LAST CHAPTER:ウェイ・トゥ・ザ・ウェスト

 夜のとばりが砂漠に降りた。

 大地に宿った昼の名残りを、冷えた夜風が奪い去っていく。


 サイフィス侯爵領の最西端――

 ガンダルヴァ城から六百キロほど離れた名もない土地だ。

 さらに西に進めば、そこは十三選帝侯フォルカロン侯爵の領地である。

 国境くにざかいにもかかわらず、境界線を示す標識や、越境者を監視する検問所はどこにも見当たらない。

 サイフィス家とフォルカロン家の関係が良好――というよりは、どちらも領土拡大にはまるで無関心であるがゆえの現状であった。


 それだけに、巨大な巡洋航空艦エア・クルーザーが降りた光景の異様さがいっそう引き立つ。

 サイフィス侯爵家の旗艦”ナクシャトラ”だ。

 後部ハッチから地上にむかって伸びたスロープの先には、一隻の陸運艇ランドスクーナーが停まっている。

 

 その周囲には、数人の人影がみえる。

 リーズマリア一行と、ハルシャ・サイフィスであった。


「ほ、ほんとうにここまでで良かったんですか? どうせなら国境線までお見送りを……」


 こわごわ訪ねたハルシャに、リーズマリアはゆるゆるとかぶりを振る。


「もう充分です。国境に軍艦を近づければ、フォルカロン侯爵を刺激することにもなりかねません」

「たしかに……」

「物資の積み込みが終わり次第、私たちはここを発ちます。サイフィス侯爵、あなたもすぐに立ち去ったほうがいいでしょう」


 リーズマリアが言い終わるが早いか、セフィリアがずいとハルシャの前に進み出た。


「リーズマリア様はああ仰っているが――サイフィス侯爵、私たちの生命を狙っておいて、まさかこれで済むとは思っていないだろうな」

「そのことなら謝ります!! だから許して……」

「言葉だけの謝罪など聞きたくもない。歯を食いしばれ!!」


 ぱん――と、乾いた音が響いた。


 セフィリアがハルシャの頬に平手打ちを喰らわせたのである。

 手加減をしているとはいえ、人間なら首から上が跡形もなく砕け散るほどの威力だ。

 頬を赤く腫らしたハルシャに冷ややかな視線を向けながら、セフィリアはふんと鼻を鳴らす。


「貴公に言いたいことは山ほどあるが、とりあえずこれで水に流す」

「ありがとう、ヴェイド女侯爵……すごく痛いけど、ありがとう……」

「礼ならリーズマリア様に言え」


 それだけ言って、セフィリアはつんと横を向く。

 アゼトはそんな二人を横目で見つつ、ハルシャに問うた。


「もうひとつの人格――アラナシュは、あれからもう出てこなくなったんだな」

「はい。いくら呼びかけても返事もしてくれません。だけど……」

「完全に消えたわけじゃない、と?」

「彼と僕は、いままでもこれからも、ふたりでひとりですから」


 ハルシャの言葉は、悲喜こもごもの響きを帯びていた。


 いちど分裂した人格を再統合することは誰にもできない。

 アラナシュを消し去ろうとすれば、元々のハルシャの人格も崩壊する。

 冷酷な第二の人格は、ハルシャが生きているかぎり、影のようにどこまでもついてくるのだ。


「僕はずっとアラナシュに甘えていたんです。苦しいことは、ぜんぶ彼に引き受けてもらえばいいと思っていました。……でも、それじゃいけないとようやく分かったんです」


 ハルシャは自分自身に言い聞かせるように、一語一語言葉を継いでいく。


「僕はつらいことや悲しいことからも目を背けたりしない。アラナシュに丸投げする生き方は、もう終わりにすると決めたんです」


 そう言い切ったハルシャに、リーズマリアは静かに首肯する。


「サイフィス侯爵。あなたの決意、しかと受け止めました」

「リーズマリア様……」

「いまのあなたなら、きっとアルダナリィ・シュヴァラも使いこなせると信じます」


 ノスフェライドとの戦いの結果、アルダナリィ・シュヴァラは頭部と胴体を残して大破した。

 それでも、ブラッドローダーとしての機能が完全に破壊されたわけではない。

 機体がもつ自己修復機能と、サイフィス侯爵家にストックされた予備部品を活用することで、完璧とはいかないまでも修復は可能だ。

 たとえ最大の武器である六本の腕を失ったとしても、聖戦十三騎エクストラ・サーティーンに列せられる強力な機体であることに変わりはないのである。


 問題は乗り手ローディだ。

 アルダナリィ・シュヴァラは、他のブラッドローダーとは比較にならない複雑な操作系統をもつ。

 それを完璧にコントロールするためには、脳と心臓にそれぞれ宿った人格による分担が不可欠なのである。

 脳――アラナシュが操縦の主導権を握れば、ふたたびリーズマリアたちに牙を剥くこともありうる。


 それを承知のうえで、リーズマリアがアルダナリィ・シュヴァラの修復を命じたのは、ハルシャの心の強さを信じたからにほかならない。


「ありがとうございます、姫殿下――――」


