第54話 龍馬と姫乃の攻防戦③

「ベタベタ、する……」

「俺言ったのに……。姫乃が無理やり触ってくるから……」

 漫画の作業部屋で姫乃はこう漏らしていた。

 そして龍馬は、咎めながらも申し訳無さを含んだ声色を作っていた。


「なんでこんなベタベタ……」

「そ、そんなこと言われても……」

「……でも、仕方ない。出して」

「出すって言われても……」


 心がオトナになっている第三者がこのやり取りを聞いたのなら、バンッと勢いよく扉を開け『何やってるのっ!』と言うことだろう。

 が、龍馬と姫乃は恋人同士の関係ではない。会社を通した依頼者と代行者である。

 そんなコトになることはない。


「——赤い顔、出して」

 姫乃の顔を赤くさせてしまった龍馬は今、言いなりになっていた。


「なんで赤くならないの」

「赤くならない人となる人がいると思うから」

 姫乃はワックスのかかった龍馬の髪を撫でているのだ。先ほどの仕返しをするように、小さく柔らかい手で優しく。


 さっき言った通り、狙いは龍馬の顔色を赤くさせるためだ。

 しかし、龍馬は照れない。照れるよりも『気持ちいい』が勝っていたのだ。


「シバが赤くならないと、姫乃の手がベタベタする、だけ」

「なんか俺のせいみたいに言われてるし……そうだな、責任取って姫乃の手、洗ってあげようか」

「……いい」

「どうして?」

「っ、シバの手はきたない」

 言動が違うとはまさにこのことだろう。

 言葉にはトゲがあるが、モジモジさせながら……であった。


 あのナデナデにより化けの皮を剥いだからだろうか、龍馬は先ほどから姫乃の知らない一面を見られている。

 それは、姫乃が嫌がっているか、嫌がっていないのか分かりやすくなったということでもある。


 少女漫画さまさまである。


「へぇ、そんなこと言うんだ? 正直になってもいいのに」

「っっ、何する気……」

 まだ嫌がっていないと察知する龍馬はニンマリとした顔で立ち上がる。じわじわと姫乃と距離を縮めていく。


(もうヤダァこれ。自分が自分じゃないよ……)

 少女漫画の主人公の真似を維持しつつ、心の中で泣く龍馬。

 依頼を遂行するために無理しているのだ。当たり前に近い感情である。


「何する気って何してほしい? 今の俺は姫乃のものだけど」

「じ、じゃあ座ってて」

「それじゃあ何も出来ないでしょ?」

 少女漫画で見た台詞。勉強していたことで力に変えることが出来ている龍馬。上手く行きすぎていると言っても過言でないくらいにペースを掴んでいる。


「なにもしなくて、いい」

「そう?」

「ん……シ、シバは姫乃のモノ。命令絶対」

「あー、姫乃が言っちゃった」

「シバが言ったの、真似しただけ」

「ははっ、そうだな。それじゃあ俺は待っとくよ」


 龍馬は一つのたがが外れていた。

 姫乃の頭を撫でたことで、その行動自体に抵抗が無くなったのだ。

 手のベタついていない龍馬は、丁度良い位置にある姫乃の頭をフードの上からぽんぽんしながら撫でる。クマの丸い耳を巻き込みながら大きくだ。


「また、撫でるな……っ」

「ん? ちょっと言い回しおかしくないかなぁ」

 姫乃が拒否の反応を見せたら『もう撫でるな』という言葉になるはずである。

 龍馬は手を動かしながら姿勢を落として姫乃に目を合わせる。


「本当はもっとして欲しいんでしょ」

「そ、そんなことない」

「そう? また顔が赤くなってきてるけど」

「っっ!! な、なってなんかない……っ」

「あ……」


 そして耐久値の限界を向かえた姫乃は龍馬の腕の体の隙間をついて作業部屋から逃げ出した。

 手に龍馬のワックスがついているのにも関わらず、両手でフードを抑えて顔を深く隠すようにして。


「……」

 再び作業部屋で一人になる龍馬。

 そして、耐えられなくなったのは姫乃だけではない。


「くうぅぅ……もうダメだってこんなの。誰か俺を殺してくれ……」

 龍馬はガクンと体勢を落とした。最終的に絨毯にうずくまってしまった。

 もう立ち上がれないほどの腹痛が襲ってきているかのように立ち上がることができない。

 両手には拳が作られ、羞恥に悶えるように震えていた。


(頑張れ俺……頑張るんだよ……。お金をもらう為に……)

 自身にエールを送る。気持ちを奮い立たせる。

 依頼が終わった後の大金を獲得するために。


 龍馬はふらふらと立ち上がり、元の位置に座る。

 姫乃が注いできてくれた麦茶を一気に喉に流し込み、現実逃避……いや、落ち着かせるために瞑想に入ったのである。



 ****



「だめだよ……だめ……」

 姫乃は少しでも落ち着きを取り戻せるように痛覚が刺激されるほどの冷水で手を洗い続けていた。ワックスを落とし続けていた。

 フードを外し固定鏡に晒される顔は見るまでもなく紅色に染まっている。


「漫画のこと、考えられないよ……」

 逃げ出してしまうくらいに限界を迎えていた姫乃。漫画のことなんか考える余裕があるはずない。


「おさまって……」

 心臓がうるさいくらいに激しく動いていた。思い返したくなくても、無意識に思い返してしまう。

 姫乃にとって予想以上の効果だった。褒められたり、責められながら頭を撫でられるということが。


 冬場でさらに冷えている水。どんどんと手に感覚が無くなっていく。


(姫乃は、こんな顔しないのに……)

