるんだよ。せめてバイト中はそっとしておいてくれ」
「……だって、一人ぼっちは寂しいじゃん……」
「お
「——ってことで、ラーメンね!」
「クソ騙された……」
愛羅の沈んだ表情に焦った龍馬だったが、一瞬でキラキラして笑みを見せてきた。今の演技は役者としても使える部分があるだろう。
「それにりょーまセンパイもお腹空いてるでしょ? 一生懸命働いたあとだし」
「空いてるけど。ってかそれ狙って来てるだろ」
「にしし、まぁねー」
「はぁ……まぁいいや。その美味しいラーメン屋行くか。気になってはいるし」
「行くかとか言ってるけど実際、りょーまセンパイの選択肢は一つしかないけどねー」
「それは言ったら萎えてくるんだが」
「じゃあ慰めてあげる!」
ぽんぽんぽんぽん! と背伸びしながらしつこく肩を叩いてくる八重歯を浮かべた愛羅。
『ドンマイ』と言っているのだろうが、これほどウザい慰め方はないだろう。
「……契約って本当、強力だよな」
「それが契約ってもんでしょ。ってかりょーまセンパイは依頼主? のアーシにツンケンした態度しちゃダメでしょ。ペコペコしなくちゃ」
「それは違う。悪いと分かってても立場的に言えないなんて状況があるから世の中は悪くなる」
「うっわ、確かにそうじゃん! ……んぇ? アーシ、りょーまセンパイに悪いコトしてる?」
「バイトの邪魔」
こうして本心を述べながらも愛羅に時間を使っているのは、可愛いギャルこと愛羅がこの書店の名物になり、男性客数の増加で売り上げがアップしたから。
『あのお客さんの要望を断らないでやってほしい!』と店長に頭を下げられたからだ。
そして、愛羅は龍馬という一人の書店員以外に迷惑はかけていない。この状況がまかり通るのは当たり前に近いことでもある。
「でも正直、アーシと話すだけでお金稼ぐの嬉しっしょ? りょーまセンパイサボってるようなもんだし」
「……その呼び方いつになったら直すんだよ」
「あからさまに話逸らすじゃん! ……あ、呼び方?」
楽して稼げる。これを嬉しく思わない人間はいないだろう。だが働かせていただいている場で、それもレジに店長がいる中で、『確かにな』なんて返しを聞かれるわけにはいかない。
話を逸らすには逸らすなりの理由があるのだ。
「あぁ、前まで俺のこと『センパイ』って呼んでただろ。なんかいつの間に名前ついてるし。もうこのやり取り3回目くらいなんだが……」
「もしかして……嫌い? りょーま様とか、優しすぎなセンパイとかの方が良い?」
「その二つは論外だろどう考えても」
「じゃあこのままー」
『りょーまセンパイ』呼びを嫌だと言わせないために、あえて論外な呼び名を出した愛羅。
これは全て狙い通りの計算。龍馬に主導権を渡すことなく『このまま』と言えているのだから。
「一つだけ教えて欲しいんだが……それ罰ゲームとかじゃないのか?」
「ううん、アーシが勝手に呼んでるだけだけど」
「……そうか。罰ゲームじゃないなら別に良いんだ」
「ちょ、なんだかんだでアーシ心配してるのマジでウケるんだけど。しかもさりげなくデレ見せたし!」
「デレてないんだが。あとうるさい」
デレたつもりは全くない龍馬だったが、心配していたのは隠しきれない事実。鋭い愛羅の指摘に恥ずかしさが襲ってくる。
「ほら、仕事の邪魔だ。漫画でも見てこい」
その感情を隠すようにシッシと手を払って鬱陶しげに追いやった。
「漫画! じゃあそうしよっかな! バイト終わったら呼びに来てね〜」
「ここ22時閉店だぞ」
「あっ、アーシが先にお店出とかなきゃじゃん」
「あと漫画見る時間もなくなってるぞ」
「バッカじゃん! それ早く言って!」
「愛羅さん、店内ではお静かにお願いします」
「こんヤロ……」
最後は完全に龍馬の手のひらで転がされた愛羅。
ボコボコのやられように喧嘩口調になっているが、その次には『ごめんなさい』と頭を下げた辺り偉い心の持ち主であった。
****
「ふぅ……寒いぃ……」
