第57話 龍馬と姫乃の攻防戦⑥
それから雑談をすること1時間と30分ほどが経った。
姫乃とベッドにお尻をつけ、龍馬は絨毯に座っている。定位置が決まったようなもの。
ただ、一つだけ違うことを挙げるのなら——
「シバ」
「どうした?」
「ぬいぐるみ、返して」
姫乃は虚無の顔で両手を広げていた。その視線の先にある物は120センチサイズの巨大シャチぬいぐるみである。
龍馬は姫乃のシャチぬいぐるみを膝の上に置き独占しているのだ。触り心地が良いからという単純な理由で。
「も、もうちょっとだけ……」
「そんなにきもちい?」
「あぁ……いいなこれ。何円くらいした?」
シャチの頭から背中を撫でながら龍馬は聞く。購買欲が湧くくらいに魅力的なぬいぐるみであった。
「1万円くらい」
「1万かぁ……。このクオリティーだとやっぱその桁にはなるよな」
「シバも買えば、いい」
「それはそうなんだけど……ぬいぐるみとしてみたら高いし、買ったとしても姉に絶対横取りされるからさ。気付けばもう部屋から無くなってる」
無くなっていると思う。ではない。無くなっているという断言である。可愛いものに目がない姉のカヤは勝手に盗人を働くことだろう。
「シバ、お姉ちゃんいるの……?」
「言ってなかったっけ? 社会人の姉と二人暮らししてるって」
「言ってない」
「姫乃は?」
「妹、2人いる。三姉妹」
「そ、そうなの!?」
感情表現の幅が違う二人だが、実際の驚き具合は同じくらいである。
「ん。中学2年生と、高校2年生」
「へぇ、姫乃の妹さんか……。それ凄く気になるんだけど……」
「写真、みる?」
「良いの?」
「ん、三人でご飯食べにいった時のある」
姫乃はスマホからアルバムを開き、画面をスクロールしていく。
一人暮らしをしている姫乃はなかなか妹とも会えないのだろう。どこか哀愁を漂わせながら写真を探している。
「あった。これ」
姫乃は目的の写真をタップして龍馬に見せた。ファミリーレストランの中で撮ったであろうその写真には——
「姫乃が三匹もいる……」
「三匹じゃない。三人」
龍馬は姫乃のスマホに顔を近づけて確認する。
液晶に写っているのは、デカデカとしたパフェを囲んだ三姉妹。
撮影主である姫乃は相変わらずの無表情。その他に二人、天真爛漫さが伺える満面の笑みを浮かべたポニーテールの女の子。もう一人は丸メガネをかけていかにも知的そうなショートカットの女の子。
どちらも姫乃に似た顔だが、写真を見ただけで一人一人性格が違うことが分かる。
「笑ってるのが、次女の
龍馬に
それでいて、妹の
「
「シバには会わせない、から」
「え、なんで!? 機会があれば是非ってところではあるんだけど……」
「毒牙にかけそう」
姫乃はオン状態の龍馬の能力をいろいろと買っている。距離の縮め方なりコミュニケーション能力など。妹のことを大事に思っているからこその対処だ。
「毒牙にかけるって酷い言い草だなぁ。そのつもりは全くないから安心して」
「なんで全くないの」
「え?」
「
龍馬としては姫乃を安心させるために言った言葉。しかし、姫乃からすれば妹に興味がないと断言したような形。ぷっくりと不満顔になっている。
「それじゃあ喜んで狙わせてもらおうかな」
「だめ」
「もう何が正解か分からないねそれ」
狙ってると言っても駄目。狙わないと言っても駄目だという。
頰を掻きながら苦笑いを浮かべる龍馬だったが……途端、ピカっと豆電球が頭上に現れたように閃くことがあった。
少女漫画であった展開。姫乃が出した依頼の最後——壁ドンの導入であった。
「……じゃあさ、姫乃」
「なに」
「俺が姫乃を狙うって言ったら?」
「っっ!?」
急速の流れ。心の準備がまだ不完全だった龍馬は引きつったような不器用な笑み。が、姫乃にとっては意地悪顔をしているように捉えた。
「あれ? だめって言わないってことはさ、狙っていい?」