 目をうるませたハルシャは、そのまま倒れそうになった。

 セフィリアがぐいと肩を引っ張ったのだ。


「ところでサイフィス侯爵、フォルカロン侯爵との連絡はついたのか」

「それが……」


 セフィリアに問われて、ハルシャは言葉を濁らせる。


 ここ数日、ハルシャはさまざまなルートでフォルカロン侯爵に接触を図ったが、けっきょく連絡は取れずじまいだった。


 それも無理からぬことだ。

 フォルカロン侯爵マキシミリアンは、十三選帝侯でも亡きアルギエバ大公に次ぐ古株である。

 存命の選帝侯のなかでは最大の重鎮であるはずの彼は、しかし、ここ三十年ほどおおやけの場に姿を現していない。

 皇帝の葬儀に参列したのを最後に、その消息は杳として知れなくなっているのである。

 アルギエバ大公の死後、最高執政官ディートリヒが選帝侯を招集した際にも、フォルカロン侯爵はあくまで沈黙を貫いたのだ。


 各選帝侯家には、当主が死亡あるいはやむを得ない事情により職務を果たせなくなった場合、帝都にその旨を届け出る義務がある。

 もし後継者を指名しないまま当主が死亡すれば、その時点で選帝侯家は断絶するのである。

 むろん、取り潰される側もただ指をくわえて処分を待っているはずもない。

 後継者が決まるまでのあいだ、臣下や一族が当主の死をひた隠し、表向きは存命を装うということもありうる。


 そうした事態を見越して、最高審問官ヴィンデミアはあらゆる諸侯のもとに密偵スパイを送り込んでいる。

 どれほど厳しい箝口令を敷いたとしても、その内情は帝都に筒抜けになっていると言っても過言ではないのだ。

 フォルカロン侯爵家がいまなお取り潰しを免れているのは、その態度の是非は別として、マキシミリアン・フォルカロンが健在であるなによりの証拠であった。


「つまり、フォルカロン侯爵が敵か味方かは、実際に彼の出方を見るまでは分からない――ということですね」

「申し訳ありません、姫殿下……」

「あなたは出来るかぎりのことをしてくれました。感謝します、ハルシャ・サイフィス」


 リーズマリアの言葉に、ハルシャは感極まったように片膝をつく。


 フォルカロン侯爵領への出立にあたって、一行の陸運艇ランドスクーナーには大規模なオーバーホールが施された。

 損耗が激しかった外装をすべて取り替え、船体後部の格納庫ハンガーにはあらたに垂直射出式のカタパルトが増設されている。


 当初、ハルシャは裏切りの償いとして数隻の空中戦闘艦を献上するつもりだったが、リーズマリアが固辞したのだ。

 辺境を治める貴族のなかには、亡き先帝の遺徳を慕い、最高執政官ディートリヒのやり方をよしとしない者もいる。

 いまは日和見の立場を取っている彼らも、戦闘艦でずけずけと領地に踏み込まれれば、一転してリーズマリアの敵に回りかねないのである。

 無用な戦闘を避けるという意味では、戦力としては心もとない陸運艇のほうがよほど適しているというわけだった。


「僕に出来るのはこれだけです。せめて、国境くにざかいまではお見送りさせてください――――」


***


 やがて――

 陸運艇はゆっくりと速度を上げながら、彼方へと遠ざかっていった。

 たったひとり砂丘のいただきに佇んだハルシャは、夜風に吹かれるに任せている。


――強くなったな、ハルシャ。もう俺は必要ないようだ。


 声は心のなかから聴こえた。

 ハルシャはもうひとりの自分にむかって、やはり心のなかで応える。


――そんなことはない……。

――おまえはもうひとりでやっていける。それに、俺はあまりにも手を汚しすぎた。

――ちがう、アラナシュ!!


 ハルシャは顔を上げる。

 そうしなければ、涙がこぼれそうになるからだ。


「……おねがいだ、アラナシュ。どこにも行かないでよ」


 吸い込まれそうな虚空にむかって、ハルシャはしずかに語りかける。


「僕はずっと君から逃げていた。いつも君に誰かを傷つけさせて、そのたびに自分がやったわけじゃないと言い訳していた。だけど、そんなふうに自分自身と向き合わないまま生きていくことは、もうできないんだ」


 ハルシャはおおきく息を吸い込むと、


「アラナシュ。いままで君にだけ背負わせてた重い荷物を、これからは僕にも半分背負わせてくれないか」


 心のなかに住まうもうひとりの自分に告げたのだった。


 それきり、永遠のような沈黙が流れた。


 砂漠を透明な風が渡っていく。

 もの寂しげな風鳴りに混じって、その声はどこからか流れてきた。


――どこまでも世話の焼けるやつだよ、おまえは……。


 ハルシャは無言のまま肯うと、正反対の方向にむかって一歩を踏み出す。

 砂に刻まれたの足跡を、きよらな星明りだけが照らしていた。


【完】

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