龍馬が書店を出たのは22時5分過ぎ。肌を刺すような寒さの中、暖をとるように両手に息を吹きかけていた愛羅に声をかけた。
「悪い、待たせた」
「あっ、りょーまセンパイ。ううん、全然全然。もうバイトの挨拶みたいなの終わったんだ?」
「まぁ、退勤の作業するだけだから」
「テンチョと話したりしなかったの?」
「今日はしなかったな、店長忙しそうだったし」
「……あんがと、りょーまセンパイ。アーシのために早く上がってくれて」
愛羅は全部分かっていた。この寒い中に待たせないように気を遣ってくれたことを。
大事にされないのと大事にされるのでは、嬉しくなるのはもちろん後者だ。
とくん……と、胸が高鳴った。
「本当に忙しそうだっただけなんだが」
「ウソばっかり。視線泳いでるし」
「目が乾燥してるだけだ。……で、貸して欲しい物は?」
龍馬はマフラーと手袋を寒そうにしている愛羅に差し出した。これのどちらかが一時的に愛羅の物になる。
愛羅がバイト先にくるのは100%だ。つまり……これは愛羅のために用意されたものである。
「手袋!」
「はいよ」
「いただきまーす」
龍馬から手渡された手袋を両手で受け取った愛羅。
「食べるなよ?」
「アーシ、ヤギじゃないし」
「ヤギは手袋は食べないだろ」
「食べるんだけど」
「は、マジで?」
「うん。消化はできないけど」
「もうこの話はやめにしようか」
もうどっちがボケだか分からない会話である。愛羅が手袋を着けている間に龍馬もマフラーを巻いた。
これでどちらもある程度の寒さは防げることだろう。
「じゃ、ラーメン屋に出発しよー」
「了解」
そうして書店の駐車場から出た二人。先導役は愛羅で目的地まで進もうとしたところで——
「愛羅どこ歩いてるんだよ」
龍馬は眉間にしわを寄せて愛羅を立ち止まらせた。
「え? どこって歩道じゃん。もしかしてりょーまセンパイ目悪い?」
「違う。車道側を俺に譲れってこと」
龍馬は身軽な愛羅の手裾を引いて車道側から離れさせ、そこに体を割り込ませた。これで二人の位置関係は逆になった。
「う、うっわー、ばちばち好感度上げ狙ってんじゃん」
「こんな簡単に好感度が上げれてたらカップルで溢れかえってるだろ」
「そ、それは告白をしないからでもあるっしょ」
「まぁ……確かに」
その正論を噛み砕いた龍馬はツッコミを入れるどころか気付きもしなかった。
『愛羅は好感度が上がったのか?』と。
「あのな、ここは真面目に話させてもらうが俺はもう成人してる。そんな大人が未成年を出歩かせてるってことは命を預かってるようなもんなんだよ。親御さんのためにも怪我させた愛羅を届けさせるわけにはいかない」
「……」
「だからここだけは譲ってくれよな。もし嫌ならラーメン屋パスして家まで送るけどどっちが良い?」
白い息を漏らしながら
「じ、じゃありょーまセンパイに譲る……」
「あぁ、そうしてくれた方が俺も嬉しい。ラーメン食べたいし。めっちゃ楽しみにしてるし」
その立派な責任感の理由の結びつきを、ラーメンが食べたいという欲でわざとらしく繋げた龍馬。この一つで真面目な雰囲気が一気に緩んだ。
「大人すぎ……だし。……りょーまセンパイ」
「20歳だしな俺」
「そ、そんな意味じゃ、ないっての……」
途切れ途切れになってなんとか一文を続けた愛羅。
龍馬のスイッチの入り具合に、愛羅の心拍は早まるだけ。ラーメン屋に着くまで治ることはなかった。
手袋をつけただけなのに、分厚いコートを羽織ったようなくらいに全身に熱が溜まっていた……。
龍馬のバイトが終わったこの時間はプライベート、つまり、お兄ちゃんになってという契約が交わされている時間。
いつもなら『お兄ちゃん』と呼ぶ愛羅だが、今日は違う。『りょーまセンパイ』という普段通りの呼び名になっているワケ。それは、龍馬のことを異性として意識してしまっているから、ただそれだけ。
契約の内容が、愛羅の想い一つで少しずつ変わってきている証だった……。
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