第55話 龍馬と姫乃の攻防戦④
「おかえり姫乃」
「ただいま」
時間が空いたことでなんとか平常心を保つ龍馬は、何事もなかったように姫乃に微笑みを作る。そして姫乃は当たり前に返した。
同棲しているかのような会話だが、イチャイチャ感はなく業務連絡のような雰囲気である。
「あれ、クマ耳のフードは脱いだんだ?」
「シバにいじわるされて暑くなった」
なんてことを言う姫乃は絨毯に座らずにベッドに腰掛け、巨大なシャチのぬいぐるみを抱きかかえた。
次に意地悪をしたら、『こうするぞ』との見せしめだろうか。
姫乃は細い腕で無抵抗なシャチの頭を使い、プロレス界の絞め技、ヘッドロックを見せた。恐ろしいことにこれが完全にキマっている。
あり得ないことだが、シャチのぬいぐるみがピギャなんて苦しい鳴き声をあげそうだ。
「意地悪したつもりは全くないんだけどなぁ……」
「シバ、楽しそうにしてた」
「それは否定できないかもね?」
『楽しくなんてない!』なんて本音は言えない。
少女漫画の主人公はこんなことを言っていなかったからだ。
焦らすか、濁すか、肯定するか、の三つ。龍馬は出来る限り少女漫画の主人公になりきっている。
「やっぱりいじわる。シバ本気になるといじわるになる」
「ははっ、そっか」
「なんで嬉しそうなの。姫乃、悪口言ってる」
「いや、ちょっと理由があってね」
「ん……?」
意地悪に思われている。しかし嫌そうなオーラは放っていない。これは多少なりとなりきれている証拠でもある。
龍馬は慎重な男だった。さらなる落ち着きを取り戻すために依頼とは関係ない話をすることで時間を伸ばす。
「あー、話変わるんだけど……そのパジャマはどこで買ったの? そっち系統のパジャマ見たことなくってさ」
「ネットで見つけたの」
「そっかネットか……。でもサイズが合わないとか聞くんだけど、実際のところどうなの?」
「姫乃は一番小さいの選ぶだけ」
「あぁ……なるほど」
ネットショッピングとリアルショッピングの違いは、実物が見られるか、服であれば試着が出来るか出来ないかである。そのネットの弱点が服のサイズが合う合わない繋がっているのである。
だがしかし、低身長の姫乃は一番小さいサイズを選ぶだけでやらかしたと思えるほどのサイズの間違いがないと言うことだろう。
「シバ、姫乃のことちっちゃいって思った」
「この会話何回目だろうね……。ごめんなさい」
「ん、許す」
前にもあった通り、姫乃は寛大に対応してくれた。
「それでもサイズが大きかったりするのあるんじゃない?」
「どっちもある」
「どっちもって言うと……小さい服もあったの?」
「ん、確認してなくて子どもサイズの服届いた時ある」
「はははっ、着れた?」
「姫乃そんなに小さくない」
ウケを狙うにはふさわしい話。ごもっともな意見を姫乃は真顔で返してくる。
「でも、足のサイズは結構子どもサイズよりじゃない? 21.5でしょ?」
「違う、22センチ。見て」
姫乃はペタっと絨毯に素足をつけて龍馬に確認させる。
見て、と言うからには姫乃の素足を見る龍馬だが……小さい、白い、綺麗という邪のない感想しか浮かばない。
「いやぁ、見ただけじゃ流石に0.5の差は分からないな……」
「……22センチだもん」
しみじみと言う姫乃。どうしてもそこは譲れないようだ。
「でもさ、足のサイズなら姫乃9歳から10歳の男の子と一緒じゃないかな」
「そんなことない。そんなおっきいはずない」
「どこかのショッピングセンターのポスターで見たんだよね。サイズ対照表ってので、9歳から10歳の男の子の足のサイズは21〜22センチって書いてるの」
「……うそ」
「本当」
「…………」
最中、無表情の姫乃の顔に暗黒の影が差してしまった。もう、絶望の淵に立ったようなオーラが出ている。
(これはやばい……)
龍馬の中で危機信号が作動する。早急に話題を変えなければ……と。
「あーあー! あのさ、姫乃は今は平気なんだ? 俺に素足見せるの」
「ん?」
「いや、姫乃の家に入る前のエレベーターで姫乃はサンダル履いてて……その時、恥ずかしがってたからさ」
「…………」
「足見てって言ったくらいだし……?」
龍馬が首を傾げた途端、姫乃はヘッドロック中の巨大なシャチぬいぐるみを解放し、優しくベッドの上に置く。次に無言で立ち上がった
「え?」
「靴下、履いてくる……。シバに辱め受けた」
「それは理不尽じゃない!?」
「いっぱい見られたぁ……」
状況が状況だっただけに、指摘を受けて思い返したのだろう。顔をぼわっと赤くした姫乃は目を閉じて再び作業部屋を抜けていった。
「——って、え」
龍馬は遅れて気付いた。姫乃の表情の変化を。
