CHAPTER 18:フォールン・ゴッズ

 紅蓮の炎が宏壮な空間を包んでいた。


 いま、その中心に佇む孤影はひとつ。

 つややかな漆黒の装甲に業火を映したその姿は、目を背けたくなるほど禍々しく、戦神の化身のごとく雄々しく、そして黒い聖母のように美しい。

 ブラッドローダー”ノスフェライド”。

 あらゆるブラッドローダーの頂点に立つ聖戦十三騎エクストラ・サーティーンのなかでも、最強の呼び声高い一騎である。


 あの瞬間――――

 アゼトの呼びかけに呼応して、大気圏外で待機していたノスフェライドは、ひとすじの黒い流星へとその身を変えた。

 ほとんど垂直の急降下。最高速度は、ゆうにマッハ五◯を超えただろう。

 地層と隔壁をあっさりとぶちやぶった黒騎士は、アゼトとドミネイターのまえに降り立ったのだった。

 コクピットにアゼトを収容すると同時に、ナノマシンが頭蓋骨と脳の損傷を修復したことは言うまでもない。

 脳髄から直接チップをえぐり出すという命知らずの暴挙も、ノスフェライドによる再生を見越したうえでの行動だったのだ。


「決着はついた。おまえの負けだ、最高司令官グランドコマンダー


 指先まで黒い装甲に覆われたノスフェライドの右手は、奇怪な鉄塊を掴んでいる。


 一見すると生首のようにもみえるそれは、”ドミネイター”の頭部だ。

 周辺には、やはりドミネイターの残骸が無数に散乱している。

 原型をとどめている機体は一機もない。いずれの機体も力まかせに装甲を引きちぎられ、蹴り砕かれ、あるいは握りつぶされている。

 ノスフェライドは大太刀や重水素レーザーといった武装をいっさい用いることなく、まったくの徒手空拳――――ただ圧倒的な暴力によって、並み居るドミネイターを片っ端から破壊したのである。

 あえてそうした理由はただひとつ。

 ドミネイターを遠隔操作している最高司令官グランドコマンダーに恐怖を与えるためだ。


「お……の……れ……なぜ……」


 ドミネイターの頭部から音声が流れた。

 機体が被ったダメージのためにひどく歪んでいるが、最高司令官の声だ。

 不規則にセンサーを明滅させながら、最高司令官はアゼトに問う。


「なぜ……吸血猟兵カサドレスでありながら……ブラッドローダーを……!?」

「そんなことはどうでもいい。それより、リーズマリアはどこにいる。彼女をすぐに解放しろ」

「もし我が拒否したら……どうするつもりだ……?」


 アゼトはふっとため息をつくと、底冷えのする声で告げる。


「この施設を跡形もなく破壊する。ブラッドローダーの恐ろしさは、最終戦争を生き延びたおまえがだれよりもよく知っているはずだ」


 アゼトの言葉は脅しでもなければ、取引をもちかけているわけでもない。

 あくまで冷淡に、これから起こるだろう事実を最高司令官に通告したまでだ。

 ノスフェライドにかぎらず、聖戦十三騎に列せられるブラッドローダーは、一国を焦土と化すほどの破壊力を秘めている。

 空母型メガフロートを塵も残さず消し去る程度は造作もない。

 アゼトがその気になりさえすれば、次の瞬間には人類解放機構という組織を地上から永遠に消し去ることもできるのだ。


「聞け、吸血猟兵カサドレスよ。リーズマリアが協力してくれれば、ふたたびこの世界を人類の手に取り戻すことも夢ではない。八百年のあいだ、汝ら人間を虐げてきた邪悪な吸血鬼どもを滅ぼしたいとは思わないのか!?」