 姫乃は鏡を見る。その顔は漫画のヒロインが恋した様子を写すにふさわしくもあった。

 もちろん、姫乃はそんなことを考える余裕すらない。

 このような状況がまだまだ続くのだから。


「戻らないよ……顔、戻って……」

 姫乃にとって、緩んだ顔は変な顔だとの認識があった。普段が無表情なのだからそう思うのも仕方がないこと。


 目を瞑る姫乃は、冷たく湿った指先でむにーと緩んだ顔を引っ張った。

 ——4秒、5秒。力強く。

 そして、手を離し……もう一度確認するも意味のないことだった。

 赤面した顔も、今の表情も一向に戻らなかった。

 それどころか、頰を力一杯に摘んだのに赤みが分からないくらいに赤面していることを知ってしまった。


(こんなの、恥ずかしいよ……。)

 とうとう姫乃は冷水で顔を洗い出した。『元に戻って』と願うように。

 物心ついた時から無表情の顔を周りに見られたこともないに等しかった。


 お手拭き用のタオルを取り、顔を拭き再度の確認……が、これすらも無意味に終わってしまう。


(シバのせい、だよ……)

 作業部屋のベッドに置いてある巨大シャチぬいぐるみが初めて届いた時のような、にまぁとした顔。

 この瞬間に姫乃はしばらくの間は戻らないと悟る。一人では解決出来ない問題。


 姫乃は水道の栓を回して水を止め、龍馬が待つ作業部屋とは反対方向にあるリビングに向かう。

 理由は一つ。この問題を解決するため。

 姫乃は棚の上にある充電中スマホを取り、観覧だけをしていたアプリを開く。


 それは——Yahoo知恵袋。

 電子掲示板上で参加者が知識や知恵を教え合うナレッジコミュニティというサービス。

 簡単に言えば、質問をすることで質問を返してもらえる。というものだ。


 この知恵袋には恋愛相談の質問もある。姫乃は漫画のインスピレーションを受けるために、このアプリを使用したりもしていたのだ。


 普段は観覧者の姫乃だが、違う。

 姫乃は投稿のボタンを押して、両手打ちで高速で打ち込む。


 ※急ぎです! という前置きをつけて。

『普段からわたしは無表情です。今日彼氏が家に来ました。彼氏に頭を撫でられ恥ずかしくなって部屋から逃げました。そこから緩んだ顔が戻らないです。彼氏に変に思われるかもしれません。どうすればいいですか?』


 考える時間もなかった姫乃は箇条書きのようにして今の状況を書き表した。

 そして、質問に答えてもらう代わりのお礼、知恵袋コインを最大数の500個出し、すぐに質問する。


 このお礼の最大コイン数はなかなか見ることはない。

 つまり普段の質問よりも注目を浴びることができ、皆からの回答率はこのコインによって大きく左右される。

 このコインは回答者が求めているものでもあり、コインを集めることによってプロフィールページデザインを変えることができるのだ。


 投稿後、姫乃は祈るようにじっと待つ。

 だが、龍馬を待たせていることもあり5分まで……と決めていた。


 2分、3分、4分と過ぎていく。

(やっぱり……待つ時間少ない……)

 姫乃が諦めを見せたその数秒後、5分目に差し掛かろうとした時に画面に『!』のマークが表示された。


「……っ!」

 これは、回答されましたとのお知らせ。

 姫乃はすぐに投稿ページに移り返信を見る。


 そこには……こう書かれていた。


『変に思われるわけないじゃないですか(^^)

 彼氏さんはあなたのことを好きでいます。表情が出た彼氏限定とも言える表情を見たいに決まっています。

 あなたにはそのような顔に抵抗があるかもしれませんが、彼氏さんはきっと喜んでくれますよ。

 もう顔に出ちゃってるんですから、我慢は毒ですし、逆におかしく思われます。勇気を持って優しい彼氏さんにぶつけなさいっ!

 彼氏さんがギャップ萌えにやられてあたふたするかもですね。応援させてください』


 カテゴリーマスターの表示が入った有識者、『二股と誤解されてしまいました

 』とネタ名の女性からの丁寧な返しだった。


 姫乃はその本文を読み終わった後、ベストアンサーのスタンプも返信も忘れスマホの電源を切った。


「ありがとう……」

 真剣に考えてくれた返事。姫乃は嬉しかったからこそ忘れてしまっていた。


 知恵袋のおかげで姫乃には勇気が出た。

 今だけ、、、、は表情の我慢をしないと決めた。


 ——この結果が、姫乃と龍馬の攻守を逆転させることになる。









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