CHAPTER 10:ジャック・ポット

 力まかせにスクラップを吹き飛ばす轟音が響いた。

 その音が熄まぬうちにシクロと女吸血鬼の視界に飛び込んできたのは、一機のウォーローダーだ。


 ヴィルトハーゼ。

 機体は度重なるダメージによって損傷し、とりわけ両腕はひどい。

 銃剣バヨネットはひび割れ、刀身はあらぬ方向へ反り返っている。

 回転弾倉シリンダー内にはまだ七五ミリ砲弾が残っているが、この状態では命中など望むべくもない。


 女吸血鬼はシクロに注いでいた視線をちらとヴィルトハーゼにむける。

 真紅の瞳はあくまで冷たく暗く、研ぎ上げられた刃のごとき鋭さを宿している。

 ふつうの人間ならば一瞥されただけでたちまち戦意を喪失し、恥も外聞も振り捨てて命乞いを始めるだろう。

 後じさるどころか、なおもこちらに近づいてくるヴィルトハーゼに、女吸血鬼は不快げに柳眉を逆立てる。


――私の愉しみの邪魔をするな、人間ムシケラ……。


 艶やかな朱唇が紡いだのは、アンジェラへのなどではない。

 それ以上近づけば殺すというだ。

 シクロには及ばないものの、アンジェラも一流の乗り手ローディであることはまちがいない。戦闘経験や組織をまとめるリーダーシップはアンジェラのほうがすぐれてさえいるだろう。

 その才覚を見込んで殺さずにおいたが、それも女吸血鬼の胸三寸だった。


 人間の代わりなどいくらでも――それこそ掃いて捨てるほどいる。

 たかが数十年で入れ替わる下等生物に、唯一無二の価値などあろうはずもない。

 それゆえに、どれほど稀有な才能の持ち主だとしても、至尊種ハイ・リネージュ――吸血鬼は人間を殺すことを躊躇しない。

 いまこの瞬間に死ぬのも、五十年後に老いさらばえて天寿を全うするのも、悠久の時を生きる吸血鬼の時間感覚からすれば誤差のようなものだ。


「……させ、ない」


 アンジェラの声は震えていた。

 猿轡をはめられたみたいに硬く閉じた顎をこじ開け、痙攣の熄まない喉からむりやり言葉を絞り出しているのだ。


「シクロを殺させやしない。おまえの相手は私だ、くそったれ吸血鬼!!」


***


 そのころ――。

 アーマイゼを乗り捨てたバビリエは、通路に張り巡らされたワイヤートラップを注意深く避けつつ、その部屋に辿り着いていた。


 ダムの管理制御室コントロール・ルームである。

 管理制御室と言っても、かつて部屋じゅうを埋め尽くしていたのだろうコンピュータやディスプレイ類はことごとく奪い去られ、いまでは赤錆にまみれた手動制御盤がぽつねんと置かれているだけだ。


 バビリエは手動制御盤に近づくと、経年劣化によって固着したボタンを力まかせに押下する。

 ――と、獣の唸り声をおもわせる音が聞こえてきたのは次の瞬間だった。

 取水システムが作動し、ダムのゲートが開きはじめたのだ。

 最終戦争から八百年ものあいだ、近隣の山々から流入する土砂によって埋め立てられてきたダムは、いまではほとんど泥沼か湿地帯といった様相を呈している。通常の湖水にくらべれば流動性は低いとはいえ、相当量の水が存在していることにちがいはない。

 いま、バビリエがゲートを開いたことで、湖水はまさしく堰を切ったように流れ出したのだった。


(ほんとうに、これで……)


 額の汗を拭いながら、バビリエは長い息を吐く。

 シクロが女吸血鬼とともに発電所に入っていったとき、バビリエは救援に向かうつもりだった。いかに吸血猟兵カサドレスといえども、たったひとりで吸血鬼と戦うのは無謀すぎると判断したのである。