「今……え、普通に……」
無表情なんて不適切だった。恥ずかしがっている顔が自然に見えた。
(気のせいじゃないぞこれ……。やっぱり少女漫画の効果なのか……)
そんな実感を得る龍馬は表情が表に出た姫乃を思い返し、
「あんな顔……出来るんだな」
そんな一面に嬉しさを滲ませながら口に出す。その瞬間だった。不思議な現象が発生することになる。
ドクン、ドクン。
「……え」
落ち着き払っていた龍馬の心音が、一拍ごとに強く大きく響き出す。それは息が苦しくなるほど。
(な、な、なんだこれ……)
何が起きているのか分からなかった。ただ、事実としてあるのは心臓が激しく動いていること。
龍馬は知らず知らずのうちに姫乃のギャップに当てられたのだ。
大学の空き教室で姫乃にイメチェンを見せた時のギャップ萌えを、この瞬間に返されたと言っても過言ではなかった。
『ガチャ』
「——ッ!」
姫乃は顔を朱色にさせたまま、そわそわしながら作業部屋に入ってくる。
両足には汚れのない水玉の靴下を履いていた。
「これでもう、大丈夫」
「あ、あぁ……」
「シバ、どうかした?」
「いや、なんでもない!」
「そう」
少し挙動がおかしくなる龍馬を他所に、姫乃は再度ベッドに座る。そして次に、大切に抱きかかえた巨大シャチのぬいぐるみに……これまたプロレス界の絞め技、キャメルクラッチをキメた。
「シバ、次の依頼しよ」
「あ、あぁ……時間ももったいないしな! えっと、次は……」
「姫乃、シバにハグする」
姫乃はシャチぬいぐるみにキャメルクラッチをしたまま言う。『こんな風にするぞ』と示しているわけではない。
「え? 順番だったらお姫様だっこが先じゃない?」
「お姫様だっこは、もういい」
「し、しなくて良いの?」
「ん、姫乃は思った。お姫様抱っこは、結婚式の時」
「えっと……旦那さんにしてもらいたいってこと?」
「そう。あと、抱っこされた時に顔見られるの……やだ」
「恥ずかしくはあるよね」
「ん、いきなり言うのごめんなさい」
価値観は人それぞれである。姫乃は一番の晴れ舞台にこの初体験を残そうとしたのだろう。
「だからその分、ハグの設定……姫乃がする。漫画のレベルアップ、こっちに力入れる」
「分かった。それなら姫乃の意見を尊重するよ」
「ん、ありがとう……」
「いやいや、そこはお礼を言われることじゃないから」
依頼者がしっかり意見を伝えた時点で、代行者は無理強いなんてすること出来ない。尊重しなければならない。
笑顔を浮かべて了承する龍馬だったが——
(助かったぁ……!)
内心は安堵の息を吐きまくりであった。
そう、これは龍馬にとって大きな試練をパスすることが出来るということ。ふとした姫乃の価値観に救われた。これ以上の幸運はない。
「それじゃあ、教えてもらえる? ハグの設定」
難が一つ去った分、さっきまでのドキドキはいつの間にか消え、揚々と聞く龍馬。
「シバ、好きなゲームとか、したいゲームある? なんでもいい」
「ゲーム? あー、俺あんまりゲームしないんだよなぁ……」
「だめ。何か言う」
「何かって言われても…………あ」
長い間延びを見せた後、龍馬は思い出す。
「最近ポケモン出たよね。マリィちゃん? が出てるやつ」
「ん、出た」
「ポケモン自体が久しぶりだから、その新作やってみたいとは思うかな」
「わかった。持ってくる」
「持ってくる……?」
「ん」
コクリと頷いた姫乃は、シャチぬいぐるみを解放してまたリビングに向かっていった。
数十秒後……姫乃が戻ってきたと思えばその両手には、爆発的に売れているゲーム機、スイッチがあった。
「え、姫乃買ってたの?」
「ん。全部クリアした」
「早いな……」
「シバはここに座ってポ○モンしていい」
姫乃はずっと座っていたベッドをぽんぽん叩いて場所を示す。
「いいの!?」
「ん、いっぱいして」
「本当!? ありがと!」
やりたかったゲームがまさかのプレイ出来る。嬉しくないわけがない。
そうして龍馬は姫乃からスイッチを受け取り……当然、言われることになる。
「シバがポケモンしてる間、姫乃は正面から
「え?」
嬉しさが前に出たことで依頼中ということを忘れてしまっていた。
龍馬が理解出来なかったと思った姫乃は、今度はもっと分かりやすく言う。
「シバがポケモン楽しんでる間、姫乃はシバの膝の上に乗ってコアラのようになる」
龍馬がポケモン中、抱きつき放題権を獲得する姫乃であった。そしてこれが、姫乃の甘えスイッチをオンにさせてしまうことになる。
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