1話
都市部は良い。人が多いお陰で、値の安い宿屋が多くあるからだ。これが山間部にある街だと、そうもいかない。人通りも宿の数自体も少ないせいで、宿を成り立たせるために都市の倍以上もの値がついているからである。逆に山の奥地になると宿自体が存在せず必然的に人々の好意に甘えることになるのだが、それはそれで気分が落ち着かない。
高くはないほどほどのお金を払って、宿に泊まる。それが出来る都市部の街が、一番良い。
それに、図書館が無償で解放されているのも嬉しい。昔から本はたくさん読んできたので、疲れや雨で先に進めないときにも、本を読んでネクロマンサーについての勉強をすることが出来る。ネクロマンサーとして生きる道を選ぶ人があまりいないせいで本は少ないが、時折見つかる貴重な一冊には、死霊を使役するために必要な条件やそれによって得た経験などの様々なことが書かれている。
今回選んだ本には、どんなことが書かれているのだろうか。そう思いながら、雨の降る図書館でページを読み進める。先人の書いた文章を一言一句欠かすことなく読んでいると、誰にでも試せるネクロマンサー的おまじないという項目があった。どうやら、運命の人に出会えるという効果が期待出来るらしい。
「……?」
ざっと見てみるに、ごく簡単な降霊術のようだ。誰にでも試せるという点が胡散臭いが、ネクロマンサーを志す者としては興味を持ってしまう。やり方も簡単なもので、なにより雨の日に行うところに心惹かれた。今もなお、外では雨は降り続けている。
「よし……!」
物は試しだ。運命の人に出会いたいとは思わなかったが、出会えるのならそれはそれで良い。それが偶然にも山から下りてきていたネクロマンサーの師だとしたら、この世の万物に感謝するだろう。
やり方を頭に入れ、本を元にあった場所へ戻して図書館を出た。
雨を避けながら、近くで一番高いだろう木を目指して歩く。街には人が通っている様子もなく、雨の音だけが響いていた。
どこか寂しい光景を、胸を高鳴らせながら進んでいく。
もしも、強力なものを呼び寄せるだけの才能が私にあったらどうしよう!?……いやいや、そんな夢みたいなことがあるわけない、ちゃんと師について修行をしないと……でもでも、やってみるまでは分からないし!
そんなことを考えているうちに、木の下へとたどり着いた。
根元に近寄り、側で跪く。濡れることをためらってはいけないと書いていたので、迷うことなくぬかるんだ土へと膝を埋めた。俯いて目を瞑りながら、想像上の師を頭の中に思い浮かべる。白い髪と顎髭、杖をついてそれを振り回す、古典に描かれるような老父だ。そのまま濡れた木に五角の星を指で描いて終了となる。濡れることが嫌でなければ、本当に簡単な手順だ。だが、やってみて分かる。
……誰にでも出来るけれど、やはりこれではなにも叶いそうにない。
当たり前だ。おまじないなのだから、即効性のあるものでもない。それにこんな雨の日に、運命の人が向こうから歩いてくるだろうか。いや、そんなことあるわけない。ただ、足が泥で汚れてしまったという事実があるのみだ。
早く宿へ戻って足を洗い、明日の旅立ちに備えて寝よう。
そう思って立ち去ろうとしたとき、背後に人の気配がして振り返った。
「……雨か」
呟かれた声は、雨の中でもよく響いて聞こえる低音。
さっきまで誰もいなかったはずの道には、たしかに人が立っていた。
真っ先に目に入るのは、ウェーブがかった輝くような金髪。重たそうな黒い鎧に身を包んだ男は、手のひらを広げて雨を興味深そうに見つめる。
「久方ぶりに、雨を浴びたよ。死霊として喚ばれるというのは、不便極まりないものだな」
彼は私とは反対側を向いており、表情が読めない。しかし言葉の端々から、言葉とは裏腹に愉快そうな調子がうかがえる。
「……死霊として、喚ばれる?」
問いに振り返った男は、私と同じ緑色の瞳をしていた。珍しいものなので親近感を覚えたが、それすらも無かったことにするような邪悪さの滲んだ笑みに、思わず尻込みする。
「お前だろう? 私を喚んだのは」
首を傾げられるも、頷くことが出来ない。私がやったのは単純なおまじない程度のものであり、こんなにも自我の強い死霊が喚ばれるだなんて思いもしなかった。逃げ出したい思いに駆られるも、足が動かず立ち上がることが出来ない。
鋭い眼光に、今にも殺されてしまいそうだ。
怖い。
なにも答えない私に痺れを切らしたのか、彼はこちらへと近寄り、私を引き上げて無理やり立たせた。そして、あろうことか唇へと手を触れる。今まで他人に触れられたことのない、触れられたくはない箇所を触れられたことにより、頬が紅潮していくのが分かった。
「な、なんなんですか一体!」
「力が足りない。早く本契約をさせろ」
「ほ、本契約……?」
突然の出来事に、頭の中が真っ白になる。
「私ほどの人間を喚んでおきながら知らないのか? 安心しろ。口づけ一つで済む」
彼の口から出てきた口づけという言葉に、いよいよもって顔全体が赤く染まった。
「口づけ!? 嫌ですよそんなの!」
そう訴えると、彼の顔からどんどん覇気がなくなっていく。あり得ないといった感情がありありと浮かんでおり、どうしたものかと決めかねているようにも見えた。
「それなら、今すぐ私を帰せ」
やがて開かれた口は、私には出来ないことを要求してきた。首を横に振り、否定の意を示す。
「か、帰せません……」
「帰せない、だと?」
「そういうの、まだ教わっていないので……」
そういうのどころではなく、ネクロマンサーに関するほぼすべてのことをまだ教えてもらっていない。勉強はしているとはいっても、実践は別だ。なに一つとして分からない。
緑色をした彼の瞳と目が合う。
もはや彼の顔には怒りが浮かんでおり、今にも私の頬を突き破って穴を開けてしまいそうだった。
「ならば、やはり私に口づけをしろ」
窮地に陥り、口づけをしてしまった方が楽なのではないかと己の内が囁く。 それでも、私は出会ったばかりの凶暴そうな人間との口づけだけは絶対に嫌だった。
「嫌です!! 口づけは、好きな人とするものですから!」
その瞬間、私の頬を掴んでいた彼の指から力が抜けた。
顔から表情がなくなったかと思えば、わなわなと震え始める。いよいよ本格的に殺されるのかと思ったとき、聞こえてきた地の底から響くような笑い声に肩を震わせた。
「面白い、気に入った。お前の行く道に付き合ってやろう」
楽しそうにバシバシと肩を叩かれるも、いきなりの好意的反応に戸惑いを隠せない。そう言っておきながら寝首をかかれるのかもしれないという嫌なことを思いつき、ありえないことではないとその場で立ちすくんだ。
「面白いって……」
そんなことを言われても、こっちは全然面白くない!
