CHAPTER 07:ライズ・ホーリー・ヘル
「……」
シクロはちらと時計を見やる。
時刻は真夜中の二時を回ろうとしている。
夜を安住の地とする
吸血鬼の細胞活性は一日のあいだではげしく変動する。
太陽が中天にかかる正午には休眠状態に陥る一方、真夜中の零時から夜明け前にかけての数時間は、生来もちあわせている超常の力がさらに倍加するのだ。
大口径弾のゼロ距離射撃で半身を吹き飛ばされても、数秒後には何事もなかったかのように動き出す……。
こうした逸話は、けっして荒唐無稽な伝説などではない。最終戦争において吸血鬼と戦った人類軍が観測したまぎれもない事実なのだ。
真夜中の吸血鬼と戦うことは、人間にとって死を意味する。
吸血鬼と戦うための技術を体得した
九分九厘勝ち目がないだろうことは、当のシクロ自身が誰よりもよくわかっている。
それでも、吸血猟兵として生まれたからには、戦うほかに選択肢はないのだ。
「シクロ、聴こえてる?」
アンジェラとシクロは、バビリエとキーラの二人からすこし離れた場所で待機している。
通話モードはクローズドに設定されている。ほかの二人に聞かれることはないということだ。
「どうしたの? アンジェラ」
「たいしたことじゃない。ただ、あんたにお礼が言いたくてね」
「お礼?」
「もしあんたが戦うと言ってくれなかったら、私は吸血鬼の
いったん言葉を切ったアンジェラは、ふっとため息をつく。
「シクロ、本当を言うとね。今回のミッションが終わったら、私は無理にでもあんたを”狂った
「……」
「でも、もう諦めたわ。
常と変わらず飄々としたアンジェラの言葉は、しかし、どこか哀しげな響きを帯びていた。
「ねえ、シクロ。もし生き残れたら、私はウォーローダー乗りを辞めるわ」
「どうして――――」
「仕方ないでしょ。自分の限界を思い知らされちゃったんだもの。自分ではいっぱしの女傭兵のつもりだったけど、本当に恐ろしい相手のまえではただ震えるだけの小娘だった。いまさらだけど、この稼業に向いてないってことがよく分かったわ」
アンジェラの声には、相反するふたつの感情が入り混じる。
ひとつは、自分自身の才能に見切りをつけざるをえなかった無念さ。
そしてもうひとつは、ほんとうに進むべき道が決まったことへの喜びだった。
「アンジェラ、あたしは……」
シクロの口から出かかった言葉をかき消すように、甲高いアラーム音がコクピット内に反響した。
資材貯蔵庫の扉に設置しておいたセンサーが異常を検知したのだ。
ず、ず、ず……と、耳ざわりな軋り音を立てながら、重厚な扉はゆっくりと開いていく。
女吸血鬼はやはり内側から扉を開ける方法を知っていたのだ。
ここまでアンジェラとシクロたちに時間を与えたのは、すこしでも長く狩りを楽しむためにほかならない。
外で人間たちが
「来る――――みんな、シクロに言われたとおりにやりな!!」
アンジェラは通信回線をオープンに切り替えると、
「了解ッ!!」
せいいっぱいの気合とともに応じたバビリエとキーラは、すぐさま扉の両脇に機体を滑らせる。
ぞくり――と、バビリエの背筋に氷を押し付けられたような悪寒が走った。
扉の奥から足音が聞こえてくる。
まるで舞を舞うかのような、規則正しく心地よいステップ。
おもわずうっとりと聞き惚れそうになるそれは、しかし、死神の足音にほかならない。
女吸血鬼がいよいよ動き出したのだ。
***
シクロが”
まず、資材貯蔵庫のまわりにワイヤー・トラップを張り巡らせる。
むろん、吸血鬼にワイヤートラップが通用しないのは分かりきっている。
彼らのおそるべき視力は、闇に張られた極細の糸さえ見逃すことはないのである。
それを逆手に取り、わざと見え透いた罠を仕掛ける。
吸血鬼は用心深い性質をもつ。人間の児戯にも等しい浅知恵とはいえ、分かりきっている罠にあえてかかることはない。
罠を見破らせることで吸血鬼の移動ルートを狭め、最終的に目当ての場所――――ダム内にもうけられた水力発電所へと追い込んでいく。