龍馬はゆっくりと立ち上がり、首を捻りポキポキと鳴らす。
これも全部、少女漫画の真似をしていること。
「な、なにする気……」
「それ言ったら面白くないでしょ? 姫乃はそのままでいてくれていいよ」
「や、やだ」
ベッドに座って足を床につけていた姫乃だが、何かを悟ったのかベッド上に足をあげて龍馬から距離を取ろうとする。
「ごめん。やだって言ってもさ、もうスイッチ入っちゃったんだよね」
「……だ、だめ。シバ、ストップ……」
「どうして?」
「姫乃、まだ……。心の、準備……まだ」
「それは好都合」
「姫乃は……違う」
ベッド上で膝を曲げている姫乃とは違い、龍馬は立ち上がっている。姫乃が龍馬から距離を取ろうとしてもその差は簡単に埋まる。
「シバ……落ち、着いて」
「俺は落ち着いてるよ」
ゆっくり近づいてくる龍馬にパーの手を作ってどうにか説得を試みる姫乃だが、龍馬にとってこれは二度とないチャンス。逃すことは出来ないチャンス。
嫌がっていない。ただいまの状況に困惑している様子だからこそ、攻めを見せることができる。
「姫乃、最後のしようか」
「心の、準備……させて」
「駄目」
姫乃がベッドの奥に下がれば下がるだけ壁が近づいている。
逃げ場なんてないようなもの。
得意げな笑みを意識しながら、意地悪をするようにゆっくりと足を動かす。
目線を逸らすことなく姫乃だけに注ぐ。
全てが計算された、勉強された動き。それでも実践は初めて。緊張は過去最高に登る。
装い、装いすぎているからこそ……龍馬の視界は通常よりも狭くなる。
「うおぁッ!」
「ぇ……っ」
足元に注意を払い損ねた龍馬。あろうことか、一歩先に置いていた背負いカバンが足を引っ掛けてしまったのだ。
まんまるの姫乃の瞳が前のめりになった龍馬を映す。
その勢いに逆らえるもなく、支えとしては不十分な姫乃の小さな肩を反射的に掴みながら龍馬は倒れ込んでしまう。
衝撃でベッドが大きく揺れる。足を躓いたと悟るのはもちろんのこと。
「うー、マジか……」
バネの振動が徐々に弱まり……ゆっくりと目を開ける龍馬。そこに、いないはずがない。
「ぅ、ぁ……ぁ」
「あ……」
押し倒され乱れた銀の髪。透き通ったような綺麗な紫の瞳。きめ細やかで雪のように白い肌。小さく整った鼻に肉つきの薄いピンク色の唇。簡単に折れてしまいそうな細い首。
ドアップになった姫乃の首から上、全部が……。
「……」
「……」
今の状態を完全に理解した両者。
姫乃は口をわなわなと震わせ、顔全体を真っ赤に、そして保護欲をそそるほどの涙目が浮かぶ。その一方で……龍馬は顔を真っ青にさせていた。
ベッド奥に姫乃を寄せ、そのまま壁ドンをするつもりでいた龍馬。
が、実際は全く異なる。
わざとではないとはいえ依頼されたこととは違う、過激なことをやってしまったのだから。
壁ドンと押し倒しの組み合わせである“ベッドドン”を。
しかも、姫乃の肩を掴んで押し倒したという故意的に思われても不思議ではないことを。
「…………」
「…………」
未だ声も放たれない静寂のこの場。
龍馬の中にはやってしまったという感情しかなかった。
予想外の状況に『ごめんなさい』の言葉も出てこない。
間近で見つめ合うこと、何分が経っただろうか。
先に立ち直りを見せたのは真っ赤になっている姫乃だった。
「お、押し倒し、しないって言った……のに」
「……え」
当然の言い分。だが、姫乃は温かな小ぶりの手で、龍馬の頰に手を当てた。
「すごく……どきどき、した……」
「……」
押し倒されたそんな今も潤んだ瞳をしている姫乃だが、じわじわと変わっていく。
「やっぱりシバはいじわる……。茅乃と夢乃には、会わせない……」
火照った顔で、熱のこもった瞳で……。まるで、ライバルは増やさせないという風に言った。
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