「人間も吸血鬼も関係ない――――」


 アゼトの言葉に呼応するように、ノスフェライドの手指に力がこもった。

 ドミネイターの頭部が耳障りな軋りを立てて歪んでいく。


「俺が許せないのは、自分の欲望のために平気で他人の生命を踏みにじるおまえのような存在だ。吸血鬼だろうと人間だろうと、そんな連中を許すわけにはいかない」


 黒煙を噴き上げる頭部を見下ろしつつ、アゼトはするどい声で宣言する。


「いまからそこへいく。そしてリーズマリアを取り戻し、おまえを殺す――――」


***


 コキュートス・システムの最深部――――

 半冷凍冬眠コールドスリープ状態にあるリーズマリアは、おぼろげな意識の底でその音を聴いた。

 なにか巨大なものが近づいてくる。怒りにまかせてすべてをなぎ倒し、破壊音を響かせながら、こちらにむかってまっすぐに進んでいる。

 恐怖と絶望、そして死を振りまく異形の怪物……。

 リーズマリアの心に芽生えたのは、しかし、まぎれもない希望の萌芽だった。


――が来てくれた……。


 異様な破壊音が響いたのは次の瞬間だった。

 冷凍カプセルの外殻が軋んでいるのだ。

 吸血鬼の膂力をものともしない堅固な檻も、ブラッドローダーのまえでは紙細工に等しい。

 やがて黒くするどい指先が外殻を突き破ると、カプセル内に封じこめられていた冷気が一気に外へ噴出する。

 リーズマリアは氷のいましめから解放されたものの、血流はいまだ滞ったままだ。

 その場にぐったりと崩折れるかというとき、ノスフェライドの両手が音もなく動いた。

 ついいましがた恐るべき破壊力を示した黒い指は、霜におおわれた裸体を、まるで壊れものを抱くみたいにあくまで優しく包みこんでいる。


「リーズマリア、俺だ。遅くなってすまなかった。もう大丈夫だ」


 ノスフェライドからアゼトの声が流れるや、リーズマリアは凍てついた双眸をゆっくりと開いた。


「アゼト……さん……来てくれたのですね……」

「許してくれ。俺がもうすこし早く決断していれば、君をこんな目に遭わせはしなかった……」


 悔悟をにじませるアゼトに、リーズマリアはゆるゆるとかぶりを振る。

 

「私のことはかまいません……それより、決断とは……?」

「脳に埋め込まれていたチップを摘出した。これでもう最高司令官グランドコマンダーの干渉を受けることはない」

「それは吸血猟兵カサドレスの――――」

「いいんだ。チップがあろうとなかろうと、俺が俺であることに変わりはない」


 アゼトの言葉には寸毫ほどの後悔もない。

 チップをみずからの手でえぐり出したことで、歴代の吸血猟兵カサドレスたちの膨大な戦闘経験と、ニューロンの強制発火による超人的な反射神経は永遠に失われた。

 だが、アゼト自身がこれまで積み重ねてきた技術と経験までもが消え去ったわけではない。

 吸血猟兵カサドレスとしての生き方と矜持プライドも、また。


「いまも昔も、俺はただの人間だ。それ以上でもそれ以下でもない」

「アゼトさん……」

「こんな俺でも、このさきもずっと君のそばにいさせてくれるか」


 アゼトの問いかけに、リーズマリアはこくりと首肯する。

 紅い瞳から澄んだ涙があふれだし、ひとすじ、ふたすじと頬を伝っていく。

 人間と吸血鬼。永年にわたって互いに憎しみあい、殺しあってきた不倶戴天の敵同士。

 そんな超えがたい種族の壁さえ、いまの二人にはなんの障害にもならない。


 アゼトはノスフェライドのコクピットを開放し、リーズマリアにむかって身を乗り出す。

 白いもやが立ち込めるなか、二人は凍てついた身体を暖めるように抱き合う。


「この生命があるかぎり、もう二度とこの手を放しはしない。愛している」

「私もです――――」


 そして、リーズマリアはアゼトの顔をまっすぐに見据えると、決然と言った。


 「行きましょう、アゼトさん。私たちの手で決着をつけなければなりません」

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