発電所内ではシクロとアンジェラがすべての準備を整え、女吸血鬼の到着を待ち構えている。
ほんとうの戦いが始まるのはそこからだ。
バビリエとキーラの役目は、身を挺して女吸血鬼をおびき寄せることなのだ。
もとより生還は望めない役目である。
しかし、どんな役目だろうと、吸血鬼と戦うからには死を覚悟する必要がある。
バビリエとキーラは、シクロとアンジェラに一縷の望みを託し、危険な囮役をみずから買って出たのだった。
***
「来いッ、吸血鬼!!」
最初に疾走に移ったのは、
高速回転するアルキメディアン・スクリューがコンクリートを削り、灰色の粉塵が巻き上がる。
アーマイゼの最高速度は、カスタム・チューンを施した”
時速三百キロで大地を駆ける吸血鬼からみれば、まるで問題にならない鈍足だ。
それでも、女吸血鬼がバビリエとキーラの機体を追いきれないのは、逃げているふうを装いながら、その実ワイヤートラップに引っ掛けようという魂胆を見透かしているためであった。
ワイヤーに引っかかることでなにが起こるのかは、女吸血鬼には知る術もない。
知らないということは、不測の事態に見舞われるかもしれないということだ。
あるいは、先ほどとおなじように硫化アリルを含んだ催涙ガスが仕掛けられているかもしれない。
肉体的なダメージこそないが、鼻と眼に刺激を受けたことで引き起こされる不快感は、吸血鬼にとって耐えがたいものだ。
むろん、直近の経験によって過剰な警戒心を抱くだろうことも、シクロの計算のうちだ。
しばらく通路内を駆け巡っていた二機のアーマイゼと女吸血鬼だが、変化は前触れもなく訪れた。
女吸血鬼が突如その場に立ち止まったのである。
なにが起こったのか理解できないまま、頭部カメラだけを旋回させたバビリエは、おもわず息を呑んだ。
「なっ……!?」
バビリエの眼前で、たしかにそこにあったはずの女吸血鬼の身体がふっとかき消えた。
むろん、ほんとうに消えてしまったわけではない。
あまりに疾い動きに、センサーの精度では捕捉できなくなったのだ。
めしゃり――――と、湿った破壊音がこだました。
キーラのアーマイゼだ。
声をかけようとして、バビリエはそれきり二の句が継げなくなった。
それも当然だ。
胸から腰にかけての胴体が、まるで雑巾をおもいきり絞ったみたいにねじれているのである。
人ひとりがたしかに収まっていたはずのコクピットは、いまや幅三十センチほどの細長い鉄塊へと変じている。
吸血鬼の膂力をもってすれば、ウォーローダーを一瞬で鉄くずに変える程度は造作もないのだ。
コクピットごとねじきられたキーラは、もはや人間の形を留めてはいまい。
「人間をなぶって楽しんでいるつもりか……!!」
いまバビリエの心を支配するのは、吸血鬼への怒りと恐怖が綯い交ぜになった感情だ。
「死ねえッ、吸血鬼!!」
裂帛の気合とともに振り下ろされた
これまで蓄積してきた戦闘経験も、厳しい訓練によって身につけた操縦技術も、吸血鬼には通じない。
ベテランだろうとルーキーだろうと、吸血鬼のまえでは等しく無力なのだ。
「あ……ああ……」
女吸血鬼は何をするでもなく、アーマイゼの前に立つ。
人間ばなれした美しい顔貌に浮かぶのは、花がほころぶような微笑だ。
見る者の心を蕩かす、恐ろしくも美しい蠱惑の笑み。
バビリエも先ほどまでの戦意を喪失し、透きとおった真紅の瞳に魅了されつつある。
これこそがみずから人間であることを棄て、吸血鬼の忠実な下僕になることをえらぶ者が後を絶たない理由であった。
バビリエが女吸血鬼にむかって陶然と手を差し伸べたとき、強烈な
ヴィルトハーゼの七五ミリ砲弾だ。
はたして、女吸血鬼の視線の先には、二機のウォーローダーが佇立している。
「バビリエ、よくやった。あんたはいまのうちにお逃げ」
アンジェラが言い終わるや、シクロはひとりごちるみたいに呟いた。
「その吸血鬼はあたしたちがやる――――」
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