 それを止めたのはほかならぬアンジェラだ。


――あの子は私にまかせて。あなたは言うとおりに動いてちょうだい。


 アンジェラは、バビリエにダムの管制制御室に向かうよう指示したのだった。

 一行が管制制御室の存在を知ったのは、脱出路をさがしてあちこちを駆け回っている最中だった。

 脱出の役には立ちそうもないが、ゲートの開閉システムがまだ生きていることは確認できた。

 

 当初の計画では、バビリエとキーラが発電所に女吸血鬼をおびきよせ、主力であるアンジェラとシクロを加えた四人がかりでとどめを刺すはずだったのだ。

 もっとも、発電所に辿り着くまえにキーラが殺され、アンジェラとシクロがバビリエを助けるために飛び出した時点で、計画は早々にご破産になった。

 しょせんは吸血鬼と実際に戦ったことのない人間が組み立てた机上の空論だ。

 この時点でも三人が生き残っていることは、むしろ望外の幸運と言うべきだろう。

 

 アンジェラの指示は次のようなものだった。

 ダムのゲートを開き、同時に水力発電所の取水バルブを全開することで、発電所そのものを水没させる。

 吸血鬼も不死身の存在ではない。

 人間を始めとするほかの動物と同様、酸素なしでは生きられないのだ。

 水中に沈められれば、吸血鬼とて酸欠死はまぬがれないのである。

 吸血鬼は流れ水を恐れる、あるいは川を渡れないという古い俗説は、本能的に万が一のリスクを避ける習性に起因するものであった。


 理想は女吸血鬼だけを沈みゆく発電所に残し、シクロとアンジェラがそろって脱出することだ。

 それが不可能であることは、当のアンジェラ自身が誰よりもよくわかっている。

 発電所が水没するまでのあいだ、誰かが女吸血鬼と戦いつづけ、その場に釘付けにしておく必要がある。

 吸血鬼と渡りあう戦闘技術と精神力、そして死をも厭わない覚悟を持った人間は、シクロをのぞけばひとりしかいない。


――あの子ばかりにつらい仕事を押しつけてたら、大人としてカッコつかないじゃない。


 いつものように飄々と言ってヴィルトハーゼに乗り込んだアンジェラを、バビリエはただ見送ることしかできなかった。


***


 機体を叩く激しい水音が、シクロの意識を現実に引き戻した。

 導水管に叩きつけられた衝撃で気絶してしまったのだ――そのことを理解した瞬間、シクロの心身はふたたび戦闘モードに移った。


 女吸血鬼はどこだ?

 なぜ自分は殺されなかったのか?


 疑問は尽きないが、いまは敵を見つけることが先決だ。

 すさまじい破壊音が発電所内に響きわたったのはそのときだった。

 シクロは考えるよりはやく、音の発生源にむかって反射的にカヴァレッタを走らせる。


「アンジェラ!!」


 変わり果てたヴィルトハーゼの姿を認めて、シクロはおもわず絶叫していた。

 左腕以外の四肢は引きちぎられ、頭部は跡形もなく消失している。

 ひしゃげたコクピットハッチの奥では、眼帯の女がぐったりと血を流している。

 その傍らで薄い笑みを浮かべるのは、言うまでもなく女吸血鬼だ。


 戦いはあっけなく決着した。

 女吸血鬼はヴィルトハーゼの胴体を掴み取り、まるで人形でも扱うみたいに周囲のスクラップに叩きつけたのだ。

 吸血鬼の膂力をまともに受けては、ウォーローダーなどはひとたまりもない。

 叩きつけられるたび、装甲を繋ぎ留めていたボルトは吹き飛び、フレームは原型を留めないほど歪んでいった。

 そのダメージはむろんコクピットのアンジェラにも及んでいる。

 

「シクロ、来るな……!!」


 血でかすんだ視界にカヴァレッタを捉えたアンジェラは、かすれた声で叫ぶ。

 そのまま女吸血鬼のほうに顔を向けると、

 

「勝ったつもりでいるんだろうけど、ちょっと詰めが甘いんじゃない……」


 操縦桿を探りあて、血まみれの指をトリガーにかける。


「――――まだ最後の一発が残ってるのさ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る