CHAPTER 08:カウンター・アタック
「死ね、クソったれ吸血鬼!!」
アンジェラの叫びをかき消すように、アルキメディアン・スクリューの猛烈な摩擦音が響きわたった。
一方の足を軸に機体を急旋回させることで、その場から動くことなく方向を転換する高等技術であった。
するどい銀光が闇を引き裂いたのは次の瞬間だ。
ヴィルトハーゼが女吸血鬼にむかって両腕の
銃剣とは言うものの、その刃は分厚く身幅は太く、どちらかといえば
鋭利な刃で斬るのではなく、重さと厚みにまかせてウォーローダーの装甲を叩き割ることに主眼を置いているためだ。
アンジェラが敵前で超信地旋回をおこなったのは、回転による慣性モーメントを斬撃に乗せるためにほかならなかった。
迫りくる刃をまえにしても、女吸血鬼はその場から一歩も動かない。
白くたおやかな繊手が音もなく上がったのと、形のいい唇がわずかにつり上がったのは同時だった。
――馬鹿な人間……。
女吸血鬼の唇から洩れたのは、身のほどをわきまえない愚か者へのあざけり。
あるいは、死にゆく下等生物への憐れみであったのかもしれない。
吸血鬼にとって、ウォーローダーを破壊することはひどくたやすい。適当に小突いてやるだけで装甲は無残にひしゃげ、乗り手はあっけなく絶命するのだから。
あえて殺さず、二度と逆らうことのできない強烈なトラウマを人間に植えつけることも、また。
ヴィルトハーゼの左右の銃剣は、女吸血鬼の首筋に触れるかというところで止まった。
むろん、アンジェラが自分の意志で攻撃を中断したのではない。
女吸血鬼は、右手の人差し指と親指だけで銃剣を挟み込み、その動きを完全に停止させたのだった。
銃弾を見切る動体視力と、ウォーローダーをも圧倒する
紅い唇にあえかな笑みを浮かべたまま、女吸血鬼はほんのわずか手指に力を込める。
ヴィルトハーゼの肩と肘の関節からはげしい火花が散り、赤黒いオイルが噴き出したのは次の瞬間だ。
このままヴィルトハーゼの両腕を力まかせに引きちぎるつもりらしい。
抵抗しようにも、吸血鬼の怪力から逃れられるはずもない。
「――――!!」
刹那、白い影が女吸血鬼とヴィルトハーゼのあいだに割って入った。
シクロのカヴァレッタだ。
女吸血鬼の面上にかすかなためらいの色が浮かんだ。
カヴァレッタの乱入に恐れをなしたわけではない。
物資貯蔵庫で最初に遭遇した際、シクロのカヴァレッタが硫化アリル入りの催涙弾を投擲したことを思い出したのである。
ヒガンバナ科植物の根茎や葉に含まれる硫化アリルが吸血鬼に不快感をもたらすことを知る人間はごくわずかだ。
八百年におよぶ専制支配のなかで、吸血鬼は自分たちの弱みを消し去ることに血道を上げてきた。
視界に入っただけで多大な苦痛を与える十字架を破却し、ついに地上から一掃するに至ったのはその最たるものだ。
消しそこねたのは太陽だけという
十字架ほどではないにせよ、硫化アリルも吸血鬼の弱点であることにはちがいない。
とうに失われたはずの秘密を知っているとなれば、ただの人間ではあるまい。
女吸血鬼がシクロを警戒したのも当然だった。
「あんたの相手はこのあたし。……それとも、怖気づいたの?」
シクロの露骨な挑発を受けても、女吸血鬼は怒った様子もない。
ただ、真紅の瞳はいっそう紅々と輝き、唇からは白くするどい乱杭歯が覗く。
おもわず見惚れるほどに妖艶な、それでいて見る者の心胆を寒からしめずにはおかない、それは邪悪な微笑みだった。
――この人間から殺すことにしよう……。
女吸血鬼の唇が声もなくそう呟いたときには、その身体は幻みたいにかき消えている。
ほんとうに消えたわけではむろんない。超高速の疾走と、複雑なジグザグ軌道を描く歩法を組み合わせることで、人間の目にはこつぜんと消滅したようにみえるのである。
いったん吸血鬼の姿を見失ったが最後、次に人間がその存在を認識するのは、殺されるまさにその瞬間だ。
シクロはカヴァレッタの右腕を胸の前に回す。逆手にかまえた
転瞬、まばゆい電光がほとばしったかとおもうと、金属同士を打ち合わせる甲高い音が響いた。
カヴァレッタからやや離れた位置に立つ女吸血鬼は、たたらを踏むようにしてさらに数歩後じさる。
戦いを遠巻きに見守っていたアンジェラとバビリエが目を見開いたのも無理はない。
女吸血鬼の右手は、肩口のあたりからざっくりと割れていた。血まみれの傷口には、鮮紅色の筋組織、そして白い骨までもはっきりと認めることができる。
あの瞬間――
女吸血鬼が攻撃を仕掛けてくるのを見越して、シクロはあらかじめカヴァレッタの
はたして、女吸血鬼の攻撃に合わせて振るった剣鉈は、みごと
「吸血鬼に……傷を……」
アンジェラは感極まったみたいに呟いていた。
人間が吸血鬼に傷を負わせるなどぜったいに不可能だと思っていた。
吸血鬼と戦うことを決意してもなお、心のどこかでは無理だとあきらめていたのだ。
シクロがそれをやった。
ずっと年下で、妹のように思っていたシクロが、吸血鬼を傷つけた。
できることなら、いますぐシクロを抱きしめて、ありったけの称賛の言葉を浴びせてやりたい。
快哉を叫ぶよりはやくアンジェラの口を衝いて出たのは、妹分への警告だった。
「シクロ、気をつけて!! 奴はまだ――――」
「分かってる」
女吸血鬼の腕の傷は早くも再生をはじめている。
人間なら全治半年はかかる重傷も、吸血鬼――とりわけバイオリズムがもっとも高まった真夜中の吸血鬼ならば、ものの数分で痕跡も残さず治癒する。
最大の弱点である心臓を破壊しないかぎり、不死の怪物を倒すことはできないのだ。
「あとは任せて、アンジェラ」
シクロはそれだけ言うと、女吸血鬼にむかってカヴァレッタのマニピュレータを軽く動かす。
――ついてこい、臆病者。
そのジェスチャーが意味するところは、女吸血鬼にもたちどころに理解できたらしい。
ダム内の発電所区画に駆け込んだカヴァレッタを追いかけて、女吸血鬼は猛然と疾走を開始していた。
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