第52話 龍馬と姫乃の攻防戦①

 時刻は18時ちょうど。

【メルヴェール】という13階建てのマンションに着いた龍馬。


「えっと、507……と」

 このマンションはオートロック式で、エントランスに設置されてある機械に訪問先の部屋番号を打ち込み『呼出』を押し、部屋主から開錠をしてもらわなければ中には入れない。


 龍馬は慣れない機械を操作し、姫乃が住んでいる507号室に呼び出しをかける。

 その数秒後、その機械に内蔵されてあるスピーカーからあの声が聞こえてきた。


『ん』

 たったの一言だが、姫乃だとわかる。

「俺だけど」

 名前を言わずちょっと姫乃をからかってみる龍馬だが、大学生の姫乃は流石と言える対応をする。


だれ

 中に通じるエントランスドアを開けることなく、圧を感じる声を返してきたのだ。


「俺だよ? ケーキも買ってきたよ」

 面白半分でからかいを続ける龍馬の右手には本当にケーキがある。

 大学での密会時、『食べたいものはある?』の問いに対し、姫乃は『ケーキ』と答えていた。

 お菓子をもらいっぱなしだった龍馬はお返しをするために、ケーキ屋に行って姫乃の自宅にまでやってきたのである。


『なにケーキ?』

 姫乃の口から『誰?』がなくなった。その代わりに『ケーキ』になった。声色は何も変わっていないが甘い物好きなだけあっていい反応をしてくれる。


「モンブランとショートケーキ」

『どんな形』

「モンブランがまるでショートケーキが三角」

『ん、合格』

「合格?」


 そう言った途端、なんの前触れもなくドアが開いた。

 姫乃は開錠ボタンを押したのだ。呼び出し相手のことを何も聞かず。


『ありがとう、ケーキ』

「あ、ああ」

 そしての声がスピーカーから聞こえてくる。それほど食べたかったのだろうが、これではオートロック式の意味がない。


『待ってる。シバ』

「え? 俺のこと分かってたの?」

『知らない人ならドア開けない。ケーキで確信してた』

「そ、そりゃそうだよな。オートロックが付いてるマンションに住んでる意味ないもんな」

『ん』


 当たり障りのない通話。

 お互いに緊張のかけらもないように思えるが、取り繕い方が上手いだけである。

 特に今は顔を会わせることなく話している。声だけなら容易いものである。


『シバ』

「どうした?」

『いつまで喋ってるの』

「え? あ……」

 姫乃が何を言いたかったのか、ようやく理解する。

 龍馬の視界に映ったのは姫乃が開錠してくれたドアが閉まる瞬間だった。


「ごめん姫乃。このマンションは俺を中に入れさせたくないらしい」

『シバが遅いだけ』

「ツッコミありがと」

『ん。ドア開ける』

「助かるよ」


 姫乃の言葉通りにドアはすぐに開いた。


「それじゃあ今から行くから」

『待ってる』

 再び開錠してもらった龍馬はエントランスから中に入る。

 姫乃は5階に住んでいる。エレベーターを使用する階層だ。


「マジか……」

 そして、こんな時に限ってエレベーターは一階に止まっている。

 大半の人が『運が良い!』なんて思うだろうが、龍馬は真逆だった。


 心の準備をする時間が取れないも同然なのだから。

 少しでも時間を作るために階段で行くのも手だが、依頼時間は過ぎつつある。ケーキの形崩れの心配もあるために、乗る一択なのだ。


「ふぅ……」


 天井を見上げるようにして大きな深呼吸を二回、三回繰り返す龍馬。

 最短で心の準備をするしかない。


 自宅を出る前まで少女漫画を教本にしていた龍馬はもう一つ気付いた点があった。

 それは、挙動不審な主人公が描かれた作品がなかったこと。

 全ての主人公が自信満々に、堂々とした様子が描かれていたのだ。


 龍馬の見解はこう。

 なよなよとした、アタックに慣れていないような姿を見せるのはウケが悪く、好ましくない、だ。


 結果、龍馬は自信満々という化けの皮を被って、姫乃の化けの皮無表情を破らなければならないということ。

『俺はこんな行為慣れてるぞ。ほら、お前はこんな風にされんの好きなんだろ?』と。


 今の龍馬は完全に少女漫画に影響を受けている。が、それでこそ今回の依頼の成功率に繋がるというもの。


「……よし、行くか」

 代行のスイッチ入れ、覇気を纏った龍馬はエレベーターに乗り込んだ。

『5』のボタンを押し、扉を閉める。

 あとは自動だ。2、3、4と数秒毎に上に進み、ボタンを押した通りに5階で止まる。


 そして、エレベーターの扉が開いた時——目の前には場違いとも呼べる可愛いクマさんがいた。


「え……?」

「待ってた」