返す言葉が見つからなくて、回る頭で思案する。そうこうしている間に、死霊である彼が自らのマントを使って私を雨から防いでくれた。まさかこの流れでそんなことをしてくれるとは思わず、その場から数歩下がってしまう。
「何故避ける?」
「あはははは……。それは、その……くしゅんっ」
タイミングの悪いことに、弁解をするより先に大きなくしゃみをしてしまった。ずっと雨に打たれていたせいで体が冷えてしまっているのだと、今更ながら自覚する。それ見たことかという言葉が口から出るより早く、彼のマントに包まれて側に引き寄せられてしまった。その紳士的な振る舞いに、思わず呆気にとられてなすがままにされる。
途端、ハッと鼻で笑うような声が聞こえた。
「私のような者が、こういった振る舞いをするとは思わなかったか?」
不意に顔をのぞき込まれ、至近距離に迫った彼の顔に驚きの声を上げる。
視界の行く先に迷った末に、とっさに下へと目を逸らした。
「そ、そういうことでは」
「顔がそう言っている。お前の目は素直だな」
「……すみません」
「構わない。蛮族扱いには慣れている」
その時、ちらりと見上げるだけなら良かったのだろうが、見上げた先にあったさっきよりも毒気のない笑みをまじまじと見てしまったのが良くなかったらしい。
切れ長の目、通った鼻筋をはじめに整った彼の顔は、異性に対して免疫のない自分を動揺させるには十分だった。
「見惚れたか?」
続いた言葉に、後ずさる。そうではないと否定することが出来ず、下唇を噛んだ。
彼の笑い声が、耳によく響く。
「お前が口づけを好きな人間としか出来ないというのなら、私がお前の好きな人間になればいいだけの話だ」
あまりにも自信に溢れた言葉に、呆れを通り越して尊敬の意すら抱いてしまった。
しかしなるほど。
だから優しい素振りをしてくれていたのだ。そう理解しマントから抜け出そうとするも、彼はそれを許さなかった。腕を掴まれ、強引にマントをかけられる。
「これ以上直に雨を受けると、風邪を引くぞ」
余計に縮んだ距離から聞こえる優しげな声色に、背中がぞくぞくと寒気を帯びた。しかし内容はごもっともなことなので、大人しくマントをかけられておく。
「あなたは、私が自分を好きになったとしても構わないんですか?」
「私の心配をしている場合か?」
「生前、大切にされていた方なんかがいらっしゃったはずでしょう?」
「そんな者はいなかった」
「そうだとしても」
「今はお前に喚ばれた身だ。この身を生かせるのなら、なんだっていい」
彼の言葉に、私が彼のことを好きになればその好きという感情を使われるのだと思うと、見惚れて赤くなった頬が冷めた。好きという感情を、本来ならば使役する死霊との間に持ち込むべきではない。冷静になった頭はそう考え、私は一つの宣言をする。
「そんなことを言う人を、私は好きにならないと思います」
「そうか」
「そうか、って」
予想以上に感触のない返事に、こちらが驚く。
「雨が強くなってきた。今はとりあえず、宿を探そう。いや、既に手配はしてあるのか?」
「……してます」
「どこだ」
「ここをまっすぐ行った先の、緑の屋根の建物がそうです」
「分かった。急ぐぞ」
「あの」
言いたいことが山ほど浮かんで、そのどれもを口にすることが出来なかった。
そんな自分の考えていることなどはすべて見通しているかのように、彼は笑う。
「安心しろ。お前はきっと、私のことが好きになる」
「……そんなこと」
「ある。そして本契約を果たし、得た力で私はお前を守ろう」
「それは、どういうことですか?」
「さぁな?」
要領を得ない返事に反論する隙もないまま、彼は私の手を引くと宿屋へと向かった。こちらを気遣ってかあまり早く走れなかったせいで、私よりも多く濡れてしまったかもしれない。生前は雨に濡れなかったと言っていたが、あれは本当なんだろうか。
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