 なんて真顔で言う小さなクマさんはもふもふしている。


「あぁ……そうなんだ。待たなくても良かったのに」

「そう?」

「姫乃ってそんなところ律儀だよなぁ。俺も見習わないとだよ」

「ううん。今日の依頼は……シバにたくさん迷惑かけた、から……」

「会社とは穏便に済んだんだから責任感じなくていいのに」


 とりあえずエレベーターから降りた龍馬は、その可愛いクマさん——姫乃と向かい合う。

 身長差はいつも通り階段のよう。姫乃は素足にキャットサンダルを履いていた。


「姫乃ケーキ持つ」

「お、おう」

 迷惑をかけた龍馬を少しでも楽にさせたい思いがあったのだろう、姫乃は率先してケーキが入った袋を持ってくれる。


「姫乃のおうち、いこ」

「そ、その前に一ついい……?」

「ん?」

「姫乃のその服……凄いね。すっごいモフモフしてるけど」


 今日の姫乃はたくさんの装飾を施したゴスロリ衣装ではなかった。もうラフすぎる室内着だった。


「これパジャマ。暖かいの」

「フードにクマの丸いミミ付いてるけど……」

「ん、付いてたから買った」

「そ、そうなんだ……」


 まだ18時なのにも関わらず、姫乃はクマ耳が付いたフードを被ったパジャマ姿で、キャットサンダル。統一性が全くない格好でこのエレベーター前に待機していた。

 事情を知らない住居者が今の姫乃を発見したのなら『ここで何してるんだろう……』と困惑した顔を浮かべることだろう。


「え、もしかして……姫乃はその服で今日の件をするつもり?」

「だめ? これ姫乃の部屋着」

「だ、駄目じゃないけどさ……」


 代行のスイッチを入れていた龍馬だったが、今の段階でなかなかに危ういレベルにいた。


(あ、愛玩動物って言っても大して問題ないぞこれ……。いや、問題だよ何考えてんだ俺)

 ゴスロリとのギャップだろうか、ラフなパジャマ姿のクマ耳姫乃は可愛さの数値を大きく更新していた。


(こ、こんな姫乃に壁ドンとかハグとかって……)

 小さな体だからだろう。パジャマの裾からは指先しか出ておらず、クマ耳のフードからは小さく綺麗な顔がちょこんと見える。

 男には困らない容姿なのになぜ恋人代行を利用するのか、わからないことばかりだが——、泣き言も考えるのも龍馬は終いにする。


「……うん。その服も可愛いよ姫乃」

「っ!?」

 ニッコリと笑顔を見せる龍馬は慣れを装って姫乃を褒めたのだ。

 龍馬は少女漫画を読み漁って必死に勉強した。ギブアップなんてできるはずがない。

 我慢して、耐えて、装って、姫乃を満足をさせて大きな報酬を手に入れる。

 

 お金。これが龍馬を強くするアイテムなのだ。


「い、いきなり褒めるの……だめ……」

「猫のスリッパも似合ってる。姫乃らしいって感じ」

「……もぅいい、褒めないで……」


 素足を見られるのも恥ずかしかったのだろう。姫乃はすり足で後ろに下がってケーキの袋で龍馬の視線だった足元を隠した。


「足は、見ないで……」

「姫乃、顔赤いよ? 照れちゃった?」

「……照れてなんか、ない。シバなんかに、照れない」

『——ッ』

 刹那、龍馬の脳裏に閃光が走った。


『お前のバケの顔、ぜってぇ剥いでやるよ』

『化けの皮じゃないし。先輩には出来っこない』

 家を出る前に読んだ少女漫画、目つきの悪いヤンキー主人公が、一切表情を変えないヒロインに言っていたセリフと似ていることに気づいたのだ。


 龍馬は少女漫画を通し、ある程度の言い回しを考えてきた。

 今、勉強を活かす時である。


「じゃあもし姫乃を照れさせたら……なにか意地悪していい?」

「な、なにかって、なに」

「あーん、とか姫乃にしちゃおうかな」

「いい、よ。姫乃照れないもん……」

「そう? なら本気でいかせてもらおうかな」

「ん、姫乃にかかってくればいい……」

「お? 言うね。じゃあ姫乃の家行こっか」

「ん……」


 そうして、姫乃を先頭に家に案内してもらう龍馬。

 歩幅の小さい姫乃は歩くペースも遅い。

 後ろから小鳥の歩きを見守るような龍馬だったが、その内心は穏やかなものではない。

(こんな感じだよね少女漫画って! めっちゃオレオレ系になっちゃってるけどだ大丈夫だよな!? 気持ち悪がられてないよな!?)


 慣れない発言に心許無こころもとない龍馬。

 その一方で姫乃は——

(シバ、本気……。クマさんの耳、しててよかった……)

 頑張れっ、と自身にエールを送るように姫乃は肉つきの薄い口を噛む。


 フードで隠せている両耳には、やけどするくらいの熱が溜まっていたのだ。


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